愛知県コロニーを解体して地域の中で生きてゆく
そんなメッセージが愛知コロニーを利用している人たちに呼びかけられている。
施設は家庭ではない、知的障害者は家庭的な雰囲気のもとで生活すべきだ・・・。
地域福祉-そういえば誰も反対することができない。
だが彼らや彼女たちは30年もの長い間コロニーで生活してきた。
コロニーを出てケアホームに移ることについて息子に聞いてみた。
「ここ、いいとこだがあ。」
息子は信じられないほど的確なことばでいいかえした。
友達とのつきあい、親身になって世話してくれる大好きな職員、彼らはそれなりの家庭的な意識を持って生活している。
先日、日進の家からコロニーに帰った際、あたたかい職員の出迎えでこれまでに見たことのないような笑顔を見せた。
このごろ彼らの年老いた親たちから悩みを相談されることが増えた。
「ケアホームを自分たちで建てろという。並大抵ではないわねえ。どうしてこういう子を神様は授けなさったのかねえ」
母親は力なくうなだれる。80歳を超える別の母親は言う。
「毎週日曜日にはあの子に会いに行っとる。会うたびに母さんを許してねと心の中で叫けんどるけどが、どうもならんわ」
年老いた親元に知的障害の人たちが帰っても、もう自ら世話をしてやれないことは明白だ。
行政の担当者も親も民間福祉施設の人間もみんながわかっているのに
「地域福祉」の理念の下ではそう考えることは「悪」となる。この違和感をどうしたらわかってもらえるのだろうか。
50数年前、育成会の相談員だった山田先生が私の家に訪ねてこられた。
「麦の会会員の中で母子心中してしまった人が出た。加藤さん、あんたががんばってこういう人がでないようにしてください」
とおっしゃった。この一言が私の一生の課題となって今日まで来た。
家庭の形が大切なのではない。支えてもらえる人がいることが地域福祉。
障害を持つ子を殺しての親子心中は、あまりにもむごく、寂しい。
わが子が障害があるからこそ、その分、人にはない力が与えられている。
親どうし、心を奮い立たせ、言葉だけの地域福祉ではなく、ほんとうにあの子達が幸せになれるための方法を考えてゆきましょう。
愛知県の福祉施設職員の上級研修
かって愛知県の福祉職員研修会ではインシデントプロセスという方法がよく使われた。
ただこの方法は特に医学や福祉独特の研修方法ではない。一般的なビジネスの問題解決にも利用されている研修方法だ。
構造的には
1 特定のインシデント(問題や事故)をレポーターが報告する
2 参加者はレポーターに追加的な質問を行って、情報収集を行う
3 一定の情報収集を行った後、独自の参加者が私ならこうするという方法を提案するもの。
他者が発表した解決方法を批判することは禁じられているので、自由に発表ができる。
ポイントはベストプラクティス(最も優れた実践)を選ぶことができる点だ。
NHKのテレビ番組「難問解決!ご近所の底力」も基本的にはこのパターンだ。
アメリカの医療分野の研修では、こうした研修方法を行うことが多い。
そうしたこともあって、愛知県ではかなり以前からこの形式の研修方法が根付いている。
そこのことはたいへん効果があったと思っている。
ただ問題もあった。
ベストプラクティス選考型の研修は、参加者の技能や知識に左右される。
問題解決方法を幅広く聞くという体験は、知識の幅を広げるが、もともとそうした知識は形式知(言葉にできるもの)だ。
ほんとうは暗黙知-言葉にできないような暗黙の知識が生活支援のクオリティを左右する。
「臨床は科学的データで裏づけされたものでなければならない」
とは行動療育センターの久野先生の口癖。
真にそのとおりで科学はそうした実証データで証明されたものでなければならない。
だが、久野先生の療育は「暗黙知」の固まりでもある。学会で報告されたデータは療育のほんの一部でしかない。
全国に広がる久野先生の弟子は一流の先生ばかりだが、久野先生の講義を受けたり本を読んだから一流になったのではない。(失礼)
むしろ久野先生の臨床に実際に触れて、臨床のすばらしさや奥深さに魅了された人たちだ。名著「医行動学講義ノート」も師匠と弟子の間の問答形式で話が進む。臨床場面を持っていないと話にならない。
久野先生が持つ暗黙知は弟子にならなければ伝わるものではない。
ベストプラクティス選考型の研修は技術の進歩にとってプラスにはなるけれども「決定打」にはならない。
やはり、徹底した療育技術の向上を求めるならば名伯楽から教えをこうことが唯一の道だ。
行動療育センターができたのは奇跡ともいえる。
愛知県の福祉施設の専門家の人たちに、上級研修の場として「たけのこの家」を活用していただければと思う。
若い力
今日は日進市に在住する若い母親グループ「ジャングルジム」の皆さんと座談会をすることになり、出かけました。
お母さんたちは若くて、子どもたちは私のひ孫のような年齢です。
ひとりひとり年齢と障害の程度と今悩んでいることをお聞きしているうち、自閉症や様々な新しい病名のお子さんがいて、みんな、子育てと母親の苦しみを
かかえながらがんばっておられるのだと感じました。こんなに福祉が進んだと思われるのに、50年前と変わらない気がしました。
育児、通園、学校、兄弟の思いなどいろいろありましたが、
今の悩みに振り回されないで、10年先の目標を持ちましょう。
社会情勢が移り行く中でみなで話し合いながら、糸口をみつけて行きましょう。
と、私の体験をもとに話させていただきました。
たけのこの家に通っている人が数名いて、そのこともうれしく思いました。
ジャングルジムの活動と考え方は今の時代にあった、そして前向きな姿勢が伝わってきて、
核となるリーダーたちの献身的な動きがよく見えました。
知的障害者の福祉にとってとても重要な人たちが、きっとこの中から将来出てくると確信しています。
春が来た
「おはようございます。」
11時ごろ、レジデンス日進のお母さんたちが部屋へ入ってきました。
いつもいつも施設のまわりやいたるところをせっせとお掃除したり、花の世話をしてくださる人たちです。
今日は朝から寒くてストーブにかじりついていた私は、
「あいかわらず、寒さにもめげず元気なお母さんたちだなあ」
と思いながら見ていました。するとテーブルの上に、次から次と大小の「ふきのとう」が並べられて行きます。
私は思わず大きな声で
「あっ、春が来た!!」
と大喜びしました。
「庭を掃除していたら、見つけたんです」
とお母さんたち。外気は2度。庭の掃除を終えて春を届けて下さったことに心から感謝しました。
さあ、寒さなんかに負けずに、私もがんばろう!!
福嶋先生、これからもよろしくお願いします
知的障害者福祉施設は「精神科医」を嘱託医をおかなければならないとある。
しかし、よく考えてみればこれはおかしい。もともと医師免許なるものは特に診療科ごとに免許が下っているのではない。医師は国家資格だが、診療科は何を標榜してもよいことになっている。例えば内科医が精神科とか神経科の看板を掲げてもとくに問題があるわけではない。
そこで、嘱託医の要件について県に確認したところ、
「知的障害者の診療に相当の経験を有する医師であれば精神科の医師でなくてもよい」
との回答を得た。規制緩和というか、実態に合わせての改革というか、ともかく大いなる前進といえる。
レジデンス日進の利用者は地域の名医として名高い、福嶋ファミリー内科に行って診てもらうことが多い。そうしたところから、福嶋先生はレジデンス日進に「ボランティア」で無料診療していただくようになった。
この先生はすごい先生だ。
無料診療だけではなく、休日にはドクターズバンドと称して、ドクターだけのバンドを引き連れて施設に乗り込んでくる。
レジデンス日進の看護師も福嶋先生が來所されると、誠にいきがぴったりあった看護報告を行っている。もちろん利用者は大喜びだ。
大喜びなのは「バンドの先生」が来たからではない。ひとりひとりの生活の悩みを含め、利用者の健康をよくよくご存知であるからだ。これ以上、知的障害の本質をご存知の医師はこの地域に福嶋先生をおいて他にあるまい。
私たちは地域のお医者様でもあるし、この先生に心底惚れ込み、嘱託医になっていただきたいと思っていた。いや、実態は私たちが頼りとする医師であった。しかしこれまで精神科医でなければならないとされていたので愛知県に嘱託医として登録することはできなかった。
でも、どうしても福嶋先生になっていただきたいと愛知県に問い合わせたところ、そうした回答を得ることができた。
ありがたいことだ。ほんとうに正しい願いは通じるものだと思う。
生活の質を高めることが肝要
名東福祉会が最初に設立した施設は1981年に開所
2008年だから今年で27年になる。
50代の利用者も増えてきた。
その一方でたけのこの家のように学齢に達していないこどもたちもいる
親の年齢は、それだけ広がった。
高齢者の施設を経営してほしいという人が多くなった。
現在の医療・高齢者福祉の分野の状況を考えれば、名東福祉会が直接経営を行うことは
非現実的だが、利用者とその家族の生活を支援して行くという視点は捨ててはいけない。
親にとっては自分の生活のありようを考えることは、同時に障害があるこどもの将来を考えることでもある。
高齢になった家族をどのような形で支えるべきなのか、その手立ては考えておく必要がある。
ありきたりの高齢者施設を企画するのではない。
気軽な勉強会から始めていただきたい。
現在の地域にある高齢者福祉サービスを徹底的に調べる。
その配置、アメニティ、利用料金、利用サービス、利用システム、職員配置、収益、設備投資などなど。
また福祉制度についても。
そうした勉強をしていくと、新しい名東福祉会のあるべき姿が浮かび上がってくるかもしれない。
親子で入れる福祉ホーム
会員の方々が最近「親子で入れる福祉ホーム」というコンセプトで高齢者福祉を望む声がでてきている。高齢期に入った親がそうした要望を持つようになることは極めて自然な発想だともいえる。名東福祉会への期待の大きさを表しているのかもしれない。
過去30年間の間に、名東福祉会には高齢者福祉事業に乗り出さないかという話が何度も来た。
経営が立ち行かなかった高齢者施設を委託したいとの話やある中堅商社が福祉事業に乗り出すので高齢者福祉をやらないかという話、土地を寄贈したいので高齢者福祉をやってほしいという話などいろいろだ。
なかには本気でやってみるべきかも知れないという案件もあった。だがその度に結局、高齢者福祉事業は行わないという結論に達している。
理由はそれぞれあり、それぞれ異なる。
でも本当の理由は、当時から現場職員のリーダーとして勤務してきた自分にとって高齢者福祉をやる使命感が持てなかったからだと思う。
福祉事業を引き継ぐ人間に使命感が育たなければ福祉事業はできない。
高齢者福祉の世界には自分にとってはどうしてもやらなければならないという純粋な使命感はもてない。
もしやるとすればどうしてもビジネスとしての収益性を判断して乗り出すことになる。
だが、福祉である以上、収益性は高齢者福祉といえども低い。近年の医療・高齢者福祉改革はかってのような高収益率を許すほど甘くはない。
知的障害者福祉も高齢者福祉も、福祉の理念において本質が変わるものではない。
具体的な介護技術に差異はあるけれども、基礎的な支援・介護技術においてさほど差があるわけではない。
しかし、単に技術論の類似性や収益性で高齢者福祉を行うための使命感を持つのはやはり無理だ。
理事長としてなんとか青息吐息でこの業務を続けられるのは、我が子が救われたり成長することに無償の喜びを感じる親がそこにいるからだ。
無償の福祉をやるには他者のために無償とはいわないまでも、意気に感じて行動をともにする同士も必要だ。
親子で入れる福祉ホームのコンセプトはほのぼのとした幸せを感じるかもしれないが、ほんとうにほのぼのとした生活がそこに待っているのかをよく考えなければならない。
コストやケアの難しさを考慮せずに事業化すれば、実際に入居したら<現実は甘くなかった>となりやすい。またそうした不満が出やすいのもほのぼの福祉の世界ではないか。
やはり社会の成員が共同負担して成り立っている福祉事業は、まっさきに救済すべき人を救済することを優先するべきだ。
名東福祉会が高齢者福祉に乗り出すとしたら、もう少し経営者の世代が代わらなければならないのではないかと思う。
選択肢の多さと消費者の満足
普通は選択肢が多いと満足すると考える。実際にはそうはならない。
実際には選択肢が増えれば増えるほど、消費者の満足度は減って行く傾向がある。
行動経済学という分野の学問がある。
経済を動かしているのは理論的に欠陥がない人間ではなく、感情をもった不合理な判断をする人間だという前提のもとに
これまでの経済学を行動に視点をあてて組みなおした経済学だ。
選択肢が多いほうを選ぶのが合理的な判断だが、人は選択肢が少ないほうを選んでしまう。そのような「選択のパラドックス」が存在することを行動経済学は教えている。
知的障害者の地域福祉においても同じようなことがいえるのではないか。食事の選択メニューにはじまり、作業の選択、余暇の洗濯、住む場所の選択・・・といろいろと選択肢が拡大していく。
選択肢がないことは大いに問題であり、「措置」はまったく自由が阻害されているため問題があった。
だが私たちが常識としている施設生活の選択性に価値があるという考え方にも問題はないか。
両親とともに家庭で生活する、グループホームで生活する、新しくできるケアホームで生活する、レジデンス日進で生活するという4つの選択肢でも精一杯だ。それ以上の選択ができる状況になると、ひとつひとつの場所の満足度が逆に低下しそうな気もする。
「毎日働く場所を変更することができます。」
消費者としての権利が護られているかに見える支援費の日払い制度。実際には日替わりで利用する施設を変更できることを喜ぶ知的障害者は少数派だろう。
ひとつの施設を選択できる日数は1ヶ月で23日を限度とすることも理解できない。(というか予算の都合以外のなにものでもないが)
選択という美名のもとに実際の利用者満足が阻害されていくとしたら、私たちは大いに反省しなければならない。
まだまだ障害者福祉は足りない
平成19年12月7日に障害者自立支援法の抜本的見直しに関する与党プロジェクトチームの報告書が出た。
3年後の見直し時期を迎えたとしても、とりあえず急速に名東福祉会の経営状態が悪化することだけはなくなった。
ただ安心しきるのは早い。報酬単価の見直しが盛り込まれたものの、ケアホームや通所サービスの報酬単価がいくらになるのかについて、はっきりと示されたわけではない。
むしろ怖いのは、私たちがこの状況に安住してしまうことではないだろうか。
過去8年の間、スウェーデン、デンマーク、イギリス、ドイツ、カナダ、アメリカ合衆国東海岸の施設、オーストラリアの福祉施設を見てきた。
同じ先進国でありながら、知的障害者福祉の海外との差異に愕然とする。
カナダのグループホームは定員6名。閑静な住宅街にあって、職員は3名づつ3交代制だった。
その法人は24箇所のグループホームを運営しており、利用者の相性が悪いと利用ホームをいろいろと変えることができた。
デンマークのファーラム市では老人と障害者が同じケアホームに住んでいた。
完全にユニット化された8名のユニットが4つ集まって「集合住宅」を形成し、その集合住宅が4棟集まってひとつの施設になっている。
全体で105床。そこに地域デイセンターが併設され、地域生活の訓練施設も設置され、相談事業も行っている。
給食施設はこの施設群全体に食事を提供するとともに、ファーラム市に住む独居老人にクックチルの弁当を宅配するサービスも行っている。
北欧では効率とQOLを両立させている。日本では地域福祉というと規模の小型化・分散化のように考える人がいる。間違っていると思う。
アメリカのワシントン郊外の施設。
作業棟ではパテントを取得したノンスリップ松葉杖の組立作業を行っている。
ここの法人の中には就労前教育を行うアカデミーがあって知的障害がある人たちが真剣に講習に参加しノートをとっていた。
現在ワシントン市内に2000人が就労していて常にアフターケアサービスを受けている。
法人の財政をまかなうため、中古車の寄付を呼びかけている。業者と提携し、車を修繕・再販して収益を稼いでいる。
これはワシントンの有線テレビネットワークにテレビコマーシャルを流すまでになっている。
アメリカは競争社会であり受益者負担の考え方が徹底している国。だから支援費報酬は低くて自己負担でまかなわれていると思ったらそうではない。
低所得者向けのメディケイドとメディケアという制度があり、実際には日本の支援費単価よりも高い報酬が提供されている。
ドイツの障害者施設は規模が大きかった。キリスト教会が財政をバックアップする。圧倒的な設備、圧倒的なボランティア層によって支えられている。
宗教をベースとして、ハンディをもった人たちを支えあうという連帯感に圧倒される。コストを下げるために入所施設を解体して地域福祉に移行するという発想はない。
オーストラリアのメルボルンでは義肢や補助具のフィッティングをしている施設を見学した。
何かとローテクではあるが義肢や補助具を用い、工夫をこらして生活の質を高めている。なにごとものん気に生活を楽しもうという国。
オーストラリアなまりの英語で利用者も見学者に「ナイスダイ(nice day)」といってくれる。明るい。
工夫できるところはどんどん工夫して自分でできる生活を作り上げていくガッツがいい。
世界トップクラスのロボット技術をもつ日本としては、障害者分野にこれを適応するといいが、その前にローテクでやれることもたくさんある。
イギリスではケアの質を保つために現場に入って監査が行われる。定型的な提出書類中心の監査だけで「指導」が終わる日本とまったく違う。
日本の監査は補助金や支援日報酬の申請内容の検査、利用者との契約内容、施設の設備、職員の配置状況、職員の資格、職員の福利厚生、役員の報酬が監査の中心。要するに申請に不正はないかということと、経営者が不当に儲けていないかをチェックする。職員は不正がないことを証明するために膨大な書類を作成することに日々追われる。
日本の障害者福祉制度は硬直的だ。障害者自立支援法が廃案になることは望ましいが、過去の硬直した運営を強いられる福祉に戻るのは困る。
利用者にとって望ましいサービスが創意工夫によって生み出されるしくみがないことは、結局、利用者のQOLを低下させる。
凛として空を見上げる花を咲かせることができたら・・・
1月17日 名東福祉会関係の施設家族会の皆様が大勢集まって、私が愛知県福祉協会からいただいた福祉功労賞を祝ってくださいました。
各施設の所長も職員を代表して参加し、花束まで贈呈していただけました。
こんなうれしいことは久しぶりです。
実は私はこれまで数々の立派な賞をいただきましたが、いつも障害の子を持つ親としてあたりまえのことをして来て、
私だけが賞をいただくのはどうも面映い気がして、いつも賞をもらったことは皆様にはお知らせせずにいました。
このたびは、40年も前にお子さんを世話させていただいたお母様から
お祝いのハガキをいただき、感動したことを名東福祉会の機関紙「WORKS」の奈々枝日記に掲載したので、
話がパッと広がってこのたび全家族会の主催でお祝いいただくこととなりました。
記念品もいただきました。
高齢者にとって、心まで温まる、暖かなショールでした。ありがとうございました。
お祝いをひとりひとりおっしゃってくださったのですが、
「これから、ひまわりのように大輪の花をもう一花咲かせてください」といわれました。
私、今年で80歳。レジデンスが最後の最後となる施設と思っていました。
もう一花咲かせるというのは、80歳を過ぎたものにとって、重いはなしです。
8年前、レジデンス日進を国の補助金で建てようと申請をする直前、心臓が悪くこのままではおそらく1年ほどで命がないと言われました。
何をするにも息がきれ胸が締め付けられるのでそのとおりだと思いました。
「もう1年だけ生かしてください。それでまったく悔いはありません。」と心臓手術に踏み切ったときには、レジデンス日進こそ、最後の最後になる施設と思っていました。
ところが、その後も施設の必要性はなくなりません。
今度はたけのこの家というまったく新しい意義深い施設ができ、はたまた楽しいメイグリーンができ、念願のケアホームができる日もももうそこまで来ています。
私は夢のまた夢との思いです。
これでもう大丈夫となるはずだったのに、障害者自立支援法はまったく思いもよらない法律でした。
お祝いを頂いた翌日の1月18日、中日新聞に母親が知的障害や病気がある息子二人を殺害したという記事が小さく載りました。
福祉は戦後60年かけてずいぶん進んだかと思ったのに、あまりにも使いにくい制度になったので、不安ばかりがひろがり、こんなことになるのではないでしょうか。
私の長男が障害児となった53年前とそんなに変わりません。
50年経っても、母親はわが子に障害があることを受け入れることはつらいのです。前向きに生きていくにはどうしても私たち仲間の力がいるのです。
こんなことにならないように何とかしなければと痛切に思います。お祝いをいただいて、大輪を咲かせよといわれてもとてもとてもと思いましたが、私は原点にぐいと引き戻されたような気がします。
大輪の花とはいきませんが、野菊のようにささやかで、凛として空を見上げる花を咲かせることができたら・・・と思います。
子どもを思う親の気持ちはみんな共通
皆様新しい年を迎えおめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今日はメイトウワークス家族会の新年会でした。おいしいお料理がたくさん出て幸せでした。
あいさつのあと、皆さんに何かご希望があったらおっしゃってくださいと問いかけたところ、
「現在はメイトウ・ワークスに通って幸せですが、親が年を取って自分のこともできない日が来たとき親ひとり子ひとりではどうすればいいのかわからない。この次は親子で入れる施設をつくってください。」
との意見が圧倒的に多かった様です。親として年を取ったときの不安はみまさんがまだほんとうに若かった30年前からあったように思います。
ただ、そうした施設ができたとしても、みんな自由に入れるということにはなりません。
自由に入れる施設は利用料が高く、低料金で快適な施設となると順番待ちでなかなか入れません。それは世の道理です。
将来建設される施設を待つだけではなく、今利用できる手立てについてよくよく目を凝らして見てみることです。
名東福祉会を見ればショートステイもあります。ご近所の法人さんもいろいろと門戸が開かれています。
親子で入れる老人ホームなんて考えないほうがいいですよ。
「子どもが地域でどうやって生きていけるかはいろいろ方法があります。まずはやれるところからいろいろな体験をしていきましょう。もう私(奈々枝)はこれで終わりだと思うので、皆さんのなかから土地を提供したり、建設資金をためたりして、子どもたちの行く末を何とか形作ってください。」
といいましたら、
「私は土地もお金もないので今から福祉士の資格をとって、名東福祉会のお役に立ちたい。」
という人も出てきました。
子どもを思う親の気持ちはみんな共通です。
小さな願いもみんなが力を合わせればいろいろ新案も出てきます。
みんなで未来をつくりましょう。
12月20日は日進市の福祉基本計画について検討する絵画行われました。
自立支援法が発表されて以来、私たちはたいへんとまどいましたが、なんとか危機を乗り越えた現在です。
多くの人の努力によって緩和策が続行されている中で、日進市の福祉第二次計画は見直しや新設を含めていろいろと要望したいことが多数ありました。
意見を書いて提出しておきましたが、市の担当者が分類して懇切丁寧に説明をしてくださいましたのでそれ以上私が発言することもなく終わりました。
障害のある人たちが地域の中で楽しく生活をしていけることこそ私の願いです。
以下の項目は私の思いを込めたものです。
○早期療育の支援体制、行動療育の確立を図ること
○学校教育における個を尊重した適切な教育支援体制をつくること
○支援つき自立生活を実現するため、介護給付・訓練等給付及び地域生活支援事業(ケアホーム等)の整備を行うこと
○障害程度認定審査会において、障害の特性に応じた審議がなされること
○地域住民への理解を深めるための、あらゆる活動を展開すること
去る12月7日、愛知県知的障害者福祉協会では平成19年度永年勤続職員顕彰が豊橋市のホテルで行われました。
県下の200施設から約330人が参加し、最近の障害者自立支援法下の数々の問題について8分科会に分かれて意見交換と情報交換を2日間にわたって話し合われました。
昨年も、施設利用者の保護者がたくさん参加されましたが、今年は昨年にもまして多くの保護者が参加され
「施設と保護者の連携」
というテーマの分科会ほか、シンポジウムの中でも「ともに行き、共に学ぶ」ということで3人の親さんがシンポジストに登壇されました。
有意義な大会の中で、大森授産所の施設長、酒井光男さんと不肖私との2名に功労賞、10年以上勤務された65名の職員に感謝状が贈られました。
以上の記事が新聞に載りましたがので、その後、何人かの方からお祝いの電話やお言葉をいただきました。中に、とても感動したおはがきがありましたので紹介させていただきます。
※
中日新聞の朝刊21頁で知りました。功労賞おめでとうございます。
お元気なお姿も写真で見ました。
昭和45年には娘明美(昭和50年3月16日死亡)のことで大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
助けていただいて感謝をしています。
このはがきを手にした私は、思わずジーンときてしまいました。40年以上も前に短期里親として数日お子さんを預かっただけのことです。
ほんの些細なことでも、必要なときに必要な援助をすることの大切さ、仕事冥利につきます。
こちらこそ、覚えていていただいてありがとうございます。
私が親の会の中で事務局長としてさまざまな活動をしているとき、特殊学級のある先生から
「加藤さんは恵まれた家庭の問題しかやっていない。もっと底辺の家庭のあることを知らない」
と批判されたことがあります。
後日、詳しく聞きたく思い、その先生を訪ね、お教えいただきました。
・・・・
知的障害の人どうしが結婚し、子どもが生まれた。育てることを知らない親は子どもが学齢期が来てもほったらかし。民生委員のお世話で学校に行けるようになってもまともには子どもを育てることができません。
それでも子どもはなんとか育っていきます。その後もここではかけない問題が次々起こっていることを先生はこれでもかこれでもかというぐらい私に言いました。それまでそういう家庭を本当に私は知りませんでした。
親の会活動は、親が集まって活動しています。そこのころの親の会活動は全国組織がようやくでき、名古屋の親の会も社会福祉法人化に向けて強く進みだしたばかりでした。
やはり、集まってくる親も、問題意識が高かったのかもしれません。地域の中で目を凝らしてみてみると、福祉に関心がもてない障害がある人たちがたくさんいることがわかります。
日本の福祉制度は申請主義といって、助けてほしいといわない限りなかなか福祉制度を利用することができません。行政の仕事といっても、そんなに人手があるわけではなく地域でいろいろな問題を起こしながら生活している知的障害がある人やその家族までなかなか手がまわるわけではありません。
民生委員がそうした人たちを支えるのですがやはりハンディがある人を支えるしくみがなければ、問題を通報するところでとどまってしまいます。
30年以上経過して、いろいろと福祉制度ができ、障害がある人も就職を支援する時代になったのですが、親の存在や考え方は子どもの幸せを根本的に左右してしまいます。
毎日のまわりの人たちの接し方で子どもたちは変わってしまいます。
福祉制度がどんなに充実しても、ほんとうに大切なのは家庭のあり方、一日一日の暮らし方です。福祉制度はそれを補うことはできますが、主役にはなりえません。
ご近所の人たちが小さなことから良いこと、いけないことをしみこむように教えていくことがなにより大切です。落語の世界のように。
今の世の中は50年前から比べると立派な家ばかりになりましたが、塀は高く、顔が見えず、車に乗ったまま出入りするばかりで、内向きに庭があってまわりの事に関心を持ちにくいような形に変わってしまいました。
全日本育成会の中央情勢報告によれば、親の会の活動目標として第一に子育て支援、第二に家庭支援をあげています。
児童デイサービスの不足を解消することと、障害のある子の放課後支援等、障害のある子ひとりひとりに合わせた特別支援教育を国に求めています。
この主張は、親の会活動が発足した当時、私たちが確認しあった目標です。50年前からこの問題はまだ解決していないことになります。
いっそ原点にもどり、心のこもった特別支援教育ができるようになるため、全国の親たちと再び手をつなぎたいと思っています。
知的障害はまわりの人たちになんらかの形で支援を必要とします。
給料が人なみに稼げるようになっても、一人で生活することができるようになってもなんらかの支援が必要です。
特に本人が生活している場所で朝起きてから寝るまで
本人が出会う人が本人のことを理解していただけるかどうかで、
本人の幸せは左右されます。
願わくばひとりでも多くの支援者をつくり、本人のことを理解してくださる人をいかに増やしていくか・・・
これが親の仕事のうち、もっとも大切な仕事、役割だと思います。
自分の子どものことはかわいい。
ましてや障害がある子どものこと。心配で、いてもたってもいられません。
施設の中ではどうしても自分の子どものことを優先してほしくなります。
でも、目先のことで自分の子どもさえよければと思っていると、どんどんまわりの支援者が少なくなります。
知的障害があることは、本人にとっても、親にとっても決して不幸せなことではありません。
私の長男は、結婚1年以上たって、ようやくできた子でした。
みんな大変喜んでくださいました。
すくすくと育ち、満3歳のときには「健康優良児」として区で表彰され、賞状と大きな汽車のおもちゃをいただきました。
それから1ヶ月もたたないうちに、高熱が出ました。
今のように解熱剤も冷蔵庫も氷もない世の中。
家が忙しかったのとお医者様の休みも重なったのとで手遅れになり、左半身マヒとなってしまいました。
声をかけてもほとんど反応もなく、うつろな焦点も定まらぬ目をしていて、
よだれをたらし、言葉がなくなりました。
でも、私たち親子はたいへん多くの専門家の先生や、たくさんの障害児の親と出会い、
一緒に親の会運動や勉強をし、たくさんの一般の人たちとも交流し、応援もいただきました。
多くの人たちの励ましに、全身が震え、涙があふれるような体験もしました。
そうしてみると、障害がある子どもであったがゆえに、私は幸せな人生を送ることができたと思います。
支える人も、支えられる人も、応援していただく人に感謝していろいろ役に立つようがんばることも、
ともに幸せなのが障害者福祉です。
障害がある子どもの親として57年。私はともに生かされている幸せを多くの人に体験していただきたいと思います。
消費税増税論議が出てきました。つい最近まで封印されていたのに、大連立構想が納まったとたん再び論議され始めました。
財政立て直しのために消費税を上げることはよくありません。高齢者医療費負担増の凍結など、もっと議論すべきであるのにあっさりと通過しそうな気配です。
尊厳をもって迎えるべき死。それに対して終末医療を食い物にするかのような医療現場。まだまだメスを入れるべき分野が残されています。
障害者福祉に掛ける予算はもともと多くありません。介護保険との統合が難しくなった今、財源は消費税しかないことはわかっています。でも、安易な増税と支援費財源の確保はかえって障害者福祉をだめにします。
日本が高福祉・高負担の福祉国家となることは無理だと思います。日本は1億3千万人のアジア的家族主義国家。大半の資産を高齢者が保有しています。スウェーデン(900万人)やフィンランド(500万人)は国全体で愛知県(700万人)と同じぐらいの人口しかいません。根本的に日本の経済とは状況が異なります。日本が北欧の国と同じように高福祉・高負担の国家に変わることは難しいと思われます。
やはり成長力を底上げしていく施策が必要でしょう。中途半端な増税によって経済が停滞し、税源が不足するという悪循環が続くことがいけません。成長力が落ち込んだままだと、障害者雇用は夢のまた夢。障害者自立支援法によって施設で生活することもだめ、企業に就職することももだめでは障害がある人はどこで生活すればよいのかということになります。障害者福祉の質は成長力が確保されてこそ安定します。あいまいな増税論は障害者福祉にとって毒針ではないかと思います。
東京のある会の例会に出席してきました。この会は不思議なほどに全国各地からいろいろな立場の人が集まります。
大学教授、法人の理事長、施設長、職員、もと東京都の課長、育成会の理事長、会員、障害者団体の役員、ボランティア、詩人、医師、会社社長、地方議員・・・
なんと様々な人たちが会員となっています。
それぞれ近況を手短に話をすることから始まるのですが、それがまたとても勉強になります。あるお母さんが
「うちの娘が通っている作業所は今下請け作業がいっぱい来て、5時過ぎまで残業してくるのでクタクタで帰宅します。施設としては断ると今後下請け作業がもらえなくなるので職員も利用者も毎日残業でかわいそうですよ」と報告があると、みんなそれぞれ意見をいいます。
「神戸の作業所のように労働基準法にふれないか」とか、
「工賃はどうなのか」と質問が集中します。
また、医師の立場の人の順番になると、現況の医療事情を詳しく説明。医者も大変なんですと述懐されます。
それぞれ違った立場で、福祉や医療や本人の就労問題が語られとても勉強になります。
ですから何はさておき、この会に出席したいと思うのですが、そろそろ体力がもたなくなりました。
前日は友人宅に泊めていただき、おおしゃべりしてストレスの解消はできましたが、赤池の階段、名古屋駅のコンコース等、歩かなくてはらならいところが多く、辛かったです。
東京では駅のホームまで迎えていただき、地下駐車場から友人の車でハイウェイを走りました。
帰りはタクシーですっかり楽をしましたが、幾たびに体力の落ちていくのが自覚できて、数年後の自分を思うと先の暗さにしばらく落ち込んでいました。
けれども2~3日もすると、名古屋の友人たちに支えられて、またあれもこれもやらなくちゃあ! これも進めなくちゃあ!!
と「気」だけが一人歩きしています。
生活介護施設として利用者から最も期待されるニーズはセルフケアスキルの向上ではないでしょうか。
障害が重い人にとって身辺処理技能(セルフケアスキル)を学習することは重要です。理由は明白。セルフケアスキルを獲得することは
1 本人の健康の維持のために必須
2 スキルを獲得すれば親・支援者の全体的なケアを軽減することにつながる
3 社会の他者からの受入が改善し、社会的への参加機会が増加する
スキルを獲得するのは支援員のためとか、親のためで、本人のためにやっているわけではないというような不毛な議論はするつもりはありません。
もっとも、障害が重い人にとってはセルフケアを獲得することは難しさを伴います。
1 手先などをうまく動かすことができない
2 社会やまわりへの関心が低いこと
3 訓練機会が少ないこと
4 本人の認知能力の低さ
5 上記の要因の組み合わせ
などなど。「言うは易し、行うは難し」が重度の知的障害者のセルフケアスキルです。
口をすっぱくして教えても、罰をあたて教えてもセルフケア技能は獲得できません。やはり緻密なABA技術を用いて訓練していくしかありません。
1960年代。日本の施設の草分けの時代。そのころの施設は親は面会謝絶。こっそりと施設の中を覗いた名東福祉会の会長は豚小屋と同じように利用者の糞尿が居室に垂れ流されていたのを発見し、長男(筆者の兄)が利用している施設から引き取ったとのこと。当時の施設ではトイレットトレーニングはまったくされていませんでした。
アメリカではそのころからようやくトイレットトレーニングが始まったとのこと。1970年代ではめざましい技術的な進展を見ています。現在では発達障害児のトイレットトレーニングはかなり幼少のころから行われるようになりました。その成果により、排泄が自立していない知的障害者は少なくなったものの、依然として訓練を行わなかったり、訓練機会が提供されていない知的障害者も多数いるのが現状です。
今後、障害者自立支援法によって日中活動と夜間ケアを分離が進んでくるため、入所施設の主な機能はパーソナルケアスキルの獲得が課題になるでしょう。ところが、入所施設の夜間ケアは単価が極端に低く設定されているため、これらの学習を進めることが事実上不可能というシビアな問題があります。これについては他の場面で論じましょう。
パーソナルケアといってもいろいろ。食べること、料理すること、排泄すること、風呂に入ること、着替えること、歯を磨くこと、衣服の着脱、ベッドメイキング・・・
女性の場合には生理の手当、男性の場合には性欲の処理など公表することを躊躇する技術も多々あります。それらの生活時間帯すべてにわたって、適切な行動の学習とともに、不適切な行動の軽減が課題となります。
重度の知的障害者のパーソナルケアのスキルの獲得は応用行動分析以外の方法では成果が上がっていません。入所施設はこうした技術を導入することが今後必須となると思われます。愛知県の場合、この技術の普及がたいへん遅れており、改善することが必要ということを愛知県知的障害者福祉協会長の安形さんともよく議論しています。名東福祉会にはこの分野で日本の第一人者の久野能弘先生が「たけのこのいえ」で実践活動をされています。愛知県の福祉施設に行動療法技術が普及していくことを期待します。
パーソナルケアスキルの汎化(訓練場面だけではなく、日常生活場面で使えるようになること)は難しいが重要な課題です。重度の障害者の場合、家庭や施設でできても、他の場所でできないという場合が多い。専門家と連携し、その人が生活する場所ごとにそれなりの支援が必要となります。
この問題に対してはTEACCHが地域全体を巻き込んで「構造化」していく戦略を定着させています。障害者に環境側があわせていくという考え方も定着してきました。一般にどんどん消えてしまう音声言語情報の処理よりも視覚情報の処理の方が容易なために、視覚的な手がかりを普及させていくことも環境側の努力で獲得したセルフケアスキルを発揮できる場面も増えることにつながります。そうした環境側の努力と合わせて、やはり一般の生活場面で使いこなすことができるようにパーソナルケアスキルが獲得できるように施設で訓練することが重要です。
生活介護は古くて新しいテーマ。このテーマに真剣に取り組み、成果を上げていくことが今日的な課題です。
私は若い時、長男が高熱を出し、障害児となってほんとうにうろたえ、生きる望みさえ失いました。その後、やはりこの子のために生きなければならないと、自らいろいろ伝手を求めて一生懸命勉強しました。
たくさんの有名な先生やボランティアさん、施設の職員さんともお会いできましたし、たくさんの障害児者の親さんともめぐりあいました。
その中でも育成会の運動は私を育て、支えてくれました。私は育成会があったからこそ、今日あると思っています。全国、北海道から沖縄まで各県各都市の育成会とも交流を持ちました。
講演をさせていただいたことも数多くあります。一般の市民団体、教育関係の団体のみなさまと何度もお話をしたことそのひとつひとつが今でも心に残っています。
NHKやCBC、東海テレビでも出演を何度もさせていただきました。拙著の「花影の譜」は全国放送でラジオ番組の「朝のひととき」の時間で流していただいた時には、全国から沢山の励ましのお手紙を頂きました。
今、80才になるという私を見て、きっと若いときの私は想像もつかないことでしょうが、こんな私でも、若いときはひたすら我が子を含めて障害児たちみんなが「生きて、教育を受けて働けるように願い、一生懸命動いたものです。お会いして話をするだけでお互いが救われ、生きていく力がわいてくる・・・。親の会運動はほんとうに不思議であり、大切なものです。
最近では問題があるとはいえ、何もなかった時に比べればいろいろと法整備が進みました。そうした社会の雰囲気の中で与えられる事になれて、親の関心がややもすれば薄れているような気がして気をもんでしまうこともあります。親の会運動がなくても大丈夫ということはありません。そうした雰囲気に思わず、若い人たちを叱咤激励することもありました。
ところが、日進市の障害児を持つお母さんたちの集い「ジャングルジム」の動きをインターネットで読み驚きました。
何でも次々と実行してきます。子どもをかかえながらパパにも協力してもらい、情報通信のいろいろな手だても活用してどんどん人の輪を広げていく。私は感動しました。
まさに老婆心。彼女たちは自らわき上がるような思いで、なんでもやりこなしているのです。若いエネルギーはすばらしい。何も恐れずどんどんやって下さい。
がんばれ ジャングルジム!!
今後、有料老人ホームは多様化に向かいます。シニアリビング・マーケットは各方面から熱い視線を浴びている将来有望なビジネスです。今の高齢者福祉ビジネスはまさに不動産業の様相を呈しています。
スウェーデンの身体障害者施設に見学に行ったとき、ほとんどの人が高齢者で拍子抜けした覚えがあります。身体的なハンディは高齢になればほとんどの人が負います。だから身体障害者施設なのです。
プールあり、リラクゼーションルームあり、食堂あり。日本のスパのようなものです。日本の多くのシニアリビングマーケットも快適な個室とリハビリ施設を併設するような方向に進んでいくでしょう。
一方、社会福祉法人立の老人ホームは重度の認知症や介護度が高い人たちを受け入れることにならざるを得ないでしょう。そういう方向に介護報酬体系も設計されることと思います。
社会福祉法人の存続意義も問い直され、介護度の高い利用者の受入が進んでいくということです。
知的障害がある人のアシステッド・リビング(介護付き生活)はまったく取り残されたままです。
ただ、その気があれば高齢者施設を利用できるようになるし、高齢者施設側からしてもよいお客様になる可能性があります。利用者によっては高齢者施設の方があっている人もでてくるかもしれません。
夜間は高齢者施設を利用し、日中は障害者施設を利用するなどのパターンもあり得ます。ですが、複数の法人間を行き来する利用方法はコストがかかり、自己負担も増えるため、夜間ケアを利用する法人に
すべてをゆだねることになると思われます。
しかし、他害や自傷行動がある知的障害者を受け入れ、そうした行動が出ないような質の高いケアが行える高齢者施設がここ10年の間に多数育つことは難しいでしょう。
逆に言えば、現在の知的障害者施設は重篤な問題行動に取り組むことができる技術と、低ランニングコストで質の高いケア環境を整備することが生き残りのカギとなります。
緩和措置と混迷した政治状況に安心している施設は、早晩、倒産の危機と隣り合わせになると思います。
久しぶりに愛知県セルプセンターの理事会ならびに総会に出席させていただきました。
今後の雇用支援センターのあり方、愛知県工賃倍増計画、福祉の店が話題となりました。
私もたいへん興味を持って聞かせていただきました。
障害者の雇用と工賃倍増計画を打ち出し、県の特別予算までつけて共同研究と受注拡大を図って行こうとしていることを知り、なんだか嬉しくなりました。
私も小さなことでもやらなくちゃあ!!と思って、密かに考えていたところでもあり、我が意を得たりというところです。
メイトウ・ワークスもプロジェクトに入っていますが、他の施設もいろいろなことを考えています。
変わったところでは墓守プロジェクトとか清掃業務共同プロジェクトとか・・・。
これからもいろいろと出てくると思います。もののありふれた時代の中で、魅力ある商品やサービスをどうやって産み出せばいいのか難しいところですが、がんばりましょう。
最近の介護ロボットの進展はすごい。ロボット技術は日本は先進国。これからこの分野のロボットはどんどん開発が進んでくるに違いない。
クオリティの高い介護を行うためにはホームの空間の設計やロボット技術が重要だ。そうした技術を利用すると、介護の負担は減り、結局介護コストが減ることになる。利用者も生活空間が広がり生活の質も上がる。
到着型のロボットの進化は目を見張るものがある。
人間が発する微弱な電流を感知して、適切に筋肉運動を補佐することができる。
47年間歩いた経験がなかった人が装着型ロボットによって自然に歩けた。
女性がモビルスーツを装着して楽々と高齢者を持ち上げることができるようになる。
介護方法を根本から変えるようなロボットが開発されている。身体障害の克服や訓練のためにロボット技術が貢献できる分野は計り知れない。
すでにこれらの介護ロボットを導入している病院もある。
ホームセキュリティ関連のロボットも介護現場で応用が可能になるだろう。
夜間にグループホームを巡回するロボットがホーム内の異変を知らせる。
写真を撮り、警察にも自動送信するから巡回ロボットがいればどろぼうは退散する。
火災が起こっても初期消火に役立つ。
ロボットの体内には消化器が組み込まれたロボットは火災をみつけると自ら火に飛び込んで消火する。
こうしたホームロボットが障害者福祉分野に導入される日は近い。
みのりの秋になりました。
上の山児童行動療育センターの前に、大きな柿の木が二本あり、たわわに柿の実が実っています。
この夏は私も畑になす、きゅうり、ミニトマトをつくり、十分夏野菜を楽しむことができました。
みなさんにもらっていただいたりして、この物の十分な時代にも食べ物を自分で作ると言うことは貴重なことだと思いました。
私の女学生時代は戦中華やかなりし頃で、英語等の授業は廃止され、軍需工場の部品作業に切り替えられていました。
それでも女学校には「おかっぽう」の時間が周1回だけ残されていました。
食糧事情がひっっぱくしていることもあり、食材はなす、トマト、きゅうり、じゃがいも、タマネギなど畑の野菜ばかり。砂糖も不足していて調味料は塩とカレー粉ぐらい。たんぱく源がほとんどない粗末な調理実習が続きました。
それでも、弟や妹たちがそのおかっぽう実習材を持って私が帰るのを楽しみにしてくれ
「おいしい、おいしい」
と見る間に食べてしまい、とても喜んでくれるのがどんなに嬉しかったでしょう。
クラスのみんはは
「そのくらい、ここで食べてしまえば。苦労して持って帰らなくともよいのに」
と不思議がりましたが、私は、私のお料理を首を長くして待っていてくれる弟や妹たちを思い、阪急電車にゆられながら帰宅しました。
児童療育センターの評判も良く、畑は今や秋ものの野菜が目立ちはじめています。空地にしてケアホームが建つのを今か今かと待っている場所もあり、ほんとうに上の山はいいところです。
今は毎日大変なことが続く障害福祉の仕事ですが、喜んで待っていてくれる人がいるこの仕事に就けたことは私にとってこのうえない幸せです。
それにしても国や地方行政のやっていることには無駄が多く、最近の政治情勢はただでさえ悪化している財政をさらに悪化させています。無駄ならまだしも社会保障に絡む不正や防衛に絡む巨悪も次々に明るみに出てきます。
今政治はこれまでの歳出削減の無駄をなくす努力は不要であったかのような「小春日和」を迎えていますが果たしてそれでよいのでしょうか。
例えば消費税のアップ論議。必要な財政支出をまかなうためには増税が必要という論議であり、このままではほとんど障害者福祉にまわることはありません。
消費税増税になればじわじわと上がる食料品等の物価上昇と消費税の上昇のダブルパンチで障害基礎年金は消失します。もう消費税をあてにした障害者福祉はこの国では期待できないのではないでしょうか。
むしろ消費税増税と金融の緊縮でこのまま経済が縮小することは怖いことです。失われた10年で私たちは不景気の怖さを体験してきています。
1 障害者が働く場所場所がなくなる(まっさきに解雇)
2 下請けの作業がなくなる
3 授産製品が売れなくなり工賃が減少する
やはり健全な経済成長があってはじめて障害者福祉も安定します。
では消費税を上げずにどこに支援費の財源を求めるのでしょうか。
徹底的に行政の無駄をなくすことが第一。
次に介護保険と同様の障害者保険の導入です。具体的には20才からの介護保険者の加入です。
ですが介護保険の障害者への拡大は経団連、医師会、高齢者福祉団体の反対でなかなか切り込めません。
経団連は消費が減速する恐れがあるから反対(消費税は商品に転化できるので賛成)。
医師会は医療保険が見直されることにつながるから反対。
高齢者団体は障害者への介護保険の分配で割り当てが減るのがいや。
そうした中で肝心の障害者団体は支援費が義務的経費になったことと激変緩和措置が出ただけで安心しきってしまいました。
高齢者福祉が厳しくなったとはいえ、介護保険と支援費の単価差を見る限り、障害者福祉の不公平さは解消されているとは言えません。
医療保険の世界は国の予算とは切り離されているため、無駄が見えないのです。でもそこには障害者福祉の世界とはケタ違いの無駄が存在しています。
こうした不公平がそのまま放置されるのはやはり障害者福祉に国民が無関心であることが原因でしょう。
これを解消するためには政治を変えるために親の会と民間福祉施設やNPOが連携することです。全国知的障害者福祉協会には育成会とは別に全国の施設利用者の親の会を組織化する動きがあります。ただでさえ小さな集団が団体のいがみ合いでさらに細分化されていけば、国民の関心はさらに遠ざかってしまいます。
●小島一郎(名東区障害者地域生活支援センター所長)
「国民の関心が障害者福祉に向かない」のは、やはり、「誰もが年をとる」という高齢者福祉の分かりやすさに比べ、障害というものの身近さを国民が感じにくいからでしょうか。同じような意味で、それでは児童福祉はどうかとも考えてみたりするのですが、やはり今ひとつの感がある。
結局のところ、誰もが「自分の問題」に一番の関心があるのであって、年老いた先の不安というのは避けられないし、そのための福祉の負担は何とか受容できるが、障害者が家族や親戚にいる訳でもない、結婚するかどうかも分からないし、自分に子どもができるかなんて、もっと分からないとなると、なかなかこれらの問題に主体的に向き合おうとは思っていただけないのでしょうね。
ただ、私自身、支援Cでの相談業務や認定調査を通じて、いかに大勢の方々が生活習慣病から身体障害者となっているか、いかに精神疾患を抱えた方々が普通に地域で暮らしているかを知ってしまい、一個人として、素直に自分の問題として捉えられるようになったという経験をしております。誰もが年をとるように、誰もが障害者になり得るといった実感です。ですから、アナウンス次第で、広く国民が障害者福祉に目を向ける可能性は、充分にあると思っていまあす。
ひとつ難しいのは、知的障害者の問題。一応、正常域内にIQがある人間としては、自分が知的障害を負うかもしれないとは思えません。また、自分の子どもが負うかもしれないという論理も、やはり「誰もが・・・」というシンプルさにはとても敵いません。つまり、知的障害へ国民の関心を向けることが最も困難で、せいぜいTVドラマなどで、「無垢な天使」のようなレベルの扱われ方をするのに留まってしまいます。
私のように、15年も知的障害者施設にいた人間は、「自分がなるはずのない」知的障害をもった利用者を相手にし続けた結果、「自分もなるかもしれない」身体障害や精神障害にインパクトを受けている訳です。ある意味、象徴的な話です。
実際には、「誰もがなるかもしれない」脳血管障害やうつ病の話は医療の話となり、予防の話、健康の話として政策反映されているので、ダイレクトに障害者福祉を動かすことはないのですが、教育や福祉、医療といった分野を体系的に大人が理解するよう、構想していかないといけないと強く思うこの頃です。それが、社会の成熟ってものではないですか。政治や行政のプロは、それを形にしてこそのプロですよね。
この頃名東福祉会の各施設の製品販売売り上げ向上にどうしたら貢献できるかと私なりに一生懸命考えています。
私にできることはないかと・・・。
あれやこれやろ思いめぐらしていたら昔の話を思い出しました。私がまだ天白ワークスの所長をしていたころですから、今から15~16年前の事になってしまいますが、石川県金沢手をつなぐ親の会から傘立て8本の注文をいただきました。どうやてお届けするのかが課題です。
天白ワークスの傘立てはすべて手作りの陶器で割れやすく、重く、かさばります。当時はそうした商品の輸送にはかなりのお金がかかりました。輸送代の方が商品よりも高くなってしまいたいへん申し訳ありません。
結局、「私が運ぶわ」ということになりました。
ちょうど私の長男が夏休みで入所施設から帰ってきます。息子を乗せて名神高速道路から北陸道に入り、金沢市内で親の会が会合をしている場所に着きました。
親の会の人たちが出てきて目をまん丸くして「ひとりで運転してきたの?」と驚きました。当時は私も若かった・・といっても65歳。でも、傘立てはひとつも割れていません。ひとつひとつデザインが違う天白ワークスの作品を私は誇らしげに降ろして手渡ししました。
「まあ、まずは休憩を」
といって下さるのを振り切り、長男が待つ車にまた車に乗って向かったのはイーハトーブの森。
目的を達成でき、みなさんからもほめていただけて私は意気揚々とドライブです。金沢から富山、魚津、黒部川と左側に日本海が見えます。日本海と空の青さに心は晴れ晴れとしました。
糸魚川あたりまで登ると、風光明媚な箇所があり、あの有名な「親不知(おやしらず)子不知(こしらず)」だとわかりました。昔、海に面した街道で、右には断崖絶壁が迫り、手をつないでいた親子もひとりひとり走ってとおらないと大きな波にさわられてしまうとか。私は息子に
「こんな怖いところを楽にとおれるようになったのは高速道路ができたおかげだね。私たちも昔の道を通ってみる?」
とわかりもしないだろうと軽口をいってみました。すると長男は身を固くして車の中を後ろに後ずさりして小さくなりました。びっくりしました。
「ごめんごめん。もっと楽しい話をしよう。そんな怖いところは通らないからね。」と謝りました。
でもそこからは高速道路ではなく148号線。糸魚川kら国道の山道は険しく、右も左も山また山。急勾配をアクセルいっぱい踏み込んで登ってゆかなければなりません。ふと気づくとガソリンがあとわずかになっていました。しまった、糸魚川で入れてくれば良かったと思っても後の祭りです。長男も緊張した表情になっています。
ガソリンメータと道を見ながらヒヤヒヤしましたが、なんとか小谷まで入りまいり、白馬近くまで来たなと感じたとき小さなスタンドがありました。
「よっちゃん、よかったね」
と喜ぶ私を見て、長男も緊張した顔がやっと溶けました。
美しい白馬を見て、大町に入り、大好きな「花の木」というレストランに入って気分が落ち着きました。後はイーハトーブの森が目の前です。わかりもしないだろうとたかをくくって息子に話をして不安を与えたことを心から反省しました。
施設はいいものをせっかく作っても、売ることが難しくなかなか授産製品の販売は思うようにできません。こんな私でも何か
お役に立てることはないかと年老いてもなお思っている私です。
合同家族会役員会のあと、知的障害者通所授産施設TUTTI(定員40名)へ見学に行かせていただきました。
参加者は家族会役員の皆様。
8年前より名古屋市名東区に小規模授産施設として解説されて依頼のおつきあいです。私は当時、メイトウ・ワークスの所長でした。
通所授産施設の竣工式に参加させていただき、ほんとうに立派な施設が開所されたことを共に喜んでいました。
今日はTUTTI開所3年目に入って立派に運営されているのを見学させていただき、とても嬉しく思いました。
障害者自立支援法実施による厳しい施設運営の中、地域貢献を柱に
・新規事業のレストラン
・地元野菜、米などの店頭販売
・生協のリサイクル作業
・軽作業
・配食サービス
・リサイクル自転車の自主事業
このほか3階の一部に和室が二部屋あって、地域の障害者のためにお泊まり会を月1回、NPO法人と提携してやっているそうです。
いろいろこなされている活動的な通所施設に感嘆の思いひとしおでした。
TUTTI(トウッティ)とはイタリア語の「協奏曲」が転じて、「皆さんご一緒に」という意味だそうです。障害のある人もない人も、地域で一緒に暮らすことを願ってつけられたとのこと。
また、施設のモットーは「生きる、働く、楽しく暮らす」
利用者の皆さんの生き生きと楽しそうな姿を見て、実感することができました。
私たちはレストランで「鮭の定食」をいただき、同じ食堂でモクモクと食べておられる利用者さんと地域のお客さん一組も交えて、おいしくいただきました。
食器を下げるときにも丁寧に運んでいきました。食事が終わってコーヒーを注文すると
「コーヒー5つに紅茶1つですね」
と復唱して定年に運んでこられました。注文しなかった人にはお茶が出ました。
お母さんたちの中には
「うちもダウン症だけれどあれだけのことはやれん」
とため息をついておられました。
所長さんは
「繰り返しやっているうちに覚えたのですよ。特に指導はしていませんが、親さんと一緒に行ったレストランでああやるといいなと思ったのではないですか」
と言われました。毎日の積み重ねの重要さをつくづくと感じました。
三階の屋上にはハーブも作られており、7種類を三日間コトコトと煮込んだカレーもあるそうで、この次はそれを頂きにまた来ようかなと思いました。
10/2付ブログ、拝見しました。
生産消費活動によって形成される富というのは、何も貨幣的なものばかりではなく、「生活を潤すものの総体」
とでも言うべきものでしょうか。いわゆる’priceless’なものも含まれる訳ですよね。
結局、生産消費活動の動向は就労支援事業のみならず、社会福祉法人のあり方に一石投ずることにもなります。
例示されていた事柄は、ややもすると自己完結的であるような批判を受ける可能性もありそうですが、地域へ拡大
していくようなベクトルを(潜在的にでも)有しているかどうかですよね。
このように考えていくと、デイケアからナイトケアまで、生活介護から就労支援まで、幅広い事業展開をしている方が
生産消費活動も展開しやすく、有利であると言えます。「縮小均衡ではなくて、サービス拡大による選択肢提示」
という名東福祉会の理念は、一方でマンパワーの拡散も伴い、この時代において厳しい側面もありますが、長い
スパンで将来を考えたり、社会福祉法人の役割の本質のようなものに迫っていくと、やはりこれしかないというところでしょうか。
狭い範囲(事業所単位)では「拡散」に見えることも、広い範囲(法人単位)で見れば「充満」なのかもしれません。
from kojima
(コメント)
施設が自己完結的であろうとしても、生産消費者は施設というコミュニティーの枠を超えて広がっていくでしょう。
Pricelessな活動に案外人々の幸せがあるかもしれない。
農業社会→工業社会の次にくる脱工業化社会は生産消費がキーとなる。
そうなれば、知的障害者が普通に行っている生産消費者としての生き方が社会を変え、リードするかもしれない。
これはまさに糸賀一雄先生が「この子らを世の光に」と述べたことがいよいよ実現されるまえぶれなの?とも思います。
20年ほど前に、板山賢治氏が「授産施設は社会からお金をもらっているだけではなく、授産活動によって
価値を産み出しているから福祉の中で価値がある」と講演したのを私はSELPの職員研修会の最後列で聞いていました。
その際、「工賃10000円の価値ではそんなに価値がないなあ」と思ったのでした。
でも、現在貨幣経済で産み出されている価値は50兆ドル。それと同等以上の価値を生産消費者は産み出しているそうです。
国が進めている「工賃倍増計画」で利用者が受け取る工賃5000円が10000円になってもむなしさが残りますが、
50兆ドルの価値と聞くと、ばかな私は張り切ってしまうのです。
生産消費者
未来学者のアルビン・トフラーは生産消費者という概念を提示しました。生産消費者とは「自ら生産し、自ら消費する消費者」のことです。
・自分で家を直したり造ったりする日曜大工
・自分で支払うセルフレジ
・デジカメ
・自宅でできる健康検査器具
・利用者が自ら編集し加筆するインターネットのWikipedia
・読者が書き込みができるブログ
などなど。いたるところで、「生産消費者」は増え、自ら富を形成しているとトフラーは説きます。
障害者施設の利用者やその家族、職員は以前から「生産消費者」であったという面があります。施設では「自分たちの生活の質を上げるために自分たちが手づくりで生活を作り上げる」という側面があります。貧乏だからそうせざるを得なかったという側面もありますが。
障害者施設の場合、生産消費活動の多くの部分を職員や家族会やボランティアが行うことになりますが、利用者自身もそうした活動に参加することができます。
例えば、施設のバザーにおいてはバザーで販売する用品をつくる人も、それを購入して消費する人も施設関係者であったりします。
バザーの目的としては施設運営費を獲得するためという大義名分はあるのですが、生産者と消費者が同じであり、金銭的な尺度から見ると目的とは裏腹に、たいへん小さい金額しか動きません。でも、バザーに生産性がないかというとそうではありません。むしろ、地域の人々や家族同士の絆を深め、施設の生活を豊かにするという付加価値があります。生産消費活動という側面からバザーを見れば、実際の金銭活動の数十倍の経済活動が行われているといえます。
トフラーは今後、世界の生産消費活動が拡大し、通常の貨幣経済を押し上げていくと見ています。障害者福祉に関する財源が厳しいといわれていますが、施設における生産消費活動は知的障害者福祉がおかれている状況の突破口になると思います。これまでに蓄積されたノウハウにより、授産施設や福祉施設には豊富に生産消費活動を行うツールが存在しているからです。陶芸、木工、農作業、園芸、日曜大工、製パン、製菓、縫製、給食作りI、T技術・・・
名東福祉会では今後、お米すら自分たちでこしひかりやはつしもなどのブランド米を農家から直接手に入れ、精米してつきたてを食べることができます。ありとあらゆる楽しい生産消費の機会が施設には存在しています。生産消費活動を続けた白鳩会では自前の農園から年間2億円を超える収益を上げていますが、実際にはそれを遙かに上回る生産消費活動を鹿児島全体で展開されています。
今後団塊の世代の労働力がボランティアとして大量に施設に流入し、いっしょに生産消費活動が展開されれば、施設利用者の生活は金銭によらなくても飛躍的に豊かになるはずです。施設が閉じた消費活動を行うだけでは、今の財源ではたいへん貧しい生活しか手に入れることができません。でも生産消費活動があれば別です。授産施設に対して貨幣経済的の側面からのみの評価で施設を断罪し、施設不要論を展開する知識人を私は信じません。
私たちは生産消費活動を展開できる就労支援活動や日常生活を求めていきたいと考えています。
愛知県知的障害者福祉協会主催の東海地区知的障害関係施設長研究協議会を傍聴させていただきました。
講師は日本知的障害者福祉協会政策委員長の柴田洋弥氏です。
テーマは「障害者自立支援法の抜本見直し」。ポイントは
1 障害の程度区分を三区分に戻す
2 障害程度区分によるサービスの利用制限を見直すこと
3 介護保険との統合には反対
4 応能負担にする
など。要するに小泉構造改革が求めたアメリカ型の低福祉・低負担はだめで障害者自立支援法以前の障害者福祉ににもどせという主張です。
知的障害者福祉施設の政策委員長の立場からすれば「障害者自立支援法」の改正を求めるのは当然です。障害者施設の既得権が脅かされたからです。
ですがこうした主張が国民に受け入れられるでしょうか。そもそもわが国では中福祉・中負担路線が財政破綻を招いたのではないでしょうか。こうした主張により、ますます知的障害者が社会から阻害されてしまわないか心配です。
現在、新しい内閣によってこれまでの「構造改革路線」が否定され揺れ戻しが起こっています。所得格差、地域格差の問題です。
これらの揺れ戻しが続けばいずれ所得再配分とそれを支えるための巨大な行政システムを維持することは困難になるでしょう。
(1)大借金(2)超高齢化(3)競争力低下(4)小資源
というわが国がおかれている状況は変わらないからです。
このままでは財政再建のために大規模な増税か借金が必要となり、
1 借金に頼れば金利上昇
2 増税に頼れば景気減速
を招くでしょう。いずれにしても知的障害者の生活を支える財源がなくなります。措置の時代の福祉にもどしたところで、将来にわたって安心できるシステムが手に入るとは思えません。
アメリカ型の福祉-つまり新自由主義は厳しい競争社会であることは間違いありません。グローバリズムの欠点です。
しかし柴田氏も指摘していたように、アメリカの福祉は日本よりもはるかに知的障害者にハンディをつけて競争を行っています。
ほんとうの弱者として知的障害者が社会に認知されておらず、関心が持たれていないことによって正当なハンディがつけられていないことが最大の問題です。
障害者にとってQOLを高めるための構造改革は
1 行政システムの真の構造改革をさらに推し進める
2 知的障害者が真の弱者であることを社会が認知する
3 医療分野、高齢者福祉分野に流れ込む超過利潤を知的障害者福祉分野に開放する
4 知的障害者雇用を徹底的に進める
5 知的障害者福祉分野への寄付や投資に関する制度を改める
など正当なハンディを知的障害者につけて公正な競争を行うことです。
協会の構成員たる施設長は知的障害者がおかれている状況を社会に知らしめる行動をとるべきであり、そうした運動が起こるよう協会のトップには運動方針を見直すことを期待します。
実現が難しい介護保険への統合
介護保険への統合が凍結されて久しくなっています。
経団連は若年層からの介護保険負担を理由に反対しています。
高齢者福祉団体は障害者支援費が介護保険統合に統合されるとパイが少なくなるために反対しています。
肝心の障害者施設経営者も多様な福祉サービスの提供者が参入してくることを恐れ、統合に反対しています。
ものごとをシンプルに考えればより多くの人が支え合った方がよりよい障害者支援ができます。
より多くの人が支えるという意味では福祉目的税もあるでしょう。
ただ、税は予算によって執行される点が保険と大きく違います。
財源が税になるとどうしても国によってサービス提供の枠がはめられます。
障害者自立支援法は介護保険との統合を視野に入れて設計されました。
介護保険による障害者自立支援を行う方が多様な参入を促すことができます。高齢者福祉サービスの実態を見れば明らかです。
支援費を義務的経費とし、国が必ず支払われなければならない費用としたことは評価できるものの、制度の先行きの不安が大きいことは否めません。
現状では介護保険への統合ができないまま支援費報酬の請求事務が複雑になっただけです。
肝心の介護保険も半分は税で補填されているため本当の意味で保険ではありません。
また、違法な介護保険請求をする事業者も後を絶たちません。
肝心の介護保険制度そのものも将来の維持が難しいため、統合の前に介護保険そのものも見直す必要がありますが・・・。
制度について建設的な議論がされないまま時間が経過すればするほど、町の中で放置されている障害がある人たちの暮らしがきしんでいきます。