国が終末医療に支払っているお金は医療費全体の70%にものぼるという。平成16年度の医療保険医療費の合計は29兆6617億円。70%ならば20兆円もの金額が支払われていることになる。これから国はできるだけターミナルケアに要する高度医療費を下げる方向で検討が進んでいる。すなわち、人がこの世を去るときにはできるだけ家庭や福祉施設で看取が行えるような体制をつくることを意味する。
現在、国では療養型病床群を廃止し福祉施設でターミナルケアを行うように制度設計が行われている。確かに、死を尊厳をもって迎えることは重要で、医療現場で物理的に人を生かすだけが目的化してはならない。また、これだけの医療費を使うことも問題がある。これだけ国が破綻しそうになっているとき、そういう論理がでるのはもっともである。
ただ、ほんとうに質が高いターミナルケアを行おうとすると、やはり医療的ケアに関する知識や技術を福祉施設に導入することが必要である。現在、福祉施設では十分な看護体制がとられているとはいいがたい。
例えば、病院を経営を基盤としている医療法人が経営している高齢者施設と高齢者施設だけの施設と比較すると、死を看取るときの技術、あるいは重篤な事態につながらないようにする技術に差があるという。
病院では患者がいかに苦しまないようにするのかについて細心の注意を払う。例えば、食べ物を食べたときの胃からの逆流の問題を考えてみよう。高齢者の場合、福祉施設では一般的な車椅子に乗せて食事を食べていただくところが多い。そうした場合、食べたものが逆流して、吐血することが多くなる。場合によっては肺に入り込んで肺炎を起こす。病院ではこうした問題を防ぐために30度程度の傾斜角がついたベッドを用いる。車椅子でも足を伸ばして角度をつけて利用できる車椅子を用いる。そうすれば食べたものの逆流が起こりにくい。
病院では看護師が中心になってケアを行う。注射、投薬、タンの吸引、経官栄養など、現在福祉施設ではできないが病院ならできることが多い。一方、介護福祉士は医療行為と呼ばれるものはできない。看護師スタッフが少ない福祉施設では、訓練されたスタッフが不在であり、医療に関する知識は不足しがちだ。高齢者施設の利用者が危険な状態になると病院に緊急入院を行う。そのまま、病院で終末医療に移行する場合が多くなる。こうして死を施設の中で看取ることがないために、そうした技術が発展しなかったのは当然ともいえる。
福祉施設には看護技術が圧倒的に不足している。ただ単に医療現場から福祉施設に終末医療の現場を移し、医療費を削減するという発想はいただけない。人間に対する尊厳を保つことができる、より質の高い看護を「福祉施設で」実施することができるように看護師配置を強化するなどの福祉施設の医療技術の向上に資する政策が必要だ。
12月 2006のアーカイブ
レジデンス日進では家族会が主になってクリスマス会が行われました。
歌は芳賀さん。ピアノは上西さん。今日はボランティアで来ていただきましたが、日進市の地元で教室を開いている先生方です。
美しい声で歌を歌ってくださると、利用者のみんなもうっとり。ピアノ演奏では先生の横にS君がちょこんと座っています。始めはニコニコとしていただけでしたが、しまいには少しずつ指がピアノの鍵盤の上を踊ります。案外「音楽」らし聞こえ、ちょっとしたお愛嬌なので、先生もなすがままにしておかれたそうです。
思えば以前から音の大嫌いな人でした。大きな音がすると飛びだしていってしまいます。この頃、そんなことがなくなったと思っていましたら、今日は外に飛び出すのではなく、一緒にピアノを弾いている感じ。しかもニコニコ笑って。いい感じです。
この後、ゲームや松健サンバをしてケーキを食べていろいろプレゼントをもらってその後、所長より工賃が渡されました。みんな、「オーッ!!」と声を上げて喜んでいました。
新しい年を迎えたら、働ける人はもっともっと働いて、工賃をもっと沢山もらって、楽しいこともいっぱいやろうね。今年はもうじき終わりますが、元気にそろって新しい年、よい年をお迎え下さい。ありがとうございました。
天白ワークスに用事があって出かけました。
作業室に入ったとたん、ひとりの利用者が駆け寄ってきて、
「ちっとも来なかったねえ。なんで来てくれへんの?」
「うん、忙しかったもんでね。」と私。
「このごろ(レジデンス日進の)Sさんが来なくなったので、私ひとりでがんばっているんだよ」と新作のはしおきを見せてくれました。
そこへまたひとりが来て「ちっとも来んなあ。来なかんよ。(来ないといけないよ)」と背中をたたきました。こんな私でも喜んでくれるんだと思いました。
ちょうどその時、10人ばかりの地域のグループの方達が陶芸教室を終えて帰られるところ。この方たちは老若男女さまざまな人たちのグループで、天白ワークスの利用者の人たちの作業と平行して開催されている陶芸教室の参加者のみなさんです。私はごあいさつするとグループの長の人が「私たち、おじゃまして申し訳ありません。」とごあいさつ。みなさんいっせいにニコニコと口々にごあいさつ。「来月もまたおじゃまします。」と帰っていかれました。
仏教に、和顔施(わげんせ)ということばがあります。無財の七施のひとつで、自分の損得から離れて、人に対していつもにこやかに笑顔をもって応対すればいろいろ良い方向へ転じていくという教えです。
私はこうした教えがあることも知らなかったのですが、私は利用者さんたちの笑顔に支えられて生きています。利用者さんの笑顔はまわりの人々を幸せに向かって歩むよう後押ししてくれているようです。なにかと苦しいことが多い今日この頃ですが、私は毎日、利用者の人たちとも、地域の人々とも笑顔で接することができ本当に感謝です。
12月17日(日)、今日はレジデンス日進の利用者さんたちをいつも診療してくださっている福島先生ひきいるドクターズバンドのクリスマスナンバー演奏の日です。バンドメンバー7人すべてがお医者さまです。
私は丁度お客様があって、用事を済ませた後、途中参加でしたが、デイケアセンターに入っていくと圧倒される程熱気むんむんでした。みんなそれぞれカスタネットやタンバリンを持って踊っていました。バンドの方々も汗をかいて顔が光って見える程熱演していました。お客様も参加され、「重度の方が多いと聞いていましたがどの人が重度の方なのかわかりませんね」とおっしゃいました。
大きな音がすると走り出してしまう人、興奮して大声を出す人、ボンボン飛び上がる人といろいろいたのですが、みんな楽しそうに踊ったり、楽器をたたいたりしていました。楽しさがわかってきたのだと、私はとても嬉しく思いました。
こうやってレジデンスの中で暮らしているみんなですが、施設の周りの人々がいろいろ外の空気を運んでくれます。音楽も仕事も楽しいこともすべてが中で暮らす人たちの心の糧となって何歳になってもみんな成長していくもとになるのだと思います。
用事があってコロニーへ出かけました。用事が済んで私は長男と少し時間を頂いて、春日井市緑化センターへコーヒーを飲みに行くことにしました。
偶然にも、春日井市立養護学校高等部の生徒さんたちがハンドベルの演奏をするところでしたので、長男と二人ならんで会場に座りました。
そろいのハンドベル用の制服を着用し、白い手袋をして整然と並んだ様子はみんなとても凛々しく見えます。何人かの人がかわるがわる説明をします。題目の説明をする人、春日井市の福祉まつりで演奏したことを誇らしげに話す人、他の市町村から招かれて演奏を行ったことなど、みなさんとてもすばらしい挨拶で並みいる人たちは万雷の拍手でした。私はこの人たちなら全員就労することができると確信しました。障害の程度区分が高いとか低いとかいうこととは別に、どんな形でも良いから人に自分のことをしっかりと伝えることができることがとても大切なんだなあと思います。
演奏もすばらしく、「サンタがやってくる」「ジングルベル」「きよしこの夜」などクリスマスにちなんだ曲目を続けて演奏してくれ、長男もリズムに合わせて体をゆすっていました。「ハンドベル聞けてよかったね!」というと、嬉しそうにしていました。その後、子どもたちと養護学校生徒とがハンドベルを通してのふれあいタイムがあってみんな嬉々として交流していました。
時間が気になるのでそこまでにして、急いでコロニーに帰りました。棟に着くと、ノロウィルスによって下痢気味の利用者さんたちの世話で職員さんは大わらわ。ノロウィルスによる急性胃腸炎は2~3日ですぐに治りますが、感染する率も高く、熱も出るので大変です。おかげでもう下火になったそうですが、世話をしている職員さんたちに心から頭が下がりました。ありがとうございました。
※私たちもよく手を洗いましょう。
※今日も一日、とても良い日を過ごせたことを感謝します。
久しぶりにクリスマスコンサートに行ってきました。始まるのが6時30分からです。この時間、いつも眠たくなる時間なので心配しましたが、なんのその、すっかりピアノ演奏に魅了されてしまいました。
曲目「オペラ座の怪人」や私の好きな「ラ・カンパネラ」が演奏され、バックの光るトナカイさんとあいまって、クリスマスコンサートはとても盛り上がりました。
そしてなんと演奏者からのプレゼントCDが私たちの同行者の18歳のお嬢さんに当たって、私まで大喜びをしました。
お店は旬の無農薬・有機野菜の家庭料理の店。オーナーご家族が最後に手作りクッキーの袋を配ってくださいました。きびきびしたお兄ちゃんから私は袋を頂きましたが、お母様に抱かれたダウンちゃんが私をじっと見ていました。私は「ありがと」とダウンちゃんに言いましたら、お兄ちゃんも嬉しそうでした。素敵なお食事と音楽で心を癒し、暖かな気持ちで帰路につきました。
このところ、施設運営に心を痛めていたのですが、ひとときとはいえ、心を癒されることは大切です。さあどうしたら次の計画を実行できるか、ふとんの中で考えているうち、いつの間にか眠りに入っていました。
人と技術
社会福祉法人は後3年くらいの間に変化できなければ確実に滅びる。これからの3年間は人間力と技術力を高める3年間となる。
人間力とは利用者を大切にする力だ。現場でこの力をつけるためには、常に利用者の幸せを優先することだ。利用者は個人ごとに幸せが異なる。ひとりひとりに合わせて満足を積み重ねていく人間力が求められる。利用者を大切にする思想は組織の倫理性によって大きく左右される。社会福祉法人として生き残るためには法人に高い倫理性が求められる。
どんな分野のビジネスでも技術力が組織の力となる。福祉分野のサービスは人間によってもたらされる。技といってもいい。介護保険との統合という危機を前にして、これから生き残るためにはスタッフの教育・研修によって技術力を高めることが必要だ。
では知的障害福祉分野の技術はどういう形で高めていくことができるか。
技術は日ごろの実践の中で、努力の積み重ねによって成就される。現場に問題があれば改善し、少しでも安全性を高め、少しでも効率がよい方法を選ぶ。いい方法があれば貪欲に取り入れることが肝要である。問題があれば正直に公表し、それを直す。そのために職員が自ら現場を変える仕組みを導入していきたい。
知的障害者分野の介護は、他の福祉でみられる通常の介護に加え、就労支援がある。知的障害分野で身につけた技術はどの分野の介護にも応用が利く。反面、知的障害分野の介護はとてもひとりではできない。だから知的障害者ケアはチームでやる。
行政機関や医療機関、教育機関との連携も必要である。行政と連携を進めれば必ず一体感がでる。私たちは行政と馴れ合いになるわけではなく、また反目しあうこともない。時には激しい議論をすることもあるが、これからも行政との連携を最重点課題として地域の中で確固たる役割を果たして行きたい。
家族との話し合いも大切だ。だが、これはもっとも難しい。だから知的障害分野では特にコミュニケーション技術が大切だ。
自立支援はことばを変えれば問題解決支援である。問題の解決のためには本人の行動を変えることもさることながら、まわりの人の行動を変えることも大切だ。支援者自身が変わることができなければまわりの人を変えることは難しい。技術を高めるためには変化が重要だ。
名東福祉会は新しく、児童デイサービス事業を行う。もちろんニーズがあるから取り組んでいくわけだが、この分野で新しく迎える療育スタッフは名東福祉会の支援技術を大きく前進させてくれるだろう。職員教育・研修の中核的な機能として位置づけ、介護スタッフ全体の心理的、社会的な問題解決力を高めてまいりたい。
技術を磨いてもそれに見合う報酬がなければ人は長くこの世界にとどまらない。もちろんお金が報酬の全てではないものの、賃金は重要な要素ではある。ところが肝心の介護報酬単価がこれから高まることは予想しにくい。国や自治体に対して要望をあげていくことは当然としても、現実的な収入アップの道を考えねばならない。
それには、やはり、経営を効率化しながら利用者が求めるニーズに果敢に応えていくことだ。ケアホーム実現と就労継続支援・就労移行支援への取り組みがこの3年間の最大の課題となる。特に、就労継続支援は経理方式も変わり、利用者の収入アップだけではなく職員の収入アップや生活の質の向上にもつなげることもできる。大きな可能性をもっている道なのだ。名東福祉会はこの分野が特に弱い。これを変えていくことが生き残りの必須条件ともいえる。
最後に、さきごろ社会保障審議会で提言された、今後求められる「介護福祉士像」について紹介しておく。
今後、介護福祉士の国家資格要件はこの路線に従って改訂されていくことは間違いない。
1 尊厳を支えるケアの実践
2 現場で必要とされる実践的能力
3 自立支援を重視し、これからの介護ニーズ・政策にも対応できる
4 施設・地域(在宅)を通じた汎用性ある能力
5 心理的・社会的支援の重視
6 予防からリハビリテーション、看取りまで、利用者の状態の変化に対応できる
7 他職種の協働によるチームケア
8 一人でも基本的な対応ができる
9 「個別ケア」の実践
10 利用者・家族、チームに対するコミュニケーション能力や的確な記録・記述力
11 関連領域の基本的な理解
12 高い倫理性の保持
12月4日(月)~5日(火)、ホテル日航豊橋を会場にして、愛知県知的障害者福祉協会が主催で職員研究大会が行われました。
「良質で安定したサービス提供を目指して 自立支援法でどう変えてゆくのか」がテーマです。今回は本人の参加と保護者の参加が思わぬほど沢山ありました。
基調講演は福岡寿氏(北信圏域障害者生活支援センター所長)。テーマは「自立支援法を受け、再び地域生活支援を考える」。地元西駒郷から地域へ移行し、その後、どう対応したかについての話です。それは「ケアマネジメントの仕組みづくり」がポイントで、その中心は実際にはケア調整会議であったといいます。地域の様々な分野のプロが集まり、障害者のニーズにどのように対応するのかについてのアイディアを出し合い、実行する会議です。これからは「どうやって福祉分野以外の人たちと連携するのか」がポイントであることを示唆されました。その話の速さはまるで機関銃のようで、私のように老齢の身には聴き取るのもやっとでした。
川口弘福祉協会前会長(ホタルの郷施設長)からも特別講演がありました。内容は施設は今存亡の時。厳しい状態だが、職員がきっちりやってゆかないと障害者が困る。
1 可も無く不可もない職員になってほしくない。
2 サークル活動、なれあい活動はだめ。
3 施設長は何もやらないはだめ。
4 若い職員からどんどんアイディアを。
5 違った分野から福祉を見てほしい。
6 目標管理が重要。指針を示す。
7 変化を恐れず、自ら変わる。
8 常識を打ち破る。
9 人間を好きになり、コツコツと進める。
これまで福祉分野ではあまり紹介されなかったP.ドラッカーの経営理論を引用され、福祉経営もいよいよ一般企業以上の経営センスや企業理念が求められていることを痛感しました。でもそこは川口先生。「論より愛、考えるより行動を」と福祉の実践家らしく話を結ばれました。
私は第6分科会の家族の会に入りました。会場は100人程入っていてたいへん驚きました。会長の南氏から「自立支援法は自殺支援法。今後、政治を動かす請願書を提出したいのでみんなに入会してもらいたい。家族も困っているが施設も困っている」とのあいさつがありました。こうした時代にはどうしても言葉が過激になりますが、政策が大きく変わるときには行政も施設も家族との十分な話し合いが必要であることを強く思いました。
利用者の兄弟といっても私と同年代の方もたくさんいらっしゃいます。愛知県の障害者福祉も50年以上の歴史を刻んでいますから、当時の利用者の親はもうとっくにいなくなり、兄弟の世代も高齢化が進んでいることがわかります。私たち名東福祉会も設立から30年近くになり、いよいよ家族会の世代交代についても考えていかねばならないと思いました。
就労支援事業の活性を
2006年は障害者自立支援法によって障害者福祉が大きく揺れ動いた。
障害者自立支援法の光の部分は
(1)これまでバラバラだった知的障害者・身体障害者・精神障害者の福祉サービスが「一元化」されたこと。
(2)一般就労へ移行することを目的とした事業が創設されたこと。
(3)障害者が身近なところでサービスが利用できるよう、施設の基準や規制が緩和されたこと。
(4)支援費を国が義務的に負担する仕組みに改めたこと。
その一方で影の部分は
(1)障害者が福祉サービス等を利用した場合に1割負担が必要になったこと。
(2)食費等の実費負担が必要になったこと。
あまりにマイナス部分が大きかったために、自己負担部分について見直しも行われようとしている。
もちろん、今のままでは影の部分があまりにも大きい。これから十分な見直しを行い、障害者の生活の質が低下するような要因をできるだけ改善することが肝要である。ただ、私たち福祉サービスを提供する側の人間も、この法律が示すところである障害者の地域生活の充実のためによりいっそうの努力をする必要がある。
これからはこれまでのように国の予算に縛られて施設を建設する必要はない。自由な発想で仕事を開拓することができる。地域の中には通常の障害者が参加して市民の皆様のお役に立てる仕事がまだまだ存在している。これからは介護サービスの技術的な充実を計るとともに、就労支援を充実させることが必要だろう。
名東福祉会はこれまで、レジデンス日進の設置にエネルギーを費やし、障害者自立支援法の施行にともなう大幅な収入減を乗り越えるために翻弄されてきた。障害者自立支援法の導入に伴う混乱が激変緩和措置でひとまず落ち着きを見せた今、名東福祉会は地域の中で障害者と健常者が力を合わせて働くことに力を入れていかなければならない。激変緩和で与えられた時間はわずかである。
例えば資源の循環に貢献する仕事。現在、日進市では食用油の廃油を日進市運営の路線バス(くるりんバス)の燃料に再生する仕事を障害者施設に委託すること検討されているという。この仕事を私たちの法人の利用者の方々にも是非やらせていただきたい。
障害者の就労は一日にして成立しない。健常者と比べると作業内容の習得に時間がかかる。反面、一度習得した作業は確実にこなすことができる。リサイクル事業は継続性が高く、その点私たちの得意分野である。また、廃油を集め、それを自動車燃料に生まれ変わらせ、配達するシステムができれば、一般家庭からの廃油回収、一般車への配給へと拡大することができる。さらに、生ゴミの回収とゴミ袋や肥料やお米や野菜などとの交換など市民との触れ合いを深めるリサイクル事業にも発展させることが可能であり、大きく夢が広がる。
これからは観念的な地域福祉論はいらない。どうやって市民のお役に立てる仕事を獲得し、それを障害がある人の生活の糧にするかが肝心だ。ひとりひとりのお客様をどのように大切にするのかの積み重ねが地域に根付くことであり、その延長が就労継続支援事業であり、地域福祉である。
えがお歯科の橋本京一先生とお知り合いになり、この度、橋本先生から「若さと歯の関係について」お話をいただくことになりました。えがお歯科はレジデンス日進のすぐ近くにある歯科医院で、利用者さんたちが診療してもらっています。その医院の大先生が今年84歳になる橋本京一先生です。
ごく少数で談話会にしようということで、初めてのことだから私の友人10人に呼びかけたところ、うわさを聞きつけどうしてもという人も参加することになり、14名の談話会となりました。14人となれば手ごろな部屋がないので、まだ完成していない新しい職員室を使わせていただくことになりました。先生は84歳とは思えない体格でいらっしゃいます。声もはきはきと張りがあって聴き取りやすく、体中から健康であることがにじみ出るようでした。
若さを保つのは、よく噛むこと、よく歯磨きをする2つが大切であるとのこと。当の私はほとんど入れ歯というか、とりはずしのできないインプラントや差し歯。今では歯茎がだめになって固いものは食べられません。もう手遅れかと絶望的になってお話をうかがいました。
参加者14名に先生は「8020」ということばを知っているかたずねられました。8020とは80歳になって20本の自前の歯を持つよう、口腔衛生に努めましょうという運動のこと。知らなかったのは私だけ。私たちの年代になると、ほとんどの人が知っておられると知り、はずかしくなりました。
振り返ると私はこの50年間、知的障害のことしか考えが及ばず、「福祉オタク」と言われてもなんのことやら分からず、後で調べて激怒したこともありました。自身の健康を省みなかったことは今となってはもう遅いことは重々分かってはいますが、ともかく今日の先生のお話の中からひとつでも実行しようと覚悟を決めました。クオリティ・オブ・ライフです。
大声でしゃべる、歌を歌う、3ヶ月に1回は検診する、口腔清掃と生活習慣の改善と・・・なーんちゃって。三日坊主かも。
いつも使っている歯ブラシを持参するようご指示があったので、お弁当をいただいた後、先生のご指導のもと、みなで歯磨きをしました。「ブクブクパッ」ではなく、お茶を含んで「ブクブクゴックン」とそのまま飲み込むのです。先生は「おいしかったお弁当が全部胃の中に入って全部栄養になりますよ」といわれます。「口腔は歯磨きによって清潔になり、細菌は増えませんよ」とも言われました。私は私の意識改革から始めなければなりません。
余談ですが、お弁当は地域のボランティアさんに作っていただきました。何だかとてもおいしくて、地域の人と仲良くなれた嬉しさと相まって今日の昼食は格別、感謝です。