9月21日は愛知県知的曽湯会社育成会が主催で、成年後見制度について研修会が岡崎で行われたので
日進市育成会の人々と共に参加させていただきました。
講師は全日本手をつなぐ育成会中央相談室長の細川瑞子氏。
氏は富山県で弁護士のご主人とともども育成会で活躍され、以前から存じ上げていたので久しぶりにお目にかかりたいと思い、私も参加させていただいたのです。
240名以上の参加人数で、講演終了後グループ討議を行いました。各グループから先生はひっぱりだこで、あとから聞くと、どのグループからもとてもわかりやすく「成年後見制度」が理解できたと好評でした。親なき後を憂うのではなく、親あるうちにきちっとしておこうという主旨が理解できたようでした。
今後は、新しい時代にあった本人の権利擁護にむかって育成会は動かなければならないし、親にかわる人生の伴走者としての後見人制度を完備させなければならないと思います。
先生は権利が擁護されるために
1 地域サービスを整備する
2 「本人を護ること」すなわち権利擁護のあり方を問い直す
3 後見人制度をとりあつかう民間機関を整備する
などの提言をされました。
私たちのグループ発言のなかで、今世話になっている施設の職員がこのままだと結婚しても暮らしてゆけないと転職してしまうのではないか職員が喜んで勤務してくれるにはどうしたら良いのかと強い口調で後見人制度よりも障害者自立支援法を何とかしてほしいという意見も出てグループ長さんはとりまとめに大変でした。
がんばれ親の会
構造改革をストップし、福祉サービスをもとのようにもどしたところで、障害者が幸せになるとは考えられません。
構造改革は引き続き続ける必要があります。
これまで日本の福祉政策は新自由主義といわれる政策の体系のもとで改革が進んできました。
新自由主義は
1 国家による福祉・公共サービスを少なくして民間サービスにシフトする
2 規制を緩和する
3 市場による競争を促進する
グローバル化は新自由主義が世界全体に広がったものです。
もともと、日本は家族介護中心の福祉政策です。
「老々介護」という言葉に象徴されるように、日本は家族が介護することが強いられており、情報も十分に家族に届いていません。
構造改革を中断してもこれまでのように役所が福祉を提供する世界では隅々まで行き届いた世界が展開されることは期待できません。
知的障害者の世界には「手をつなぐ育成会」という存在があります。通称、親の会です。
このところ、親の会の組織率は全国的に低下してきていました。これは新自由主義による構造改革により
新しい福祉サービスが提供されるようになったことと関係があります。
これまでは福祉は国や行政から提供されます。
日本の場合には基本的に社会保障制度が申請主義になっているため、十分な情報提供がなされません。
家族介護中心の世界では親の会が情報の提供や施策の整備に役割を果たすことになります。
親の立場から見て、親の会に所属するメリットは、
1情報をキャッチすること
2親の会が経営する施設を利用しやすくなること
3親の会に所属することによって圧力団体としての力が強化され福祉施策が増進されることが期待されること
などがあげられるます。
新自由主義が浸透すると選択できるサービスが増加し、福祉サービスを提供する側からのアプローチが増えます。
そうすると、
1民間福祉サービスの広告活動により情報を主体的にキャッチする必要がなくなる
2民間福祉サービスが増えて施設利用がしやすくなる
3福祉施策が国や行政による福祉から民間の福祉に移行すれば圧力団体そのものの存在意義が低下する
など、親の会に所属するメリットが減少するはずです。
だからといって親の会が衰退していくことを親の会の会員が手をこまねいて待っているのは間違いです。
むしろ、これからあるべき福祉サービス市場を創出するために新規の事業を産み出していくことが求められているのだと思います。
新しい民間による福祉サービス、すなわち「福祉ベンチャー事業」は本来親の会から生まれなければならないと思います。
企業はこうした福祉ベンチャー事業に投資をすべきです。
例えば給食会社や食品関連会社、人材派遣会社、医療関連機器メーカーなどは投資により新しい商機を拡大する可能性があります。就労支援分野はより大きな魅力的な投資先です。
これまでは福祉施設整備によって利益を得るのは建築業ぐらいでした。
他の分野は指定された商品の入札をするだけで、指定された商品もつまらない時代遅れの商品だったりして利益はありませんでした。それが福祉ベンチャー事業の育成という投資行動により積極的に自社の商機を拡大することができます。
親の会には新しい戦略を求めたいと思います。
1地域企業への共同事業の創設に向けた積極的なプレゼンテーション
2魅力ある福祉市場を創設するために必要な障害基礎年金の大幅な強化を行政へ求めること
3福祉ベンチャー創出のためのアントレプレナーの育成
4福祉ベンチャーと企業の橋渡し
など、構造改革の時代にふさわしい親の会の運動戦略です。がんばれ親の会です。
快適な暮らしは自分でつくる
江戸の町は当時、世界最高の衛生的な生活環境であったそうです。
江戸の町の美しさは公的な仕組みで維持されていたのではなく人々が助け合って維持されていました。
例えば家の外の掃除は今のように清掃車が行うのではなく、一家総出で行いました。
十分な法制度はなかったかもしれないが、町の美しさを維持するための行政コストも必要ありませんでした。
施設は支援費によって維持されています。
利用料金は法令によって一律となっており、障害者の収入からすれば寄付金によって施設を改築することも難しい状況です。
支援費が削減されている今、施設はかかわりを持つみんなで維持することが大切です。
名東福祉会は家族会のご協力でそうした活動が盛んに行われている施設。それが伝統ともなっています。たいへん喜ばしいことでありなおいっそうのご協力をお願いたします。
職員にとっても掃除は家具や床についた傷を発見し、利用者が抱えている暮らしにくさや不便さや介護上の問題点を発見する機会にもなります。
掃除中に投薬されているべき薬が落ちているというというような重大なミスを発見することもあり、清掃やメンテナンス業務は介護技術の向上とならんで非常に重要な業務です。
施設は「住まい」。利用者もなんらかの形で掃除や家具の修理や自分なりの家具作りや部屋づくりを行うべきでしょう。
北欧のデンマーク郊外にあるファーラム市の障害者施設に見学に行ったとき、ユニットの外に続く庭でバラの花のまわりの落ち葉を拾っていた利用者の幸せな表情が印象に残りました。
利用者が積極的に施設づくりに参加できるならば、利用者にとっても施設のメンテナンス活動は楽しみな活動にもなります。
整理・整頓・清潔・清掃は生産現場の基本中の基本。就労支援活動の場においても汚れや道具の散乱は生産効率の低下を招き事故にもつながります。
レジデンス日進では数ヶ月前から統括本部長自ら敷地の清掃をしていただいています。
「毎日掃除を続ていてたいへんでは?」
と訪ねたら、毎日ご近所の人たちから声をかけられるので止められなくなってしまったと謙遜されていました。
レジデンス日進の屋上はこの暑さで少し弱り気味です。
でも萩の花、おみなえし、すすきが初秋の風情をかもしだしています。それに、水盤のほていあおいがみごとな花をいっぱい咲かせてくれました。
残念なことに立ち枯れたラベンダーやシャクヤクもありますが、きっとまた、再起してくれることを祈っています。
レジデンスのお掃除は家族会の有志や野の花会のボランティアさんたちが、こまめにやって下さるので、ほんとうにありがたいことです。
レジデンスの利用者の中にもお掃除クラブなんかできてみんなで喜んでもらえるといいなあと思ってしまいます。
鹿児島の白鳩会のひとたちのみごとな農園、茶畑、花畑はみんなが根気よく手入れするので
農製品の優秀賞まで獲得してしまったんですね。すごいなあ!!
なにごとも努力、努力。私もがんばろう・・・・。
かって障害者のグランドデザインで示されたライフスタイルは私達知的障害者福祉に携わるものからは非常に魅力的に見えました。
このところ示されている障害者自立支援法の方向性は障害者福祉のグランドデザインから離れつつあることが心配です。
障害者自立支援法については財政再建の圧力から支援費報酬の圧縮、障害程度区分の認定方法、障害者本人の自己負担を軽減することばかりに議論が集まりました。
本来ならば、社会福祉サービスの規制をさらに緩和させるとともに知的障害者の収入を上げることに議論の関心を向けるべきであるのに
そのような方向性の議論はまったく無視されたことは障害者にとっても福祉サービス提供者にとっても不幸なことです。
限りなく自己負担を減らしていけば、結局無料の福祉サービス利用という世界に行き着きます。
お上から与えられるサービスである限り、ニーズにきめ細かく対応する独自のサービス開発を行う意欲はわきません。
結局、利用者にとっては選択が保障されずQOLが向上することにつながりません。
知的障害者に真にやさしい障害者支援法であるためには
1 知的障害者の基礎年金を大幅に増やすなど障害者の貧困対策を行うこと
2 さらなる規制緩和を行い、福祉サービス開発の土壌を養うこと
3 良質な介護サービスが提供できるよう、評価システムを抜本的に改善すること
など、根本的な対策が必要です。
激変緩和措置により、よりよい福祉サービスのあり方を求めるムーブメントが下火になってしまうことが心配です。
鹿児島県の社会福祉法人白鳩会を訪問させていただきました。
理事長 中村隆重氏のお話をお聞きしたり、ビデオを見せて頂いた後、
白鳩会が運営する各施設、農場等々、広大な土地とその取り組みを見学させていただき、ただただ驚き、感心するばかりでした。
設立して30周年、その業績もさることながら、設立当初から卓越した先見の明があり、その努力によって各施設、農場ほか、各種事業は今の時代にぴったりあっており
これからもなお研究努力して、知的障害者の福祉を推進していこうとする白鳩会の方針に敬意を表するのみでした。
鹿児島の最南端はあまりにも遠く、交通に時間がかかって訪問は短時間少し残念でしたが、
理事長さんの考え方をひとつひとつじっくり思い出すと、訪問させて頂いたことはいくつになっても「学び」を体得することだと思います。
「共に育つ」「考え合う」「求め合う」「分かち合う」
という白鳩会の理念の奥深さと、職員を大切に思われているお心に共感を覚え、見学させて頂いたことを心から感謝申し上げます。
後日、ビデオが送られて来ましたら、見学報告会を行いたいと思います。
地域福祉を考え直そう
最近福祉関係者で使われている「地域福祉」ということばは、「施設は解体すべき」という誤ったメッセージを社会に出していると思われます。
「地域福祉」は「制限された生活状況にあった障害者に対して、多様な選択肢の用意すべき」という非常にわかりやすい命題をメッセージにしたものです。
はじめはノーマリゼーションということばが地域福祉にかわり、最近では<地域移行>という、施設からグループホームやケアホームに生活の場を変えるべきという非常に幅の狭いことばに置き換わりつつあります。
時を経るに従って崇高な理念も形を変え、利用者そっちのけの様式だけがもてはやされる議論になってしまっていることが残念です。
入所施設=制限的とは限りません。
利用者の立場から見ればグループホームやケアホームの方が入所施設と比べてより制限的な生活を強いられることもあり得ます。
数年後には障害者自立支援法でどの入所施設も夜間の生活と日中の生活が分離します。日中生活や夜間生活の選択が保障されているならば、それが旧来の施設福祉に代わる障害者自立支援法時代の支援システムなのではないでしょうか。
数人の利用者で構成されるユニットが数ユニット集まり、全体で50人くらいの共同住宅であっても、生活の選択肢が保障されているならば地域福祉といってもかまわないはずです。
ある経営者は「地域福祉時代だからうちは積極的に利用者を外に出した。その結果、利用者が少なくなって困った。」といかにも高潔な経営をしているように話します。
福祉施設がニヒリズムを気取ってもいいのでしょうか。経営が困難になって結果的に倒産して脱施設と言い切れるのでしょうか。
もういちど地域福祉を整理して、施設で行われているサービスが利用者にとって制限的であるか選択的であるかという視点で自己評価をしなおし、その上で自分たちが提供しているサービスを胸を張って社会に報告するべきです。
天白ワークスのKさんの妹さん(67歳)が亡くなられました。熊本在住の弟さんが駆けつけられ通夜告別式をされました。
Kさんは亡くなられた妹さんと二人暮らしでした。
妹さんはKさんに
「もし、自分が死んだら弟のところに電話するんだよ」
と日頃から教え、メモを渡してあったようです。Kさんはそのとおりに弟さんに連絡し、弟さんが来名されすべてを片付け、熊本のご自身の家の前にある借家がちょうど空いたのでそこにき引き取るとのこと。本人も家族も納得しているとのことにまずはひと安心しました。
名東福祉会がスタートして以来、私は似たようなケースをいくつか経験してきています。今回は遠くに住んでいらっしゃる弟さんがすべてを解決してくださったのにはたいへんありがたいことだと心から感謝します。
Kさんは15年も前に天白ワークスの記事が新聞に載ったとき、大きく私の顔写真が写っているのを見て、妹さんに
「この会社の社長だったら働きに行ってもいい」
と、妹さんと来所されたことから始まります。
天白ワークスは会社ではないこと、工賃は少ないこと等々を納得していただいて15年。楽しいエピソードもたくさんありますし、
仕事をすることに厳しい面ももっていましたし、重度の利用者に対しては最も手厳しく、時々怒って所長に訴えてくることもありました。
旅行に行ったときには私と々部屋でふたりで寝ることができるので、妹さんのことやお母さんのこと、彼氏のことまでも話をしてくれたことを思い出します。先日、天白ワークスでお別れ会をした時、楽しかったことのひとつとして
「旅行で所長といっしょに寝たね」
と思い出話をしてくれました。
障害を持っている子を持つ母親は、いつでも自分が死んだらこの子はどうなるだろうとみんな思っています。
年老いて両親が亡くなってからも、ずっと兄弟姉妹で生活の面倒を見ているケースをいくつでも私は知っています。
Kさんの妹さんは、自分が熊本から集団就職をして名古屋に来た時以来、ずっとみ続けて、自分が定年退職をしてこれから少しは人生を楽しく生きてほしいと思う時に急逝されたことはあまりにも悲しいことです。私は心ゆくまであなたと話がしたかったと悔やまれます。
あなたは、「これも運命だからあたりまえ」と、さらりと話されるのでしょうか。
内閣府副大臣の大村秀章氏とお会いしました。
「施設の話を聞くと日割り精算になって経営が厳しくなったという話ばかり。地域によっては4割減になったと聞きます。でも、そんなに利用していなかったのかというのが率直な感想です。日割り精算問題は一般の人たちには通りません。
その一方で親や障害者の方々とお話を聞いていると、どこに相談にいっていいのかまったくわからないという返事が返ってきます。
施設や社会資源の利用をもっと効率よくあげていくにはまずは相談窓口が必要なのではないかと考えています。それも自治体がやるのではなく、社会福祉法人やNPOがやるようにする。こうした窓口が整備されればもっと変わってくるのではないかと思います。」
なかなか手厳しいご批判とともに、的を得たコメントをいただけました。
名東福祉会でも名東区障害者生活支援センターを立ち上げ、名東区の自立支援協議会もゆっくりとではありますが動き始めました。
生活支援センターは相談を待っているだけではなく、直接家庭へ出かけていって相談を受けることもあります。役所の対応とは根本的に違います。
生活支援センターによって名東福祉会の各施設のケースカンファレンスのありかたにも影響がでてきたとつくづく思います。
最適な生活のありかたや支援方法を見つけることは難しいことですが、できるだけリスクが少ない選択をするには本人の希望を十分にくみ取ることがまずは大切です。
その上で家族やボランティアも含めた支援者の状況、利用できる社会資源、アクセス方法、制度に関する情報が必要です。
障害者自立支援法によって報酬が少なくなった、自己負担が増えてたいへんになったといった問題がクローズアップされました。
それらの問題は昨年度に打ち出された1200億円の激変緩和措置によって一段落しましたが、むしろ、ここで休むことなく積極的に障害者福祉サービスの充実に向けて動き出し、
本当の意味で障害者の自立が促進するような環境を作っていかなければなりません。
そのためにも相談窓口の量を増やし、質も高めるという施策は重要です。こうした生活の場に根ざした草の根活動を自治体職員が行うことは無理があります。
愛知県知的障害者福祉協会経営者会議は2007年10月7日(日)に社会福祉法人経営者向けに研修会を行います。
研修テーマは社会福祉法人の改革。
講師は先に紹介した衆議院議員大村秀章氏、厚生労働省障害健康福祉部長中村吉夫氏、日本知的障害者福祉協会会長小板孫次氏、愛知県知的障害者福祉協会経営者会議議長島崎春樹氏です。
正々堂々
「正々の旗をむかえることなく、堂々の陣を撃つなかれ」
<正々堂々>の語源とされている孫子のことばです。大儀を掲げている相手と対立し、陣容が立派な軍隊と戦っても勝つことは難しいので戦いを避けなさいという意味です。
正々堂々とした軍は戦いには敗れないというように使うこともあります。
社会福祉法人には使命が必要。
今、社会福祉法人は財政難で危機を迎えていますが、この難局を乗り切るにはやはり事業の使命感が必要ですし、使命を達成するという意識が私たちを堂々とさせてくれます。
私たちの旗は障害を持った人の生活の質を高めること。
生活の質の向上は私たちスタッフやボランティアや家族が「正々堂々」としていることから生まれると思います。
生活に楽しさが広がるように日中活動の選択肢を増やし、生活にまつわる様々なトラブルやストレスを軽減し、
必要とあればそのための幅広い支援活動を行い、生活の質を高めていくことが私たちの使命です。
このQOLを高めることが私たちの正々の旗です。そうした活動に賛同してくれる人たちが堂々の陣をつくります。
こうした活動を続けていれば今の難局などいずれ乗り切ることができると確信しています。
キャンプ
子どもたちの夏休みが始まりました。各所で多彩な催しが行われています。
なかでもキャンプは子どもたちに人気の高いプログラムであり、学びの場であると思います。
長男が半身マヒの障害児となった3歳のときから、私はいろいろな親子体験に挑戦することに努めました。
あるとき、朝日キャンプが行われることになり、私が所属していた麦の会(重度心身障害児の親の会)からも3組の親子が参加することになりました。
キャンプ地は犬山市。日本ライン下りで有名な木曽川のほとり、桃太郎伝説ゆかりの地です。キャンプ名も「桃太郎キャンプ」と名付けられました。
私はちょうど3人目の子どもができたころで、大きなおなかを抱えて参加しました。
私の長男は多動で少しもじっとしていてくれません。油断するとすぐに川に向かって韋駄天走りをします。半身マヒなのに速いのです。
そこで学生さんがついてくれることになりました。てんやわんやのキャンプでしたが、得るものがたくさんあったキャンプでした。
キャンプは楽しくて、人の心のつながりも深めます。
日中、思う存分走り回った長男はざら板に毛布一枚のベッドでぐっすりと寝ました。
このときいっしょのテントで寝た3組の親子はあとあとまでいろいろ助けあって長い年月おつきあいすることができました。
以来、あさみどりの会が主催する南山大学学生のキャンプだとか、中日新聞社会事業団の中日キャンプなど、主催者、共催者としてたくさん関わらせていただきましたが
なんといっても最初に参加したキャンプは忘れられません。
長男は今はもう56歳。初老です。このときおなかにいた長女も48歳。主婦として平和な毎日を送っています。
思えば長い道のりもあっと思う間に過ぎました。これからは若い世代に希望を託そうと思います。
障害者雇用促進法は常用雇用者五十六人以上の民間企業に対し、身体障害者や知的障害者を一定割合(常用雇用者の1・8%)雇用するよう義務付けています。ところが、これまで常用雇用者三百人以下の中小企業は対象外となっており、中小企業の障害者雇用はなかなか進んではいませんでした。
厚生労働省によると、来年の通常国会に障害者雇用促進法の改正案が提出され56人以上の民間企業でも適応されるように法改正する方針とのことです。これで社員300人以下の中小企業も雇用率を達成しなければ罰金を支払わなければならなくなり、逆に雇用率を達成すると報奨金がもらえるようになります。
障害者の雇用については中小企業が障害者多数雇用事業所を共同出資し、そこに就労している障害者を雇用率にカウントできるようにする案も出ています。障害者自立支援法では雇用型の施設である就労継続支援A型事業が用意されています。これまで障害者雇用には無関心だった中小企業も障害者雇用に関心が高まることが期待されます。今後は障害者雇用の場をめぐる法制度の動きから目が離せません。
私が育った環境は父や母、それに祖母まできれい好きで家の中はもちろんのこと、
庭や家の前の道路までいつもゴミひとつ落ちていない我が家だったと記憶しています。
それなのに私はいつもまわりの人から整理整頓ができないとしかられてばかりの人間です。
本人はこれはこれで整理ができていると思っていて、
ちゃんといつでも必要なものを取り出すことができると豪語してきましたが、
年を重ねるに従って何がどこにあるのか、だんだん怪しくなってきました。
おまけに「もったいない」と思う気持ちも年々強くなり、家の中では飽きたらず
家の外の物置までものがどんどん増えるばかりです。
大切に家にしまってあるものは、あちこち出かけたときのお土産品や手作りの小物、いろいろな方々からのお手紙や、おもしろい場所のパンフレットや広告、メモ、
いろんな会合の印刷物や資料などまで紙の切れ端や書類が整理できずに山になっています。
人様から見ればどう見ても紙くずの山・・としか見えないかもしれませんが私にとってはなかなか捨てられないものばかり。
先日、急にベランダを掃除したくなりました。
段ボールを移動し、法規で掃き出したとたん、ハチが5匹くらい襲ってきました。キャッア!と大声を上げ、
右手で防いだと思ったら右手の甲を数カ所刺されてしまい、なんとか払いのけて部屋に逃げ込みました。
見ると、ベランダにはハチの巣がぶら下がっています。まだ数匹がいたため、急いでスプレー式のジェットアースを
吹き付けると飛んでいたハチはどこかへ逃げていってくれました。
ハチの巣はハチの子には申し訳ないけれどたたき落とし、ゴミ袋へ入れました。手の甲は赤く、ポンポンにふくれあがり
痛がゆくてたまりません。その日は虫さされの塗り薬をぬって寝込みました。
明くる日は洗面所にあったタオルを濯ごうとしたところ、左手のひとさし指に激痛が走りました。
そのタオルの中にムカデが潜んでいてムカデに噛まれたのです。縁日で売っているあの派手なおもちゃのようなムカデでした。
レジデンス日進に出勤しようと車を運転し始めると、噛まれたところがむちゃくちゃ痛み出しました。
事務所で「痛い、痛い」と騒いでいると、看護師さんにお医者様に行った方がいいと勧められ
近くの整形外科で手当をしてもらいました。
ムカデに噛まれたところはいつまでも実に痛かったです。
なぜこんなにも良くないことが起きるのかと反省しました。
仏法では昔から掃除に始まり、自分の心を清め、人のためにつくすのが根本だと聞いています。
聞いてはいるのですが「掃除は嫌い」「心臓に負担がかかる」と屁理屈を言っておろそかにしていたところ、
ハチとムカデにしこたまお灸を据えられ、「もうごかんべんを」と祈っている私です。
今日は我が師が40年前に揮ごうして下さった色紙「脚下照顧」を取り出し、神妙に反省しています。
天白ワークスが多機能型に移行します
天白ワークス(旧体系:通所授産施設)が2007年の10月より新しい法体系の施設に移行します。具体的には生活介護施設(定員25名)と就労継続支援B型(定員10名)の施設の多機能型施設となります。
この施設体系を選択したのは現状の施設利用者の利用実態に最も近いことが理由です。実践的な製パン作業は昭和60年の開所以来導入された作業ですし、天白ワークスから離れた場所にサテライトのワークサイトを設置して営業するなどの実践を行ってきています。昨年度は、新しい施設体系への転換も目指してすでに名古屋市から精米機の導入の補助金もいただいています。むしろ、これまでの実践の集大成として多機能型を選択することは必然ともいえます。
ポイントとしては生活介護のみを選択するのではなく、生活介護と就労継続支援B型との多機能型にした点です。天白ワークスでは障害の重い人たちのためのゆったりとした生活の介護のあり方や働いて工賃を得たいという人たちのニーズに合わせた作業のあり方など多様な生活ニーズをどうやって満たしていくのかを模索してきています。
障害者の雇用を促進するという観点や自立支援という法律の精神からは、就労継続支援B型ではなく利用者との雇用契約を結ぶ就労継続支援A型や一般企業への就労を前提とする就労移行支援が望ましいかもしれません。ただ、現在天白ワークスを利用している利用者の家族会からは一般雇用を求めている声はほとんどありません。法律の精神が一般雇用を求めているからといって、利用者がそれを求めていなければ無理に雇用へ突き進むことは難しいはずです。そうした声に答えるため、天白ワークスは現在の通所授産施設にもっとも近い「就労継続支援B型」を選択しました。
就労継続支援A型は報酬単価はもっとも低い反面、より企業に近い雰囲気で仕事をする施設であり、工賃も多く支払われる施設です。利用者だけではなく職員も売上の中から給料が支払われる仕組みとなっているからです。しかし、このタイプの施設をつくるには既存の授産施設の看板を付け替えるだけでは難しいと考えます。特に名東福祉会では企業的な経営ノウハウの獲得が必要です。イメージ的には工場ですから、0ベースで新しい施設をつくっていく必要があります。名東福祉会では今後、企業とのタイアップし、名東福祉会と中小企業とのコラボレーションで既存の施設の転換ではなく、新しい施設として就労継続支援A型の施設づくりを検討してまいりたいと考えています。
所長会でケースカンファレンス
障害者自立支援法では複数施設を利用することを前提としているため、今後、個人のニーズに合わせて最適な施設サービスを利用するため複数の施設を利用する人たちが増えていくことが予想されます。例えば夜間施設と通所施設の相互利用や就労継続支援施設と生活介護施設の相互利用したり、昼間は就労継続支援施設を利用し夜間はケアホームを利用するというような利用方法を想定しているのです。
生活のあり方やサービスを自ら選択できることはQOLを高めるために決定的に重要です。障害者自立支援法の場合、食費や施設利用に関する自己負担の問題、報酬単価の切り下げ、障害程度区分の問題があり、これは大いに批判すべきですが、生活のありようを自ら選ぶことができる仕組みそのものは歓迎すべきです。
そもそも、特定の尺度によって測られた「能力」や「障害程度」が「本人が望む生活のあり方」を規定するものではありません。障害の程度を前提とするのではなく、生活のニーズに即してサービスを試験的に利用したり、福祉的な就労場面にチャレンジすることが必要です。
障害者自立支援法時代の福祉サービスの提供者の責任は、そうした利用者の新しいニーズに応えるため、多様な選択肢を提供することであると考えています。これまでの施設単位のケースカンファレンスや、施設単位の家族会の支援は限界に来ていると思われます。
そこで問題となってくるのが施設の情報交換。これまでのようにひとつの施設で完結していた時代とケースのカンファレンスも変えていかなければなりません。そうした実態にあわせ名東福祉会の所長会は施設の枠組み超えたケース検討会の機能が強くなっています。
新しい時代の課題に答えるためには所長会のあり方だけではなく、家族会の意識改革、情報通信技術の利用、外部機関との連携等、解決しなければならない問題が数多く存在します。本格的な制度移行のために残された時間はわずか。これまで以上に改革を進めていくことが必要です。
楽しい施設ライフをつくる
■「正の強化」で利用者のQOL向上をめざそう
障害者自立支援法で日中生活の場と生活の場が分離しました。今は施設の建物は昔のような規制はありません。国庫補助金を使って建物を建てるのではなく、町の店舗や民家を利用して地域の中の資源を利用していくことができます。でも、どうせやるなら楽しくやりたい。こんな時代だからこそいろんな人たちを巻き込んで、毎日を楽しく明るく過ごすことが大切だと思います。
楽しく活動できる場を増やしていくことがこれからの日中活動の場作りのポイントとなると思います。
「楽しさが増すこと」は、支援技術の世界では「正の強化で維持される行動の機会を増やす」ことと考えます。
行動には3つの側面があります。A:先行事象(きっかけ)→B:行動→C:後続事象
C:がBに続いて起こるとBがだんだん増えていく。これが正の強化です。
施設の中に、「正の強化で維持される行動の機会」をふんだんに設け、増やしていくことが支援の目標です。
別のいいかたをすると「罰によるコントロールがない施設ライフ」をどうやってつくっていくかです。
「楽しさ」とはやや趣を異にしますが就労継続支援や移行支援についても報酬という正の強化があります。
いずれにしても利用者も職員も、罰をさけるためにその活動に参加するのではなく、それをしたいからやる。楽しいからやる。そういう機会をいたるところに設け、そのなかから活動を利用者に選んでいただく。これが楽しい施設ライフです。そうした施設環境の生活は自由も感じることができます。
特定の利用者は楽しいんだけれど、まわりにいる利用者は迷惑千万では困ります。いわゆる問題行動ですが、問題行動についても正の強化で維持される望ましい行動を増やすことによって問題行動を減らすことができます。施設ライフを利用者も施設職員もみんながエンジョイできる活動-それが楽しい施設ライフであり「正の強化で維持される施設環境」です。
■「わいがや」で楽しい日中活動を
先日、メイグリーンの跡地をどうやって利用するかについて話し合いがもたれました。
天白区でパン屋さんをやっていた稲熊さん、支援スタッフが集まりミーティングが始まりました。そこへたまたま立ち寄ったケーキ教室を主宰している林さんも加わり、「わいわいがやがや」となったそうです。
いろいろと楽しい企画が検討されました。パン屋さん、ケーキ屋さん、ボランティアの集会所や行動療法の研修会場など多彩なアイディアが出ているとのこと。知的障害者のための魅力ある日中活動拠点として大いに期待されます。
現在、日本の各地でこうした企画が進んでいます。
京都市伏見区の知的障害者通所授産施設「ぐんぐんハウス」では冷やした焼きいものスウィーツを販売しています。焼き芋づくりは14人の利用者が担当。
材料のサツマイモを水洗い、塩水に浸し、グリルで焼き上げ1本150円。注文を受けて届けたり総合支援学校に販売しているそうです。
埼玉県の身障害者地域デイケア施設「工房森のこかげ」では手作りのパンの販売を始めています。老人センター、JAが協力して特産のコマツナを練りこんだ小松菜食パンやクルミ食パンなどを販売。
人気は「こまちゃんゴマあんぱん」(120円)で黒ゴマあんにクルマ入りだそうです。
社会福祉法人「時津町手をつなぐ育成会」(山内俊一理事長)が経営する障害者多機能型事業所「エリア21」ではレストランのほか、作業所や農園でも研修を積み、実社会での就業を目指しています。
レストランの営業は午前11時から。手作りの和食料理(1200円と2000円の2種類)や子ども向け(650円)の料理を日に30~35食用意しているとのこと。飲食店経営は難しいのですが、自分たちがもっている資源をうまく活用し運営に生かされているようです。
障害者自立支援法時代を迎え、これからの施設づくりはこれまでとは違うノウハウが必要になってきます。
人材難や財政難があります。こうした時代を乗り切るためには魅力ある「場」づくりが必須でしょう。多くの協力者を必要としています。できるだけ楽しい活動を展開し、協力者を得ながら地域活動を展開していくことが私たちに与えられた課題であると思います。
愛知県心身障害者コロニーの地域移行推進課の主催で現地見学会がこれまで3回開催されています。
私はなんでも体験したいたちなので参加しています。
今回は社会福祉法人みなと福祉会です。
市営住宅の1階を改装してグループホームにした「みなとホーム南陽」
昨年7月に開所した知的障害者通所更生施設「うろじの家」
毎日、ホテル食パンやフランスパンなど30種類以上のパンを焼いている「ぱんだふる」などをまわりました。
お弁当を作って地域の高齢者に宅配をしている「しおかぜ作業所」についてのお話も伺うことができ、みなさん感心されていました。
愛知県コロニーの入所授産施設からこちらに移動してきた人の生き生きとした顔に、今も愛知コロニーを利用者しているお母さんたちは驚き、かっての旧友に再会できて手を取り合って喜びました。
ほんとうに楽しそうに暮らしている姿を見ると、受け入れて下さった施設側のいろいろな努力が忍ばれました。
愛知県では愛知県心身障害者コロニー再編計画が打ち出され、コロニー利用者の人たちが地域の社会福祉法人へ移動していきました。
これまで40年間、地域の中にとけ込んで生きていく愛知県心身障害者コロニーになれなかったことが悔やまれます。
昭和42~3年ころの話だったと思います。この頃の親の願いは知的障害があっても学校教育を受けられること。養護学校義務化の法案が通り、名古屋ではすでに多くの特殊学級ができていました。
でも、せっかく通えるようになった学校ですが、特殊学級は学校の中で孤立しているというのが親たちの間で大きな問題になっていました。孤立しているのは生徒たちだけではなく、先生も親も孤立していて、ほとんど交流はなかったのが実情です。
それでも非常にユニークな「名物」の特殊学級担任がたくさんいらっしゃいました。学校での特殊教育が楽しく実りあるものになるためには他の生徒さんたちとの交流が非常に大切であることを、その当時から特殊学校の担任の先生たちはご存知であったのです。反面、特殊学級に配属されたことを非常に落胆され、どう手をつけていいのか考えあぐねている先生たちも多くいらっしゃました。
名古屋手をつなぐ育成会の事務局長をしていた関係で、特殊学級に在籍している親から相談を受けたことがあります。
「PTAの役員になって特殊学級の先生たちを孤立させないようにしたり、生徒を暖かく迎える雰囲気作りを特殊学級の親たちが率先してやってほしいのです」
と切り出しました。
「でも、学校では特殊学級の親はPTAに入っていません。だから役員にはなれません。」
「校長先生と話をするような機会はありません。」
そんな答えが返ってきました。どんなに自分の子どもが悪いことでもすぐに校長先生に怒鳴り込む今の時代とは全く違っていました。
特殊学級の担任がおかれている厳しい孤立感や疎外感、親たちが感じている悩みをいろいろな人々にお伝えしているうちに、私は名古屋市の教育長とお話をすることになり、結局、学校校長会で特殊学級の実情を話す羽目になりました。
その後、知恵遅れの人たちをなんとかしなければならないという雰囲気が生まれ、「ちえの友鉛筆」という鉛筆の共同購入運動を学校を通してやっていただけることになり、手をつなぐ育成会の収益となり、その後の障害者授産施設建設のためにたいへんありがたい結果となりました。ただ、ちえの友鉛筆の運動は特殊学級担任自身の反対者もあり、知的障害がある子どもたちが支え合って健やかに生きていくという目的には遙かに遠い道でした。
参議院議員の山本保事務所の武田秘書と雑談してきました。参院選のまっただ中であったため、ほんの20分ほどの会談でしたが、いろいろと有意義な雑談を交わすことができました。
武田さんは先進国の主な政治的テーマは福祉になると考えています。日本の首相も最近では小泉さん橋本さんなど厚生大臣を務めています。民主党の菅さんも厚生大臣のときに人気がでました。
阿部さんの場合には当選回数も少なかったので、厚生労働大臣は務めていませんが厚生委員会を経験しています。
日本の場合にはまだ憲法を見てもわかるように先進国的な政治体制がまだ整っていない段階なのでこれからなのかもしれませんが、10年という単位で見れば厚生労働行政が国の主要な政策になることは間違いありません。
話はプレッシャーグループ(圧力団体)の話になりました。福祉施策を変えるためにはどうしてもプレッシャーグループをつくることが必要です。
政治連盟といえば日本医師会と自民党との関係が有名です。障害者自立支援法をきっかけに、日本知的障害者福祉協会も政権与党を対象に政治連盟をつくる方針を打ち出しました。
しかしこれまでのような特別な人のための特別な人がつくる「閉じた空間」だけでいいのかは疑問です。へたをするとこれまで問題となってきた利益誘導のための政治活動にとどまる恐れがあります。
武田さんは自民党に対するアンチテーゼとしてのプレッシャーグループを作るよりも、与党に入って福祉改革を進めていく方がより現実的な戦略であると言っておられました。公明党の立場です。
福祉をやっている人もより透明性を高め、より幅広いプレッシャグループを形成することが必要だということを武田さんは指摘されていました。これからの福祉活動はより透明性を高め、よりオープンに多様な人を巻き込んで活動していくことが求められるという意味です。ディスクロージャー(情報開示)は単に領収書の開示ではなく、開かれた福祉活動になることを意味します。
もう少し具体的にいうと、福祉分野以外の企業、医療現場、教育現場などいろいろと連携してよりオープンに活動をした方がよいということです。
こうした人たちとの連携はやっていなかったわけではありません。福祉現場でより質の高い実践を行おうとすればかならず他領域との連携が必要になるからです。でも、私たちにはプレッシャーグループを形成するという目的意識があったとはとてもいえません。名東福祉会として反省すべき点であると思いました。
今、国の医療政策では急性期病院と回復期・療養型病院の機能分離政策が進んでいます。終末期医療や回復期や療養期に莫大な費用がかかるため、医療は急性期だけを対象とし、他は他の福祉的分野にだんだん渡していこうという政策です。
療養病床は現在医療型が25万床、介護型が13万床、合計38万床あるというふうに言われています。2012年(平成24年)には医療型を10万床減らし15万床にし、介護型は全廃するという計画になっています。
こうして療養期や回復期の人を病院から減らすと言っても、追い出すだけではだめでその代わりとなる受け皿を用意しなければなりません。福祉現場がこれらの人々の受け皿となる必要があるのです。
企業に対する就労やより工賃を高めるための就労支援活動は企業との連携無しには成功しないでしょう。
幼児の療育活動を行えば、必ず学校教育との連携が必要になります。
社会福祉法人よりも株式会社が提供するケアサービスの方がふさわしい福祉分野もあるかもしれません。そうした事業所と連携した方が利用者の幸せに近づけることはあきらかです。
知的障害者の人たちがよりよく生きていくためには、こうした連携先に今の制度の問題点を相互に報告していく活動が必須です。
知的障害者の支援には、そもそも支援活動の問題点を社会に対して報告していく活動が含まれることを改めて確認できた会談でした。
7月2日 「花」というグループがあります。日進市を中心に活動をしている障害児の母親のグループです。
この会が主催で豊明市のメイツの理事長、三浦さんの講演がありました。テーマは全国組織の手をつなぐ育成会のこととか豊明メイツの活動の内容です。
若いお母さんたちは自分の子どもたちの学校教育修了後、卒業後の進路をどうするのかが最大の関心事。
今どんな進路があるのか、その進路に進むためには今何をしておくべきなのか、みんな真剣です。
こうして法制度が動いているときはなおさらです。
明けて3日と4日は長野県松川の奥にある大鹿村というところに行ってきました。
山奥に昔の庄屋さんの家を借り、米をつくり、畑を耕し、陶芸や絵を描いている人がいます。
夏にはおおぜいの人が訪れるので自炊をして夏を過ごすとよいとのこと。
紹介して下さったのは日進市にある精神障害者の授産施設ゆったり工房のK先生。
「遠いので私が行くときさそってあげますよ」
とK先生。でも、そんなことを聞いたらいてもたってもいられない私は友人をさそって出かけました。
南アルプスの青いケシの花を見に、山のてっぺんまでえっちらおっちら登り感動したまでは良かったのですが、
思いもかけず山の中で道に迷い、予定の時間が来ても目的地へ着けません。簡単なハイキングでもさすがに大自然の中。侮ることなかれです。さんざん苦労したけれど楽しかった。とても良い体験となりました。
いろりで鮎を焼き、国産大豆の豆腐を食べ、とてもいいお食事でした。でもやはり、昔の庄屋さんの家。やっぱりバリアフリーとはいきません。私の長男には無理だとわかりました。
6月26日は麦の会の一年に一度の例会がありました。
麦の会とは重度重症の子どもを持つ親の会です。
結成されてから50年ほど経過し、ご主人を亡くされた人、障害の子が亡くなってしまった人などいろいろと変化がありました。
みなさんの近況報告から障害者自立支援法の成立により、愛知県コロニーの今後について議論が沸騰しました。
「50年間苦労してきて、最期まで看てよ」と声を荒げる人もいれば
「いろいろ考えると、今後は名東福祉会に頼りたい」という発言もでます。
「親が亡くなった後も我が子が地域の中で楽しく暮らしていく様を垣間見てから死にたいね」という発言もあります。
振り返ってみれば、私は麦の会の友達と知的障害者が少しでも楽しく生きていけることを夢見てこれまで生きてきました。
名東福祉会に対してたいへん大きな期待を寄せられる声をお伺いし、ずしりと責任を感じた一日でした。
我が子が障害を持つようになり、自分を責めて責めて責めぬいた時期、
悔し涙に明け暮れた日々
障害があることをあきらめはじめた日々
麦の会の人たちと出会い、自分だけではないことを知り安堵した日々
同じように悲しみをもった人たちのために役立ちたいと思い始めた日々
福祉行政を進めるために役所の人たちといっしょに懸命に制度をつくろうとした日々
困難を与えられたことがかえって幸せに思えるようになった日々
思えば前に進んだと思えば、あとにもどったりです。
麦の会の人たちはそうした私の思いとまったく同じような心情でいっしょに過ごしてきました。
この友人とともに歩めたことを深く感謝しています。
久しぶりに東京で行われたある会に出席しました。
この会には北海道、山形、新潟、千葉、東京、静岡、名古屋、大阪、奈良、岡山、九州と日本各地から集まってきます。
メンバーは町長や社長、大学教授、社会福祉法人の理事長や施設長、医師、官公庁の課長、施設職員、障害者の親、障害者本人など多彩です。
共通点は障害者とともに生きること。様々な方々が自由に参加できる会です。
まず、自分の近況を語った後議題人入ることが慣例。それぞれの近況は全くバラエティに富んでいて楽しいものです。
例えば、56歳の建築家と44歳の写真家の結婚の報告。
定年退職をしたが思い切って快適な老人ホームに入居したからどんなところか見学においでという話。
数千万円の頭金と○十万円の月々の利用料がかかるが暮らしにはたいへん満足しているとのこと。
60代の男性は最近離婚して別居をしているが、家内が離婚届をまだ役所に持って行っていないので、どうなるかわからないとの報告には
なぜかみんな大笑いでした。
中には初めて就職したのが糸賀一雄先生のところで、池田先生や田村先生といっしょに働き、いろいろ勉強させてもらい、いまだに障害者支援センターで定年退職後も働いているという先生もあり、
この会員のすごさを今更ながらに実感しました。
しばらく障害者自立支援法の話になり、みな施設運営の大変さを思い知らされました。
終了後、友人が小金井に住んでいて一人暮らしだから気兼ねなく泊まってくださいといわれるので、何でも体験したい私はノコノコと友人のマンションへ付いていきました。
すてきなマンションで、亡き母親のかたみという古い家具類に囲まれ、快適な睡眠をとらせていただきました。
翌日、すてきな朝食を頂いた後、地域の介護センターとヘルパーの詰め所を見学させていただきました。パソコン教室、織物教室も手がけ、親たちの手作りの品から死せ宇tの手作り品までなんでも売っています。
地鶏の取り立て卵もあるし、ゼリーやクッキーもあります。親、ヘルパー、ボランティアが5-6人でローテーションを組んでいますが、採算が合わない。けれども大きなやりがいがある。
きっと全国でこのようなお店がいくつも開かれているのだと思いました。町の中で生きることの難しさの反面、地域とともに歩んでいる実践が輝きます。
次に訪れたのはかねてから見学をしたいと思っていたお弁当屋さん。
私にはもうひとり、弁当屋さんを会社組織で大きく事業展開している友人もありますが、今回は地域の中のお弁当屋さんです。
たいへん多彩な才能を持たれた方で、本を出版し、書道や詩も手がけられます。
近所のすてきな日本料理のお店で昼食をいただきながら、根掘り葉掘り経営について質問させていただいた。
私はもう15年若かったらと人生終盤になってる自分の立場を思いめぐらし、新幹線の中では居眠りもできないほど、充実した2日間を思い出しました。
法人単位の経営
本部機能の強化は施設単位の経営から法人単位の経営にシフトしていくことを意味します。
これからの社会福祉法人はある程度の規模が必要と行っても、私たちは障害者福祉を専門とする社会福祉法人です。コムスンのように全国ネットで施設経営をするような発想はありません。一般企業のように施設が増えれば増えるほどスケールメリットが出てクオリティが上がるというものでもありません。やはり地域の特色やニーズに合致した適切な規模が必要ということになります。
名東福祉会の場合、名古屋市の東部地域にいろいろな施設や拠点を配置しています。この地域に日中活動と夜間ケアの場をつくっていくことが使命でもあります。日中活動といっても、障害の程度によって就職に近い働き方をする場から生活介護や訓練が中心の場まで幅広く利用者ニーズに合わせて配置される必要があります。名古屋の東部の人口を考えれば、少なくとも、日中活動の場と夜間ケアの場の双方をカバーできるような拠点を計画的に設置していくことが今日的な課題であり、障害程度の重い知的障害者の人口構成からみて、恐らく200人から300人が適切であると思われます。4人に1人が利用者となる可能性がある高齢者福祉を専門とする社会福祉法人とは適切な規模が違うのです。
知的障害者福祉の世界ではよほど効率的な運営に心がける必要があります。拠点を整備するときに、これまでのように施設ごとに事務部門や医療部門を用意しているとやはりコストがかかります。管理部門も統合ができるはずです。拠点の整備とともに拠点間の機能の重複をできるだけ抑える必要があります。
施設ごとに配置された専門職の職員が施設ごとにばらばらであったら効率的な運営ができるはずがありません。
例えば事務管理や財務管理。これは法人本部に機能を統合した方が合理的でしょう。
医療介護はどうでしょうか。現在のところ、看護師の配置義務は通所施設にはありませんからレジデンス日進に限られます。しかし、嘱託医と看護師は法人全体の医療的なサポートを行うように改めた方がより合理的です。
給食サービスは外部委託によってすでに法人単位でサービスが提供されているといえます。
ひとつの施設で管理部門をすべて支えることは難しいが、複数の施設が集まれば管理部門を支えることは容易になります。このように本部機能は主に施設からの繰入金によってまかなわれることが正しいのです。
法人本部の機能を強化するために収益事業を行って本部財源を確保するという考え方もありますが、現実には無理でしょう。とても健全な発想といえるものでもありません。
6月22日の午前中のこと。長年、ボランティアで施設につくしてくださった人の家族から
「病状が末期症状となり人工呼吸器をつけている。病院からは3ヶ月以上たったので病院からでなくては
いけないのだが、次の病院が見つからない。」
と電話がかかってきました。
「やってみるから少し待っていて」
と、ある病院に電話しました。そこは機械が8台あるから何とか受け入れるのではないかとの返事。その旨早速連絡を入れ
「後は、今の病院から出る日、受け入れる日を直接やりとりして頂けばよいから」
と伝えておきました。人生の末期の時期というのにどうしてこんなにもばたばたしなければならないのでしょう。
私はこの仕事をともに歩んできた人の最期の状況は私自身のことのように思え、胸が痛みました。
一昨年の今頃、私の片腕となってくれた親友が亡くなりました。今年は3周期にあたるからどうぞお参りに来て下さいとご家族からのお電話をいただきました。手製のお墓を立て、白い花の木を植え、廻りにはなずなの花がいっぱい咲いているといいます。でも、友人のこと、
「私は死んでなんかいませんよ。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。」
と声が聞こえてきそうな気がしました。
時間があったらお墓参りに行ってみたいと思います。きっと私はお墓の前で泣かないことを約束しますから…。
法人本部機能の強化
理事会を構成する理事のうち、職員が1/3を超えることができないという規定を撤廃するということは、すべての理事が当該の社会福祉法人の役員で構成される理事会をつくることができることを意味します。障害者自立支援法の時代にあっては、施設を超えた法人本部が中心となった経営が必要となります。これからの社会福祉法人は法人本部機能を強化しなければらないと「社会福祉法人研究会」では報告されています。
障害者自立支援法では、利用者のニーズに合わせ、多様な生活を選択することができるようになりました。日中の生活だけでも就労継続支援A型、就労継続支援B型、就労移行支援、生活介護、自律訓練があります。
夜間の生活の場はケアホーム、グループホーム、入所施設、在宅と多彩です。利用者はこれらのいくつかを自由に選択することができるのですから、施設という枠組みを超えた管理が必要であることはいうまでもありません。
地域の中に多様な選択肢が用意されるため、これまでのように施設単位で経営を考えることはできなくなったのです。
つまり、自立支援法時代においては、施設という枠組みを超えて経営の意志決定を行う機関を法人本部に置くことが必要となります。
意志決定が行われる機関とは理事会です。このように理事会の理事は法人本部にあって常に意志決定を行う「職業人」=プロフェッショナルである必要があると考えられます。
経営のプロフェッショナルな人といっても監査の指導の立場から見れば報酬をもらう「職員」ということになります。理事会を構成する理事のうち、職員が1/3を超えることができないということは障害者自立支援法時代の要請からずれてしまっていることがおわかりいただけるでしょうか。
このように理事会の機能強化とは、とりもなおさず法人本部機能の強化を意味します。
理事が施設長を兼務することは理事会機能を弱化する
前回、理事には報酬の支弁が認められない時代が長く続いていたと述べました。
裏を返せば、現在は報酬が認められています。
でも実際には理事が報酬を受けることは非常に困難です。
理由は法人本部に報酬を支払うための原資が少ないからです。
これまでの改正で、社会福祉法人の本部には施設から会計単位間の繰入が認められるようになりました。
つまり、施設会計に剰余が生まれれば法人本部に資金を移動しても法的にはかまわないことになっています。
ところが、障害者自立支援法で各施設の運営が汲々としているときに法人本部に資金を移動することは事実上困難です。
結局、理事が報酬を得るための原資は現状では寄付に頼るしかありません。
寄付者からすると、理事に寄付をすることは違和感があると思います。
やはり知的障害者施設を運営する社会福祉法人への寄付は利用者が直接潤うようなものに使用されるべきで、それが寄付をいただく原則でもあると思います。
理事の報酬として寄付金が使われるとしたら寄付は集まらないと思います。
これが名東福祉会が創立以来理事に報酬を支払ってこなかった理由です。
ただ、社会福祉法人の理事といえども、生活していかなければなりませんから収入は必要です。
それで知的障害者の福祉サービスを行っている他の多くの社会福祉法人では、理事は施設長を兼務しています。
施設長ならば収入を得ることができるからです。
ところが、施設長を兼務することはとりもなおさず、理事会の弱化につながります。
先の文章にものべたように、理事会の構成メンバーに施設職員は1/3を超えてはならないという規定が残っています。
理事会の2/3の理事は無給の理事。1/3の理事が報酬を得て施設長を兼務する理事という構成になるわけです。
理事会が形骸化されやすいことがうなづけます。
法的には理事会の機能を強化するための改革を行ってきたといいますが、現実には法人本部に回る資金が減少していることもあって
理事会の機能は弱くなっています。
もちろん、理事が報酬をもらってもそれだけでは理事会の機能が強化されるわけではありません。
施設をバランス良く統合管理し、将来の計画を立案するためには施設とは独立した形で法人本部の機能を強化する必要があります。
理事会が社会福祉法人の執行機関となるためには
1 すでに撤廃されている理事の1/3規定を愛知県が撤廃すること(本来、撤廃していなければならないはずですが)
2 法人本部機能の強化
が必要です。
理事会の改正が進まない
名東福祉会はとても立派な学識経験者の人たちが理事を無給で勤めてくださっています。
それはそれでたいへんありがたいことですが、理事として十分に経営責任を果たしていただきたいとはとてもいえない状況です。
措置制度のもとでは長く法人本部の経費が認められず、理事に対する報酬を支弁することが認められていませんでした。
施設の運営について、行政機関が事細かく指導し、人件費も保障する時代においては法人に意志決定機関がなくてもさほど問題がなかったともいえます。
ところが今日のように障害者自立支援法に移行した時代になったとしたら、施設単位の経営では不十分です。
ケアホームを自前の資金で建設したり、ケアホーム用の建物を借りたりして生活支援を行う時代においては、法人の意志決定機関の機能と責任が増大します。
理事会が法人の執行機関として機能するためには理事会のあり方の改正が必要となります。
そのため、国は社会福祉法人の理事会の機能をたかめるため、これまで改正をなんども行ってきています。
1 平成12年の改正では理事の人数については一律に6名以上とされました。
2 また平成17年の改正で、評議員会を設置している法人にあっては、施設長等施設の職員である理事の理事総数に対する上限(1/3)が廃止されています。
この2つの改正からすでに2年が経過し執行機関として十分に理事会が変わるための要件はそろっています。
制度改革から2年も経過しているため、名東福祉会は障害者自立支援法時代にあわるべく法人理事定数の削減と施設長の理事昇格について愛知県に問い合わせてみました。
結果は理事の中に施設職員が1/3以上入ることは許されないという回答でした。
また理事定数についても、誰が減ったかが問題で、学識経験者や地域の代表だけが減少する理事定数の減少は認められないとのことでした。
つまり事実上、何も変えてはいけないということです。
国の方針とは異なった行政指導は果たして合法なのでしょうか。
7月21日が来ると私は79歳になります。それで自動車運転免許も更新の時期となりました。
それに先立ち、自動車学校で高齢者研修を受けてまいりました。
高齢になるとどうしても目が悪くなり、バイクや子ども人の飛び出しなど対応が遅くなるということで、テスト機械を使っての反応検査を行ったり、目の検査を行ったり、実際に車に乗って実習も行いました。
参加した人はみな70歳以上で皆さん高級車に乗って研修会場まで来られたのですが、私一人が軽乗用車で。
みなさん口をそろえて「軽は危ない。年をとったらせめて普通車になさらないと・・・」と言われました。
最近の軽四輪はとても良くできているんですけど。
私は「日進は道が狭いので軽でないとダメなんです。」と言い張っていました。
指導員の先生も
「常は軽に乗っておられるのでしたら、少し加減をしてテスト運転してください。」
と注意してくださいました。
やってみるとクランクの左折、右折もうまくいき、後輪や前輪を道から落とすこともなく、おまけに車庫入れもぴったり!!
この中では最高齢だけどうまくやれたと内心ほくそ笑んでいました。
けれど成績表は
1 スピードの出し過ぎ
2 左折、右折が大回りすぎる。
全体的の評価はゆっくり、焦らず落ち着いて運転しましょう。
とありました。トータルの成績は5段階評価の3でした。トホホホホ・・・。
自慢、高慢はなんとやら。車の運転は常に謙虚に最新の注意を払って慎重に運転すべきだと肝に銘じました。
長時間の再講習をめんどくさいと思っていましたが、やはり時には我が力量を再確認することも大切であると反省し、
楽しむこともできた高齢者向き運転講習会でした。
社会福祉法人の改革はこれからも進むでしょう。主に財政的な問題です。もう忘れかけてしまいましたが、三位一体の改革、補助金の改革、政策金融の見直しなどがあり、医療改革、社会福祉法人改革がはじまり今に至ったのです。
それ以前は社会福祉法人はつぶしてはいけないという意識が行政にありました。今も基本的にはそういう立場です。でも、100の法人がすべて潰れずに生き残る政策は、この時代、護送船団方式といわれこれ以上続けることは困難だと思われます。
今、市民のみなさんやマスコミからも社会福祉法人や介護サービスには非常に厳しい視線が注がれています。私たちはこの厳しい時代に、決して後ろ向きになることなく、少しでも利用者の満足に資するような効率化に努めていく必要があります。
一般の企業であれば生き残りのポイントはお客様の満足です。社会福祉法人がお客様である利用者の満足を得るために努力を重ね質の高い福祉サービスを提供しても行政にはなかなか評価していただけない構造になっていることが問題です。もちろん利用者には評価していただけますが。
質の評価の問題は行政の監査のあり方に関係があります。もちろん法令に従わうことは大切です。ただ、法令に従うことと、サービスの質を高めていくことは違います。監査は決められた内容をクリアしているかどうかに重点が置かれ、質の評価はほとんど関心事ではないことが問題でしょう。
名東福祉会で新しく始めた児童行動療育センターでは母子面談からビデオ記録の分析などを通し、きめ細かいアセスメント作業を行っています。ところがそうした療育を実施していてもいわゆる「預かり集団療育」と単価が変わらないという問題があります。レジデンス日進ではユニットケア、全室個室でナイトケアを行っています。利用者にはたいへん喜ばれていますが職員の配置数は増え、職員の介護の動線は相対的に長くなり、介護コストや労働の負荷が上昇します。
名東福祉会ではナイトケアの場と日中介護の場は分離しています。都市の近郊の閑静な住宅街にあるしゃれたレジデンスから都市の中にある日中介護の場や就労支援の場に移動することはいかにも普通の暮らしに近いものですが、入所更生施設のとなりに建てた建物に移動する生活となんら評価がかわりません。
お金だけで考えれば、児童療育センターを行うのではなく、保育所を経営してそこに障害児を受け入れた方が利益率は高いでしょう。
見るからにひとつの入所施設ですが、廊下がつながったとなりの「就労支援センター」に移動する方が建設費も移動の介護コストもかかりません。
地域生活支援センターの活動もやらない方が「効率的」経営が可能です。
私たち名東福祉会はいかにも不器用ですが、利用者の満足を追求してサービスの質を高める努力をしている法人の方が長い目で見れば生き残るのだと思います。でも現在は地域福祉にまじめに取り組めば取り組むほど法人の体力が衰えるという構造になっていて不公平感があります。
これから社会福祉法人に必要なのはむしろ「公共性」であると思います。法令遵守はもちろんのこと、皆さんに愛され必要とされる事業にいかに取り組みのかが問われているのだと思います。
せっかく利用者に満足していただき、仕事の質に誇りをもっている職員集団を抱えているのに、経営効率が悪いために退場を余儀なくされることはあってはなりません。正直者がバカをみない福祉のために、福祉サービスの質の評価は極めて大切だと思います。
ところで、これを書いているさなかにボランティアで上ノ山農園で作物を作ってくださっている方々から28,000円のご寄付をいただいたとの連絡が入りました。地域の人たちに信頼されていることを実感し、これでいいのかもしれないとも思いました。
6月18日は名東福祉会の後援会総会でした。
梅雨時で雨の心配もありましたが、たくさんの後援会員の皆さまが参加してくださってありがとうございました。
今回は盛りだくさんで、物品販売もやれば講演もある、おまけに例年好評のコンサートも盛り込まれ、時間通りに進行したものの、皆さんご満足いただけたか心配いたしました。
皆さんの感想は思ったより良くて、やれやれとまずは安堵いたしました。
理事長は毎度お金の話ばかりで・・と恐縮しながら、自立支援法に切り替え以来、繰り返していますが、
経営が困難なこと、良い職員を厚遇できないこと、でも利用者の皆さんの処遇は最高であること等を短い挨拶の中でいいました。
小島生活支援センター長の講演は自立支援法についてたったの30分の解説であったのにみんな
「良くわかった。今までいろいろ聞いたがちっともわからなかったけれど、良くわかった」
と、納得された様子。うれしいことでした。
その後のコンサートの音色の良かったこと。
演奏者たちは「聞き手がいいと不思議なほどぴったり息があって良い演奏ができるのです」
とおっしゃっていましたが・・・・みんな感動していました。
さて、来年はどうするか。後援会そのものを根本的に考え直し、よりよい後援会として再出発せねばと思いますが、みなさんのご意見をお寄せください。
その後、名東福祉会本部の方に、ご寄付が寄せられています。早速にご厚志ありがたく、御礼申し上げます。