知的障害はまわりの人たちになんらかの形で支援を必要とします。
給料が人なみに稼げるようになっても、一人で生活することができるようになってもなんらかの支援が必要です。

特に本人が生活している場所で朝起きてから寝るまで
本人が出会う人が本人のことを理解していただけるかどうかで、
本人の幸せは左右されます。

願わくばひとりでも多くの支援者をつくり、本人のことを理解してくださる人をいかに増やしていくか・・・
これが親の仕事のうち、もっとも大切な仕事、役割だと思います。

自分の子どものことはかわいい。
ましてや障害がある子どものこと。心配で、いてもたってもいられません。
施設の中ではどうしても自分の子どものことを優先してほしくなります。
でも、目先のことで自分の子どもさえよければと思っていると、どんどんまわりの支援者が少なくなります。

知的障害があることは、本人にとっても、親にとっても決して不幸せなことではありません。

私の長男は、結婚1年以上たって、ようやくできた子でした。
みんな大変喜んでくださいました。
すくすくと育ち、満3歳のときには「健康優良児」として区で表彰され、賞状と大きな汽車のおもちゃをいただきました。
それから1ヶ月もたたないうちに、高熱が出ました。
今のように解熱剤も冷蔵庫も氷もない世の中。
家が忙しかったのとお医者様の休みも重なったのとで手遅れになり、左半身マヒとなってしまいました。
声をかけてもほとんど反応もなく、うつろな焦点も定まらぬ目をしていて、
よだれをたらし、言葉がなくなりました。

でも、私たち親子はたいへん多くの専門家の先生や、たくさんの障害児の親と出会い、
一緒に親の会運動や勉強をし、たくさんの一般の人たちとも交流し、応援もいただきました。
多くの人たちの励ましに、全身が震え、涙があふれるような体験もしました。
そうしてみると、障害がある子どもであったがゆえに、私は幸せな人生を送ることができたと思います。

支える人も、支えられる人も、応援していただく人に感謝していろいろ役に立つようがんばることも、
ともに幸せなのが障害者福祉です。
障害がある子どもの親として57年。私はともに生かされている幸せを多くの人に体験していただきたいと思います。

2007年11月27日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

消費税増税論議が出てきました。つい最近まで封印されていたのに、大連立構想が納まったとたん再び論議され始めました。

財政立て直しのために消費税を上げることはよくありません。高齢者医療費負担増の凍結など、もっと議論すべきであるのにあっさりと通過しそうな気配です。
尊厳をもって迎えるべき死。それに対して終末医療を食い物にするかのような医療現場。まだまだメスを入れるべき分野が残されています。

障害者福祉に掛ける予算はもともと多くありません。介護保険との統合が難しくなった今、財源は消費税しかないことはわかっています。でも、安易な増税と支援費財源の確保はかえって障害者福祉をだめにします。

日本が高福祉・高負担の福祉国家となることは無理だと思います。日本は1億3千万人のアジア的家族主義国家。大半の資産を高齢者が保有しています。スウェーデン(900万人)やフィンランド(500万人)は国全体で愛知県(700万人)と同じぐらいの人口しかいません。根本的に日本の経済とは状況が異なります。日本が北欧の国と同じように高福祉・高負担の国家に変わることは難しいと思われます。

やはり成長力を底上げしていく施策が必要でしょう。中途半端な増税によって経済が停滞し、税源が不足するという悪循環が続くことがいけません。成長力が落ち込んだままだと、障害者雇用は夢のまた夢。障害者自立支援法によって施設で生活することもだめ、企業に就職することももだめでは障害がある人はどこで生活すればよいのかということになります。障害者福祉の質は成長力が確保されてこそ安定します。あいまいな増税論は障害者福祉にとって毒針ではないかと思います。

東京のある会の例会に出席してきました。この会は不思議なほどに全国各地からいろいろな立場の人が集まります。

大学教授、法人の理事長、施設長、職員、もと東京都の課長、育成会の理事長、会員、障害者団体の役員、ボランティア、詩人、医師、会社社長、地方議員・・・
なんと様々な人たちが会員となっています。

それぞれ近況を手短に話をすることから始まるのですが、それがまたとても勉強になります。あるお母さんが
「うちの娘が通っている作業所は今下請け作業がいっぱい来て、5時過ぎまで残業してくるのでクタクタで帰宅します。施設としては断ると今後下請け作業がもらえなくなるので職員も利用者も毎日残業でかわいそうですよ」と報告があると、みんなそれぞれ意見をいいます。
「神戸の作業所のように労働基準法にふれないか」とか、
「工賃はどうなのか」と質問が集中します。

また、医師の立場の人の順番になると、現況の医療事情を詳しく説明。医者も大変なんですと述懐されます。
それぞれ違った立場で、福祉や医療や本人の就労問題が語られとても勉強になります。

ですから何はさておき、この会に出席したいと思うのですが、そろそろ体力がもたなくなりました。
前日は友人宅に泊めていただき、おおしゃべりしてストレスの解消はできましたが、赤池の階段、名古屋駅のコンコース等、歩かなくてはらならいところが多く、辛かったです。
東京では駅のホームまで迎えていただき、地下駐車場から友人の車でハイウェイを走りました。
帰りはタクシーですっかり楽をしましたが、幾たびに体力の落ちていくのが自覚できて、数年後の自分を思うと先の暗さにしばらく落ち込んでいました。

けれども2~3日もすると、名古屋の友人たちに支えられて、またあれもこれもやらなくちゃあ! これも進めなくちゃあ!!
と「気」だけが一人歩きしています。

2007年11月21日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

生活介護施設として利用者から最も期待されるニーズはセルフケアスキルの向上ではないでしょうか。
障害が重い人にとって身辺処理技能(セルフケアスキル)を学習することは重要です。理由は明白。セルフケアスキルを獲得することは
1 本人の健康の維持のために必須
2 スキルを獲得すれば親・支援者の全体的なケアを軽減することにつながる
3 社会の他者からの受入が改善し、社会的への参加機会が増加する
スキルを獲得するのは支援員のためとか、親のためで、本人のためにやっているわけではないというような不毛な議論はするつもりはありません。

もっとも、障害が重い人にとってはセルフケアを獲得することは難しさを伴います。
1 手先などをうまく動かすことができない
2 社会やまわりへの関心が低いこと
3 訓練機会が少ないこと
4 本人の認知能力の低さ
5 上記の要因の組み合わせ
などなど。「言うは易し、行うは難し」が重度の知的障害者のセルフケアスキルです。

口をすっぱくして教えても、罰をあたて教えてもセルフケア技能は獲得できません。やはり緻密なABA技術を用いて訓練していくしかありません。

1960年代。日本の施設の草分けの時代。そのころの施設は親は面会謝絶。こっそりと施設の中を覗いた名東福祉会の会長は豚小屋と同じように利用者の糞尿が居室に垂れ流されていたのを発見し、長男(筆者の兄)が利用している施設から引き取ったとのこと。当時の施設ではトイレットトレーニングはまったくされていませんでした。

アメリカではそのころからようやくトイレットトレーニングが始まったとのこと。1970年代ではめざましい技術的な進展を見ています。現在では発達障害児のトイレットトレーニングはかなり幼少のころから行われるようになりました。その成果により、排泄が自立していない知的障害者は少なくなったものの、依然として訓練を行わなかったり、訓練機会が提供されていない知的障害者も多数いるのが現状です。

今後、障害者自立支援法によって日中活動と夜間ケアを分離が進んでくるため、入所施設の主な機能はパーソナルケアスキルの獲得が課題になるでしょう。ところが、入所施設の夜間ケアは単価が極端に低く設定されているため、これらの学習を進めることが事実上不可能というシビアな問題があります。これについては他の場面で論じましょう。

パーソナルケアといってもいろいろ。食べること、料理すること、排泄すること、風呂に入ること、着替えること、歯を磨くこと、衣服の着脱、ベッドメイキング・・・
女性の場合には生理の手当、男性の場合には性欲の処理など公表することを躊躇する技術も多々あります。それらの生活時間帯すべてにわたって、適切な行動の学習とともに、不適切な行動の軽減が課題となります。

重度の知的障害者のパーソナルケアのスキルの獲得は応用行動分析以外の方法では成果が上がっていません。入所施設はこうした技術を導入することが今後必須となると思われます。愛知県の場合、この技術の普及がたいへん遅れており、改善することが必要ということを愛知県知的障害者福祉協会長の安形さんともよく議論しています。名東福祉会にはこの分野で日本の第一人者の久野能弘先生が「たけのこのいえ」で実践活動をされています。愛知県の福祉施設に行動療法技術が普及していくことを期待します。

パーソナルケアスキルの汎化(訓練場面だけではなく、日常生活場面で使えるようになること)は難しいが重要な課題です。重度の障害者の場合、家庭や施設でできても、他の場所でできないという場合が多い。専門家と連携し、その人が生活する場所ごとにそれなりの支援が必要となります。

この問題に対してはTEACCHが地域全体を巻き込んで「構造化」していく戦略を定着させています。障害者に環境側があわせていくという考え方も定着してきました。一般にどんどん消えてしまう音声言語情報の処理よりも視覚情報の処理の方が容易なために、視覚的な手がかりを普及させていくことも環境側の努力で獲得したセルフケアスキルを発揮できる場面も増えることにつながります。そうした環境側の努力と合わせて、やはり一般の生活場面で使いこなすことができるようにパーソナルケアスキルが獲得できるように施設で訓練することが重要です。

生活介護は古くて新しいテーマ。このテーマに真剣に取り組み、成果を上げていくことが今日的な課題です。

私は若い時、長男が高熱を出し、障害児となってほんとうにうろたえ、生きる望みさえ失いました。その後、やはりこの子のために生きなければならないと、自らいろいろ伝手を求めて一生懸命勉強しました。
たくさんの有名な先生やボランティアさん、施設の職員さんともお会いできましたし、たくさんの障害児者の親さんともめぐりあいました。

その中でも育成会の運動は私を育て、支えてくれました。私は育成会があったからこそ、今日あると思っています。全国、北海道から沖縄まで各県各都市の育成会とも交流を持ちました。

講演をさせていただいたことも数多くあります。一般の市民団体、教育関係の団体のみなさまと何度もお話をしたことそのひとつひとつが今でも心に残っています。
NHKやCBC、東海テレビでも出演を何度もさせていただきました。拙著の「花影の譜」は全国放送でラジオ番組の「朝のひととき」の時間で流していただいた時には、全国から沢山の励ましのお手紙を頂きました。

今、80才になるという私を見て、きっと若いときの私は想像もつかないことでしょうが、こんな私でも、若いときはひたすら我が子を含めて障害児たちみんなが「生きて、教育を受けて働けるように願い、一生懸命動いたものです。お会いして話をするだけでお互いが救われ、生きていく力がわいてくる・・・。親の会運動はほんとうに不思議であり、大切なものです。

最近では問題があるとはいえ、何もなかった時に比べればいろいろと法整備が進みました。そうした社会の雰囲気の中で与えられる事になれて、親の関心がややもすれば薄れているような気がして気をもんでしまうこともあります。親の会運動がなくても大丈夫ということはありません。そうした雰囲気に思わず、若い人たちを叱咤激励することもありました。

ところが、日進市の障害児を持つお母さんたちの集い「ジャングルジム」の動きをインターネットで読み驚きました。
何でも次々と実行してきます。子どもをかかえながらパパにも協力してもらい、情報通信のいろいろな手だても活用してどんどん人の輪を広げていく。私は感動しました。
まさに老婆心。彼女たちは自らわき上がるような思いで、なんでもやりこなしているのです。若いエネルギーはすばらしい。何も恐れずどんどんやって下さい。
がんばれ ジャングルジム!!

2007年11月19日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

今後、有料老人ホームは多様化に向かいます。シニアリビング・マーケットは各方面から熱い視線を浴びている将来有望なビジネスです。今の高齢者福祉ビジネスはまさに不動産業の様相を呈しています。
スウェーデンの身体障害者施設に見学に行ったとき、ほとんどの人が高齢者で拍子抜けした覚えがあります。身体的なハンディは高齢になればほとんどの人が負います。だから身体障害者施設なのです。
プールあり、リラクゼーションルームあり、食堂あり。日本のスパのようなものです。日本の多くのシニアリビングマーケットも快適な個室とリハビリ施設を併設するような方向に進んでいくでしょう。

一方、社会福祉法人立の老人ホームは重度の認知症や介護度が高い人たちを受け入れることにならざるを得ないでしょう。そういう方向に介護報酬体系も設計されることと思います。
社会福祉法人の存続意義も問い直され、介護度の高い利用者の受入が進んでいくということです。

知的障害がある人のアシステッド・リビング(介護付き生活)はまったく取り残されたままです。
ただ、その気があれば高齢者施設を利用できるようになるし、高齢者施設側からしてもよいお客様になる可能性があります。利用者によっては高齢者施設の方があっている人もでてくるかもしれません。
夜間は高齢者施設を利用し、日中は障害者施設を利用するなどのパターンもあり得ます。ですが、複数の法人間を行き来する利用方法はコストがかかり、自己負担も増えるため、夜間ケアを利用する法人に
すべてをゆだねることになると思われます。

しかし、他害や自傷行動がある知的障害者を受け入れ、そうした行動が出ないような質の高いケアが行える高齢者施設がここ10年の間に多数育つことは難しいでしょう。
逆に言えば、現在の知的障害者施設は重篤な問題行動に取り組むことができる技術と、低ランニングコストで質の高いケア環境を整備することが生き残りのカギとなります。
緩和措置と混迷した政治状況に安心している施設は、早晩、倒産の危機と隣り合わせになると思います。

久しぶりに愛知県セルプセンターの理事会ならびに総会に出席させていただきました。
今後の雇用支援センターのあり方、愛知県工賃倍増計画、福祉の店が話題となりました。
私もたいへん興味を持って聞かせていただきました。

障害者の雇用と工賃倍増計画を打ち出し、県の特別予算までつけて共同研究と受注拡大を図って行こうとしていることを知り、なんだか嬉しくなりました。

私も小さなことでもやらなくちゃあ!!と思って、密かに考えていたところでもあり、我が意を得たりというところです。

メイトウ・ワークスもプロジェクトに入っていますが、他の施設もいろいろなことを考えています。
変わったところでは墓守プロジェクトとか清掃業務共同プロジェクトとか・・・。
これからもいろいろと出てくると思います。もののありふれた時代の中で、魅力ある商品やサービスをどうやって産み出せばいいのか難しいところですが、がんばりましょう。

2007年11月2日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

最近の介護ロボットの進展はすごい。ロボット技術は日本は先進国。これからこの分野のロボットはどんどん開発が進んでくるに違いない。

クオリティの高い介護を行うためにはホームの空間の設計やロボット技術が重要だ。そうした技術を利用すると、介護の負担は減り、結局介護コストが減ることになる。利用者も生活空間が広がり生活の質も上がる。

到着型のロボットの進化は目を見張るものがある。
人間が発する微弱な電流を感知して、適切に筋肉運動を補佐することができる。
47年間歩いた経験がなかった人が装着型ロボットによって自然に歩けた。
女性がモビルスーツを装着して楽々と高齢者を持ち上げることができるようになる。
介護方法を根本から変えるようなロボットが開発されている。身体障害の克服や訓練のためにロボット技術が貢献できる分野は計り知れない。

すでにこれらの介護ロボットを導入している病院もある。
ホームセキュリティ関連のロボットも介護現場で応用が可能になるだろう。
夜間にグループホームを巡回するロボットがホーム内の異変を知らせる。
写真を撮り、警察にも自動送信するから巡回ロボットがいればどろぼうは退散する。
火災が起こっても初期消火に役立つ。
ロボットの体内には消化器が組み込まれたロボットは火災をみつけると自ら火に飛び込んで消火する。

こうしたホームロボットが障害者福祉分野に導入される日は近い。

みのりの秋になりました。
上の山児童行動療育センターの前に、大きな柿の木が二本あり、たわわに柿の実が実っています。
この夏は私も畑になす、きゅうり、ミニトマトをつくり、十分夏野菜を楽しむことができました。
みなさんにもらっていただいたりして、この物の十分な時代にも食べ物を自分で作ると言うことは貴重なことだと思いました。

私の女学生時代は戦中華やかなりし頃で、英語等の授業は廃止され、軍需工場の部品作業に切り替えられていました。
それでも女学校には「おかっぽう」の時間が周1回だけ残されていました。
食糧事情がひっっぱくしていることもあり、食材はなす、トマト、きゅうり、じゃがいも、タマネギなど畑の野菜ばかり。砂糖も不足していて調味料は塩とカレー粉ぐらい。たんぱく源がほとんどない粗末な調理実習が続きました。
それでも、弟や妹たちがそのおかっぽう実習材を持って私が帰るのを楽しみにしてくれ
「おいしい、おいしい」
と見る間に食べてしまい、とても喜んでくれるのがどんなに嬉しかったでしょう。
クラスのみんはは
「そのくらい、ここで食べてしまえば。苦労して持って帰らなくともよいのに」
と不思議がりましたが、私は、私のお料理を首を長くして待っていてくれる弟や妹たちを思い、阪急電車にゆられながら帰宅しました。

児童療育センターの評判も良く、畑は今や秋ものの野菜が目立ちはじめています。空地にしてケアホームが建つのを今か今かと待っている場所もあり、ほんとうに上の山はいいところです。

今は毎日大変なことが続く障害福祉の仕事ですが、喜んで待っていてくれる人がいるこの仕事に就けたことは私にとってこのうえない幸せです。

2007年11月1日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝