愛知県知的障害者福祉協会主催の東海地区知的障害関係施設長研究協議会を傍聴させていただきました。
講師は日本知的障害者福祉協会政策委員長の柴田洋弥氏です。

テーマは「障害者自立支援法の抜本見直し」。ポイントは
1 障害の程度区分を三区分に戻す
2 障害程度区分によるサービスの利用制限を見直すこと
3 介護保険との統合には反対
4 応能負担にする
など。要するに小泉構造改革が求めたアメリカ型の低福祉・低負担はだめで障害者自立支援法以前の障害者福祉ににもどせという主張です。

知的障害者福祉施設の政策委員長の立場からすれば「障害者自立支援法」の改正を求めるのは当然です。障害者施設の既得権が脅かされたからです。

ですがこうした主張が国民に受け入れられるでしょうか。そもそもわが国では中福祉・中負担路線が財政破綻を招いたのではないでしょうか。こうした主張により、ますます知的障害者が社会から阻害されてしまわないか心配です。

現在、新しい内閣によってこれまでの「構造改革路線」が否定され揺れ戻しが起こっています。所得格差、地域格差の問題です。

これらの揺れ戻しが続けばいずれ所得再配分とそれを支えるための巨大な行政システムを維持することは困難になるでしょう。
(1)大借金(2)超高齢化(3)競争力低下(4)小資源
というわが国がおかれている状況は変わらないからです。

このままでは財政再建のために大規模な増税か借金が必要となり、
1 借金に頼れば金利上昇
2 増税に頼れば景気減速
を招くでしょう。いずれにしても知的障害者の生活を支える財源がなくなります。措置の時代の福祉にもどしたところで、将来にわたって安心できるシステムが手に入るとは思えません。

アメリカ型の福祉-つまり新自由主義は厳しい競争社会であることは間違いありません。グローバリズムの欠点です。
しかし柴田氏も指摘していたように、アメリカの福祉は日本よりもはるかに知的障害者にハンディをつけて競争を行っています。
ほんとうの弱者として知的障害者が社会に認知されておらず、関心が持たれていないことによって正当なハンディがつけられていないことが最大の問題です。

障害者にとってQOLを高めるための構造改革は
1 行政システムの真の構造改革をさらに推し進める
2 知的障害者が真の弱者であることを社会が認知する
3 医療分野、高齢者福祉分野に流れ込む超過利潤を知的障害者福祉分野に開放する
4 知的障害者雇用を徹底的に進める
5 知的障害者福祉分野への寄付や投資に関する制度を改める
など正当なハンディを知的障害者につけて公正な競争を行うことです。
協会の構成員たる施設長は知的障害者がおかれている状況を社会に知らしめる行動をとるべきであり、そうした運動が起こるよう協会のトップには運動方針を見直すことを期待します。

実現が難しい介護保険への統合

介護保険への統合が凍結されて久しくなっています。
経団連は若年層からの介護保険負担を理由に反対しています。
高齢者福祉団体は障害者支援費が介護保険統合に統合されるとパイが少なくなるために反対しています。
肝心の障害者施設経営者も多様な福祉サービスの提供者が参入してくることを恐れ、統合に反対しています。

ものごとをシンプルに考えればより多くの人が支え合った方がよりよい障害者支援ができます。
より多くの人が支えるという意味では福祉目的税もあるでしょう。
ただ、税は予算によって執行される点が保険と大きく違います。
財源が税になるとどうしても国によってサービス提供の枠がはめられます。

障害者自立支援法は介護保険との統合を視野に入れて設計されました。
介護保険による障害者自立支援を行う方が多様な参入を促すことができます。高齢者福祉サービスの実態を見れば明らかです。
支援費を義務的経費とし、国が必ず支払われなければならない費用としたことは評価できるものの、制度の先行きの不安が大きいことは否めません。
現状では介護保険への統合ができないまま支援費報酬の請求事務が複雑になっただけです。

肝心の介護保険も半分は税で補填されているため本当の意味で保険ではありません。
また、違法な介護保険請求をする事業者も後を絶たちません。
肝心の介護保険制度そのものも将来の維持が難しいため、統合の前に介護保険そのものも見直す必要がありますが・・・。

制度について建設的な議論がされないまま時間が経過すればするほど、町の中で放置されている障害がある人たちの暮らしがきしんでいきます。

9月21日は愛知県知的曽湯会社育成会が主催で、成年後見制度について研修会が岡崎で行われたので
日進市育成会の人々と共に参加させていただきました。
講師は全日本手をつなぐ育成会中央相談室長の細川瑞子氏。
氏は富山県で弁護士のご主人とともども育成会で活躍され、以前から存じ上げていたので久しぶりにお目にかかりたいと思い、私も参加させていただいたのです。

240名以上の参加人数で、講演終了後グループ討議を行いました。各グループから先生はひっぱりだこで、あとから聞くと、どのグループからもとてもわかりやすく「成年後見制度」が理解できたと好評でした。親なき後を憂うのではなく、親あるうちにきちっとしておこうという主旨が理解できたようでした。

今後は、新しい時代にあった本人の権利擁護にむかって育成会は動かなければならないし、親にかわる人生の伴走者としての後見人制度を完備させなければならないと思います。

先生は権利が擁護されるために
1 地域サービスを整備する
2 「本人を護ること」すなわち権利擁護のあり方を問い直す
3 後見人制度をとりあつかう民間機関を整備する
などの提言をされました。

私たちのグループ発言のなかで、今世話になっている施設の職員がこのままだと結婚しても暮らしてゆけないと転職してしまうのではないか職員が喜んで勤務してくれるにはどうしたら良いのかと強い口調で後見人制度よりも障害者自立支援法を何とかしてほしいという意見も出てグループ長さんはとりまとめに大変でした。

2007年9月21日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

がんばれ親の会

構造改革をストップし、福祉サービスをもとのようにもどしたところで、障害者が幸せになるとは考えられません。
構造改革は引き続き続ける必要があります。

これまで日本の福祉政策は新自由主義といわれる政策の体系のもとで改革が進んできました。
新自由主義は
1 国家による福祉・公共サービスを少なくして民間サービスにシフトする
2 規制を緩和する
3 市場による競争を促進する
グローバル化は新自由主義が世界全体に広がったものです。

もともと、日本は家族介護中心の福祉政策です。
「老々介護」という言葉に象徴されるように、日本は家族が介護することが強いられており、情報も十分に家族に届いていません。
構造改革を中断してもこれまでのように役所が福祉を提供する世界では隅々まで行き届いた世界が展開されることは期待できません。

知的障害者の世界には「手をつなぐ育成会」という存在があります。通称、親の会です。
このところ、親の会の組織率は全国的に低下してきていました。これは新自由主義による構造改革により
新しい福祉サービスが提供されるようになったことと関係があります。

これまでは福祉は国や行政から提供されます。
日本の場合には基本的に社会保障制度が申請主義になっているため、十分な情報提供がなされません。
家族介護中心の世界では親の会が情報の提供や施策の整備に役割を果たすことになります。

親の立場から見て、親の会に所属するメリットは、
1情報をキャッチすること
2親の会が経営する施設を利用しやすくなること
3親の会に所属することによって圧力団体としての力が強化され福祉施策が増進されることが期待されること
などがあげられるます。

新自由主義が浸透すると選択できるサービスが増加し、福祉サービスを提供する側からのアプローチが増えます。
そうすると、
1民間福祉サービスの広告活動により情報を主体的にキャッチする必要がなくなる
2民間福祉サービスが増えて施設利用がしやすくなる
3福祉施策が国や行政による福祉から民間の福祉に移行すれば圧力団体そのものの存在意義が低下する
など、親の会に所属するメリットが減少するはずです。

だからといって親の会が衰退していくことを親の会の会員が手をこまねいて待っているのは間違いです。
むしろ、これからあるべき福祉サービス市場を創出するために新規の事業を産み出していくことが求められているのだと思います。
新しい民間による福祉サービス、すなわち「福祉ベンチャー事業」は本来親の会から生まれなければならないと思います。

企業はこうした福祉ベンチャー事業に投資をすべきです。
例えば給食会社や食品関連会社、人材派遣会社、医療関連機器メーカーなどは投資により新しい商機を拡大する可能性があります。就労支援分野はより大きな魅力的な投資先です。

これまでは福祉施設整備によって利益を得るのは建築業ぐらいでした。
他の分野は指定された商品の入札をするだけで、指定された商品もつまらない時代遅れの商品だったりして利益はありませんでした。それが福祉ベンチャー事業の育成という投資行動により積極的に自社の商機を拡大することができます。

親の会には新しい戦略を求めたいと思います。
1地域企業への共同事業の創設に向けた積極的なプレゼンテーション
2魅力ある福祉市場を創設するために必要な障害基礎年金の大幅な強化を行政へ求めること
3福祉ベンチャー創出のためのアントレプレナーの育成
4福祉ベンチャーと企業の橋渡し
など、構造改革の時代にふさわしい親の会の運動戦略です。がんばれ親の会です。

快適な暮らしは自分でつくる

江戸の町は当時、世界最高の衛生的な生活環境であったそうです。
江戸の町の美しさは公的な仕組みで維持されていたのではなく人々が助け合って維持されていました。
例えば家の外の掃除は今のように清掃車が行うのではなく、一家総出で行いました。
十分な法制度はなかったかもしれないが、町の美しさを維持するための行政コストも必要ありませんでした。

施設は支援費によって維持されています。
利用料金は法令によって一律となっており、障害者の収入からすれば寄付金によって施設を改築することも難しい状況です。
支援費が削減されている今、施設はかかわりを持つみんなで維持することが大切です。

名東福祉会は家族会のご協力でそうした活動が盛んに行われている施設。それが伝統ともなっています。たいへん喜ばしいことでありなおいっそうのご協力をお願いたします。

職員にとっても掃除は家具や床についた傷を発見し、利用者が抱えている暮らしにくさや不便さや介護上の問題点を発見する機会にもなります。
掃除中に投薬されているべき薬が落ちているというというような重大なミスを発見することもあり、清掃やメンテナンス業務は介護技術の向上とならんで非常に重要な業務です。

施設は「住まい」。利用者もなんらかの形で掃除や家具の修理や自分なりの家具作りや部屋づくりを行うべきでしょう。
北欧のデンマーク郊外にあるファーラム市の障害者施設に見学に行ったとき、ユニットの外に続く庭でバラの花のまわりの落ち葉を拾っていた利用者の幸せな表情が印象に残りました。
利用者が積極的に施設づくりに参加できるならば、利用者にとっても施設のメンテナンス活動は楽しみな活動にもなります。

整理・整頓・清潔・清掃は生産現場の基本中の基本。就労支援活動の場においても汚れや道具の散乱は生産効率の低下を招き事故にもつながります。

レジデンス日進では数ヶ月前から統括本部長自ら敷地の清掃をしていただいています。
「毎日掃除を続ていてたいへんでは?」
と訪ねたら、毎日ご近所の人たちから声をかけられるので止められなくなってしまったと謙遜されていました。

レジデンス日進の屋上はこの暑さで少し弱り気味です。
でも萩の花、おみなえし、すすきが初秋の風情をかもしだしています。それに、水盤のほていあおいがみごとな花をいっぱい咲かせてくれました。
残念なことに立ち枯れたラベンダーやシャクヤクもありますが、きっとまた、再起してくれることを祈っています。
レジデンスのお掃除は家族会の有志や野の花会のボランティアさんたちが、こまめにやって下さるので、ほんとうにありがたいことです。
レジデンスの利用者の中にもお掃除クラブなんかできてみんなで喜んでもらえるといいなあと思ってしまいます。
鹿児島の白鳩会のひとたちのみごとな農園、茶畑、花畑はみんなが根気よく手入れするので
農製品の優秀賞まで獲得してしまったんですね。すごいなあ!!
なにごとも努力、努力。私もがんばろう・・・・。

2007年9月10日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

かって障害者のグランドデザインで示されたライフスタイルは私達知的障害者福祉に携わるものからは非常に魅力的に見えました。
このところ示されている障害者自立支援法の方向性は障害者福祉のグランドデザインから離れつつあることが心配です。

障害者自立支援法については財政再建の圧力から支援費報酬の圧縮、障害程度区分の認定方法、障害者本人の自己負担を軽減することばかりに議論が集まりました。
本来ならば、社会福祉サービスの規制をさらに緩和させるとともに知的障害者の収入を上げることに議論の関心を向けるべきであるのに
そのような方向性の議論はまったく無視されたことは障害者にとっても福祉サービス提供者にとっても不幸なことです。

限りなく自己負担を減らしていけば、結局無料の福祉サービス利用という世界に行き着きます。
お上から与えられるサービスである限り、ニーズにきめ細かく対応する独自のサービス開発を行う意欲はわきません。
結局、利用者にとっては選択が保障されずQOLが向上することにつながりません。

知的障害者に真にやさしい障害者支援法であるためには
1 知的障害者の基礎年金を大幅に増やすなど障害者の貧困対策を行うこと
2 さらなる規制緩和を行い、福祉サービス開発の土壌を養うこと
3 良質な介護サービスが提供できるよう、評価システムを抜本的に改善すること
など、根本的な対策が必要です。

激変緩和措置により、よりよい福祉サービスのあり方を求めるムーブメントが下火になってしまうことが心配です。

鹿児島県の社会福祉法人白鳩会を訪問させていただきました。
理事長 中村隆重氏のお話をお聞きしたり、ビデオを見せて頂いた後、
白鳩会が運営する各施設、農場等々、広大な土地とその取り組みを見学させていただき、ただただ驚き、感心するばかりでした。
設立して30周年、その業績もさることながら、設立当初から卓越した先見の明があり、その努力によって各施設、農場ほか、各種事業は今の時代にぴったりあっており
これからもなお研究努力して、知的障害者の福祉を推進していこうとする白鳩会の方針に敬意を表するのみでした。

鹿児島の最南端はあまりにも遠く、交通に時間がかかって訪問は短時間少し残念でしたが、
理事長さんの考え方をひとつひとつじっくり思い出すと、訪問させて頂いたことはいくつになっても「学び」を体得することだと思います。
「共に育つ」「考え合う」「求め合う」「分かち合う」
という白鳩会の理念の奥深さと、職員を大切に思われているお心に共感を覚え、見学させて頂いたことを心から感謝申し上げます。
後日、ビデオが送られて来ましたら、見学報告会を行いたいと思います。

2007年9月1日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

地域福祉を考え直そう

最近福祉関係者で使われている「地域福祉」ということばは、「施設は解体すべき」という誤ったメッセージを社会に出していると思われます。
「地域福祉」は「制限された生活状況にあった障害者に対して、多様な選択肢の用意すべき」という非常にわかりやすい命題をメッセージにしたものです。
はじめはノーマリゼーションということばが地域福祉にかわり、最近では<地域移行>という、施設からグループホームやケアホームに生活の場を変えるべきという非常に幅の狭いことばに置き換わりつつあります。
時を経るに従って崇高な理念も形を変え、利用者そっちのけの様式だけがもてはやされる議論になってしまっていることが残念です。

入所施設=制限的とは限りません。
利用者の立場から見ればグループホームやケアホームの方が入所施設と比べてより制限的な生活を強いられることもあり得ます。

数年後には障害者自立支援法でどの入所施設も夜間の生活と日中の生活が分離します。日中生活や夜間生活の選択が保障されているならば、それが旧来の施設福祉に代わる障害者自立支援法時代の支援システムなのではないでしょうか。
数人の利用者で構成されるユニットが数ユニット集まり、全体で50人くらいの共同住宅であっても、生活の選択肢が保障されているならば地域福祉といってもかまわないはずです。
ある経営者は「地域福祉時代だからうちは積極的に利用者を外に出した。その結果、利用者が少なくなって困った。」といかにも高潔な経営をしているように話します。
福祉施設がニヒリズムを気取ってもいいのでしょうか。経営が困難になって結果的に倒産して脱施設と言い切れるのでしょうか。

もういちど地域福祉を整理して、施設で行われているサービスが利用者にとって制限的であるか選択的であるかという視点で自己評価をしなおし、その上で自分たちが提供しているサービスを胸を張って社会に報告するべきです。