冬まつり

1月26日、ボランティアを申し出てくださった方々が、5名の日進市民の方々がレジデンス日進の2階の地域交流室やその周辺や階段など丁寧にお掃除してくださいました。ほんの短い時間だったけど、てきぱきとこなされ部屋はとてもがすがしくなりました。

終了後、お部屋で雑談会をしました。みんなで「野の花会」と名づけ、毎月、第3金曜日を定例のお掃除会にすることになりました。とても明るい方々で、「屋上の草取りも楽しみだ」とか「大町の山の家に春になったら行こう」とか話題はきりがありません。

「こんな小さなことでも喜んでいただけるならとっても嬉しい。ありがとうございました。」
と、お礼をいったのは掃除をしてくださった側。お礼をいうのが反対です。それだけではなく天白ワークスのパンまで買って帰られました。

地域の人々がいろいろ出入りしていただき応援や感謝までされることは、私たちにとってはこれ以上の喜びはありません。来月2月17日(土)はレジデンス日進「冬まつり」。ミニバザーやこの地域の伝統の「野方ばやし」もありますのでぜひまたお出かけ下さい。

1月27日はレジデンス日進で遅ればせながら裕○さんの成人の祝いを行いました。今年成人を迎えた裕○さんに、あらかじめ「何が食べたい?」と聞いたら、「カツとから揚げ」とのこと。それならば、ということで、当日は職員手作りの「から揚げ成人式」が始まりました。

机やお鍋や道具を玄関横の中庭にならべ、ぼちぼち料理がはじまります。二階の窓から裕○さんのお父さんと眺めていたのですが、職員の動きの中にバカに包丁さばきの手馴れた人がいます。シェフのかっこうをしたもう一人の人と手順よく進めていきます。このふたり、れっきとした調理師免許を持った人で、前職はシェフだったのです。一方、炊事場のほうでは山田統括本部長がからあげと奮闘していました。

やがて、紺のスーツ姿の裕○さんがあらわれ、みんな拍手でむかえ、まっしろなレイを首にかけました。「おめでとう!!」とプレゼントの贈呈の後、カツやから揚げなどに挑戦。食べるわ、食べるわ。みんな「腹いっぱいで入らん」といいながら、このあとカレーやケーキもどんどん入ります。お父さんは写真をとったり、終始にこやかに眺めておられました。入所したころのお父さんの暗い顔(失礼!!)は消えていました。

2007年1月29日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

花・ジャングルジムの講習会

1月19日、幼児グループの研修会がレジデンス日進の地域交流室で行われました。(主催 花・ジャングルジム)

朝早く、東京を立って来られた手塚直樹先生と青山和子先生の講演で、幼児期、児童期、思春期の問題をとてもわかりやすく、明快にお話くださった後、ひとりひとりの現在抱えている問題をお聞き下さり、それに対してそれぞれのお答えをいただきました。

10時から3時まであっと思う間に時間が過ぎて、お昼で帰らなければならない人はとても名残惜しく、泣いて感謝の思いを述べられ、つられてみんながいっせいに泣き出してしまいました。自分たちが迷いに迷って子育てをし、せいいっぱいがんばっているのを少し手をさしのべてさあこうやって子育てをしてみましょうと教えられた気がしたと思うのです。

「人との出会いがおだやかだとその子はおだやかに育つ」
「座って待つことを教えましょう」

等等心に残ったこどばをかみ締めていました。手塚先生、青山先生ありがとうございました。


■青山和子先生のご紹介

□日本女子大学社会福祉学科を卒業、当時数少なかった知的障害のある人の入所施設、現在の「総合福祉センター弘済学園」に専門職員として従事し、おおむね40年にわたって、知的障害のある幼児、児童、成人の支援に親身になって行動されてきました。

□総合福祉センター弘済学園は、幼児から成人まで一貫した支援を行っていますが、特に知的障害のある幼児と母親が3ヶ月にわたって入園し、早期療育の基本などを具体的に学び・経験していく、日本で最初の「母子入園」の責任者として、多くの実績を残されています。また、思春期のご本人やご家族についての支援には、とても経験が深い方です。

□昨年4月に、総合福祉センター弘済学園長を退任され、東京の麹町にある弘済会館総合相談室の療育相談担当をはじめとして、知的障害のある人やご家族の相談・支援にあたっています。

□現場の第一線で直接支援にあたってこられた方ですが、この間いくつかの大学で講座をもたれ、また「知的障害時・者の生活と援助」(一橋出版)、「ちえおくれの子どもの日常生活指導(3部作)」(学習研究社)等、多くの著書があります。

(手塚直樹)

■手塚直樹の自己紹介

□知的障害のある人をはじめとして、心身に障害のある人の職業や社会参加の分野で活動してきました。この間、わが国最初の知的障害者のモデル企業で多くの知的障害のある人と共に働いた経験をもっています。
また、鉄道弘済会本部社会福祉部で総合福祉センター弘済学園を担当したことなどが、私の知的障害のある人の支援の原点になっています。こうした関係から、青山和子先生とは40年来のお付き合いを願っています。

□その後大学の教員として、主に社会福祉専攻の学生の教育にあたってきました。現在は、新潟医療福祉大学の名誉教授です。
□現在、東京都町田市にある「社会福祉法人白峰福祉会」の理事長を努めています。知的障害者通所授産施設、通所更生施設、グループホーム、居宅介護事業等を運営しています。通所施設のご利用者は、重複障害や自閉症の人がとても多く、障害者程度区分では、区分6および5の人が3分の2以上を占めているという施設です。日々、ご利用者やご家族とのかかわりの中で、本当に多くのことを学び経験しています。

2007年1月23日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

実践的なA型就労継続支援事業所のモデル

前回、このコーナーで企業が障害者を雇用した場合に、A型就労継続支援費を恒久的に企業に支払うことができれば就労は劇的に進むことを述べました。実は、今からでもこうしたことを実質的に行うことは可能です。

その方法は
(1)企業と提携した社会福祉法人やNPOが障害者の就労支援を目的とした事業所(以下事業所)をつくる。
(2)企業は事業の技術や知識を有する社員を事業所に出向もしくは人材派遣の形で派遣し、雇用した障害がある人の支援員とする。
(3)建物や機械は企業からレンタルを受け、事業所は、支援員の人材派遣費と設備のレンタル料を企業に支払う。
(4)提携した社会福祉法人やNPOは就労継続支援事業の管理者資格がある人をこの事業所に配置する。
(5)企業にとって必要な作業を下請けの形で事業所に継続的に提供し、請負料を事業所に支払う。
(6)事業所の管理者は支援費を自治体に請求する
というものです。

事業所は企業から受けた委託費の中から利用者に工賃を支払います。工賃の金額はおおむね35000円~70000円(月額)の間となるでしょう。

管理者は障害者福祉に関する専門的な知識を生かし、本人のニーズや障害の状況に応じ、本人に必要な訓練を行います。

こうしてみると、実質的に、企業内に支援費の支給を受けることができる障害者の多数雇用事業所を設立することと同じです。

ただ、こうした仕組みを悪用して不適切な事業所ができないとも限りません。そこで、企業が設立支援した事業所が障害者自立支援法に照らし合わせて適切なものであるかどうかを常に把握できるようにすることが必要です。また、事業所をアセスメントし、職場の改善作業ができるよう、企業と社会福祉法人の連携を深めることも必要になるかもしれません。そうしたシステム全体の管理を期待されているのが各福祉圏域に配置された障害者地域生活支援センターです。

現在は障害者自立支援法の問題点が明らかになった段階です。特に事業者は「激変緩和」に関心が向かっています。しかし自立支援法の本質は現在の授産施設のあり方を根本から変える法律です。障害者の自立が促進され、障害がある人がそうした事業所を選択するならばなんら問題はありません。しかし、現在の施設が解体され、障害がある人が路頭に迷うことがないようにしなければなりません。

そうならないために企業との提携を視野に入れた多様なモデルをつくっていくことが必要でしょう。障害者の就労にも地域社会の企業の発展にも社会福祉法人の発展にも結びつく新しい連携モデルづくりが求められます。

障害者雇用対策

今後の日中生活のあり方は就職ニーズが低い人から高い人まで多数の選択ができるようになります。

1 生活介護
2 就労継続支援(B型)
3 就労継続支援(A型)
4 就労移行支援
5 一般企業の就労

これまで、障害がある場合の学校卒業後の進路は、通所施設での福祉的就労か企業への就職かという選択だった。施設サービスを利用することには安定感があり生活の保障もあるため、就職をせず、施設を選択する人が多くなってしまいました。施設を利用した生活では
1 障害基礎年金が支給されるため、ある程度の生活保障がされる。
2 支援費制度により、ある程度の地域生活が保障される
3 (額は平均15000円と少ないが)工賃も支給される。
など、それなりに安心がもたらされます。一方、障害者側から見れば、企業での就労は危険がいっぱいです。

今回、障害者自立支援法で自己負担が発生するようになりました。自己負担を増やせば企業への就労が増えるかといえばそうはなりません。ただ単に、障害者の生活が苦しくなっただけです。企業への就労が促進される対策が急がれます。

企業への就労を増やすには、支援付き雇用を増やすことが肝心です。そのためには、障害者を雇用する企業側にも障害者雇用をすれば利がもたらされるような政策が必要でしょう。現在の障害者雇用対策は、障害者を雇用しなければ罰金を払う(大企業のみ)というネガティブなものであまりぱっとしません。多くの企業が罰金を払って障害者を雇用していないのです。

この問題を解決すべく、いろいろと法制度が検討されています。例えば、
(1)障害者雇用を目的とする子会社に企業が投資をする場合に、投資した資本金を損金に繰り入れることができるようにすること
(2)複数の企業が共同出資して障害者雇用を目的とする子会社を設立することができるようにすること
などです。子会社ですから、障害者雇用率に含めてカウントすることができます。

しかし、これだけでは障害者雇用率によってペナルティを与えられている大企業に限られます。障害者が一般企業へ就労することを促進するためにはもっと踏み込んだ対策が必要でしょう。例えば障害者を雇用した場合、A型就労継続支援の支援費単価に相当する雇用促進費を<恒久的に>企業に支払うのです。障害者の自己負担金はもちろん必要ありません。

そうなると、授産施設は大打撃となります。では、私たち社会福祉法人の人間はこうした対策に断固反対すべきかというとそうではありません。社会福祉法人も企業と連携して、そうした子会社を共同でつくったり、自らが起業して別会社をつくり、雇用の場を拡大すればよいのです。逆に、就労できない人に対する介護単価はもっと充実したものにできるようになります。

そうなれば社会福祉法人の使命は
1 障害者のケアマネジメント
2 重度の人に対するサービス
3 企業の障害者就労環境のコーディネート
4 障害者就労継続支援の管理業務委託
4 居住サービス
といったところに落ち着いていくでしょう。社会福祉法人はこうした政策が現実のものになるかもしれない5年後にむけて、対策を立てていかなければなりません。

温故知新

「温故知新」ということばがあります。これは「孔子」が論語として弟子たちと交わした問答や行動を記録したものの中に記載さされているものです。「温故知新」の意味は先人の人たちが受けてきた困難について知ることや、それを乗り越えてきた方法について知ること。それによって今の問題の解決や進むべき道が開かれるのではないかということです。

育成会の発足当時から携っている私は、そのいろいろな歴史の中から今日の福祉が築かれてきたと思っています。

養護学校がこれから変わろうとしています。そのとき、養護学校がなぜできたのかを知ることで変わるべき方向がはっきりするということがあります。授産施設が自立支援法で変わります。授産施設がどういうきっかけで、どんな必要性があってできたのかを知ることは、どうかわるべきかを見誤らないために大切なことだと思います。古いことを温めつつ、新しいことを考えましょう。

このところメイトウ・ワークス、レジデンズ日進、天白ワークスと新年会に連日呼んでいただいています。温故知新とはちょっと話がずれますが、今の名東福祉会の家族会は親子ほどの年代の差があります。お母様方どうしの会話になりますと、旧き時代を伝える年長のお母様方の苦労話、新風のような感覚が感じられる若い親さんの話、お互いがそれぞれの話に関心をもって聞き入ります。

私は傍で聞いていると、昔話はみんな懐かしく、そのころあちこち飛び回ったことが鮮やかに思い出されます。若いお母さんたちはショートステイを利用し、就労を考え、子どもを束縛せず、自分自身もたくましく生活をエンジョイされていることに感心します。

思えば、何も制度は整備されていなかったけれども、みなさんに助けていただき、苦労を楽しめた若い日を思い起こします。歴史の中でみんながそれぞれつながっているんだということを思い、温故知新を地で行くわが家族会のありようを見て、嬉しさを改めたしだいでした。

それにしても明るい家族会です。新年会では俳句の会や絵の会や旅行の会を再びやろう!!といわれました。自立支援法の苦難はどこへいったの? でもまあ、やっぱり明るく楽しくやるのが一番。嬉しかったです。さそってくれて。老人もいっしょに頑張りましょう。

2007年1月18日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

福祉ビッグバンに備えて

2003年の6月に中村秀一氏の私的諮問機関である高齢者問題研究会の報告「2015年の高齢者福祉」の構想が発表されてから、これまで実に多くの改革が高齢者福祉の世界で進んできました。2015年は団塊の世代がすべて高齢者となる年です。

改革の内容を具体的に見ると、
1 小規模・多機能サービス拠点が増え在宅から利用する人を増やす。
2 高齢者施設は有料老人ホームか適合高齢者専用賃貸住宅などの特定施設に切り替わえる。
3 住居費・食費を利用者負担とし、個室化をはかり施設と居住との差をなくす。
4 医師の報酬は医療保険でまかない、医療サービスを外付け化する。
5 低所得者には利用料の配慮を行う。
ということになっています。より医療が必要な人は医療保険が適応される施設へ、医療ニーズが低い人は新しい形式の「住まい」に整理していくとされています。

こうした流れを受けて、建築会社や不動産開発会社は医療とドッキングした高齢者住宅をどんどん供給するようになるでしょう。またすでに医療法人の福祉への参入が解禁されたり、療養型病床の廃止が決まるなど、2015年に向けていろいろな制度が打ち出されています。実際に、住友林業や豊田通商などがそうした新しい高齢者の「住まい」を発表しています。また、コンビニや宅配便会社やセキュリティー会社がなんらかの形で弁当の宅配、安否確認、家事支援事業に参入すると思われます。そうした巨大なマーケットに向けて企業は動いているのです。

医療現場の改革もたいへんです。診療報酬が見直され、介護予防にシフトしていくでしょう。有償診療所・訪問介護・介護事業所・住宅型有料ホームなど、在宅福祉のための各種サービスの連携が進みます。ショッピングモールのように医療や介護や「住まい」が集積した施設が町の中に増えていくと思われます。

こうした高齢者福祉の世界の中に障害者福祉は介護保険で統合されるのです。昨年度導入された1割負担、食事負担もこの流れのなかにあります。もちろん新しい「住まい」は障害者も利用できます。身体障害者の人の中にはこうした「住まい」で暮らしてそのまま「在宅勤務」したり、町の障害者就労継続支援事業所へ通所する人がでてきてもおかしくありません。そうしたニーズの変化に合わせて、社会福祉法人に限らず、一般企業も就労継続支援に参入するかもしれません。障害者にとって、選択肢が増えるわけですからそれはそれで歓迎すべきことです。しかしその一方で既存の社会福祉法人は倒産するかもしれないのです。刻一刻とそうしたビッグバンに向けて世の中は動いているのです。

新しい時代に障害者福祉サービスを提供する法人が確固とした役割を担うために、私たちはどうしたらいいのかが問題です。入所型の障害者福祉施設はこれからますます重度者への対応が求められます。既存の通所の施設の多くは最終的には生活介護施設へとシフトしくことになるでしょう。重度者や自閉の人に対して良質なサービスが提供できる施設として生き残ることになると思います。その一方で障害者が能力に応じて働くことができる魅力ある職場を町の中に提供していくことも必要です。先ごろ軽減措置はうちだされましたが、厳しい状況にはかわりありません。

明けましておめでとうございます

国際社会が1981年に障害がある人の「完全参加と平等」に向けて努力することを宣言してから今年で27年目となります。長い時間が経過しましたが、障害がある人たちが社会に完全参加し、平等な権利を有しているとはいまだに言えません。

確かに、わたしたちの世代で「完全参加と平等」を成し遂げるのは容易ではありません。しかし、私たちが完全参加と平等は決して大きすぎる目標ではないと思います。その実体を突き詰めれば日々の生活のありようの問題にすぎないからです。

障害がある人が地域の人々との交流を少しでも増やすことができるようにするには?
障害がある人が地域の人々の役に立つ仕事を確保するには?
障害がある人が自分の住まいとして胸をはることができる生活空間をつくるには?

やりたい仕事を楽しみ、余暇を楽しみ、生活そのものを楽しむことができる-それが参加と平等の具体的な姿なのだと思います。

私たち施設職員は施設職員と利用者の関係ですから、利用者と共同生活を行っていますが、まったく同じように生活を楽しむことはできません。利用者と同じように生活を楽しむのが私たちの使命なのではなく、<利用者の楽しみの実現>を職業としています。利用者が生活を楽しんでいることを私たちの楽しみとするわけです。それが偕に(ともに)楽しみ、偕に生きるということの本質なのだと思います。

2007年は団塊の世代が大量に定年を迎える年となります。これは社会の中に自分がほんとうにやりたかった生き方を求める人が増え、働き方が変わり、ひいては福祉業界にも新しい労働力が供給されることを意味します。私はこうした団塊世代の人にとって、<やりたかったことができる魅力ある職場>として名東福祉会が注目されることを期待しています。そのためにも名東福祉会に多くの有益な経験や知識やキャリアが結集することができるよう、組織のあり方も含めて改革を続けていかなければと考えています。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞ名東福祉会をご支援くださいますようお願い申し上げます。

昨年は障害者自立支援法にあけくれ、振り回された感があります。できるだけチャンスをとらえ、要望や陳情を繰り返し、具体的に訴え続けて参りました。12月に入ってやや修正への動きが見えてきたところですが、まだまだ気は抜けません。

新しい事業を起こすにあたっても、様々な壁があり、一つ一つ具体的に切り開いてゆかねばなりません。

発想を変えて、私たちは障害を持った人たちのそれぞれの障害に応じたよりよい暮らしができるように頑張りたいと思います。

年寄りはおとなしくしていたら・・・などとはいわないでください。心の中は燃えています。

2007年1月4日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝