12月20日は日進市の福祉基本計画について検討する絵画行われました。
自立支援法が発表されて以来、私たちはたいへんとまどいましたが、なんとか危機を乗り越えた現在です。
多くの人の努力によって緩和策が続行されている中で、日進市の福祉第二次計画は見直しや新設を含めていろいろと要望したいことが多数ありました。
意見を書いて提出しておきましたが、市の担当者が分類して懇切丁寧に説明をしてくださいましたのでそれ以上私が発言することもなく終わりました。
障害のある人たちが地域の中で楽しく生活をしていけることこそ私の願いです。
以下の項目は私の思いを込めたものです。
○早期療育の支援体制、行動療育の確立を図ること
○学校教育における個を尊重した適切な教育支援体制をつくること
○支援つき自立生活を実現するため、介護給付・訓練等給付及び地域生活支援事業(ケアホーム等)の整備を行うこと
○障害程度認定審査会において、障害の特性に応じた審議がなされること
○地域住民への理解を深めるための、あらゆる活動を展開すること
2007年のアーカイブ
去る12月7日、愛知県知的障害者福祉協会では平成19年度永年勤続職員顕彰が豊橋市のホテルで行われました。
県下の200施設から約330人が参加し、最近の障害者自立支援法下の数々の問題について8分科会に分かれて意見交換と情報交換を2日間にわたって話し合われました。
昨年も、施設利用者の保護者がたくさん参加されましたが、今年は昨年にもまして多くの保護者が参加され
「施設と保護者の連携」
というテーマの分科会ほか、シンポジウムの中でも「ともに行き、共に学ぶ」ということで3人の親さんがシンポジストに登壇されました。
有意義な大会の中で、大森授産所の施設長、酒井光男さんと不肖私との2名に功労賞、10年以上勤務された65名の職員に感謝状が贈られました。
以上の記事が新聞に載りましたがので、その後、何人かの方からお祝いの電話やお言葉をいただきました。中に、とても感動したおはがきがありましたので紹介させていただきます。
※
中日新聞の朝刊21頁で知りました。功労賞おめでとうございます。
お元気なお姿も写真で見ました。
昭和45年には娘明美(昭和50年3月16日死亡)のことで大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
助けていただいて感謝をしています。
このはがきを手にした私は、思わずジーンときてしまいました。40年以上も前に短期里親として数日お子さんを預かっただけのことです。
ほんの些細なことでも、必要なときに必要な援助をすることの大切さ、仕事冥利につきます。
こちらこそ、覚えていていただいてありがとうございます。
私が親の会の中で事務局長としてさまざまな活動をしているとき、特殊学級のある先生から
「加藤さんは恵まれた家庭の問題しかやっていない。もっと底辺の家庭のあることを知らない」
と批判されたことがあります。
後日、詳しく聞きたく思い、その先生を訪ね、お教えいただきました。
・・・・
知的障害の人どうしが結婚し、子どもが生まれた。育てることを知らない親は子どもが学齢期が来てもほったらかし。民生委員のお世話で学校に行けるようになってもまともには子どもを育てることができません。
それでも子どもはなんとか育っていきます。その後もここではかけない問題が次々起こっていることを先生はこれでもかこれでもかというぐらい私に言いました。それまでそういう家庭を本当に私は知りませんでした。
親の会活動は、親が集まって活動しています。そこのころの親の会活動は全国組織がようやくでき、名古屋の親の会も社会福祉法人化に向けて強く進みだしたばかりでした。
やはり、集まってくる親も、問題意識が高かったのかもしれません。地域の中で目を凝らしてみてみると、福祉に関心がもてない障害がある人たちがたくさんいることがわかります。
日本の福祉制度は申請主義といって、助けてほしいといわない限りなかなか福祉制度を利用することができません。行政の仕事といっても、そんなに人手があるわけではなく地域でいろいろな問題を起こしながら生活している知的障害がある人やその家族までなかなか手がまわるわけではありません。
民生委員がそうした人たちを支えるのですがやはりハンディがある人を支えるしくみがなければ、問題を通報するところでとどまってしまいます。
30年以上経過して、いろいろと福祉制度ができ、障害がある人も就職を支援する時代になったのですが、親の存在や考え方は子どもの幸せを根本的に左右してしまいます。
毎日のまわりの人たちの接し方で子どもたちは変わってしまいます。
福祉制度がどんなに充実しても、ほんとうに大切なのは家庭のあり方、一日一日の暮らし方です。福祉制度はそれを補うことはできますが、主役にはなりえません。
ご近所の人たちが小さなことから良いこと、いけないことをしみこむように教えていくことがなにより大切です。落語の世界のように。
今の世の中は50年前から比べると立派な家ばかりになりましたが、塀は高く、顔が見えず、車に乗ったまま出入りするばかりで、内向きに庭があってまわりの事に関心を持ちにくいような形に変わってしまいました。
全日本育成会の中央情勢報告によれば、親の会の活動目標として第一に子育て支援、第二に家庭支援をあげています。
児童デイサービスの不足を解消することと、障害のある子の放課後支援等、障害のある子ひとりひとりに合わせた特別支援教育を国に求めています。
この主張は、親の会活動が発足した当時、私たちが確認しあった目標です。50年前からこの問題はまだ解決していないことになります。
いっそ原点にもどり、心のこもった特別支援教育ができるようになるため、全国の親たちと再び手をつなぎたいと思っています。
知的障害はまわりの人たちになんらかの形で支援を必要とします。
給料が人なみに稼げるようになっても、一人で生活することができるようになってもなんらかの支援が必要です。
特に本人が生活している場所で朝起きてから寝るまで
本人が出会う人が本人のことを理解していただけるかどうかで、
本人の幸せは左右されます。
願わくばひとりでも多くの支援者をつくり、本人のことを理解してくださる人をいかに増やしていくか・・・
これが親の仕事のうち、もっとも大切な仕事、役割だと思います。
自分の子どものことはかわいい。
ましてや障害がある子どものこと。心配で、いてもたってもいられません。
施設の中ではどうしても自分の子どものことを優先してほしくなります。
でも、目先のことで自分の子どもさえよければと思っていると、どんどんまわりの支援者が少なくなります。
知的障害があることは、本人にとっても、親にとっても決して不幸せなことではありません。
私の長男は、結婚1年以上たって、ようやくできた子でした。
みんな大変喜んでくださいました。
すくすくと育ち、満3歳のときには「健康優良児」として区で表彰され、賞状と大きな汽車のおもちゃをいただきました。
それから1ヶ月もたたないうちに、高熱が出ました。
今のように解熱剤も冷蔵庫も氷もない世の中。
家が忙しかったのとお医者様の休みも重なったのとで手遅れになり、左半身マヒとなってしまいました。
声をかけてもほとんど反応もなく、うつろな焦点も定まらぬ目をしていて、
よだれをたらし、言葉がなくなりました。
でも、私たち親子はたいへん多くの専門家の先生や、たくさんの障害児の親と出会い、
一緒に親の会運動や勉強をし、たくさんの一般の人たちとも交流し、応援もいただきました。
多くの人たちの励ましに、全身が震え、涙があふれるような体験もしました。
そうしてみると、障害がある子どもであったがゆえに、私は幸せな人生を送ることができたと思います。
支える人も、支えられる人も、応援していただく人に感謝していろいろ役に立つようがんばることも、
ともに幸せなのが障害者福祉です。
障害がある子どもの親として57年。私はともに生かされている幸せを多くの人に体験していただきたいと思います。
消費税増税論議が出てきました。つい最近まで封印されていたのに、大連立構想が納まったとたん再び論議され始めました。
財政立て直しのために消費税を上げることはよくありません。高齢者医療費負担増の凍結など、もっと議論すべきであるのにあっさりと通過しそうな気配です。
尊厳をもって迎えるべき死。それに対して終末医療を食い物にするかのような医療現場。まだまだメスを入れるべき分野が残されています。
障害者福祉に掛ける予算はもともと多くありません。介護保険との統合が難しくなった今、財源は消費税しかないことはわかっています。でも、安易な増税と支援費財源の確保はかえって障害者福祉をだめにします。
日本が高福祉・高負担の福祉国家となることは無理だと思います。日本は1億3千万人のアジア的家族主義国家。大半の資産を高齢者が保有しています。スウェーデン(900万人)やフィンランド(500万人)は国全体で愛知県(700万人)と同じぐらいの人口しかいません。根本的に日本の経済とは状況が異なります。日本が北欧の国と同じように高福祉・高負担の国家に変わることは難しいと思われます。
やはり成長力を底上げしていく施策が必要でしょう。中途半端な増税によって経済が停滞し、税源が不足するという悪循環が続くことがいけません。成長力が落ち込んだままだと、障害者雇用は夢のまた夢。障害者自立支援法によって施設で生活することもだめ、企業に就職することももだめでは障害がある人はどこで生活すればよいのかということになります。障害者福祉の質は成長力が確保されてこそ安定します。あいまいな増税論は障害者福祉にとって毒針ではないかと思います。
東京のある会の例会に出席してきました。この会は不思議なほどに全国各地からいろいろな立場の人が集まります。
大学教授、法人の理事長、施設長、職員、もと東京都の課長、育成会の理事長、会員、障害者団体の役員、ボランティア、詩人、医師、会社社長、地方議員・・・
なんと様々な人たちが会員となっています。
それぞれ近況を手短に話をすることから始まるのですが、それがまたとても勉強になります。あるお母さんが
「うちの娘が通っている作業所は今下請け作業がいっぱい来て、5時過ぎまで残業してくるのでクタクタで帰宅します。施設としては断ると今後下請け作業がもらえなくなるので職員も利用者も毎日残業でかわいそうですよ」と報告があると、みんなそれぞれ意見をいいます。
「神戸の作業所のように労働基準法にふれないか」とか、
「工賃はどうなのか」と質問が集中します。
また、医師の立場の人の順番になると、現況の医療事情を詳しく説明。医者も大変なんですと述懐されます。
それぞれ違った立場で、福祉や医療や本人の就労問題が語られとても勉強になります。
ですから何はさておき、この会に出席したいと思うのですが、そろそろ体力がもたなくなりました。
前日は友人宅に泊めていただき、おおしゃべりしてストレスの解消はできましたが、赤池の階段、名古屋駅のコンコース等、歩かなくてはらならいところが多く、辛かったです。
東京では駅のホームまで迎えていただき、地下駐車場から友人の車でハイウェイを走りました。
帰りはタクシーですっかり楽をしましたが、幾たびに体力の落ちていくのが自覚できて、数年後の自分を思うと先の暗さにしばらく落ち込んでいました。
けれども2~3日もすると、名古屋の友人たちに支えられて、またあれもこれもやらなくちゃあ! これも進めなくちゃあ!!
と「気」だけが一人歩きしています。
生活介護施設として利用者から最も期待されるニーズはセルフケアスキルの向上ではないでしょうか。
障害が重い人にとって身辺処理技能(セルフケアスキル)を学習することは重要です。理由は明白。セルフケアスキルを獲得することは
1 本人の健康の維持のために必須
2 スキルを獲得すれば親・支援者の全体的なケアを軽減することにつながる
3 社会の他者からの受入が改善し、社会的への参加機会が増加する
スキルを獲得するのは支援員のためとか、親のためで、本人のためにやっているわけではないというような不毛な議論はするつもりはありません。
もっとも、障害が重い人にとってはセルフケアを獲得することは難しさを伴います。
1 手先などをうまく動かすことができない
2 社会やまわりへの関心が低いこと
3 訓練機会が少ないこと
4 本人の認知能力の低さ
5 上記の要因の組み合わせ
などなど。「言うは易し、行うは難し」が重度の知的障害者のセルフケアスキルです。
口をすっぱくして教えても、罰をあたて教えてもセルフケア技能は獲得できません。やはり緻密なABA技術を用いて訓練していくしかありません。
1960年代。日本の施設の草分けの時代。そのころの施設は親は面会謝絶。こっそりと施設の中を覗いた名東福祉会の会長は豚小屋と同じように利用者の糞尿が居室に垂れ流されていたのを発見し、長男(筆者の兄)が利用している施設から引き取ったとのこと。当時の施設ではトイレットトレーニングはまったくされていませんでした。
アメリカではそのころからようやくトイレットトレーニングが始まったとのこと。1970年代ではめざましい技術的な進展を見ています。現在では発達障害児のトイレットトレーニングはかなり幼少のころから行われるようになりました。その成果により、排泄が自立していない知的障害者は少なくなったものの、依然として訓練を行わなかったり、訓練機会が提供されていない知的障害者も多数いるのが現状です。
今後、障害者自立支援法によって日中活動と夜間ケアを分離が進んでくるため、入所施設の主な機能はパーソナルケアスキルの獲得が課題になるでしょう。ところが、入所施設の夜間ケアは単価が極端に低く設定されているため、これらの学習を進めることが事実上不可能というシビアな問題があります。これについては他の場面で論じましょう。
パーソナルケアといってもいろいろ。食べること、料理すること、排泄すること、風呂に入ること、着替えること、歯を磨くこと、衣服の着脱、ベッドメイキング・・・
女性の場合には生理の手当、男性の場合には性欲の処理など公表することを躊躇する技術も多々あります。それらの生活時間帯すべてにわたって、適切な行動の学習とともに、不適切な行動の軽減が課題となります。
重度の知的障害者のパーソナルケアのスキルの獲得は応用行動分析以外の方法では成果が上がっていません。入所施設はこうした技術を導入することが今後必須となると思われます。愛知県の場合、この技術の普及がたいへん遅れており、改善することが必要ということを愛知県知的障害者福祉協会長の安形さんともよく議論しています。名東福祉会にはこの分野で日本の第一人者の久野能弘先生が「たけのこのいえ」で実践活動をされています。愛知県の福祉施設に行動療法技術が普及していくことを期待します。
パーソナルケアスキルの汎化(訓練場面だけではなく、日常生活場面で使えるようになること)は難しいが重要な課題です。重度の障害者の場合、家庭や施設でできても、他の場所でできないという場合が多い。専門家と連携し、その人が生活する場所ごとにそれなりの支援が必要となります。
この問題に対してはTEACCHが地域全体を巻き込んで「構造化」していく戦略を定着させています。障害者に環境側があわせていくという考え方も定着してきました。一般にどんどん消えてしまう音声言語情報の処理よりも視覚情報の処理の方が容易なために、視覚的な手がかりを普及させていくことも環境側の努力で獲得したセルフケアスキルを発揮できる場面も増えることにつながります。そうした環境側の努力と合わせて、やはり一般の生活場面で使いこなすことができるようにパーソナルケアスキルが獲得できるように施設で訓練することが重要です。
生活介護は古くて新しいテーマ。このテーマに真剣に取り組み、成果を上げていくことが今日的な課題です。
私は若い時、長男が高熱を出し、障害児となってほんとうにうろたえ、生きる望みさえ失いました。その後、やはりこの子のために生きなければならないと、自らいろいろ伝手を求めて一生懸命勉強しました。
たくさんの有名な先生やボランティアさん、施設の職員さんともお会いできましたし、たくさんの障害児者の親さんともめぐりあいました。
その中でも育成会の運動は私を育て、支えてくれました。私は育成会があったからこそ、今日あると思っています。全国、北海道から沖縄まで各県各都市の育成会とも交流を持ちました。
講演をさせていただいたことも数多くあります。一般の市民団体、教育関係の団体のみなさまと何度もお話をしたことそのひとつひとつが今でも心に残っています。
NHKやCBC、東海テレビでも出演を何度もさせていただきました。拙著の「花影の譜」は全国放送でラジオ番組の「朝のひととき」の時間で流していただいた時には、全国から沢山の励ましのお手紙を頂きました。
今、80才になるという私を見て、きっと若いときの私は想像もつかないことでしょうが、こんな私でも、若いときはひたすら我が子を含めて障害児たちみんなが「生きて、教育を受けて働けるように願い、一生懸命動いたものです。お会いして話をするだけでお互いが救われ、生きていく力がわいてくる・・・。親の会運動はほんとうに不思議であり、大切なものです。
最近では問題があるとはいえ、何もなかった時に比べればいろいろと法整備が進みました。そうした社会の雰囲気の中で与えられる事になれて、親の関心がややもすれば薄れているような気がして気をもんでしまうこともあります。親の会運動がなくても大丈夫ということはありません。そうした雰囲気に思わず、若い人たちを叱咤激励することもありました。
ところが、日進市の障害児を持つお母さんたちの集い「ジャングルジム」の動きをインターネットで読み驚きました。
何でも次々と実行してきます。子どもをかかえながらパパにも協力してもらい、情報通信のいろいろな手だても活用してどんどん人の輪を広げていく。私は感動しました。
まさに老婆心。彼女たちは自らわき上がるような思いで、なんでもやりこなしているのです。若いエネルギーはすばらしい。何も恐れずどんどんやって下さい。
がんばれ ジャングルジム!!
今後、有料老人ホームは多様化に向かいます。シニアリビング・マーケットは各方面から熱い視線を浴びている将来有望なビジネスです。今の高齢者福祉ビジネスはまさに不動産業の様相を呈しています。
スウェーデンの身体障害者施設に見学に行ったとき、ほとんどの人が高齢者で拍子抜けした覚えがあります。身体的なハンディは高齢になればほとんどの人が負います。だから身体障害者施設なのです。
プールあり、リラクゼーションルームあり、食堂あり。日本のスパのようなものです。日本の多くのシニアリビングマーケットも快適な個室とリハビリ施設を併設するような方向に進んでいくでしょう。
一方、社会福祉法人立の老人ホームは重度の認知症や介護度が高い人たちを受け入れることにならざるを得ないでしょう。そういう方向に介護報酬体系も設計されることと思います。
社会福祉法人の存続意義も問い直され、介護度の高い利用者の受入が進んでいくということです。
知的障害がある人のアシステッド・リビング(介護付き生活)はまったく取り残されたままです。
ただ、その気があれば高齢者施設を利用できるようになるし、高齢者施設側からしてもよいお客様になる可能性があります。利用者によっては高齢者施設の方があっている人もでてくるかもしれません。
夜間は高齢者施設を利用し、日中は障害者施設を利用するなどのパターンもあり得ます。ですが、複数の法人間を行き来する利用方法はコストがかかり、自己負担も増えるため、夜間ケアを利用する法人に
すべてをゆだねることになると思われます。
しかし、他害や自傷行動がある知的障害者を受け入れ、そうした行動が出ないような質の高いケアが行える高齢者施設がここ10年の間に多数育つことは難しいでしょう。
逆に言えば、現在の知的障害者施設は重篤な問題行動に取り組むことができる技術と、低ランニングコストで質の高いケア環境を整備することが生き残りのカギとなります。
緩和措置と混迷した政治状況に安心している施設は、早晩、倒産の危機と隣り合わせになると思います。
久しぶりに愛知県セルプセンターの理事会ならびに総会に出席させていただきました。
今後の雇用支援センターのあり方、愛知県工賃倍増計画、福祉の店が話題となりました。
私もたいへん興味を持って聞かせていただきました。
障害者の雇用と工賃倍増計画を打ち出し、県の特別予算までつけて共同研究と受注拡大を図って行こうとしていることを知り、なんだか嬉しくなりました。
私も小さなことでもやらなくちゃあ!!と思って、密かに考えていたところでもあり、我が意を得たりというところです。
メイトウ・ワークスもプロジェクトに入っていますが、他の施設もいろいろなことを考えています。
変わったところでは墓守プロジェクトとか清掃業務共同プロジェクトとか・・・。
これからもいろいろと出てくると思います。もののありふれた時代の中で、魅力ある商品やサービスをどうやって産み出せばいいのか難しいところですが、がんばりましょう。
最近の介護ロボットの進展はすごい。ロボット技術は日本は先進国。これからこの分野のロボットはどんどん開発が進んでくるに違いない。
クオリティの高い介護を行うためにはホームの空間の設計やロボット技術が重要だ。そうした技術を利用すると、介護の負担は減り、結局介護コストが減ることになる。利用者も生活空間が広がり生活の質も上がる。
到着型のロボットの進化は目を見張るものがある。
人間が発する微弱な電流を感知して、適切に筋肉運動を補佐することができる。
47年間歩いた経験がなかった人が装着型ロボットによって自然に歩けた。
女性がモビルスーツを装着して楽々と高齢者を持ち上げることができるようになる。
介護方法を根本から変えるようなロボットが開発されている。身体障害の克服や訓練のためにロボット技術が貢献できる分野は計り知れない。
すでにこれらの介護ロボットを導入している病院もある。
ホームセキュリティ関連のロボットも介護現場で応用が可能になるだろう。
夜間にグループホームを巡回するロボットがホーム内の異変を知らせる。
写真を撮り、警察にも自動送信するから巡回ロボットがいればどろぼうは退散する。
火災が起こっても初期消火に役立つ。
ロボットの体内には消化器が組み込まれたロボットは火災をみつけると自ら火に飛び込んで消火する。
こうしたホームロボットが障害者福祉分野に導入される日は近い。
みのりの秋になりました。
上の山児童行動療育センターの前に、大きな柿の木が二本あり、たわわに柿の実が実っています。
この夏は私も畑になす、きゅうり、ミニトマトをつくり、十分夏野菜を楽しむことができました。
みなさんにもらっていただいたりして、この物の十分な時代にも食べ物を自分で作ると言うことは貴重なことだと思いました。
私の女学生時代は戦中華やかなりし頃で、英語等の授業は廃止され、軍需工場の部品作業に切り替えられていました。
それでも女学校には「おかっぽう」の時間が周1回だけ残されていました。
食糧事情がひっっぱくしていることもあり、食材はなす、トマト、きゅうり、じゃがいも、タマネギなど畑の野菜ばかり。砂糖も不足していて調味料は塩とカレー粉ぐらい。たんぱく源がほとんどない粗末な調理実習が続きました。
それでも、弟や妹たちがそのおかっぽう実習材を持って私が帰るのを楽しみにしてくれ
「おいしい、おいしい」
と見る間に食べてしまい、とても喜んでくれるのがどんなに嬉しかったでしょう。
クラスのみんはは
「そのくらい、ここで食べてしまえば。苦労して持って帰らなくともよいのに」
と不思議がりましたが、私は、私のお料理を首を長くして待っていてくれる弟や妹たちを思い、阪急電車にゆられながら帰宅しました。
児童療育センターの評判も良く、畑は今や秋ものの野菜が目立ちはじめています。空地にしてケアホームが建つのを今か今かと待っている場所もあり、ほんとうに上の山はいいところです。
今は毎日大変なことが続く障害福祉の仕事ですが、喜んで待っていてくれる人がいるこの仕事に就けたことは私にとってこのうえない幸せです。
それにしても国や地方行政のやっていることには無駄が多く、最近の政治情勢はただでさえ悪化している財政をさらに悪化させています。無駄ならまだしも社会保障に絡む不正や防衛に絡む巨悪も次々に明るみに出てきます。
今政治はこれまでの歳出削減の無駄をなくす努力は不要であったかのような「小春日和」を迎えていますが果たしてそれでよいのでしょうか。
例えば消費税のアップ論議。必要な財政支出をまかなうためには増税が必要という論議であり、このままではほとんど障害者福祉にまわることはありません。
消費税増税になればじわじわと上がる食料品等の物価上昇と消費税の上昇のダブルパンチで障害基礎年金は消失します。もう消費税をあてにした障害者福祉はこの国では期待できないのではないでしょうか。
むしろ消費税増税と金融の緊縮でこのまま経済が縮小することは怖いことです。失われた10年で私たちは不景気の怖さを体験してきています。
1 障害者が働く場所場所がなくなる(まっさきに解雇)
2 下請けの作業がなくなる
3 授産製品が売れなくなり工賃が減少する
やはり健全な経済成長があってはじめて障害者福祉も安定します。
では消費税を上げずにどこに支援費の財源を求めるのでしょうか。
徹底的に行政の無駄をなくすことが第一。
次に介護保険と同様の障害者保険の導入です。具体的には20才からの介護保険者の加入です。
ですが介護保険の障害者への拡大は経団連、医師会、高齢者福祉団体の反対でなかなか切り込めません。
経団連は消費が減速する恐れがあるから反対(消費税は商品に転化できるので賛成)。
医師会は医療保険が見直されることにつながるから反対。
高齢者団体は障害者への介護保険の分配で割り当てが減るのがいや。
そうした中で肝心の障害者団体は支援費が義務的経費になったことと激変緩和措置が出ただけで安心しきってしまいました。
高齢者福祉が厳しくなったとはいえ、介護保険と支援費の単価差を見る限り、障害者福祉の不公平さは解消されているとは言えません。
医療保険の世界は国の予算とは切り離されているため、無駄が見えないのです。でもそこには障害者福祉の世界とはケタ違いの無駄が存在しています。
こうした不公平がそのまま放置されるのはやはり障害者福祉に国民が無関心であることが原因でしょう。
これを解消するためには政治を変えるために親の会と民間福祉施設やNPOが連携することです。全国知的障害者福祉協会には育成会とは別に全国の施設利用者の親の会を組織化する動きがあります。ただでさえ小さな集団が団体のいがみ合いでさらに細分化されていけば、国民の関心はさらに遠ざかってしまいます。
●小島一郎(名東区障害者地域生活支援センター所長)
「国民の関心が障害者福祉に向かない」のは、やはり、「誰もが年をとる」という高齢者福祉の分かりやすさに比べ、障害というものの身近さを国民が感じにくいからでしょうか。同じような意味で、それでは児童福祉はどうかとも考えてみたりするのですが、やはり今ひとつの感がある。
結局のところ、誰もが「自分の問題」に一番の関心があるのであって、年老いた先の不安というのは避けられないし、そのための福祉の負担は何とか受容できるが、障害者が家族や親戚にいる訳でもない、結婚するかどうかも分からないし、自分に子どもができるかなんて、もっと分からないとなると、なかなかこれらの問題に主体的に向き合おうとは思っていただけないのでしょうね。
ただ、私自身、支援Cでの相談業務や認定調査を通じて、いかに大勢の方々が生活習慣病から身体障害者となっているか、いかに精神疾患を抱えた方々が普通に地域で暮らしているかを知ってしまい、一個人として、素直に自分の問題として捉えられるようになったという経験をしております。誰もが年をとるように、誰もが障害者になり得るといった実感です。ですから、アナウンス次第で、広く国民が障害者福祉に目を向ける可能性は、充分にあると思っていまあす。
ひとつ難しいのは、知的障害者の問題。一応、正常域内にIQがある人間としては、自分が知的障害を負うかもしれないとは思えません。また、自分の子どもが負うかもしれないという論理も、やはり「誰もが・・・」というシンプルさにはとても敵いません。つまり、知的障害へ国民の関心を向けることが最も困難で、せいぜいTVドラマなどで、「無垢な天使」のようなレベルの扱われ方をするのに留まってしまいます。
私のように、15年も知的障害者施設にいた人間は、「自分がなるはずのない」知的障害をもった利用者を相手にし続けた結果、「自分もなるかもしれない」身体障害や精神障害にインパクトを受けている訳です。ある意味、象徴的な話です。
実際には、「誰もがなるかもしれない」脳血管障害やうつ病の話は医療の話となり、予防の話、健康の話として政策反映されているので、ダイレクトに障害者福祉を動かすことはないのですが、教育や福祉、医療といった分野を体系的に大人が理解するよう、構想していかないといけないと強く思うこの頃です。それが、社会の成熟ってものではないですか。政治や行政のプロは、それを形にしてこそのプロですよね。
この頃名東福祉会の各施設の製品販売売り上げ向上にどうしたら貢献できるかと私なりに一生懸命考えています。
私にできることはないかと・・・。
あれやこれやろ思いめぐらしていたら昔の話を思い出しました。私がまだ天白ワークスの所長をしていたころですから、今から15~16年前の事になってしまいますが、石川県金沢手をつなぐ親の会から傘立て8本の注文をいただきました。どうやてお届けするのかが課題です。
天白ワークスの傘立てはすべて手作りの陶器で割れやすく、重く、かさばります。当時はそうした商品の輸送にはかなりのお金がかかりました。輸送代の方が商品よりも高くなってしまいたいへん申し訳ありません。
結局、「私が運ぶわ」ということになりました。
ちょうど私の長男が夏休みで入所施設から帰ってきます。息子を乗せて名神高速道路から北陸道に入り、金沢市内で親の会が会合をしている場所に着きました。
親の会の人たちが出てきて目をまん丸くして「ひとりで運転してきたの?」と驚きました。当時は私も若かった・・といっても65歳。でも、傘立てはひとつも割れていません。ひとつひとつデザインが違う天白ワークスの作品を私は誇らしげに降ろして手渡ししました。
「まあ、まずは休憩を」
といって下さるのを振り切り、長男が待つ車にまた車に乗って向かったのはイーハトーブの森。
目的を達成でき、みなさんからもほめていただけて私は意気揚々とドライブです。金沢から富山、魚津、黒部川と左側に日本海が見えます。日本海と空の青さに心は晴れ晴れとしました。
糸魚川あたりまで登ると、風光明媚な箇所があり、あの有名な「親不知(おやしらず)子不知(こしらず)」だとわかりました。昔、海に面した街道で、右には断崖絶壁が迫り、手をつないでいた親子もひとりひとり走ってとおらないと大きな波にさわられてしまうとか。私は息子に
「こんな怖いところを楽にとおれるようになったのは高速道路ができたおかげだね。私たちも昔の道を通ってみる?」
とわかりもしないだろうと軽口をいってみました。すると長男は身を固くして車の中を後ろに後ずさりして小さくなりました。びっくりしました。
「ごめんごめん。もっと楽しい話をしよう。そんな怖いところは通らないからね。」と謝りました。
でもそこからは高速道路ではなく148号線。糸魚川kら国道の山道は険しく、右も左も山また山。急勾配をアクセルいっぱい踏み込んで登ってゆかなければなりません。ふと気づくとガソリンがあとわずかになっていました。しまった、糸魚川で入れてくれば良かったと思っても後の祭りです。長男も緊張した表情になっています。
ガソリンメータと道を見ながらヒヤヒヤしましたが、なんとか小谷まで入りまいり、白馬近くまで来たなと感じたとき小さなスタンドがありました。
「よっちゃん、よかったね」
と喜ぶ私を見て、長男も緊張した顔がやっと溶けました。
美しい白馬を見て、大町に入り、大好きな「花の木」というレストランに入って気分が落ち着きました。後はイーハトーブの森が目の前です。わかりもしないだろうとたかをくくって息子に話をして不安を与えたことを心から反省しました。
施設はいいものをせっかく作っても、売ることが難しくなかなか授産製品の販売は思うようにできません。こんな私でも何か
お役に立てることはないかと年老いてもなお思っている私です。
合同家族会役員会のあと、知的障害者通所授産施設TUTTI(定員40名)へ見学に行かせていただきました。
参加者は家族会役員の皆様。
8年前より名古屋市名東区に小規模授産施設として解説されて依頼のおつきあいです。私は当時、メイトウ・ワークスの所長でした。
通所授産施設の竣工式に参加させていただき、ほんとうに立派な施設が開所されたことを共に喜んでいました。
今日はTUTTI開所3年目に入って立派に運営されているのを見学させていただき、とても嬉しく思いました。
障害者自立支援法実施による厳しい施設運営の中、地域貢献を柱に
・新規事業のレストラン
・地元野菜、米などの店頭販売
・生協のリサイクル作業
・軽作業
・配食サービス
・リサイクル自転車の自主事業
このほか3階の一部に和室が二部屋あって、地域の障害者のためにお泊まり会を月1回、NPO法人と提携してやっているそうです。
いろいろこなされている活動的な通所施設に感嘆の思いひとしおでした。
TUTTI(トウッティ)とはイタリア語の「協奏曲」が転じて、「皆さんご一緒に」という意味だそうです。障害のある人もない人も、地域で一緒に暮らすことを願ってつけられたとのこと。
また、施設のモットーは「生きる、働く、楽しく暮らす」
利用者の皆さんの生き生きと楽しそうな姿を見て、実感することができました。
私たちはレストランで「鮭の定食」をいただき、同じ食堂でモクモクと食べておられる利用者さんと地域のお客さん一組も交えて、おいしくいただきました。
食器を下げるときにも丁寧に運んでいきました。食事が終わってコーヒーを注文すると
「コーヒー5つに紅茶1つですね」
と復唱して定年に運んでこられました。注文しなかった人にはお茶が出ました。
お母さんたちの中には
「うちもダウン症だけれどあれだけのことはやれん」
とため息をついておられました。
所長さんは
「繰り返しやっているうちに覚えたのですよ。特に指導はしていませんが、親さんと一緒に行ったレストランでああやるといいなと思ったのではないですか」
と言われました。毎日の積み重ねの重要さをつくづくと感じました。
三階の屋上にはハーブも作られており、7種類を三日間コトコトと煮込んだカレーもあるそうで、この次はそれを頂きにまた来ようかなと思いました。
10/2付ブログ、拝見しました。
生産消費活動によって形成される富というのは、何も貨幣的なものばかりではなく、「生活を潤すものの総体」
とでも言うべきものでしょうか。いわゆる’priceless’なものも含まれる訳ですよね。
結局、生産消費活動の動向は就労支援事業のみならず、社会福祉法人のあり方に一石投ずることにもなります。
例示されていた事柄は、ややもすると自己完結的であるような批判を受ける可能性もありそうですが、地域へ拡大
していくようなベクトルを(潜在的にでも)有しているかどうかですよね。
このように考えていくと、デイケアからナイトケアまで、生活介護から就労支援まで、幅広い事業展開をしている方が
生産消費活動も展開しやすく、有利であると言えます。「縮小均衡ではなくて、サービス拡大による選択肢提示」
という名東福祉会の理念は、一方でマンパワーの拡散も伴い、この時代において厳しい側面もありますが、長い
スパンで将来を考えたり、社会福祉法人の役割の本質のようなものに迫っていくと、やはりこれしかないというところでしょうか。
狭い範囲(事業所単位)では「拡散」に見えることも、広い範囲(法人単位)で見れば「充満」なのかもしれません。
from kojima
(コメント)
施設が自己完結的であろうとしても、生産消費者は施設というコミュニティーの枠を超えて広がっていくでしょう。
Pricelessな活動に案外人々の幸せがあるかもしれない。
農業社会→工業社会の次にくる脱工業化社会は生産消費がキーとなる。
そうなれば、知的障害者が普通に行っている生産消費者としての生き方が社会を変え、リードするかもしれない。
これはまさに糸賀一雄先生が「この子らを世の光に」と述べたことがいよいよ実現されるまえぶれなの?とも思います。
20年ほど前に、板山賢治氏が「授産施設は社会からお金をもらっているだけではなく、授産活動によって
価値を産み出しているから福祉の中で価値がある」と講演したのを私はSELPの職員研修会の最後列で聞いていました。
その際、「工賃10000円の価値ではそんなに価値がないなあ」と思ったのでした。
でも、現在貨幣経済で産み出されている価値は50兆ドル。それと同等以上の価値を生産消費者は産み出しているそうです。
国が進めている「工賃倍増計画」で利用者が受け取る工賃5000円が10000円になってもむなしさが残りますが、
50兆ドルの価値と聞くと、ばかな私は張り切ってしまうのです。
生産消費者
未来学者のアルビン・トフラーは生産消費者という概念を提示しました。生産消費者とは「自ら生産し、自ら消費する消費者」のことです。
・自分で家を直したり造ったりする日曜大工
・自分で支払うセルフレジ
・デジカメ
・自宅でできる健康検査器具
・利用者が自ら編集し加筆するインターネットのWikipedia
・読者が書き込みができるブログ
などなど。いたるところで、「生産消費者」は増え、自ら富を形成しているとトフラーは説きます。
障害者施設の利用者やその家族、職員は以前から「生産消費者」であったという面があります。施設では「自分たちの生活の質を上げるために自分たちが手づくりで生活を作り上げる」という側面があります。貧乏だからそうせざるを得なかったという側面もありますが。
障害者施設の場合、生産消費活動の多くの部分を職員や家族会やボランティアが行うことになりますが、利用者自身もそうした活動に参加することができます。
例えば、施設のバザーにおいてはバザーで販売する用品をつくる人も、それを購入して消費する人も施設関係者であったりします。
バザーの目的としては施設運営費を獲得するためという大義名分はあるのですが、生産者と消費者が同じであり、金銭的な尺度から見ると目的とは裏腹に、たいへん小さい金額しか動きません。でも、バザーに生産性がないかというとそうではありません。むしろ、地域の人々や家族同士の絆を深め、施設の生活を豊かにするという付加価値があります。生産消費活動という側面からバザーを見れば、実際の金銭活動の数十倍の経済活動が行われているといえます。
トフラーは今後、世界の生産消費活動が拡大し、通常の貨幣経済を押し上げていくと見ています。障害者福祉に関する財源が厳しいといわれていますが、施設における生産消費活動は知的障害者福祉がおかれている状況の突破口になると思います。これまでに蓄積されたノウハウにより、授産施設や福祉施設には豊富に生産消費活動を行うツールが存在しているからです。陶芸、木工、農作業、園芸、日曜大工、製パン、製菓、縫製、給食作りI、T技術・・・
名東福祉会では今後、お米すら自分たちでこしひかりやはつしもなどのブランド米を農家から直接手に入れ、精米してつきたてを食べることができます。ありとあらゆる楽しい生産消費の機会が施設には存在しています。生産消費活動を続けた白鳩会では自前の農園から年間2億円を超える収益を上げていますが、実際にはそれを遙かに上回る生産消費活動を鹿児島全体で展開されています。
今後団塊の世代の労働力がボランティアとして大量に施設に流入し、いっしょに生産消費活動が展開されれば、施設利用者の生活は金銭によらなくても飛躍的に豊かになるはずです。施設が閉じた消費活動を行うだけでは、今の財源ではたいへん貧しい生活しか手に入れることができません。でも生産消費活動があれば別です。授産施設に対して貨幣経済的の側面からのみの評価で施設を断罪し、施設不要論を展開する知識人を私は信じません。
私たちは生産消費活動を展開できる就労支援活動や日常生活を求めていきたいと考えています。
愛知県知的障害者福祉協会主催の東海地区知的障害関係施設長研究協議会を傍聴させていただきました。
講師は日本知的障害者福祉協会政策委員長の柴田洋弥氏です。
テーマは「障害者自立支援法の抜本見直し」。ポイントは
1 障害の程度区分を三区分に戻す
2 障害程度区分によるサービスの利用制限を見直すこと
3 介護保険との統合には反対
4 応能負担にする
など。要するに小泉構造改革が求めたアメリカ型の低福祉・低負担はだめで障害者自立支援法以前の障害者福祉ににもどせという主張です。
知的障害者福祉施設の政策委員長の立場からすれば「障害者自立支援法」の改正を求めるのは当然です。障害者施設の既得権が脅かされたからです。
ですがこうした主張が国民に受け入れられるでしょうか。そもそもわが国では中福祉・中負担路線が財政破綻を招いたのではないでしょうか。こうした主張により、ますます知的障害者が社会から阻害されてしまわないか心配です。
現在、新しい内閣によってこれまでの「構造改革路線」が否定され揺れ戻しが起こっています。所得格差、地域格差の問題です。
これらの揺れ戻しが続けばいずれ所得再配分とそれを支えるための巨大な行政システムを維持することは困難になるでしょう。
(1)大借金(2)超高齢化(3)競争力低下(4)小資源
というわが国がおかれている状況は変わらないからです。
このままでは財政再建のために大規模な増税か借金が必要となり、
1 借金に頼れば金利上昇
2 増税に頼れば景気減速
を招くでしょう。いずれにしても知的障害者の生活を支える財源がなくなります。措置の時代の福祉にもどしたところで、将来にわたって安心できるシステムが手に入るとは思えません。
アメリカ型の福祉-つまり新自由主義は厳しい競争社会であることは間違いありません。グローバリズムの欠点です。
しかし柴田氏も指摘していたように、アメリカの福祉は日本よりもはるかに知的障害者にハンディをつけて競争を行っています。
ほんとうの弱者として知的障害者が社会に認知されておらず、関心が持たれていないことによって正当なハンディがつけられていないことが最大の問題です。
障害者にとってQOLを高めるための構造改革は
1 行政システムの真の構造改革をさらに推し進める
2 知的障害者が真の弱者であることを社会が認知する
3 医療分野、高齢者福祉分野に流れ込む超過利潤を知的障害者福祉分野に開放する
4 知的障害者雇用を徹底的に進める
5 知的障害者福祉分野への寄付や投資に関する制度を改める
など正当なハンディを知的障害者につけて公正な競争を行うことです。
協会の構成員たる施設長は知的障害者がおかれている状況を社会に知らしめる行動をとるべきであり、そうした運動が起こるよう協会のトップには運動方針を見直すことを期待します。
実現が難しい介護保険への統合
介護保険への統合が凍結されて久しくなっています。
経団連は若年層からの介護保険負担を理由に反対しています。
高齢者福祉団体は障害者支援費が介護保険統合に統合されるとパイが少なくなるために反対しています。
肝心の障害者施設経営者も多様な福祉サービスの提供者が参入してくることを恐れ、統合に反対しています。
ものごとをシンプルに考えればより多くの人が支え合った方がよりよい障害者支援ができます。
より多くの人が支えるという意味では福祉目的税もあるでしょう。
ただ、税は予算によって執行される点が保険と大きく違います。
財源が税になるとどうしても国によってサービス提供の枠がはめられます。
障害者自立支援法は介護保険との統合を視野に入れて設計されました。
介護保険による障害者自立支援を行う方が多様な参入を促すことができます。高齢者福祉サービスの実態を見れば明らかです。
支援費を義務的経費とし、国が必ず支払われなければならない費用としたことは評価できるものの、制度の先行きの不安が大きいことは否めません。
現状では介護保険への統合ができないまま支援費報酬の請求事務が複雑になっただけです。
肝心の介護保険も半分は税で補填されているため本当の意味で保険ではありません。
また、違法な介護保険請求をする事業者も後を絶たちません。
肝心の介護保険制度そのものも将来の維持が難しいため、統合の前に介護保険そのものも見直す必要がありますが・・・。
制度について建設的な議論がされないまま時間が経過すればするほど、町の中で放置されている障害がある人たちの暮らしがきしんでいきます。
9月21日は愛知県知的曽湯会社育成会が主催で、成年後見制度について研修会が岡崎で行われたので
日進市育成会の人々と共に参加させていただきました。
講師は全日本手をつなぐ育成会中央相談室長の細川瑞子氏。
氏は富山県で弁護士のご主人とともども育成会で活躍され、以前から存じ上げていたので久しぶりにお目にかかりたいと思い、私も参加させていただいたのです。
240名以上の参加人数で、講演終了後グループ討議を行いました。各グループから先生はひっぱりだこで、あとから聞くと、どのグループからもとてもわかりやすく「成年後見制度」が理解できたと好評でした。親なき後を憂うのではなく、親あるうちにきちっとしておこうという主旨が理解できたようでした。
今後は、新しい時代にあった本人の権利擁護にむかって育成会は動かなければならないし、親にかわる人生の伴走者としての後見人制度を完備させなければならないと思います。
先生は権利が擁護されるために
1 地域サービスを整備する
2 「本人を護ること」すなわち権利擁護のあり方を問い直す
3 後見人制度をとりあつかう民間機関を整備する
などの提言をされました。
私たちのグループ発言のなかで、今世話になっている施設の職員がこのままだと結婚しても暮らしてゆけないと転職してしまうのではないか職員が喜んで勤務してくれるにはどうしたら良いのかと強い口調で後見人制度よりも障害者自立支援法を何とかしてほしいという意見も出てグループ長さんはとりまとめに大変でした。
がんばれ親の会
構造改革をストップし、福祉サービスをもとのようにもどしたところで、障害者が幸せになるとは考えられません。
構造改革は引き続き続ける必要があります。
これまで日本の福祉政策は新自由主義といわれる政策の体系のもとで改革が進んできました。
新自由主義は
1 国家による福祉・公共サービスを少なくして民間サービスにシフトする
2 規制を緩和する
3 市場による競争を促進する
グローバル化は新自由主義が世界全体に広がったものです。
もともと、日本は家族介護中心の福祉政策です。
「老々介護」という言葉に象徴されるように、日本は家族が介護することが強いられており、情報も十分に家族に届いていません。
構造改革を中断してもこれまでのように役所が福祉を提供する世界では隅々まで行き届いた世界が展開されることは期待できません。
知的障害者の世界には「手をつなぐ育成会」という存在があります。通称、親の会です。
このところ、親の会の組織率は全国的に低下してきていました。これは新自由主義による構造改革により
新しい福祉サービスが提供されるようになったことと関係があります。
これまでは福祉は国や行政から提供されます。
日本の場合には基本的に社会保障制度が申請主義になっているため、十分な情報提供がなされません。
家族介護中心の世界では親の会が情報の提供や施策の整備に役割を果たすことになります。
親の立場から見て、親の会に所属するメリットは、
1情報をキャッチすること
2親の会が経営する施設を利用しやすくなること
3親の会に所属することによって圧力団体としての力が強化され福祉施策が増進されることが期待されること
などがあげられるます。
新自由主義が浸透すると選択できるサービスが増加し、福祉サービスを提供する側からのアプローチが増えます。
そうすると、
1民間福祉サービスの広告活動により情報を主体的にキャッチする必要がなくなる
2民間福祉サービスが増えて施設利用がしやすくなる
3福祉施策が国や行政による福祉から民間の福祉に移行すれば圧力団体そのものの存在意義が低下する
など、親の会に所属するメリットが減少するはずです。
だからといって親の会が衰退していくことを親の会の会員が手をこまねいて待っているのは間違いです。
むしろ、これからあるべき福祉サービス市場を創出するために新規の事業を産み出していくことが求められているのだと思います。
新しい民間による福祉サービス、すなわち「福祉ベンチャー事業」は本来親の会から生まれなければならないと思います。
企業はこうした福祉ベンチャー事業に投資をすべきです。
例えば給食会社や食品関連会社、人材派遣会社、医療関連機器メーカーなどは投資により新しい商機を拡大する可能性があります。就労支援分野はより大きな魅力的な投資先です。
これまでは福祉施設整備によって利益を得るのは建築業ぐらいでした。
他の分野は指定された商品の入札をするだけで、指定された商品もつまらない時代遅れの商品だったりして利益はありませんでした。それが福祉ベンチャー事業の育成という投資行動により積極的に自社の商機を拡大することができます。
親の会には新しい戦略を求めたいと思います。
1地域企業への共同事業の創設に向けた積極的なプレゼンテーション
2魅力ある福祉市場を創設するために必要な障害基礎年金の大幅な強化を行政へ求めること
3福祉ベンチャー創出のためのアントレプレナーの育成
4福祉ベンチャーと企業の橋渡し
など、構造改革の時代にふさわしい親の会の運動戦略です。がんばれ親の会です。
快適な暮らしは自分でつくる
江戸の町は当時、世界最高の衛生的な生活環境であったそうです。
江戸の町の美しさは公的な仕組みで維持されていたのではなく人々が助け合って維持されていました。
例えば家の外の掃除は今のように清掃車が行うのではなく、一家総出で行いました。
十分な法制度はなかったかもしれないが、町の美しさを維持するための行政コストも必要ありませんでした。
施設は支援費によって維持されています。
利用料金は法令によって一律となっており、障害者の収入からすれば寄付金によって施設を改築することも難しい状況です。
支援費が削減されている今、施設はかかわりを持つみんなで維持することが大切です。
名東福祉会は家族会のご協力でそうした活動が盛んに行われている施設。それが伝統ともなっています。たいへん喜ばしいことでありなおいっそうのご協力をお願いたします。
職員にとっても掃除は家具や床についた傷を発見し、利用者が抱えている暮らしにくさや不便さや介護上の問題点を発見する機会にもなります。
掃除中に投薬されているべき薬が落ちているというというような重大なミスを発見することもあり、清掃やメンテナンス業務は介護技術の向上とならんで非常に重要な業務です。
施設は「住まい」。利用者もなんらかの形で掃除や家具の修理や自分なりの家具作りや部屋づくりを行うべきでしょう。
北欧のデンマーク郊外にあるファーラム市の障害者施設に見学に行ったとき、ユニットの外に続く庭でバラの花のまわりの落ち葉を拾っていた利用者の幸せな表情が印象に残りました。
利用者が積極的に施設づくりに参加できるならば、利用者にとっても施設のメンテナンス活動は楽しみな活動にもなります。
整理・整頓・清潔・清掃は生産現場の基本中の基本。就労支援活動の場においても汚れや道具の散乱は生産効率の低下を招き事故にもつながります。
レジデンス日進では数ヶ月前から統括本部長自ら敷地の清掃をしていただいています。
「毎日掃除を続ていてたいへんでは?」
と訪ねたら、毎日ご近所の人たちから声をかけられるので止められなくなってしまったと謙遜されていました。
レジデンス日進の屋上はこの暑さで少し弱り気味です。
でも萩の花、おみなえし、すすきが初秋の風情をかもしだしています。それに、水盤のほていあおいがみごとな花をいっぱい咲かせてくれました。
残念なことに立ち枯れたラベンダーやシャクヤクもありますが、きっとまた、再起してくれることを祈っています。
レジデンスのお掃除は家族会の有志や野の花会のボランティアさんたちが、こまめにやって下さるので、ほんとうにありがたいことです。
レジデンスの利用者の中にもお掃除クラブなんかできてみんなで喜んでもらえるといいなあと思ってしまいます。
鹿児島の白鳩会のひとたちのみごとな農園、茶畑、花畑はみんなが根気よく手入れするので
農製品の優秀賞まで獲得してしまったんですね。すごいなあ!!
なにごとも努力、努力。私もがんばろう・・・・。
かって障害者のグランドデザインで示されたライフスタイルは私達知的障害者福祉に携わるものからは非常に魅力的に見えました。
このところ示されている障害者自立支援法の方向性は障害者福祉のグランドデザインから離れつつあることが心配です。
障害者自立支援法については財政再建の圧力から支援費報酬の圧縮、障害程度区分の認定方法、障害者本人の自己負担を軽減することばかりに議論が集まりました。
本来ならば、社会福祉サービスの規制をさらに緩和させるとともに知的障害者の収入を上げることに議論の関心を向けるべきであるのに
そのような方向性の議論はまったく無視されたことは障害者にとっても福祉サービス提供者にとっても不幸なことです。
限りなく自己負担を減らしていけば、結局無料の福祉サービス利用という世界に行き着きます。
お上から与えられるサービスである限り、ニーズにきめ細かく対応する独自のサービス開発を行う意欲はわきません。
結局、利用者にとっては選択が保障されずQOLが向上することにつながりません。
知的障害者に真にやさしい障害者支援法であるためには
1 知的障害者の基礎年金を大幅に増やすなど障害者の貧困対策を行うこと
2 さらなる規制緩和を行い、福祉サービス開発の土壌を養うこと
3 良質な介護サービスが提供できるよう、評価システムを抜本的に改善すること
など、根本的な対策が必要です。
激変緩和措置により、よりよい福祉サービスのあり方を求めるムーブメントが下火になってしまうことが心配です。
鹿児島県の社会福祉法人白鳩会を訪問させていただきました。
理事長 中村隆重氏のお話をお聞きしたり、ビデオを見せて頂いた後、
白鳩会が運営する各施設、農場等々、広大な土地とその取り組みを見学させていただき、ただただ驚き、感心するばかりでした。
設立して30周年、その業績もさることながら、設立当初から卓越した先見の明があり、その努力によって各施設、農場ほか、各種事業は今の時代にぴったりあっており
これからもなお研究努力して、知的障害者の福祉を推進していこうとする白鳩会の方針に敬意を表するのみでした。
鹿児島の最南端はあまりにも遠く、交通に時間がかかって訪問は短時間少し残念でしたが、
理事長さんの考え方をひとつひとつじっくり思い出すと、訪問させて頂いたことはいくつになっても「学び」を体得することだと思います。
「共に育つ」「考え合う」「求め合う」「分かち合う」
という白鳩会の理念の奥深さと、職員を大切に思われているお心に共感を覚え、見学させて頂いたことを心から感謝申し上げます。
後日、ビデオが送られて来ましたら、見学報告会を行いたいと思います。
地域福祉を考え直そう
最近福祉関係者で使われている「地域福祉」ということばは、「施設は解体すべき」という誤ったメッセージを社会に出していると思われます。
「地域福祉」は「制限された生活状況にあった障害者に対して、多様な選択肢の用意すべき」という非常にわかりやすい命題をメッセージにしたものです。
はじめはノーマリゼーションということばが地域福祉にかわり、最近では<地域移行>という、施設からグループホームやケアホームに生活の場を変えるべきという非常に幅の狭いことばに置き換わりつつあります。
時を経るに従って崇高な理念も形を変え、利用者そっちのけの様式だけがもてはやされる議論になってしまっていることが残念です。
入所施設=制限的とは限りません。
利用者の立場から見ればグループホームやケアホームの方が入所施設と比べてより制限的な生活を強いられることもあり得ます。
数年後には障害者自立支援法でどの入所施設も夜間の生活と日中の生活が分離します。日中生活や夜間生活の選択が保障されているならば、それが旧来の施設福祉に代わる障害者自立支援法時代の支援システムなのではないでしょうか。
数人の利用者で構成されるユニットが数ユニット集まり、全体で50人くらいの共同住宅であっても、生活の選択肢が保障されているならば地域福祉といってもかまわないはずです。
ある経営者は「地域福祉時代だからうちは積極的に利用者を外に出した。その結果、利用者が少なくなって困った。」といかにも高潔な経営をしているように話します。
福祉施設がニヒリズムを気取ってもいいのでしょうか。経営が困難になって結果的に倒産して脱施設と言い切れるのでしょうか。
もういちど地域福祉を整理して、施設で行われているサービスが利用者にとって制限的であるか選択的であるかという視点で自己評価をしなおし、その上で自分たちが提供しているサービスを胸を張って社会に報告するべきです。
天白ワークスのKさんの妹さん(67歳)が亡くなられました。熊本在住の弟さんが駆けつけられ通夜告別式をされました。
Kさんは亡くなられた妹さんと二人暮らしでした。
妹さんはKさんに
「もし、自分が死んだら弟のところに電話するんだよ」
と日頃から教え、メモを渡してあったようです。Kさんはそのとおりに弟さんに連絡し、弟さんが来名されすべてを片付け、熊本のご自身の家の前にある借家がちょうど空いたのでそこにき引き取るとのこと。本人も家族も納得しているとのことにまずはひと安心しました。
名東福祉会がスタートして以来、私は似たようなケースをいくつか経験してきています。今回は遠くに住んでいらっしゃる弟さんがすべてを解決してくださったのにはたいへんありがたいことだと心から感謝します。
Kさんは15年も前に天白ワークスの記事が新聞に載ったとき、大きく私の顔写真が写っているのを見て、妹さんに
「この会社の社長だったら働きに行ってもいい」
と、妹さんと来所されたことから始まります。
天白ワークスは会社ではないこと、工賃は少ないこと等々を納得していただいて15年。楽しいエピソードもたくさんありますし、
仕事をすることに厳しい面ももっていましたし、重度の利用者に対しては最も手厳しく、時々怒って所長に訴えてくることもありました。
旅行に行ったときには私と々部屋でふたりで寝ることができるので、妹さんのことやお母さんのこと、彼氏のことまでも話をしてくれたことを思い出します。先日、天白ワークスでお別れ会をした時、楽しかったことのひとつとして
「旅行で所長といっしょに寝たね」
と思い出話をしてくれました。
障害を持っている子を持つ母親は、いつでも自分が死んだらこの子はどうなるだろうとみんな思っています。
年老いて両親が亡くなってからも、ずっと兄弟姉妹で生活の面倒を見ているケースをいくつでも私は知っています。
Kさんの妹さんは、自分が熊本から集団就職をして名古屋に来た時以来、ずっとみ続けて、自分が定年退職をしてこれから少しは人生を楽しく生きてほしいと思う時に急逝されたことはあまりにも悲しいことです。私は心ゆくまであなたと話がしたかったと悔やまれます。
あなたは、「これも運命だからあたりまえ」と、さらりと話されるのでしょうか。
内閣府副大臣の大村秀章氏とお会いしました。
「施設の話を聞くと日割り精算になって経営が厳しくなったという話ばかり。地域によっては4割減になったと聞きます。でも、そんなに利用していなかったのかというのが率直な感想です。日割り精算問題は一般の人たちには通りません。
その一方で親や障害者の方々とお話を聞いていると、どこに相談にいっていいのかまったくわからないという返事が返ってきます。
施設や社会資源の利用をもっと効率よくあげていくにはまずは相談窓口が必要なのではないかと考えています。それも自治体がやるのではなく、社会福祉法人やNPOがやるようにする。こうした窓口が整備されればもっと変わってくるのではないかと思います。」
なかなか手厳しいご批判とともに、的を得たコメントをいただけました。
名東福祉会でも名東区障害者生活支援センターを立ち上げ、名東区の自立支援協議会もゆっくりとではありますが動き始めました。
生活支援センターは相談を待っているだけではなく、直接家庭へ出かけていって相談を受けることもあります。役所の対応とは根本的に違います。
生活支援センターによって名東福祉会の各施設のケースカンファレンスのありかたにも影響がでてきたとつくづく思います。
最適な生活のありかたや支援方法を見つけることは難しいことですが、できるだけリスクが少ない選択をするには本人の希望を十分にくみ取ることがまずは大切です。
その上で家族やボランティアも含めた支援者の状況、利用できる社会資源、アクセス方法、制度に関する情報が必要です。
障害者自立支援法によって報酬が少なくなった、自己負担が増えてたいへんになったといった問題がクローズアップされました。
それらの問題は昨年度に打ち出された1200億円の激変緩和措置によって一段落しましたが、むしろ、ここで休むことなく積極的に障害者福祉サービスの充実に向けて動き出し、
本当の意味で障害者の自立が促進するような環境を作っていかなければなりません。
そのためにも相談窓口の量を増やし、質も高めるという施策は重要です。こうした生活の場に根ざした草の根活動を自治体職員が行うことは無理があります。
愛知県知的障害者福祉協会経営者会議は2007年10月7日(日)に社会福祉法人経営者向けに研修会を行います。
研修テーマは社会福祉法人の改革。
講師は先に紹介した衆議院議員大村秀章氏、厚生労働省障害健康福祉部長中村吉夫氏、日本知的障害者福祉協会会長小板孫次氏、愛知県知的障害者福祉協会経営者会議議長島崎春樹氏です。
正々堂々
「正々の旗をむかえることなく、堂々の陣を撃つなかれ」
<正々堂々>の語源とされている孫子のことばです。大儀を掲げている相手と対立し、陣容が立派な軍隊と戦っても勝つことは難しいので戦いを避けなさいという意味です。
正々堂々とした軍は戦いには敗れないというように使うこともあります。
社会福祉法人には使命が必要。
今、社会福祉法人は財政難で危機を迎えていますが、この難局を乗り切るにはやはり事業の使命感が必要ですし、使命を達成するという意識が私たちを堂々とさせてくれます。
私たちの旗は障害を持った人の生活の質を高めること。
生活の質の向上は私たちスタッフやボランティアや家族が「正々堂々」としていることから生まれると思います。
生活に楽しさが広がるように日中活動の選択肢を増やし、生活にまつわる様々なトラブルやストレスを軽減し、
必要とあればそのための幅広い支援活動を行い、生活の質を高めていくことが私たちの使命です。
このQOLを高めることが私たちの正々の旗です。そうした活動に賛同してくれる人たちが堂々の陣をつくります。
こうした活動を続けていれば今の難局などいずれ乗り切ることができると確信しています。
キャンプ
子どもたちの夏休みが始まりました。各所で多彩な催しが行われています。
なかでもキャンプは子どもたちに人気の高いプログラムであり、学びの場であると思います。
長男が半身マヒの障害児となった3歳のときから、私はいろいろな親子体験に挑戦することに努めました。
あるとき、朝日キャンプが行われることになり、私が所属していた麦の会(重度心身障害児の親の会)からも3組の親子が参加することになりました。
キャンプ地は犬山市。日本ライン下りで有名な木曽川のほとり、桃太郎伝説ゆかりの地です。キャンプ名も「桃太郎キャンプ」と名付けられました。
私はちょうど3人目の子どもができたころで、大きなおなかを抱えて参加しました。
私の長男は多動で少しもじっとしていてくれません。油断するとすぐに川に向かって韋駄天走りをします。半身マヒなのに速いのです。
そこで学生さんがついてくれることになりました。てんやわんやのキャンプでしたが、得るものがたくさんあったキャンプでした。
キャンプは楽しくて、人の心のつながりも深めます。
日中、思う存分走り回った長男はざら板に毛布一枚のベッドでぐっすりと寝ました。
このときいっしょのテントで寝た3組の親子はあとあとまでいろいろ助けあって長い年月おつきあいすることができました。
以来、あさみどりの会が主催する南山大学学生のキャンプだとか、中日新聞社会事業団の中日キャンプなど、主催者、共催者としてたくさん関わらせていただきましたが
なんといっても最初に参加したキャンプは忘れられません。
長男は今はもう56歳。初老です。このときおなかにいた長女も48歳。主婦として平和な毎日を送っています。
思えば長い道のりもあっと思う間に過ぎました。これからは若い世代に希望を託そうと思います。