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住まいの政策
福祉は、もちろん、目の前の当事者のために今できる事は何かを追求する仕事ですが、将来の安心も考えなければと思います。人間には未来があります。私の兄はもう60歳を超えていますが、
「大きくなったら○になりたい」
といいます。彼には確かに「未来」という時間があり、そこを見て生きています。ところが、今の政治家からは、将来が不安になるような言葉が次々と吐き出されてくると思いますがどうでしょうか。
あなたは、次の言葉は正しいと思いますか?
・外国人の介護人が入ってくれば、介護の担い手に困らなくなり、将来の不安がなくなります。
・税を下げると、市場が活性化され、失業中のお父さんの仕事が仕事に就く事ができます。
・高速道路で人が自由に移動できるようになると、新しい出会いが増えて地域の絆が深まります。
・公営や社会福祉法人営の住居を減らせば、障害がある人や高齢者の人は自由に住居を選べるようになります。
上記のスローガンは嘘がばれやすいように、わざと下手に書きました。でも、ここ20年くらい、政治は本質的には上記のような嘘を言葉巧みに私たちに浸透させてきたのではないでしょうか。最近のTPP議論が典型的なものです。
障害がある人の生活のうち、もっとも基本的な問題は「住まい」の問題だと思います。住まいは、単に家がぽつんとあるだけではなく、ご近所の人たちを含めた場の一部とみなされます。あまり人が動いてまわりの人が知らない人ばかりになると、障害がある人にとっては生活の質が下がります。
名東福祉会も障害がある人の仕事として、食品を扱っていますが、外国から入ってくる食量よりは多少高いかもしれないけれども、安全でおいしいお菓子やお米をいつも買ってくれる人がご近所さんだったらいいのにと思います。
障害者の住宅政策を行ってほしいと思います。
名東福祉会のケアホームは広いと言われていますが、カナダやアメリカのグループホームは個室を超えて、個人に複数の部屋が割り当てられていてとても広いです。名東福祉会のホームページに掲載してあるデンマークのホームはとてもとても広いものでした。日本でも、もっと公営や社会福祉法人やNPO立のケアホームに力を入れてくれるといいのにと思います。そうすれば、経済ももっと元気がでるでしょうに。
これまで、橋や道路、公共事業をずっと悪者扱いしてきましたが、本当でしょうか。例えば生活圏の道路を整備する事は、一般の人たちが自然に話をする機会を増やし、子どもや老人や障害がある人たちが楽しく安心して生活することに繋がります。ほんとうはまだまだ道路が足りないのではないか、と思います。
住まいを基本とした福祉政策をじっくり語る事ができる政治をお願いします。
地域福祉は主体的な参加によって実現される
先日名東福祉会の家族会主催でシンポジウムが行われました。コーディネーターは地域生活支援センターの小島所長、シンポジストは各現場の所長たちということで、たいへん有意義なシンポジウムとなり良かったと思います。家族会が参加して福祉目標について研鑽を深める事ほど地域福祉にとって重要な事はありません。
生活の質(QOL)を高める事が最も基本的かつ重要な福祉目標です。ところが生活の質はとらえる事がたいへん難しい概念でもあります。
生活の質は本人の行動だけではなく、生活にかかわる人たちの行動や法律、政策によっても影響をうけます。さらに本人が働いている職場や施設など組織の行動にも影響を受けます。近年、本人の生活の質を調査する場合には、できるだけ本人とかかわりのある人たちが参加して情報を得ることが望ましいとされるようになりました。障害者福祉の現場ではそれだけにとどまらず、家族会や地域の社会資源のスタッフも参加して本人の生活の質を考える事が必要であるとされています。
名東福祉会では、伝統的に「家族と職員が協働して本人の生活を考える」という事を大切にしてきました。家族が施設の目標設定に参加する事は、目標が広がり、何を実現すべきなのか多様になりすぎて経営が難しくなる恐れもあります。
もちろんいちばんよくないのは家族や職員の参加がない状況で経営方針が決定される事ですが、参加者の意見が広がり、優先順位が決められずにリストアップされた問題点が全て目標となってしまう事も経営に害を及ぼします。
本人のQOL向上について、よくよく話を突き詰め、予算や資源の状況に関して相互に理解を深めていくと、自然に今やるべき重要事項が絞られ、優先順位が決まってくるという事があります。名東福祉会の30年の実践がその事をよく語っていると思います。
ここで家族会活動のプロセスのあるべき姿について簡単に述べておきます。
1 家族会による生活の質向上のための運動の高まり
2 家族が掲げたニーズ(QOL)は現場の問題と関係があるのかを調査・選択
3 何を優先させるべきなのかを専門家を交え、委員会・理事会で対話検討
4 理事会・評議員会による計画の立案と決定
5 福祉サービスの実行開始と社会資源の横断的調整
6 新しい福祉活動の開始
7 本人のQOLの変化の測定
8 新しいニーズの出現と問題の意識化
9 より多くの参加者によるニーズ調査
10 資源開発のための家族会活動の拡大
もちろん、今では歴史が長い法人になってしまった名東福祉会の場合であっても、まだまだ各プロセスがスムーズに運用されているわけではありません。改善すべき点は多々あります。
これから、家族会と職員が、ますます協働してこのプロセスのひとつひとつをより洗練されたものにしていく事が必要です。それによって本人のQOLを改善していきたいと考えています。
平成の開国?
アメリカの圧力で始まったTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)は民主党の「平成の開国か鎖国か」を争う選挙となるかもしれません。これは小泉構造改革のときの郵政民営化選挙を思い出させます。
・金融の解放
・弁護士の拡大
・サービス分野のいっそうの開放
要するに、日本の高齢者が保有している金融資産をいかに奪取するのかを目的とした動きに思えます。日本がTPPに加盟しても、アメリカはドル安に誘導しますから加盟しても輸入は増えません。中国が加盟しないのは素人目に見てもおかしな話です。なおいっそう「じじばば店」が消え、「シャッター通り」が増えていくのだと思います。そうなれば小さな町の小さなお店でみんなが集まる場という障害者の就労支援の典型的なモデル店も夢のまた夢。
サービス分野の開放は何を意味しているのでしょうか。現在規制がかけられているサービスといえば、
・医療
・福祉
に違いありません。特に福祉分野に国際的な垣根をなくしていく事が重大なインパクトを与えるはずです。外国の労働者が福祉分野で働けるようにする事は以前から何度も挑戦されています。今回のTPPは明らかに農業分野に特化された議論が展開されていますが、本当はサービス分野の規制緩和が目的ではないかと思います。「開国か鎖国か」といったあまりにも感情的な議論ではなく、もっと慎重で客観的な議論が必要だと思います。
もし安易に「開国」されれば、「平成の開国」は時を経て障害者福祉分野のサービスの在り方に影響を与えていくでしょう。障害者自立支援法の改正もその意義も吹っ飛ぶ話です。誰か止めてくれる人はいないのでしょうか。
もちろん障害者福祉分野にもある程度競争は必要だと思います。でも競争には土俵の公正さが必要ですし、競争相手との格差がありすぎても競争になりません。幕内力士と幕下力士が相撲をとならないように。高齢者福祉と障害者福祉は大きな格差があり、障害者福祉の中でも知的障害者の福祉はいつも厳しい状況に置かれています。
遅まきながら明けましておめでとうございます
今日の福祉情勢は「寒中の日だまり」のような日々です。アメリカと経団連の圧力で、昨年末に突然降って湧いてきたTPPのように、長期間にわたるデフレ政策がまたまた採られようとしています。デフレになると
・物価が下がるので障害がある人の生活は割と楽になる
・施設は当面の人件費が上がらないのでなんとか経営を維持することができる
・土地代が下がるので場所を確保しやすくなる
など、障害者福祉にとっては寒空の下、日だまりの中に佇むことができるような状況があるため、福祉関係のみなさんがあまり政治に対する怒りが湧いてこないという問題があります。でもこのままでは障害がある人も支える人も先が見えない不安のある日々を過ごさなければならない事になります。
障害者福祉が目指すべき道は、
1 障害があっても一般の職場で働く
2 生活はいつでもどこでも福祉サポートを利用できる
というのが理想です。そうした役割の分担を容易にするため、家庭と働く場と生活の場を統合的につなぎ、高い技術力を持った
3 個人の生活史を通した教育福祉機関
が必要です。現在の政策を続けていると企業が弱くなり障害がある人が働く場がありません。障害がある人の生活力が低下するため福祉サポートには利益が出ません。その上に成り立つ教育福祉機関の充実もありません。
そうした長年にわたる福祉不況の中、名東福祉会は、新しい時代にふさわしい新しい入所施設づくりにとりくんできました。これからもケアホームをつくり生活の場の充実に努めていきます。
就労の場については就労支援をベースとしつつ、農作物や食品、飲食店経営や企業連携など、地域の中でしっかりと根付いた活動に力を入れていきたいと考えています。
そして最悪の環境の中ではありますが、児童の行動療育と成人の相談事業を通じて教育福祉に力を入れていきます。この分野は制度が変わったからといってすぐに対応できるものではないため、今から力をいれていかなければなりません。
今は厳しい時代ですが、これに耐え、研鑽の努力を惜しまず、時代が変わった時に一気に羽ばたけるよう力を蓄えていきたいと考えています。
本人と家族の相互関係の支援
インターネットサイトで障害者関連の論文を読んでいると、自己決定に関する論調の変化に気づかされます。昨日も、本人と家族の相互関係に対する支援について記述された論文が目に止まりました。その論文は、現在、世界的な潮流となっている「本人を中心とする支援計画」から、「本人と家族の相互関係を中心とした支援計画」へ移行することが必要である事を指摘した論文でした。インターネット時代は日本だけではなく、海外の論文も購読することができるのでたいへん便利です。
1980年代の半ばで、世界的に「本人中心の支援」というパラダイムチェンジが起こりました。1980年代は、ノーマライゼーションの理念が広がり、一般的な生活への統合が一応完了した時代です。そのような地域生活でより重要となったのは、生活の質(QOL)でした。単に形の上で施設を小さくして施設から地域生活に移行しても、ノーマライズという課題が解決しない。本人が望む生活をしなければだめだということになり、自己決定が非常に重要視されるようになりました。
ところが、自己決定を重視し、本人を中心において支援していけばいくほど、家族、友人、職場の人々、支援者など、本人をとりまく人たちの支援が必要になってくる事がわかります。生活の場面で人が人とかかわる場面では、常に言語行動が発生します。うろうろしたり、何かしてほしいという身ぶりをしたり、表情をゆがめたり、奇声を発したり、果ては暴力に訴えたり・・・ありとあらゆるチャレンジングな行動が「要求」という言語機能を内在した言語行動といえますし、そのような行動に対して次々とまわりの人たちの行動が広がります。それらが全て本人のQOLに影響を与えていきます。
本人中心の支援計画を立案するといっても、実際には、本人と生活を共にしているまわりの人たちや地域や行政に対する支援や働きかけを考慮することです。特定の課題は本人とまわりの人たちの共同の課題である事がほとんどだからです。紹介した論文はアメリカのものですが、「生活の課題はお箸を使うようなものである。本人だけではスパゲッティをつまむ事ができない」という表現がほほーアメリカでもお箸ですかと思い、ちょっと笑えましたが。
現在のように、支援計画を立案する際に、「本人中心の支援計画」といいすぎると、支援が空虚なものになりかねません。もちろん、日本では、地域福祉の理念が家族中心の支援計画からやっと本人中心の支援計画に移行したばかりであるという事もあります。「本人と家族の相互関係を中心とする支援」という理念はひょっとするとトーンダウンしてしまうのではないかという危惧が専門家の間にあるのかもしれませせん。しかし、この論文でみられるような「本人とそのまわりの生活者に対する支援計画」という論点で支援計画を立案するセンスがあれば、より実際的な支援システムを構築する助けとなる可能性があります。知的障害者の支援に関する研修においても、本人と支援者あるいは本人と家族の関係に対して、第三者がどのようにアプローチすべきなのかについての研修や研究が望まれていると思われます。
本人が生活する場に対する支援という概念を、そろそろ日本でも醸成しなければ先に進めないのではないかと思います。