それにしても国や地方行政のやっていることには無駄が多く、最近の政治情勢はただでさえ悪化している財政をさらに悪化させています。無駄ならまだしも社会保障に絡む不正や防衛に絡む巨悪も次々に明るみに出てきます。
今政治はこれまでの歳出削減の無駄をなくす努力は不要であったかのような「小春日和」を迎えていますが果たしてそれでよいのでしょうか。
例えば消費税のアップ論議。必要な財政支出をまかなうためには増税が必要という論議であり、このままではほとんど障害者福祉にまわることはありません。
消費税増税になればじわじわと上がる食料品等の物価上昇と消費税の上昇のダブルパンチで障害基礎年金は消失します。もう消費税をあてにした障害者福祉はこの国では期待できないのではないでしょうか。
むしろ消費税増税と金融の緊縮でこのまま経済が縮小することは怖いことです。失われた10年で私たちは不景気の怖さを体験してきています。
1 障害者が働く場所場所がなくなる(まっさきに解雇)
2 下請けの作業がなくなる
3 授産製品が売れなくなり工賃が減少する
やはり健全な経済成長があってはじめて障害者福祉も安定します。
では消費税を上げずにどこに支援費の財源を求めるのでしょうか。
徹底的に行政の無駄をなくすことが第一。
次に介護保険と同様の障害者保険の導入です。具体的には20才からの介護保険者の加入です。
ですが介護保険の障害者への拡大は経団連、医師会、高齢者福祉団体の反対でなかなか切り込めません。
経団連は消費が減速する恐れがあるから反対(消費税は商品に転化できるので賛成)。
医師会は医療保険が見直されることにつながるから反対。
高齢者団体は障害者への介護保険の分配で割り当てが減るのがいや。
そうした中で肝心の障害者団体は支援費が義務的経費になったことと激変緩和措置が出ただけで安心しきってしまいました。
高齢者福祉が厳しくなったとはいえ、介護保険と支援費の単価差を見る限り、障害者福祉の不公平さは解消されているとは言えません。
医療保険の世界は国の予算とは切り離されているため、無駄が見えないのです。でもそこには障害者福祉の世界とはケタ違いの無駄が存在しています。
こうした不公平がそのまま放置されるのはやはり障害者福祉に国民が無関心であることが原因でしょう。
これを解消するためには政治を変えるために親の会と民間福祉施設やNPOが連携することです。全国知的障害者福祉協会には育成会とは別に全国の施設利用者の親の会を組織化する動きがあります。ただでさえ小さな集団が団体のいがみ合いでさらに細分化されていけば、国民の関心はさらに遠ざかってしまいます。
●小島一郎(名東区障害者地域生活支援センター所長)
「国民の関心が障害者福祉に向かない」のは、やはり、「誰もが年をとる」という高齢者福祉の分かりやすさに比べ、障害というものの身近さを国民が感じにくいからでしょうか。同じような意味で、それでは児童福祉はどうかとも考えてみたりするのですが、やはり今ひとつの感がある。
結局のところ、誰もが「自分の問題」に一番の関心があるのであって、年老いた先の不安というのは避けられないし、そのための福祉の負担は何とか受容できるが、障害者が家族や親戚にいる訳でもない、結婚するかどうかも分からないし、自分に子どもができるかなんて、もっと分からないとなると、なかなかこれらの問題に主体的に向き合おうとは思っていただけないのでしょうね。
ただ、私自身、支援Cでの相談業務や認定調査を通じて、いかに大勢の方々が生活習慣病から身体障害者となっているか、いかに精神疾患を抱えた方々が普通に地域で暮らしているかを知ってしまい、一個人として、素直に自分の問題として捉えられるようになったという経験をしております。誰もが年をとるように、誰もが障害者になり得るといった実感です。ですから、アナウンス次第で、広く国民が障害者福祉に目を向ける可能性は、充分にあると思っていまあす。
ひとつ難しいのは、知的障害者の問題。一応、正常域内にIQがある人間としては、自分が知的障害を負うかもしれないとは思えません。また、自分の子どもが負うかもしれないという論理も、やはり「誰もが・・・」というシンプルさにはとても敵いません。つまり、知的障害へ国民の関心を向けることが最も困難で、せいぜいTVドラマなどで、「無垢な天使」のようなレベルの扱われ方をするのに留まってしまいます。
私のように、15年も知的障害者施設にいた人間は、「自分がなるはずのない」知的障害をもった利用者を相手にし続けた結果、「自分もなるかもしれない」身体障害や精神障害にインパクトを受けている訳です。ある意味、象徴的な話です。
実際には、「誰もがなるかもしれない」脳血管障害やうつ病の話は医療の話となり、予防の話、健康の話として政策反映されているので、ダイレクトに障害者福祉を動かすことはないのですが、教育や福祉、医療といった分野を体系的に大人が理解するよう、構想していかないといけないと強く思うこの頃です。それが、社会の成熟ってものではないですか。政治や行政のプロは、それを形にしてこそのプロですよね。