自立ということばは「セルフヘルプ」の翻訳として使用されてきたように思う。つまり、自立とは自分自身の努力とか能力による、自分自身の問題を解決するための行為というような意味だ。
日本では近年、「自立支援」という言葉ができた。
「障害者自立促進」ならまだわかる。
「障害者支援」でもいい。
ところが、障害者自立支援となるとこれは難しい。
ちょっと意地悪く自立(セルフヘルプ)の本来の字義を解釈してみれば、「人助けが必要な人を、人助けされなくてもいいように、人助けする」となる。自立支援がややこしくて意味がわかりにくいことばであることがわかる。
この事は教育的な場面や治療的な場面においてはわからないでもない。教育現場では、療育によって自立の可能性を広げていく目的があるからだ。だが日本の福祉現場で大切にしてきた「ともに生きる」という観点からは、これらの考え方には違和感があることは否めない。
いかに優秀な教育者や治療者が現われ、新しい教育技術が開発されたとしても、障害そのものはなくならない。むしろ、教育・治療活動の成果があがれば上がるほど、障害とともによりよい生き方ができる社会のあり方を求めていく「ともに生きる」という考え方がなおいっそう重要になる。
これは日本人が古くから大切にしてきた博愛と公益の精神でもある。もちろん昔の福祉が今より優れていたというのでない。ましてや昔に戻れと言うのでもない。
私たちの社会は本来、わざわざ自立支援というようなややこしい概念を必要としないような懐の深い社会であった。少なくとも明治時代には私たちの社会は家族が力を合わせ、友がお互いを信じあい、ひとりひとりが進んで博愛と公益を広めていくことが美徳であり、そうした徳のある行動を教育の場面で育もうとしてきた社会であった。
福祉の制度が時代の要請に合わせて調整と擦り合わせを繰り返し、変化していくことは必要である。しかし同時に、変えてはいけないものもある。ひとりひとりの成員が、もてる力を発揮しあい、それぞれができる範囲で、障害がある人とともに歩んでいくことの大切さはこれからも決して変わることはない。