1月19日、幼児グループの研修会がレジデンス日進の地域交流室で行われました。(主催 花・ジャングルジム)
朝早く、東京を立って来られた手塚直樹先生と青山和子先生の講演で、幼児期、児童期、思春期の問題をとてもわかりやすく、明快にお話くださった後、ひとりひとりの現在抱えている問題をお聞き下さり、それに対してそれぞれのお答えをいただきました。
10時から3時まであっと思う間に時間が過ぎて、お昼で帰らなければならない人はとても名残惜しく、泣いて感謝の思いを述べられ、つられてみんながいっせいに泣き出してしまいました。自分たちが迷いに迷って子育てをし、せいいっぱいがんばっているのを少し手をさしのべてさあこうやって子育てをしてみましょうと教えられた気がしたと思うのです。
「人との出会いがおだやかだとその子はおだやかに育つ」
「座って待つことを教えましょう」
等等心に残ったこどばをかみ締めていました。手塚先生、青山先生ありがとうございました。
■青山和子先生のご紹介
□日本女子大学社会福祉学科を卒業、当時数少なかった知的障害のある人の入所施設、現在の「総合福祉センター弘済学園」に専門職員として従事し、おおむね40年にわたって、知的障害のある幼児、児童、成人の支援に親身になって行動されてきました。
□総合福祉センター弘済学園は、幼児から成人まで一貫した支援を行っていますが、特に知的障害のある幼児と母親が3ヶ月にわたって入園し、早期療育の基本などを具体的に学び・経験していく、日本で最初の「母子入園」の責任者として、多くの実績を残されています。また、思春期のご本人やご家族についての支援には、とても経験が深い方です。
□昨年4月に、総合福祉センター弘済学園長を退任され、東京の麹町にある弘済会館総合相談室の療育相談担当をはじめとして、知的障害のある人やご家族の相談・支援にあたっています。
□現場の第一線で直接支援にあたってこられた方ですが、この間いくつかの大学で講座をもたれ、また「知的障害時・者の生活と援助」(一橋出版)、「ちえおくれの子どもの日常生活指導(3部作)」(学習研究社)等、多くの著書があります。
(手塚直樹)
■手塚直樹の自己紹介
□知的障害のある人をはじめとして、心身に障害のある人の職業や社会参加の分野で活動してきました。この間、わが国最初の知的障害者のモデル企業で多くの知的障害のある人と共に働いた経験をもっています。
また、鉄道弘済会本部社会福祉部で総合福祉センター弘済学園を担当したことなどが、私の知的障害のある人の支援の原点になっています。こうした関係から、青山和子先生とは40年来のお付き合いを願っています。
□その後大学の教員として、主に社会福祉専攻の学生の教育にあたってきました。現在は、新潟医療福祉大学の名誉教授です。
□現在、東京都町田市にある「社会福祉法人白峰福祉会」の理事長を努めています。知的障害者通所授産施設、通所更生施設、グループホーム、居宅介護事業等を運営しています。通所施設のご利用者は、重複障害や自閉症の人がとても多く、障害者程度区分では、区分6および5の人が3分の2以上を占めているという施設です。日々、ご利用者やご家族とのかかわりの中で、本当に多くのことを学び経験しています。
実践的なA型就労継続支援事業所のモデル
前回、このコーナーで企業が障害者を雇用した場合に、A型就労継続支援費を恒久的に企業に支払うことができれば就労は劇的に進むことを述べました。実は、今からでもこうしたことを実質的に行うことは可能です。
その方法は
(1)企業と提携した社会福祉法人やNPOが障害者の就労支援を目的とした事業所(以下事業所)をつくる。
(2)企業は事業の技術や知識を有する社員を事業所に出向もしくは人材派遣の形で派遣し、雇用した障害がある人の支援員とする。
(3)建物や機械は企業からレンタルを受け、事業所は、支援員の人材派遣費と設備のレンタル料を企業に支払う。
(4)提携した社会福祉法人やNPOは就労継続支援事業の管理者資格がある人をこの事業所に配置する。
(5)企業にとって必要な作業を下請けの形で事業所に継続的に提供し、請負料を事業所に支払う。
(6)事業所の管理者は支援費を自治体に請求する
というものです。
事業所は企業から受けた委託費の中から利用者に工賃を支払います。工賃の金額はおおむね35000円~70000円(月額)の間となるでしょう。
管理者は障害者福祉に関する専門的な知識を生かし、本人のニーズや障害の状況に応じ、本人に必要な訓練を行います。
こうしてみると、実質的に、企業内に支援費の支給を受けることができる障害者の多数雇用事業所を設立することと同じです。
ただ、こうした仕組みを悪用して不適切な事業所ができないとも限りません。そこで、企業が設立支援した事業所が障害者自立支援法に照らし合わせて適切なものであるかどうかを常に把握できるようにすることが必要です。また、事業所をアセスメントし、職場の改善作業ができるよう、企業と社会福祉法人の連携を深めることも必要になるかもしれません。そうしたシステム全体の管理を期待されているのが各福祉圏域に配置された障害者地域生活支援センターです。
現在は障害者自立支援法の問題点が明らかになった段階です。特に事業者は「激変緩和」に関心が向かっています。しかし自立支援法の本質は現在の授産施設のあり方を根本から変える法律です。障害者の自立が促進され、障害がある人がそうした事業所を選択するならばなんら問題はありません。しかし、現在の施設が解体され、障害がある人が路頭に迷うことがないようにしなければなりません。
そうならないために企業との提携を視野に入れた多様なモデルをつくっていくことが必要でしょう。障害者の就労にも地域社会の企業の発展にも社会福祉法人の発展にも結びつく新しい連携モデルづくりが求められます。
障害者雇用対策
今後の日中生活のあり方は就職ニーズが低い人から高い人まで多数の選択ができるようになります。
1 生活介護
2 就労継続支援(B型)
3 就労継続支援(A型)
4 就労移行支援
5 一般企業の就労
これまで、障害がある場合の学校卒業後の進路は、通所施設での福祉的就労か企業への就職かという選択だった。施設サービスを利用することには安定感があり生活の保障もあるため、就職をせず、施設を選択する人が多くなってしまいました。施設を利用した生活では
1 障害基礎年金が支給されるため、ある程度の生活保障がされる。
2 支援費制度により、ある程度の地域生活が保障される
3 (額は平均15000円と少ないが)工賃も支給される。
など、それなりに安心がもたらされます。一方、障害者側から見れば、企業での就労は危険がいっぱいです。
今回、障害者自立支援法で自己負担が発生するようになりました。自己負担を増やせば企業への就労が増えるかといえばそうはなりません。ただ単に、障害者の生活が苦しくなっただけです。企業への就労が促進される対策が急がれます。
企業への就労を増やすには、支援付き雇用を増やすことが肝心です。そのためには、障害者を雇用する企業側にも障害者雇用をすれば利がもたらされるような政策が必要でしょう。現在の障害者雇用対策は、障害者を雇用しなければ罰金を払う(大企業のみ)というネガティブなものであまりぱっとしません。多くの企業が罰金を払って障害者を雇用していないのです。
この問題を解決すべく、いろいろと法制度が検討されています。例えば、
(1)障害者雇用を目的とする子会社に企業が投資をする場合に、投資した資本金を損金に繰り入れることができるようにすること
(2)複数の企業が共同出資して障害者雇用を目的とする子会社を設立することができるようにすること
などです。子会社ですから、障害者雇用率に含めてカウントすることができます。
しかし、これだけでは障害者雇用率によってペナルティを与えられている大企業に限られます。障害者が一般企業へ就労することを促進するためにはもっと踏み込んだ対策が必要でしょう。例えば障害者を雇用した場合、A型就労継続支援の支援費単価に相当する雇用促進費を<恒久的に>企業に支払うのです。障害者の自己負担金はもちろん必要ありません。
そうなると、授産施設は大打撃となります。では、私たち社会福祉法人の人間はこうした対策に断固反対すべきかというとそうではありません。社会福祉法人も企業と連携して、そうした子会社を共同でつくったり、自らが起業して別会社をつくり、雇用の場を拡大すればよいのです。逆に、就労できない人に対する介護単価はもっと充実したものにできるようになります。
そうなれば社会福祉法人の使命は
1 障害者のケアマネジメント
2 重度の人に対するサービス
3 企業の障害者就労環境のコーディネート
4 障害者就労継続支援の管理業務委託
4 居住サービス
といったところに落ち着いていくでしょう。社会福祉法人はこうした政策が現実のものになるかもしれない5年後にむけて、対策を立てていかなければなりません。
温故知新
「温故知新」ということばがあります。これは「孔子」が論語として弟子たちと交わした問答や行動を記録したものの中に記載さされているものです。「温故知新」の意味は先人の人たちが受けてきた困難について知ることや、それを乗り越えてきた方法について知ること。それによって今の問題の解決や進むべき道が開かれるのではないかということです。
育成会の発足当時から携っている私は、そのいろいろな歴史の中から今日の福祉が築かれてきたと思っています。
養護学校がこれから変わろうとしています。そのとき、養護学校がなぜできたのかを知ることで変わるべき方向がはっきりするということがあります。授産施設が自立支援法で変わります。授産施設がどういうきっかけで、どんな必要性があってできたのかを知ることは、どうかわるべきかを見誤らないために大切なことだと思います。古いことを温めつつ、新しいことを考えましょう。
このところメイトウ・ワークス、レジデンズ日進、天白ワークスと新年会に連日呼んでいただいています。温故知新とはちょっと話がずれますが、今の名東福祉会の家族会は親子ほどの年代の差があります。お母様方どうしの会話になりますと、旧き時代を伝える年長のお母様方の苦労話、新風のような感覚が感じられる若い親さんの話、お互いがそれぞれの話に関心をもって聞き入ります。
私は傍で聞いていると、昔話はみんな懐かしく、そのころあちこち飛び回ったことが鮮やかに思い出されます。若いお母さんたちはショートステイを利用し、就労を考え、子どもを束縛せず、自分自身もたくましく生活をエンジョイされていることに感心します。
思えば、何も制度は整備されていなかったけれども、みなさんに助けていただき、苦労を楽しめた若い日を思い起こします。歴史の中でみんながそれぞれつながっているんだということを思い、温故知新を地で行くわが家族会のありようを見て、嬉しさを改めたしだいでした。
それにしても明るい家族会です。新年会では俳句の会や絵の会や旅行の会を再びやろう!!といわれました。自立支援法の苦難はどこへいったの? でもまあ、やっぱり明るく楽しくやるのが一番。嬉しかったです。さそってくれて。老人もいっしょに頑張りましょう。
福祉ビッグバンに備えて
2003年の6月に中村秀一氏の私的諮問機関である高齢者問題研究会の報告「2015年の高齢者福祉」の構想が発表されてから、これまで実に多くの改革が高齢者福祉の世界で進んできました。2015年は団塊の世代がすべて高齢者となる年です。
改革の内容を具体的に見ると、
1 小規模・多機能サービス拠点が増え在宅から利用する人を増やす。
2 高齢者施設は有料老人ホームか適合高齢者専用賃貸住宅などの特定施設に切り替わえる。
3 住居費・食費を利用者負担とし、個室化をはかり施設と居住との差をなくす。
4 医師の報酬は医療保険でまかない、医療サービスを外付け化する。
5 低所得者には利用料の配慮を行う。
ということになっています。より医療が必要な人は医療保険が適応される施設へ、医療ニーズが低い人は新しい形式の「住まい」に整理していくとされています。
こうした流れを受けて、建築会社や不動産開発会社は医療とドッキングした高齢者住宅をどんどん供給するようになるでしょう。またすでに医療法人の福祉への参入が解禁されたり、療養型病床の廃止が決まるなど、2015年に向けていろいろな制度が打ち出されています。実際に、住友林業や豊田通商などがそうした新しい高齢者の「住まい」を発表しています。また、コンビニや宅配便会社やセキュリティー会社がなんらかの形で弁当の宅配、安否確認、家事支援事業に参入すると思われます。そうした巨大なマーケットに向けて企業は動いているのです。
医療現場の改革もたいへんです。診療報酬が見直され、介護予防にシフトしていくでしょう。有償診療所・訪問介護・介護事業所・住宅型有料ホームなど、在宅福祉のための各種サービスの連携が進みます。ショッピングモールのように医療や介護や「住まい」が集積した施設が町の中に増えていくと思われます。
こうした高齢者福祉の世界の中に障害者福祉は介護保険で統合されるのです。昨年度導入された1割負担、食事負担もこの流れのなかにあります。もちろん新しい「住まい」は障害者も利用できます。身体障害者の人の中にはこうした「住まい」で暮らしてそのまま「在宅勤務」したり、町の障害者就労継続支援事業所へ通所する人がでてきてもおかしくありません。そうしたニーズの変化に合わせて、社会福祉法人に限らず、一般企業も就労継続支援に参入するかもしれません。障害者にとって、選択肢が増えるわけですからそれはそれで歓迎すべきことです。しかしその一方で既存の社会福祉法人は倒産するかもしれないのです。刻一刻とそうしたビッグバンに向けて世の中は動いているのです。
新しい時代に障害者福祉サービスを提供する法人が確固とした役割を担うために、私たちはどうしたらいいのかが問題です。入所型の障害者福祉施設はこれからますます重度者への対応が求められます。既存の通所の施設の多くは最終的には生活介護施設へとシフトしくことになるでしょう。重度者や自閉の人に対して良質なサービスが提供できる施設として生き残ることになると思います。その一方で障害者が能力に応じて働くことができる魅力ある職場を町の中に提供していくことも必要です。先ごろ軽減措置はうちだされましたが、厳しい状況にはかわりありません。
明けましておめでとうございます
国際社会が1981年に障害がある人の「完全参加と平等」に向けて努力することを宣言してから今年で27年目となります。長い時間が経過しましたが、障害がある人たちが社会に完全参加し、平等な権利を有しているとはいまだに言えません。
確かに、わたしたちの世代で「完全参加と平等」を成し遂げるのは容易ではありません。しかし、私たちが完全参加と平等は決して大きすぎる目標ではないと思います。その実体を突き詰めれば日々の生活のありようの問題にすぎないからです。
障害がある人が地域の人々との交流を少しでも増やすことができるようにするには?
障害がある人が地域の人々の役に立つ仕事を確保するには?
障害がある人が自分の住まいとして胸をはることができる生活空間をつくるには?
やりたい仕事を楽しみ、余暇を楽しみ、生活そのものを楽しむことができる-それが参加と平等の具体的な姿なのだと思います。
私たち施設職員は施設職員と利用者の関係ですから、利用者と共同生活を行っていますが、まったく同じように生活を楽しむことはできません。利用者と同じように生活を楽しむのが私たちの使命なのではなく、<利用者の楽しみの実現>を職業としています。利用者が生活を楽しんでいることを私たちの楽しみとするわけです。それが偕に(ともに)楽しみ、偕に生きるということの本質なのだと思います。
2007年は団塊の世代が大量に定年を迎える年となります。これは社会の中に自分がほんとうにやりたかった生き方を求める人が増え、働き方が変わり、ひいては福祉業界にも新しい労働力が供給されることを意味します。私はこうした団塊世代の人にとって、<やりたかったことができる魅力ある職場>として名東福祉会が注目されることを期待しています。そのためにも名東福祉会に多くの有益な経験や知識やキャリアが結集することができるよう、組織のあり方も含めて改革を続けていかなければと考えています。
明けましておめでとうございます。
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ名東福祉会をご支援くださいますようお願い申し上げます。
昨年は障害者自立支援法にあけくれ、振り回された感があります。できるだけチャンスをとらえ、要望や陳情を繰り返し、具体的に訴え続けて参りました。12月に入ってやや修正への動きが見えてきたところですが、まだまだ気は抜けません。
新しい事業を起こすにあたっても、様々な壁があり、一つ一つ具体的に切り開いてゆかねばなりません。
発想を変えて、私たちは障害を持った人たちのそれぞれの障害に応じたよりよい暮らしができるように頑張りたいと思います。
年寄りはおとなしくしていたら・・・などとはいわないでください。心の中は燃えています。
国が終末医療に支払っているお金は医療費全体の70%にものぼるという。平成16年度の医療保険医療費の合計は29兆6617億円。70%ならば20兆円もの金額が支払われていることになる。これから国はできるだけターミナルケアに要する高度医療費を下げる方向で検討が進んでいる。すなわち、人がこの世を去るときにはできるだけ家庭や福祉施設で看取が行えるような体制をつくることを意味する。
現在、国では療養型病床群を廃止し福祉施設でターミナルケアを行うように制度設計が行われている。確かに、死を尊厳をもって迎えることは重要で、医療現場で物理的に人を生かすだけが目的化してはならない。また、これだけの医療費を使うことも問題がある。これだけ国が破綻しそうになっているとき、そういう論理がでるのはもっともである。
ただ、ほんとうに質が高いターミナルケアを行おうとすると、やはり医療的ケアに関する知識や技術を福祉施設に導入することが必要である。現在、福祉施設では十分な看護体制がとられているとはいいがたい。
例えば、病院を経営を基盤としている医療法人が経営している高齢者施設と高齢者施設だけの施設と比較すると、死を看取るときの技術、あるいは重篤な事態につながらないようにする技術に差があるという。
病院では患者がいかに苦しまないようにするのかについて細心の注意を払う。例えば、食べ物を食べたときの胃からの逆流の問題を考えてみよう。高齢者の場合、福祉施設では一般的な車椅子に乗せて食事を食べていただくところが多い。そうした場合、食べたものが逆流して、吐血することが多くなる。場合によっては肺に入り込んで肺炎を起こす。病院ではこうした問題を防ぐために30度程度の傾斜角がついたベッドを用いる。車椅子でも足を伸ばして角度をつけて利用できる車椅子を用いる。そうすれば食べたものの逆流が起こりにくい。
病院では看護師が中心になってケアを行う。注射、投薬、タンの吸引、経官栄養など、現在福祉施設ではできないが病院ならできることが多い。一方、介護福祉士は医療行為と呼ばれるものはできない。看護師スタッフが少ない福祉施設では、訓練されたスタッフが不在であり、医療に関する知識は不足しがちだ。高齢者施設の利用者が危険な状態になると病院に緊急入院を行う。そのまま、病院で終末医療に移行する場合が多くなる。こうして死を施設の中で看取ることがないために、そうした技術が発展しなかったのは当然ともいえる。
福祉施設には看護技術が圧倒的に不足している。ただ単に医療現場から福祉施設に終末医療の現場を移し、医療費を削減するという発想はいただけない。人間に対する尊厳を保つことができる、より質の高い看護を「福祉施設で」実施することができるように看護師配置を強化するなどの福祉施設の医療技術の向上に資する政策が必要だ。
レジデンス日進では家族会が主になってクリスマス会が行われました。
歌は芳賀さん。ピアノは上西さん。今日はボランティアで来ていただきましたが、日進市の地元で教室を開いている先生方です。
美しい声で歌を歌ってくださると、利用者のみんなもうっとり。ピアノ演奏では先生の横にS君がちょこんと座っています。始めはニコニコとしていただけでしたが、しまいには少しずつ指がピアノの鍵盤の上を踊ります。案外「音楽」らし聞こえ、ちょっとしたお愛嬌なので、先生もなすがままにしておかれたそうです。
思えば以前から音の大嫌いな人でした。大きな音がすると飛びだしていってしまいます。この頃、そんなことがなくなったと思っていましたら、今日は外に飛び出すのではなく、一緒にピアノを弾いている感じ。しかもニコニコ笑って。いい感じです。
この後、ゲームや松健サンバをしてケーキを食べていろいろプレゼントをもらってその後、所長より工賃が渡されました。みんな、「オーッ!!」と声を上げて喜んでいました。
新しい年を迎えたら、働ける人はもっともっと働いて、工賃をもっと沢山もらって、楽しいこともいっぱいやろうね。今年はもうじき終わりますが、元気にそろって新しい年、よい年をお迎え下さい。ありがとうございました。
天白ワークスに用事があって出かけました。
作業室に入ったとたん、ひとりの利用者が駆け寄ってきて、
「ちっとも来なかったねえ。なんで来てくれへんの?」
「うん、忙しかったもんでね。」と私。
「このごろ(レジデンス日進の)Sさんが来なくなったので、私ひとりでがんばっているんだよ」と新作のはしおきを見せてくれました。
そこへまたひとりが来て「ちっとも来んなあ。来なかんよ。(来ないといけないよ)」と背中をたたきました。こんな私でも喜んでくれるんだと思いました。
ちょうどその時、10人ばかりの地域のグループの方達が陶芸教室を終えて帰られるところ。この方たちは老若男女さまざまな人たちのグループで、天白ワークスの利用者の人たちの作業と平行して開催されている陶芸教室の参加者のみなさんです。私はごあいさつするとグループの長の人が「私たち、おじゃまして申し訳ありません。」とごあいさつ。みなさんいっせいにニコニコと口々にごあいさつ。「来月もまたおじゃまします。」と帰っていかれました。
仏教に、和顔施(わげんせ)ということばがあります。無財の七施のひとつで、自分の損得から離れて、人に対していつもにこやかに笑顔をもって応対すればいろいろ良い方向へ転じていくという教えです。
私はこうした教えがあることも知らなかったのですが、私は利用者さんたちの笑顔に支えられて生きています。利用者さんの笑顔はまわりの人々を幸せに向かって歩むよう後押ししてくれているようです。なにかと苦しいことが多い今日この頃ですが、私は毎日、利用者の人たちとも、地域の人々とも笑顔で接することができ本当に感謝です。
12月17日(日)、今日はレジデンス日進の利用者さんたちをいつも診療してくださっている福島先生ひきいるドクターズバンドのクリスマスナンバー演奏の日です。バンドメンバー7人すべてがお医者さまです。
私は丁度お客様があって、用事を済ませた後、途中参加でしたが、デイケアセンターに入っていくと圧倒される程熱気むんむんでした。みんなそれぞれカスタネットやタンバリンを持って踊っていました。バンドの方々も汗をかいて顔が光って見える程熱演していました。お客様も参加され、「重度の方が多いと聞いていましたがどの人が重度の方なのかわかりませんね」とおっしゃいました。
大きな音がすると走り出してしまう人、興奮して大声を出す人、ボンボン飛び上がる人といろいろいたのですが、みんな楽しそうに踊ったり、楽器をたたいたりしていました。楽しさがわかってきたのだと、私はとても嬉しく思いました。
こうやってレジデンスの中で暮らしているみんなですが、施設の周りの人々がいろいろ外の空気を運んでくれます。音楽も仕事も楽しいこともすべてが中で暮らす人たちの心の糧となって何歳になってもみんな成長していくもとになるのだと思います。
用事があってコロニーへ出かけました。用事が済んで私は長男と少し時間を頂いて、春日井市緑化センターへコーヒーを飲みに行くことにしました。
偶然にも、春日井市立養護学校高等部の生徒さんたちがハンドベルの演奏をするところでしたので、長男と二人ならんで会場に座りました。
そろいのハンドベル用の制服を着用し、白い手袋をして整然と並んだ様子はみんなとても凛々しく見えます。何人かの人がかわるがわる説明をします。題目の説明をする人、春日井市の福祉まつりで演奏したことを誇らしげに話す人、他の市町村から招かれて演奏を行ったことなど、みなさんとてもすばらしい挨拶で並みいる人たちは万雷の拍手でした。私はこの人たちなら全員就労することができると確信しました。障害の程度区分が高いとか低いとかいうこととは別に、どんな形でも良いから人に自分のことをしっかりと伝えることができることがとても大切なんだなあと思います。
演奏もすばらしく、「サンタがやってくる」「ジングルベル」「きよしこの夜」などクリスマスにちなんだ曲目を続けて演奏してくれ、長男もリズムに合わせて体をゆすっていました。「ハンドベル聞けてよかったね!」というと、嬉しそうにしていました。その後、子どもたちと養護学校生徒とがハンドベルを通してのふれあいタイムがあってみんな嬉々として交流していました。
時間が気になるのでそこまでにして、急いでコロニーに帰りました。棟に着くと、ノロウィルスによって下痢気味の利用者さんたちの世話で職員さんは大わらわ。ノロウィルスによる急性胃腸炎は2~3日ですぐに治りますが、感染する率も高く、熱も出るので大変です。おかげでもう下火になったそうですが、世話をしている職員さんたちに心から頭が下がりました。ありがとうございました。
※私たちもよく手を洗いましょう。
※今日も一日、とても良い日を過ごせたことを感謝します。
久しぶりにクリスマスコンサートに行ってきました。始まるのが6時30分からです。この時間、いつも眠たくなる時間なので心配しましたが、なんのその、すっかりピアノ演奏に魅了されてしまいました。
曲目「オペラ座の怪人」や私の好きな「ラ・カンパネラ」が演奏され、バックの光るトナカイさんとあいまって、クリスマスコンサートはとても盛り上がりました。
そしてなんと演奏者からのプレゼントCDが私たちの同行者の18歳のお嬢さんに当たって、私まで大喜びをしました。
お店は旬の無農薬・有機野菜の家庭料理の店。オーナーご家族が最後に手作りクッキーの袋を配ってくださいました。きびきびしたお兄ちゃんから私は袋を頂きましたが、お母様に抱かれたダウンちゃんが私をじっと見ていました。私は「ありがと」とダウンちゃんに言いましたら、お兄ちゃんも嬉しそうでした。素敵なお食事と音楽で心を癒し、暖かな気持ちで帰路につきました。
このところ、施設運営に心を痛めていたのですが、ひとときとはいえ、心を癒されることは大切です。さあどうしたら次の計画を実行できるか、ふとんの中で考えているうち、いつの間にか眠りに入っていました。
人と技術
社会福祉法人は後3年くらいの間に変化できなければ確実に滅びる。これからの3年間は人間力と技術力を高める3年間となる。
人間力とは利用者を大切にする力だ。現場でこの力をつけるためには、常に利用者の幸せを優先することだ。利用者は個人ごとに幸せが異なる。ひとりひとりに合わせて満足を積み重ねていく人間力が求められる。利用者を大切にする思想は組織の倫理性によって大きく左右される。社会福祉法人として生き残るためには法人に高い倫理性が求められる。
どんな分野のビジネスでも技術力が組織の力となる。福祉分野のサービスは人間によってもたらされる。技といってもいい。介護保険との統合という危機を前にして、これから生き残るためにはスタッフの教育・研修によって技術力を高めることが必要だ。
では知的障害福祉分野の技術はどういう形で高めていくことができるか。
技術は日ごろの実践の中で、努力の積み重ねによって成就される。現場に問題があれば改善し、少しでも安全性を高め、少しでも効率がよい方法を選ぶ。いい方法があれば貪欲に取り入れることが肝要である。問題があれば正直に公表し、それを直す。そのために職員が自ら現場を変える仕組みを導入していきたい。
知的障害者分野の介護は、他の福祉でみられる通常の介護に加え、就労支援がある。知的障害分野で身につけた技術はどの分野の介護にも応用が利く。反面、知的障害分野の介護はとてもひとりではできない。だから知的障害者ケアはチームでやる。
行政機関や医療機関、教育機関との連携も必要である。行政と連携を進めれば必ず一体感がでる。私たちは行政と馴れ合いになるわけではなく、また反目しあうこともない。時には激しい議論をすることもあるが、これからも行政との連携を最重点課題として地域の中で確固たる役割を果たして行きたい。
家族との話し合いも大切だ。だが、これはもっとも難しい。だから知的障害分野では特にコミュニケーション技術が大切だ。
自立支援はことばを変えれば問題解決支援である。問題の解決のためには本人の行動を変えることもさることながら、まわりの人の行動を変えることも大切だ。支援者自身が変わることができなければまわりの人を変えることは難しい。技術を高めるためには変化が重要だ。
名東福祉会は新しく、児童デイサービス事業を行う。もちろんニーズがあるから取り組んでいくわけだが、この分野で新しく迎える療育スタッフは名東福祉会の支援技術を大きく前進させてくれるだろう。職員教育・研修の中核的な機能として位置づけ、介護スタッフ全体の心理的、社会的な問題解決力を高めてまいりたい。
技術を磨いてもそれに見合う報酬がなければ人は長くこの世界にとどまらない。もちろんお金が報酬の全てではないものの、賃金は重要な要素ではある。ところが肝心の介護報酬単価がこれから高まることは予想しにくい。国や自治体に対して要望をあげていくことは当然としても、現実的な収入アップの道を考えねばならない。
それには、やはり、経営を効率化しながら利用者が求めるニーズに果敢に応えていくことだ。ケアホーム実現と就労継続支援・就労移行支援への取り組みがこの3年間の最大の課題となる。特に、就労継続支援は経理方式も変わり、利用者の収入アップだけではなく職員の収入アップや生活の質の向上にもつなげることもできる。大きな可能性をもっている道なのだ。名東福祉会はこの分野が特に弱い。これを変えていくことが生き残りの必須条件ともいえる。
最後に、さきごろ社会保障審議会で提言された、今後求められる「介護福祉士像」について紹介しておく。
今後、介護福祉士の国家資格要件はこの路線に従って改訂されていくことは間違いない。
1 尊厳を支えるケアの実践
2 現場で必要とされる実践的能力
3 自立支援を重視し、これからの介護ニーズ・政策にも対応できる
4 施設・地域(在宅)を通じた汎用性ある能力
5 心理的・社会的支援の重視
6 予防からリハビリテーション、看取りまで、利用者の状態の変化に対応できる
7 他職種の協働によるチームケア
8 一人でも基本的な対応ができる
9 「個別ケア」の実践
10 利用者・家族、チームに対するコミュニケーション能力や的確な記録・記述力
11 関連領域の基本的な理解
12 高い倫理性の保持
12月4日(月)~5日(火)、ホテル日航豊橋を会場にして、愛知県知的障害者福祉協会が主催で職員研究大会が行われました。
「良質で安定したサービス提供を目指して 自立支援法でどう変えてゆくのか」がテーマです。今回は本人の参加と保護者の参加が思わぬほど沢山ありました。
基調講演は福岡寿氏(北信圏域障害者生活支援センター所長)。テーマは「自立支援法を受け、再び地域生活支援を考える」。地元西駒郷から地域へ移行し、その後、どう対応したかについての話です。それは「ケアマネジメントの仕組みづくり」がポイントで、その中心は実際にはケア調整会議であったといいます。地域の様々な分野のプロが集まり、障害者のニーズにどのように対応するのかについてのアイディアを出し合い、実行する会議です。これからは「どうやって福祉分野以外の人たちと連携するのか」がポイントであることを示唆されました。その話の速さはまるで機関銃のようで、私のように老齢の身には聴き取るのもやっとでした。
川口弘福祉協会前会長(ホタルの郷施設長)からも特別講演がありました。内容は施設は今存亡の時。厳しい状態だが、職員がきっちりやってゆかないと障害者が困る。
1 可も無く不可もない職員になってほしくない。
2 サークル活動、なれあい活動はだめ。
3 施設長は何もやらないはだめ。
4 若い職員からどんどんアイディアを。
5 違った分野から福祉を見てほしい。
6 目標管理が重要。指針を示す。
7 変化を恐れず、自ら変わる。
8 常識を打ち破る。
9 人間を好きになり、コツコツと進める。
これまで福祉分野ではあまり紹介されなかったP.ドラッカーの経営理論を引用され、福祉経営もいよいよ一般企業以上の経営センスや企業理念が求められていることを痛感しました。でもそこは川口先生。「論より愛、考えるより行動を」と福祉の実践家らしく話を結ばれました。
私は第6分科会の家族の会に入りました。会場は100人程入っていてたいへん驚きました。会長の南氏から「自立支援法は自殺支援法。今後、政治を動かす請願書を提出したいのでみんなに入会してもらいたい。家族も困っているが施設も困っている」とのあいさつがありました。こうした時代にはどうしても言葉が過激になりますが、政策が大きく変わるときには行政も施設も家族との十分な話し合いが必要であることを強く思いました。
利用者の兄弟といっても私と同年代の方もたくさんいらっしゃいます。愛知県の障害者福祉も50年以上の歴史を刻んでいますから、当時の利用者の親はもうとっくにいなくなり、兄弟の世代も高齢化が進んでいることがわかります。私たち名東福祉会も設立から30年近くになり、いよいよ家族会の世代交代についても考えていかねばならないと思いました。
就労支援事業の活性を
2006年は障害者自立支援法によって障害者福祉が大きく揺れ動いた。
障害者自立支援法の光の部分は
(1)これまでバラバラだった知的障害者・身体障害者・精神障害者の福祉サービスが「一元化」されたこと。
(2)一般就労へ移行することを目的とした事業が創設されたこと。
(3)障害者が身近なところでサービスが利用できるよう、施設の基準や規制が緩和されたこと。
(4)支援費を国が義務的に負担する仕組みに改めたこと。
その一方で影の部分は
(1)障害者が福祉サービス等を利用した場合に1割負担が必要になったこと。
(2)食費等の実費負担が必要になったこと。
あまりにマイナス部分が大きかったために、自己負担部分について見直しも行われようとしている。
もちろん、今のままでは影の部分があまりにも大きい。これから十分な見直しを行い、障害者の生活の質が低下するような要因をできるだけ改善することが肝要である。ただ、私たち福祉サービスを提供する側の人間も、この法律が示すところである障害者の地域生活の充実のためによりいっそうの努力をする必要がある。
これからはこれまでのように国の予算に縛られて施設を建設する必要はない。自由な発想で仕事を開拓することができる。地域の中には通常の障害者が参加して市民の皆様のお役に立てる仕事がまだまだ存在している。これからは介護サービスの技術的な充実を計るとともに、就労支援を充実させることが必要だろう。
名東福祉会はこれまで、レジデンス日進の設置にエネルギーを費やし、障害者自立支援法の施行にともなう大幅な収入減を乗り越えるために翻弄されてきた。障害者自立支援法の導入に伴う混乱が激変緩和措置でひとまず落ち着きを見せた今、名東福祉会は地域の中で障害者と健常者が力を合わせて働くことに力を入れていかなければならない。激変緩和で与えられた時間はわずかである。
例えば資源の循環に貢献する仕事。現在、日進市では食用油の廃油を日進市運営の路線バス(くるりんバス)の燃料に再生する仕事を障害者施設に委託すること検討されているという。この仕事を私たちの法人の利用者の方々にも是非やらせていただきたい。
障害者の就労は一日にして成立しない。健常者と比べると作業内容の習得に時間がかかる。反面、一度習得した作業は確実にこなすことができる。リサイクル事業は継続性が高く、その点私たちの得意分野である。また、廃油を集め、それを自動車燃料に生まれ変わらせ、配達するシステムができれば、一般家庭からの廃油回収、一般車への配給へと拡大することができる。さらに、生ゴミの回収とゴミ袋や肥料やお米や野菜などとの交換など市民との触れ合いを深めるリサイクル事業にも発展させることが可能であり、大きく夢が広がる。
これからは観念的な地域福祉論はいらない。どうやって市民のお役に立てる仕事を獲得し、それを障害がある人の生活の糧にするかが肝心だ。ひとりひとりのお客様をどのように大切にするのかの積み重ねが地域に根付くことであり、その延長が就労継続支援事業であり、地域福祉である。
えがお歯科の橋本京一先生とお知り合いになり、この度、橋本先生から「若さと歯の関係について」お話をいただくことになりました。えがお歯科はレジデンス日進のすぐ近くにある歯科医院で、利用者さんたちが診療してもらっています。その医院の大先生が今年84歳になる橋本京一先生です。
ごく少数で談話会にしようということで、初めてのことだから私の友人10人に呼びかけたところ、うわさを聞きつけどうしてもという人も参加することになり、14名の談話会となりました。14人となれば手ごろな部屋がないので、まだ完成していない新しい職員室を使わせていただくことになりました。先生は84歳とは思えない体格でいらっしゃいます。声もはきはきと張りがあって聴き取りやすく、体中から健康であることがにじみ出るようでした。
若さを保つのは、よく噛むこと、よく歯磨きをする2つが大切であるとのこと。当の私はほとんど入れ歯というか、とりはずしのできないインプラントや差し歯。今では歯茎がだめになって固いものは食べられません。もう手遅れかと絶望的になってお話をうかがいました。
参加者14名に先生は「8020」ということばを知っているかたずねられました。8020とは80歳になって20本の自前の歯を持つよう、口腔衛生に努めましょうという運動のこと。知らなかったのは私だけ。私たちの年代になると、ほとんどの人が知っておられると知り、はずかしくなりました。
振り返ると私はこの50年間、知的障害のことしか考えが及ばず、「福祉オタク」と言われてもなんのことやら分からず、後で調べて激怒したこともありました。自身の健康を省みなかったことは今となってはもう遅いことは重々分かってはいますが、ともかく今日の先生のお話の中からひとつでも実行しようと覚悟を決めました。クオリティ・オブ・ライフです。
大声でしゃべる、歌を歌う、3ヶ月に1回は検診する、口腔清掃と生活習慣の改善と・・・なーんちゃって。三日坊主かも。
いつも使っている歯ブラシを持参するようご指示があったので、お弁当をいただいた後、先生のご指導のもと、みなで歯磨きをしました。「ブクブクパッ」ではなく、お茶を含んで「ブクブクゴックン」とそのまま飲み込むのです。先生は「おいしかったお弁当が全部胃の中に入って全部栄養になりますよ」といわれます。「口腔は歯磨きによって清潔になり、細菌は増えませんよ」とも言われました。私は私の意識改革から始めなければなりません。
余談ですが、お弁当は地域のボランティアさんに作っていただきました。何だかとてもおいしくて、地域の人と仲良くなれた嬉しさと相まって今日の昼食は格別、感謝です。
1年ぶりにあけぼの学園職員との親の同窓会といいましょうか、有志が集まって語り合う会が行われ、20人ほどが参加しました。職員の中には名古屋市職員を定年退職し、ヘルパーや民間の介護職員をしている人も何人かおられ、みなさん若々しく活躍しておられます。中には東京からかけつけて下さった方もいらっしゃいました。その人は私の息子佳孝を覚えていて下さいました。
「お母さん、小さくなったねえ!」ということばに「あたりまえでしょう。私もう78歳ですもの」
と言い返す瞬間、目の前に40年前の風景が彷彿と浮かび上がります。
当時、名古屋市内に重度の子どもたちが入所する施設は皆無でした。親たちの運動で、精神薄弱児入所更生施設「あけぼの学園」の中に重度棟が開所されました。当時は重度の知的障害児に対してどんなケアを行ったらよいのか資料も先例も名古屋にほとんどない状態です。そこに初めて勤務する職員は大変でした。自然、開所当時の思い出話になります。
皆さん「あのときは辛かった」とは言いません。「あのときは面白かった。あれが原点となっていまでも知的障害の福祉関係の職員として続いている。」「あの頃が忘れられず、退職してもヘルパーやボランティアをやっている。」など、もみくちゃの笑顔と共に、ありがたい言葉が次々と湧き上がってきます。
親の近況報告では、ご主人を亡くしたり、あるいはご病気であったり、いろいろお世話を続けていただいていた先生が突然心臓麻痺で数ヶ月前に亡くなったり、あるいは最愛の子を亡くしたりで
いろいろな出来事がそれぞれの人生にありました。
障害者自立支援法も話題になります。今、成人の入所施設にいる人、通所を利用している人様々です。が、みなさんたいへんな変革に驚き、今の福祉のありようにいろいろな疑問をもたれていました。特に、障害程度区分の認定手続きで使用される106項目の内容には納得がいかないという意見が大半を占めていました。延々と果てしなく話は続き、お店の人に怒られそうなので、ともかくここをお開きにして二次会になりましたがそこではどんな話がでたでしょう・・・。
私はこの方たちと知り合い、ひとつの目標に向かって励ましあうことができた人生をほんとうに感謝いたします。私は帰路につきながら、ひたすら今の名東福祉会の職員たちが今日この頃の難関を乗り越え、30年、40年後に、笑いながら思い出話をしてくれるよう祈るばかりでした。
11月23日、名古屋市昭和区役所講堂で行われた社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会と社会福祉法人名古屋手をつなぐ育成会が主催する「知的障害のある人の成年後見を考える」セミナーに参加いたしました。
開催あいさつの後、講演「知的障害者の成年後見の社会基盤づくり-現状と課題-」というテーマで、全日本育成会中央委員会委員長の佐藤彰一氏(弁護士)より講演をいただきました。
○成年後見制度のねらいは何なのか
○制度の概要
○成年後見をつけると役に立つ具体的事例
○成年後見制度を利用するときに考えるべきポイント
を中心に、具体的事例をあげて説明されました。
今まで何度も後見制度の説明を聞きましたが、今日ほどすなおにわかりやすく理解できたことはなかったと思います。
セミナーの内容を端的に言えば、自分たちでNPOでも何でも良いから組織をつくるべきだということ。本当は親がなるべきだが、年の順でゆくと先に死ぬ。だから、信頼できる自分たちをいちばん知ってくれる人にやってほしい。ネットワークで後見人をつくるとよい。その地域地域でかかわりかたが違うから、その地で生かせるものを立ち上げるとよい。「親亡き後ではなく、親あるうちに」を何度も協調されていました。
障害のある人の後見支援は長期間にわたります。財産管理だけではなく、生活支援もカバーする後見システムが必要となります。今こそ、若い親たちが立ち上がって作るよう努力してほしい。それが手をつなぐ育成会の使命だと思うとまで言われました。
また、各市町村レベルで「バックアップシステム」や「コミュニティフレンド」をつくるべきだと強調されました。沢山の資料にもとづき、具体例をあげての説明の中でいずれにしても弁護士や司法書士はタダでやるわけにはいかない。報酬はきちっと払うべきだとちょっと言われました。もっともなことだと納得がいきました。午後からはシンポジウムと相談質問で、
○名古屋育成会理事長 仁木雅子氏
○愛知県弁護士会 熊田均氏
○名古屋市健康福祉局生涯福祉部長 長谷川弘之氏
○愛知県弁護士会 河内尚輝氏
○NPO法人PACガーデアンズ理事長 佐藤彰一氏
の各氏が発言、質問に答えられました。会場に参加した400人近い人々は満足して帰られたと思います。
愛知万博開催の折、イタリアの音楽会に招待してくださった石川愛子さんが、イタリアの看護士さんとすばらしい日本のピアニストを連れて、今日、レジデンス日進に訪問してくださいました。
四方山話のあと、デイサービスや居室をご案内したり、屋上をご案内しました。特にお風呂は日本風の木のお風呂なのでそれにいたく感動され、屋上庭園では驚いたり、四方が見渡せるので感動したり、奈々枝ガーデンではなぜか笑い転げておられました。
デイサービスでは何人かの利用者と会話していらっしゃいました。両方ともチンプンカンプンでしたでしょうけれども、とても喜んでおられました。イタリアの人はとても日本が気に入り、ぜひ日本で働きたいと言っておられましたが、看護の仕事は日本語ができないと難しいのではと思いました。
通訳が必要なのでアッという間に時間が過ぎて、おなごりおしくお帰りになられました。
石川さんはバレー教室を開いておられますが、生徒たちにここを見学させたり、バレーを利用者に見てもらいたいと以前からおっしゃっています。自分のところの生徒たちに生涯を持っている人たちのことを小さいときから関心をもってもらいたい、誰しも障害を持つ可能性があるし、みんな人間として一緒なんだということを幼いうちに知ってほしいと思っていると石川さんは会うたびにおっしゃっています。
日進市が図書館を新築するにあたり、市民から応募した検討委員の話し合いを傍聴できると聞き、私はぜひ参加したいと思い出かけました。傍聴という形でしたが日進市の行政を垣間見ることができました。
思い起こせば私は小学校1年から2年生に岐阜に住んだことがあります。東京から移って間もないころです。友達もいないので私は図書館に入り浸りました。手当たりしだい本が読めたお蔭で読書好きの子どもになりました。女学生の時代には夜遅くまで電気をつけて本を読んでいると親にしかられるので、ふとんの中に電灯を引き入れ、隠れて読書をするほど本が好きになってしまいました。大人となって本を3冊も出版できたのはその頃のおかげも少しはあったかも知れません。
それは別として、これからの日進の子どもたちの未来と高齢者のためにぜひ夢のある新図書館を建ててほしいと思いました。ゆったりとしたすばらしい設計はもうできているのですが、これから建設業者が決まり、新築のあかつきは運営する指定業者を決めなければなりません。
委員会の中では日進市が直営するほうが何かとゆとりのある運営がなされてゆくのではないかという意見が強かったように思います。それでも民間委託のよさもあるという意見も出て、結論はまだまだといったところでした。
委員会の意見では出ていませんでしたが、全国的には民間の業者に委託すると逆にサービスの質が下がるという不安があるそうです。民間委託すると個人のプライバシーが守られないかもしれないという不安があるという意見、福祉や教育だけではなく図書館の運営も民間に任せて大丈夫なのかという意見もあるそうです。民間の福祉を40年やってきた人間としてはなんだかおかしな議論だなあと思いました。
それはさておき、図書館は市民の宝島。日進市から立派な子どもたちがすくすく育つためにはみんなが行きたくなるような図書館がほしいものです。市民のひとりとしてこれまでこの問題に深く関心を持ってこなかったことを反省しました。
いつも山口さん、藤本さんは屋上ガーデンの整備をせっせとやっていただき、聞くたびにどこかが変わっています。
今日は足助から買ってきたという自然木のテーブルと椅子が置かれて、風情は抜群。この椅子に腰掛けて四方を見渡していると、日進中が我が手の中の感じがしてきます。一度屋上へ上がってみて下さい。晴れた日はとにかくすばらしいです。
私はたった2株、ラズベリーを植えておいたのですが、ひっそりと赤い実がぶらさがっています。手を真っ赤にしながら実を摘み取り、家へ帰ってジャムをつくりました。
例によってむちゃくちゃな作り方。ビンの底に残っていたお砂糖をぶち込み、はちみつの残りもぶち込み、出来立ては熱くて食べられないので翌朝、利用者が働いているパン工房のパンにつけて食べたら、なんと美味しいこと!世界中のラズベリージャムも追いつかないすばらしい味でした。
いやいや、利用者が作ったパンがおいしかったのかな?どちらとも言えませんが、屋上のラズベリー、独り占めにしてごめんなさい。
実は私の片手に入るくらいのラズベリーの量だったので、皆様にお分けすることができなかったのです。来年をお楽しみに。
愛知県体育館で始まっている「ふるさと農林水産フェア・秋と緑の収穫祭」に行ってきました。11月3日から5日までの開催です。会場は人で人で、歩くことさえ至難の業です。
愛知県下から野菜、果物を始めとして、土地の特産物が出店されています。じっくり見たら、愛知の特産が早分かりするのではないかと思いましたが、なにせ歩くのもままなりません。
ようやくたどり着いたのが食育ステーション。みなさん三つ葉のジュースやおからクッキーに気をとられ、試食コーナーは押すな押すなの盛況です。
その中で、「おふくろ栽培」という水耕栽培の農業と健康食品のコーナーがあります。「おふくろ栽培」とは、「おふくろさん」という袋の中に入れた有機肥料がたっぷり入った土と、水耕栽培を組み合わせた独自の水耕栽培です。水受け部分には素焼きの陶器を使います。実はこの水受け皿を新案製作したのが当名東福祉会の三上陶芸部長です。これからの名東福祉会の就労部門を担う陶芸部。将来が非常に楽しみです。
私はビニールハウスの中でとれた野菜なんて・・・と実は思っていたのですが、害虫は薬ではなく、丁寧に手で捕り、いつも根気よく、手を掛け目を掛けるのがこれからの農業のあり方であることを実感しました。故郷、愛知の良さを若い人たちが本気で取り組もうとしているのを肌で感じることができます。このほか、木製品、草木染コーナー、布ぞうりづくりも沢山の人だかりです。ジャンボ五平餅、たこやき、ジャンボ焼肉は長蛇の列でした。
こうした地道な活動を名東福祉会が行っていることを会員の皆様にも是非知っていただきたいと思います。
10月25日に豊明市心身障害者(児)福祉団体連合会の主催で豊明市文化会館ホールにて「落語と講演の会」があり、豊明手をつなぐ育成会からご招待がありました。
「兄貴は楽しい?ダウン症」というテーマで、落語家「露の団六」の舞台が始まりました。落語は高座を設け座布団を敷いて着物姿で、講演は着物姿ですが演台で立って講演という趣向でした。
神戸大学教育学部在学中に落語を聴いて感動し、弟子入り。以後、落語のほかラジオ番組やニュースキャスター、大学の講師としても活躍、インテリの噺家です。
話を聞いていて、我が息子たちと共通点が多々あり、どうも心底から笑えません。話の奥にある苦労を私は感じてしまいます。私の長男は左半身マヒ、最重度の知的障害で、ダウン症の方たちの明るさは持っていません。明るいノリオさんの話ばかりで母親のことはあまり聞きませんでしたが、その時、母親はきっと・・・と私は思えてしまいます。
私の次男は小学校5年生の時、私が授業参観に行くと座布団の上で落語をやっていて、私は大いに驚きました。また、同じように教育学部出身ですが、今はコンピュータの会社と当名東福祉会の理事長を兼務し、経営の難しさを実感しています。
大人になってからの立場は全く違いますが、兄弟に障害者がいると、子どものころ味わった様々なことが考え方の根底にあると私は思うのです。好むと好まざるとに関わりなく、生まれる前から兄弟の存在は運命づけられ、何があっても、そういうもんやと割り切って生きて来ざるを得なかった。そしてこれからも。
さて、「あほやけど、ノリオ」という著書。ダウン症のアニキを持って~を早速読んでみましょう。
※読み終わったら本棚においておきますから見てください。
レジデンス日進は開所からもうじき3年を経過します。
3年たって、利用者をあたたかく包んできた桐でできた廊下や、手作りの木の椅子はいろいろなところに傷がつきました。
利用者がパニックを起こすからと言い切ってしまえばそれまでですが、これまで職員たちは「問題行動」が起きないような工夫をいろいろとしてきました。
どんなささいなことでもできるだけ「ヒヤリハット」で報告しあい、利用者が他の利用者をつきとばしたりすると、事故報告を詳細に記録しあってきました。職員たちは反省しあい、少しでもよい状態にすべく、気持ちをひとつにしてがんばってきました。
建物が良ければよいほど、いろいろ気を使わなければなりません。立派な日本家屋ほど見えないところで大変です。
レジデンス日進には毎日見学者の方がいらっしゃいます。みなさんは桐の廊下、桐の壁、珪藻土などに驚かれます。
ほとんどの人が掃除はどなたがやっているのですか?と聞かれます。掃除機は? ガラスふきは? 雑巾がけは・・・
毎日のように掃除に来て下さる後藤さんとボランティアさんや、屋上の花の手入れをしてくれるお母さんたち、月1回の掃除に来て下さる若いお母さんたち。家族会や家族会役員の跡に掃除をしていってくださる家族会の人々。みんな善意で利用者さんたちの生活は成り立っているのですよと話してきました。
そうしたら、何と、月一度でもよければ掃除をやらせて下さいと一般の方からボランティアの申し込みがありました。私はとても嬉しいです。
そして思い出しました。
「人が建物を創る。完成した後は建物が人を創る」チャーチル。
「上質なおもてなしとは最高の施設・料理・サービス」ホテルオークラのベストACS。さぽーとNo595より。
10月21日の土曜日。いつも名都美術館の入場券をいただきますが、今月は私の好きな堀文子先生の展示なので私は喜んで行って参りました。
なんて美しい絵なんだろう。本物の良さを捕らえ、真実が迫ってきて「絵よりも綺麗な絵」という奇妙なことばが頭をよぎりました。進むうち、画文集「時の刻印」より抜粋されたことばが目にとまりました。
「人は決して人だけから学びはしない。樹や草やつきや嵐からの教えで私たちは大人になるのだ。山に住み、草木と呼吸を合わせながら日々を送っていると万物流転のさだめが素直に我が身にしみるのである。生きるものはやがて死に、会うものは別れ、財宝も名判も仮の世のひと時の驕(おご)りであることが否応なく見えてくる今日この頃である。自分などもともとなかったのだ、心さえも妄想だ、捨てることだとしきりに思う年に私もなった。」とありました。
堀文子先生 ことし 88歳。私78歳。
あくる日、日曜日は愛知県豊田市の通所更生施設「観寿々園」が主催する観寿々(みすず)祭に行ってまいりました。友人二人を私の車に乗せ、制限速度を守ってグリーンロードをひた走り、予定より早く着きました。
17年続いた観寿々祭を本年で終わりとするとのことです。
時間前なのに、保育園児やギターや太鼓などのメンバーたちが練習していて、とてもにぎやかでした。観寿々園や夢やの手作り品も沢山並べられ、いつも人気の寄贈品もたくさん並んでいました。保護者たちも熱心に販売に力を入れていて、今年でやめるには惜しい気がしました。
施設運営は今後、ますます厳しく、経営者にとっては身が細る気がしますが、通所する人たちの笑顔、親たちの協力がこの難関を乗り越えると確信します。
来年は「夢やまつり」がデビューするかな?そんな期待を胸に描きつつ、次の予定があるので早々と失礼しました。
その後、日進手をつなぐ育成会「陶芸教室」に行って参りました。香具山福祉会館、工作質、木工や陶芸やその他何でも出来る工房でカマも釉薬もその他陶芸に必要な道具一式があります。部屋、その他一式、無料です。
この日は参加者がやや少なく、4名の本人、3名の母親、1名の友人と私。陶芸の先生は男性で、懇切丁寧に教えてくださいます。
私は時間の都合上、時間途中で失礼しましたが、日進市はいいなあ、これだけの会場と設備を無料で貸してもらえるのだもの。企画をきっちりすれば大したものになるなあと感じ入って帰りました。
私はメイトウ・ワークスを解説するに当たり、授産科目を何にしようかとあれこれ自分で体験してみて、陶芸を取り入れようと思い立ち、当時あった愛知県青少年公園の中にあった陶芸教室に通いました。そこも公立なので粘土は1kg500円。教授料、焼成料、その他かかりませんでした。私はいつも小物専門で人形や花瓶、小皿などをいくつも作って、「これならいける!」と勝手に思いました。今の理事長も別の工房に通い、以来30年、陶芸は続いています。
問題行動を解決する介護に重点的な政策を
現在の障害者自立支援法では、入所施設を利用できる障害程度の区分判定は区分4から区分6(区分6が最重度の障害)となっている。「障害が重い人は入所施設」、軽い人は「グループホーム」という区分けがなされている。
障害が重い人が入所施設の利用者の中心になることには異存がない。だが、現在、障害の程度判定基準が知的障害を十分に考慮したものになっていないことを考えると、「障害が重い人は入所施設」という考え方にはいささか問題があると言わざるを得ない。
現在の判定では知的障害の場合、問題行動がある人が区分判定では大きな数値に判定される。判定に携わる専門官は、問題行動があるかないかが判定の決め手になるという。となれば、今後、入所施設の利用者は問題行動をもった人が利用する傾向となることは否めない。
もちろん、入所施設は高い専門性を標榜しており、問題行動の解決のためのプロフェッショナルになることを社会から期待されている。その意味では、入所施設が問題行動の解決のために環境を整備し、その技術を磨くのはあたりまえである。
ただ、問題行動を維持しているのはその人が生活している環境である。入所施設に移ればしばらくして問題行動が消失するかもしれないが、問題行動が消失したからといって、もとの生活場面に戻った場合に問題行動が再発しない保障はどこにもない。むしろ、問題行動は生活している環境で起こり、維持される。
問題行動を解決するための支援は生活の場で行うのが基本だ。すなわち、問題行動の解決の支援は、本人だけではなく生活環境そのものの変容も含まれるべきである。知的障害者の地域生活支援が成功するか否かのポイントは「重篤な問題行動をもった人は入所施設へ」という考え方を乗り越えるところにある。
ところが現在、入所施設から地域生活への移行支援は退所後1回でわずか5000円。交通費である。この単価ではインセンティブは働かず入所施設からの地域移行は促進されない。本来は、半年間などの一定期間、入所施設から地域生活への試験移動期間に遠隔的な介護や支援が行われ、それに対して支援費が入所施設に支給されることが望ましい。
問題行動は永続的な行動ではない。その人が現在生活している環境の変容と定期的なメンテナンスを適切に行えば問題行動を減少させたり緩和したり、他の望ましい行動と置き換えることが可能である。今、就労移行支援が脚光を浴びているが、今後社会福祉法人の施設において地域生活を維持し質の高いものに発展させていく仕事は施設に本来求められる仕事である。地域生活の場面で問題行動を解決し、QOLを維持するための介護(タスクフォース)に光をあててこそ、障害者自立支援法は地域生活を支援し、強固で利用者側に立った制度になる。
今日10月18日はレジデンス日進が主催する秋祭り。
午前中から用意を始め、テーブルをセッティングする人、ご飯を炊く人、秋祭りらしく秋の花を生ける人、雰囲気作りでポスターを書く人いろいろです。利用者もボランティアも職員もいっしょになって準備しました。
あっという間に出来上がったところで、施設の近所にあるチェコ料理の店「メイグリーン」からカレーやほたてのフライ、ソーセージなどが到着しました。
みんなできれいにお皿に盛り付け、サラダや福神漬けのラッキョの添え物までつけて美味しそうなランチセットができました。
昼食の後はデイサービスルームでビン倒しや輪投げなどの秋祭りの夜店に出るようなゲームで楽しみました。輪投げに入るとお菓子がたくさんもらえます。
その後、リズムに乗って体を動かし、疲れたところでお抹茶と和菓子が出ました。私はお抹茶の味を利用者にひとりひとり聞いてみました。
「飲むの初めてだけどおいしかったあ」
「おいしい」
などの声が圧倒的。あとは「にがい・・・」の一言や聞いても知らんプリの人たちでした。
その後みなさん各ユニットに帰ってくつろぎました。
レジデンス日進には少ないですけれど働くことが大好きな利用者がいます。
「今日はどうだった?」
と聞くと
「今、仕事がたくさん入っているので今日やれなかった分、明日がんばるよ」
と言ってくれました。こんなこと言ってくれる人はそんなにいませんが、何だかジーンときてしまいました。
長い間こういう仕事をしていて、いろいろな思いをします。悲しいことや心配することが多い中でたまに本人からジーンとすることばをもらうと、ああ、この仕事について良かったなと心底思えるのです。まだまだ修行が足りないので利用者さんにいろいろなことが起こりますが、利用者さんの笑顔が何よりも私を励まします。
10月16日、愛知県手をつなぐ親の会津島支部の方々(16名)がレジデンス日進を見学においでになりました。
午前中はあゆみ園を見学され、午後からお見えになったのですが、お子様が小規模作業所に通所されている方が多い関係上、お迎えの時間があり、駆け足での見学となりました。
まず床がすべて桐であること、壁が珪藻土であること、テーブルや椅子が全部木製であることなどに驚かれ、全室が個室になっていることや、トイレ、お風呂に驚かれ、「いいな、いいな」の声がたくさん聞かれました。
屋上では家族会の丹精でバラやハーブの花が咲いているのを見て、「いいなあ」とためいきをつかれておられました。エレベーターでは全員入っても余裕があるので、嬉しそうに騒いでおられました。
デイサービスの見学を終え、質問も感想もお聞きすることができませんでしたが、ひとりのお母さんが「ぜひ、うちの子を入れてほしいがどうしたらよいでしょうか」と聞かれましたが、「ここへ来るまでには随分と時間がかかると思いますよ。できるだけ近くの施設と連絡を密にし、いざという時のために、普段から地域の施設に協力をし、いざというときのために備えておくとよいですよ。」と言って差し上げました。
老後の時を考えて子供のために少しでも早く安心できる生活を・・・という気持ちはよくわかるのですが、自分が年をとったら歩けなることを考えてほしいと思うのです。なかなか遠くの施設には行けなくなります。親も子供も元気な今は、何とか地域で自立した生活ができるようにすることを考え、何でもやらせてみてほしいと思います。母親がいなくても自分のことくらいは自分でやれるようになってほしいと願います。時間がなくて十分お話ができなかったことを残念に思いました。
岩手県小岩井牧場の隣地に住む友人からので電話でご長男(43歳くらい)が亡くなったとのお知らせがあった。
どんなに驚き、どんなに悲しく思ったことか、お聞きする私も胸がいっぱいになる。
でも電話の声は淡々としていて、自閉というハンディをもった子供を授かったお蔭で、いろいろな人と出会い、いろいろな事を学ばせてもらったと感謝しているとのことばが続く。
私との出会いは、以前、彼女が横浜市に住んでいるときに彼女がグループホームを運営しているのを知り、私が訪問したことから始まる。
絵が描けて、音楽指導ができて、グループホームまで運営している主婦に一度会ってみたいと思い、訪ねたのがきっかけだ。
以来、名古屋にも来ていただいたり、雫石に移ってからも二度も私はおじゃましたりしている。
彼女が発行する会報は手書きの字や絵で埋め尽くされ、音楽だよりもとてもロマンを感じるものだ。私はいつも尊敬と羨望を持って会報を何度も読み返した。私のほうが年上だが、彼女と知り合えたことを深く感謝している。
彼女のご長男が突然亡くなられたことはどんな言葉をもってもおなぐさめできないのでは・・・と思うが、きっと立ち直ってまたいつものように、花の絵を描き、音楽をもって大勢の人の心を癒してくれるのではと期待している。雫石の八角形の音楽ホールがまた私においでおいでと言っているような気がする。