高齢者や障害者もその親たちが気がねなく誰でもひとときを過ごしホッとできる場として、「ふれあい館あさひ」が日進市の東山にオープンしました。
主催者の木谷さんのご自宅の敷地内に新築されたものです。
玄関は坪庭になっていて、「おや?料亭かな?」と錯覚しそうな空間。中はモダンなリビングルーム。2回は和室です。
誰でもお茶を飲みながら楽しいひと時を過ごせそうです。
遅れ馳せながら、オープンのセレモニーの余韻が残る会場に到着すると結構沢山の人が来館されていました。
和気あいあいとした雰囲気の中で、お茶と手づくりのよもぎ大福や桜餅をいただきました。
90歳のお母さんが作られた根付をいただき、「これからどんなことをやっていきましょう」とみんなでわいわいがやがや。
親が自主的に集まり、街の中で生活を楽しみながら、それでいて自然に互いを支えあえる場をつくることはとても大切です。
今は障害福祉、高齢者福祉の制度が曲がり角に来ているとき。国や自治体の制度によるのではなく、こうした街の「草庵」がいつの時代に増して求められているのかもしれません。楽しい未来を想像して岐路につきました。
2月 2007のアーカイブ
名東区福祉祭りは30年近く続けて来ましたが…
2月25日(日) まだ2月だというのに毎日暖かい日が続きます。
今日は名東区の福祉祭りということで、コロニーへ行く前に身体障害者スポーツセンターへ出かけました。
今回は驚くほど会場いっぱいの入場者です。来賓もずらりと並び、特に会場は若い親子の姿が大勢見えました。
ステージプログラムは多彩で、見るものを飽きさせません。特に、今年は上社幼稚園の和太鼓参加がありました。
「孫が和太鼓をたたく晴れ姿を一目見たいと父兄、おじいさん、おばあさんがたくさんかけつけてくださったので、こんなに大勢なのですよ。」
と大忙しの中で説明してくださったのは名東区社会福祉協議会の事務局長さん。子供たちはとてもかわいく、みんなでお上手な和太鼓に拍手を送りました。
福祉製品の販売コーナーではメイトウ・ワークス、はまなす、愛知視覚障害者援護促進協議会、杜の家かみさと工房、手をつなぐ育成会、TUTTIなど、福祉関係のお店がずらりと並び壮観
です。バザーにも沢山の出品があり大勢の人が大賑わい。
名東区福祉祭りは30年近く続けて来ましたが、やっぱり区民の中に浸透してゆくことは地道な活動の上に楽しい企画が必要だと痛感しました。
冬祭り
今を盛りに、梅の花があちこちで咲き誇っています。
上ノ山作業所の庭に、老木が二本、今、満開です。大きな梅の実が予想されます。そして、レジデンスの隣家の境あたりには、ふきのとうがいっぱい芽を出していました。それを沢山つんで、ふき味噌を作りました。上手に作れたらバザーに出そうと思ったのですが、料理酒を入れすぎたのか私の顔は真っ赤になってしまいました。何をやらせても下手なんです。
翌日の2月17日はレジデンス日進の冬祭り。その日は東京へ行くはずだったのですが所用があって欠席し、かわりに冬祭りに顔がだせることになりました。
午前中は地元の野方ばやしです。去年も披露していただいたのですが、一段と上手になられました。うちの利用者さんも少しやらせていただきみんな喜んでいました。
先生から、「レジデンスの皆さんにも演奏できるようにおしえてあげようか」と言っていただき、私はとても嬉しく思いました。
このあと、レジデンスの家族会のみなさんがつくった、トン汁やからあげを召し上がったり、バザーの品物を沢山買っていただいて、大変嬉しかったです。
午後からは、レジデンス日進のご近所のギター屋さんがギターの演奏に一家中で来てくださり、楽しい演奏をしてくださいました。
冬祭りは感謝でいっぱいです。
神戸育成会作業所に対する労働基準監督署の「指導」について
神戸市の東労働基準監督署が最低賃金法に違反しているなどとして、神戸市内の知的障害者作業所を改善指導すると読売新聞より報道された。
福祉作業所はこれまで労働関係法規の適用を除外されてきた。
仮にこうした作業所が時給100円であるがゆえに「違法」となってしまえば、全国に2300箇所以上ある福祉作業所のほとんどが存在し得ない。
読売新聞の記事によれば労働基準法の適用を除外される条件として
(1〉作業収入は必要経費を除き、障害者に全額工賃として支払う
〈2〉能力により工賃に差を設けない
〈3〉出欠や作業時間、作業量などは自由で、指導監督をしない――などを条件に、労働基準法の適用を除外される。
とある。
今回の指導が作業収入を工賃が適切に支払われていないことが主な事由であるならば指導があってしかるべきである。もともと福祉作業所の指導員については支援費によって支払われているため、作業によって得られた収益は正しく工賃として還元されなければならない。
しかし、能力により工賃に差を設けないことや、利用者に対して「指導監督」をすることによって最低賃金を適用されるならば、果たして福祉作業所で自立のための訓練はできるか疑問である。
作業所において生活全般に対する支援が行われていることや個々の利用者が作業所を利用しているメリットを度外視して、単に工賃だけで作業所の存在意義を論じてしまうと、結局、障害者が地域で生活する場がなくなってしまう危険性もある。
障害者自立支援法によって就労継続支援事業となったとしても、状況は変わらない。労働行政には障害者福祉施設における訓練や自立への意欲がそがれることがないよう労働行政と福祉行政の綿密な連携を望みたい。
知的障害者の居住系サービスが足りない
第1期の愛知県福祉計画が発表された。それにあわせ愛知県では障害者福祉に関して県民のパブリックコメントを求めている。
これからの障害福祉は地方自治体が主役。実際の障害者自立支援施策は愛知県が鍵を握るため、福祉計画をじっくりチェックすることが重要だ。
知的障害者のためのケアホーム・グループホーム設置計画を抜き出してみると次のようになる。
ケアホーム・グループホーム
手帳保持者 更生施設 平成18年 平成23年目標 増加
愛知県全体 36672人 2872人 1088人 2771人 1683人
名古屋市 11030人 478人 500人 1190人 712人
尾張東部 1777人 90人 52人 100人 48人
このように県レベルで数値目標が設定されたことは歓迎すべきことだ。ただ、障害者自立支援法における居住サービスは運営が苦しく、実際に目標を達成するには追加的な支援策も必要となる。愛知県の福祉計画では
1 改修費・初度備品費
2 敷金・礼金
3 費用の支援を検討する
を考えているようだがこれだけでは十分とはいえない。特にケアホーム運営費の支援や家賃補助についてはまだ具体的な対策は一切公表されていない。今後どういう政策が打たれていくのかに注目したい。
グループホームやケアホームの入居者にとって家賃負担は大きい。一方、入所施設を利用する場合には<家賃負担>という概念はない。この点で入所施設とケアホームは大きな利用格差となっており、障害者の地域生活移行を阻害する要因になっている。
入所施設とケアホームの家賃の不公平を解消するために、入所施設の自己負担を上げるというのは愚かしいことだ。入所施設は地域福祉全体をバックアップしている。入所施設を破壊することはひいては地域福祉システム全体を破壊することになりかねない。
3万6000人の知的障害者のうち、なんらかの居住サービスを利用している人は県全体で10%、名古屋は9%、尾張東部は8%となっている。実際には家族が知的障害者を支えていることになり、親なき後の不安は極めて大きいことが浮き彫りにされている。カナダのバンクーバーに訪問したとき、18歳を超えればほとんどの人が家族から離れて生活していると聞きいた。スウェーデンやデンマークはもちろんのこと、ドイツやUSAでもイギリスでも家族介護が90%という国はない。障害者自立支援法は自由な生活を謳歌できることを保障する法律であるべきだが、数値目標が達成されても諸外国との隔たりは依然として大きい。地域生活自立支援法は本来、家族介護支援法ではない。家族介護を前提とするのではなく福祉サービスで障害者の自由な生活を謳歌できる社会を実現すべきだ。
解決方法としてはケアホーム経営を魅力的にするしかない。例えば
1 地方自治体がケアホームの利用者に対し、家賃の支払いを助成する。
2 ケアホーム用アパートの設置者に対しては固定資産税を低く抑えたり、建築費の融資の返済に補助を行うなど家賃が低いレベルでもアパート経営が成立つような政策を打つ
3 公営住宅の利用を行い、低い家賃設定が可能な方法を導入する。
4 名古屋市の場合には知的障害者ケアホーム用アパートには容積率を緩和するなどの特例を設ける。
それぞれの自治体に合致した独自の支援策が求められている。名古屋市については公営住宅の活用を考えていると聞く。実際にどのような形でそれを行うのか期待したい。
障害がある人が多く集まる街は住みやすい街だ。これから高齢者も爆発的に増えていく。高齢者にも障害者にも魅力あるまちづくりに資するような障害者福祉政策が望まれる。
親亡き後
瀬戸からお母さん4名がグループホームの話を聞きたいとレジデンス日進においでになりました。いろいろ雑談をすすめていました。話を要約すると親亡き後、ひとりで生活してゆく姿を知りたいのが親心というもの。そのためには若いうちから親から離れた生活を体験して「親がいなくなったらこうやって暮らしてゆけばいいのだ」と親自身が納得することが必要。そうした場をどうやってつくったらいいのか・・というお気持ちと受け止めました。
今までも、同じ思いの人がいっぱいいて、施設や社会福祉法人に「入所施設に入れてください」、「グループホームをつくって下さい」とか「ケアホームをつくって」とお願いしていれば何とかできあがってきました。ところが最近の情勢は施設がなかなかできません。制度も予算も厳しくなり、少しずつ、地域で生活することが難しくなってきているような気がします。未来はけっしてばら色ではなく、自分たちがほしいと思う生活施設をつくるにはどうしたらよいかを真剣に考えないといけないと考えるようになってきたと思うのです。
養護学校を出て、理想の施設が満杯で、行き場がないと自分たちで小規模作業所をつくって頑張ってきたのと同じだなあと思いました。地域でがんばって生活してきた人たちですが、とうとう、親亡き後という現実が迫ってきて、終の棲家を探し始めたということです。どうするかという結論はでませんでしたが、「また来ます」といって帰ってゆかれました。
親亡き後といえば、今日、レジデンス日進のご利用者の方の親さんもなくなられました。みんなそんな年齢になりつつあります。
地域の中で本人がさりげなく暮らしてゆけるようになるために、ヘルパー制度ももっと充実してゆかねばなりませんね。いろいろ考えさせられることばかりです。
地域でさりげなく暮らしていくことにつながることを確信して
友人と一緒に春日井市で行われた「こころのバリアフリー市民のつどいin春日井」へ行ってきました。主催は社団法人愛知県社会福祉士会(尾張東ブロック)のみなさん。今回は、中部大学の学生さんを始めとして、地域のNPOのみなさんや大勢の市民の参加がありました。障害には身体障害、知的障害、精神障害がありますが、このつどいにはいろいろな障害がある人が集まり、障害者本人も自身の声でメッセージを発表されました。
寸劇を演じた中部大学の学生さんは、障害者問題をテーマにしたことは初めてのことだそうです。発表にあたって自分たちの知らない世界に触れ、最初はとまどいがあったとのこと。けれども障害がある人と交流し、いろいろな事を学ばれたといいます。ひとりひとりの感想のことばに新鮮さと一生懸命さがひびいてきて、思わず胸がジーンとなりました。
これからは、このようにすべての障害を持った人々を中心として一般の人々も参加して進めて行く行事が多くなってゆくのではないでしょうか。そうした活動が障害がある人が地域でさりげなく暮らしていくことにつながることを確信して、帰途につきました。親たちもちょっと考えを変えるべきです。時は音を立てて流れていきます。