本人と家族の相互関係の支援

インターネットサイトで障害者関連の論文を読んでいると、自己決定に関する論調の変化に気づかされます。昨日も、本人と家族の相互関係に対する支援について記述された論文が目に止まりました。その論文は、現在、世界的な潮流となっている「本人を中心とする支援計画」から、「本人と家族の相互関係を中心とした支援計画」へ移行することが必要である事を指摘した論文でした。インターネット時代は日本だけではなく、海外の論文も購読することができるのでたいへん便利です。

1980年代の半ばで、世界的に「本人中心の支援」というパラダイムチェンジが起こりました。1980年代は、ノーマライゼーションの理念が広がり、一般的な生活への統合が一応完了した時代です。そのような地域生活でより重要となったのは、生活の質(QOL)でした。単に形の上で施設を小さくして施設から地域生活に移行しても、ノーマライズという課題が解決しない。本人が望む生活をしなければだめだということになり、自己決定が非常に重要視されるようになりました。

ところが、自己決定を重視し、本人を中心において支援していけばいくほど、家族、友人、職場の人々、支援者など、本人をとりまく人たちの支援が必要になってくる事がわかります。生活の場面で人が人とかかわる場面では、常に言語行動が発生します。うろうろしたり、何かしてほしいという身ぶりをしたり、表情をゆがめたり、奇声を発したり、果ては暴力に訴えたり・・・ありとあらゆるチャレンジングな行動が「要求」という言語機能を内在した言語行動といえますし、そのような行動に対して次々とまわりの人たちの行動が広がります。それらが全て本人のQOLに影響を与えていきます。

本人中心の支援計画を立案するといっても、実際には、本人と生活を共にしているまわりの人たちや地域や行政に対する支援や働きかけを考慮することです。特定の課題は本人とまわりの人たちの共同の課題である事がほとんどだからです。紹介した論文はアメリカのものですが、「生活の課題はお箸を使うようなものである。本人だけではスパゲッティをつまむ事ができない」という表現がほほーアメリカでもお箸ですかと思い、ちょっと笑えましたが。

現在のように、支援計画を立案する際に、「本人中心の支援計画」といいすぎると、支援が空虚なものになりかねません。もちろん、日本では、地域福祉の理念が家族中心の支援計画からやっと本人中心の支援計画に移行したばかりであるという事もあります。「本人と家族の相互関係を中心とする支援」という理念はひょっとするとトーンダウンしてしまうのではないかという危惧が専門家の間にあるのかもしれませせん。しかし、この論文でみられるような「本人とそのまわりの生活者に対する支援計画」という論点で支援計画を立案するセンスがあれば、より実際的な支援システムを構築する助けとなる可能性があります。知的障害者の支援に関する研修においても、本人と支援者あるいは本人と家族の関係に対して、第三者がどのようにアプローチすべきなのかについての研修や研究が望まれていると思われます。

本人が生活する場に対する支援という概念を、そろそろ日本でも醸成しなければ先に進めないのではないかと思います。