「結果がすべてである」というのは、結果責任の軽視の風潮に釘をさす警告の意味合いがあるからです。特に、政治家が結果責任を問われて「プロセスが大切」なんて言うのは、責任逃れのようであり得ませんよね。
でも、よくよく考えてみれば、「結果」と「過程」は明確に区別できるものではありません。得られた「結果」が新たな「目標」を生み、目標を実現する次の「過程」に繋がっていくからです。特に障害福祉は連綿と続く過程の中に諸活動がありますからなおさらです。
名東福祉会では陶芸やたいこ、ダンスに歌など、いろいろな「表現」の機会があります。もちろん名東福祉会だけではなく、多くの知的障害施設では「表現活動」を大切にしています。
ある事を「表現」しようと思ったら、日々、多様な過程を経ます。例えば小さな陶芸製品の注文を受けて、それを作ろうという仕事をするときにも、土屋さん、釉薬屋さんなどと打ち合わせが必要になります。納品のための箱も作らなければなりません。場合によっては陶芸のプロの話も聞きます。陶芸製品のデザインは指導員だけではできません。利用者の人が得意とする表現をその製品に反映させてこそ利用者の製品となります。ひとつの陶芸製品を「表現」するためにも莫大な人が関わります。そのプロセスが社会とのつながりであり、「表現」になります。祭りをやれば、発し手と受け手の間で多様な表現が生まれます。
伝統的に「表現の活動」が福祉施設で重視されているのは、「表現活動」がよい効果、よい結果を生むからでしょう。障害は、社会との関係で生まれる側面があります。表現の過程を社会と共有し、お互いに楽しむ事によって、社会も影響を受け、ひいては障害の性質そのものが変化していきます。
新しい制度がスタートしましたが、伝統的な表現過程は、生活介護施設の活動の中でも重要な地位を占めていくと思います。