このところ様々なニュースで「障害」ということばが使われる。
行動障害、対人障害、人格障害、パニック障害、境界性人格障害、社会不安障害、適応障害・・・・・
症候群ということばもよくつかわれる。
まだその実態さえわからないにもかかわらず使用されている言葉も少なくない。国際的に定義された「知的障害」のようなことばや概念とは全く異なる。
問題はそうした言葉を発信している人と、受け取っている人が同一の定義に基づいて理解し合っている状況はほとんどないということだ。いったん「言葉」として流布してしまうと、安易に使われ、つぎつぎに別の意味が込められて広がってしまう。あわせて、「障害」という概念や連想もまたどこまでも広がっていく。
本来、「障害」というからには、健常者がサポートすべきであることを暗に示唆する。社会福祉法人が存在するのもそのためだ。しかし安易な「障害」の広がりは際限なく「健常者」の義務を広げることになり、ゆくゆくは「健常者」の障害に対する拒否や拒絶に結びつく。
昨今では道徳の破壊を生み出しているのは「行き過ぎた権利意識」だという指摘がされるようになってきた。これだけ「障害」や「権利」がやたらに使われれば当然の批判だ。
知的障害者や身体障害者の生活の質や社会参加を促進する上で、社会からの協力が不可欠だ。したがって、知的障害、身体障害のサポートを職業とする私たちは、安易に「障害」の概念を広げることを慎まなければならない。
障害者の権利を主張することについて、私たちはより注意深く、深慮して行動する必要があるのではないだろうか。