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本人の強み(ストレングス)に着目してケアプランを立てる
障害者のケアプランのアセスメントでは本人の「強み」や「ポジティブな特性」を見つけ出し、その強みを中心にしてケアプランを築き上げるように規定されています。
ネガティブな面に焦点をあててケアプランを立てると、どうしてもその人がもっている「強み」を見逃しまいやすくなります。これが障害者ケアプランの質を決定的に左右してしまいます。
チャールズ・A ・ラップが自身の精神障害者としての体験をもとに記述した「ストレングスモデル」に本人の強みをもとにアセスメントを行う歴史的背景、理論、アセスメントの実際の記述方法等、詳しく解説されています。
わが国の障害者アセスメントでは、これまで中心だった「医療モデル」にかわってストレングスモデルが正当な考え方になっています。医療モデルは問題や疾病の改善を中心としたケアプランです。
ケアプランのモデルでは、他に、「ブローカーモデル」というものがあります。障害者の生活相談を皮肉った表現です。これは社会資源を紹介するだけという不満を批判したものかもしれません。
ケアプランは高齢者で先行して導入されました。高齢者ケアにおいては当初、相談支援機関が相談支援機関と関連が深い施設(系列施設)を利用するように誘導してしまう傾向がまったくなかったとはいえません。実際に、厚生労働省の担当者は障害者ケアの相談支援においてはケアプランの策定については、高齢者ケアのようにはせず、本人の幸せの実現のために本人のまわりにいる誰にもできる仕組みを導入したかったと述べています。
「ストレングスモデル」は「医療モデル」や「ブローカーモデル」の反省の上に立っていて、厚生労働省の専門官たちの肝いりで導入されたチャレンジングなモデルだとも思います。
本人の個人的ストレングス
・願望 生活がうまくいっている人は、目標と夢がある
・能力 生活がうまくいっている人は、彼等の願望を達成するために、彼等の得意なことを用いている
・自信 生活がうまくいっている人は、目標にむかって次のステップに移る自信をもっている
本人が生活している環境のストレングス
・資源 生活がうまくいっている人は、目標を達成するために必要な資源にアクセスできる
・資源 生活がうまくいっている人は、少なくとも一人とは意味のある人間関係を構築している
・資源 生活がうまくいっている人は、目標達成のチャンスがある
・資源 生活がうまくいっている人は、目標達成に関する資源と人間関係が相互に響き合う機会に恵まれている
障害者ケアのアセスメントでは対象となる人を<部分に分けて>診断しないで、できるだけ<ホリスティック>に見ようとします。ホリスティック(全体的)というとちょっと宗教的なニュアンスが入ってきますが、もともと日本では人間を部分にわけて考えませんし、家族や郷土との結びつきも大切にしていますからむしろ日本的な考え方なのかもしれません。ホリスティックな見方を大切にするのは、人間は部分を集めてきたもの以上の存在であるという考え方が基本にあります。
・本人が大切にしている人やものや活動は何だろう
・本人が興味を持っていることは何だろう
・本人がやっていると楽しいと感じる事は何だろう
・本人が実現したいと願っている夢や目標は何だろう
・本人が得意としていること、才能、特技は何だろう
・本人が自信があることは何だろう
・本人の支援者は誰だろう
・支援者が本人といっしょにやると楽しめる活動は何だろう
ストレングスモデルでは肖像画のジグソーパズルを完成させるように、まっさらな台紙に、その人の生の生活のワンピースを貼付けていきます。最初は絵にならないかもしれませんがとにかくポジティブなところを記述していきます。施設の日常生活における記録も、利用者本人が楽しんで取り組んだことを記録していくべきだと思います。そうして集められたジグソーバズルのワンピースで本人の肖像画を組み上げていくと、本人がポジティブに生きて行くために必要なケアプランが見えてくると考えます。
「ストレングス」という言葉を聞いて、ポジティブ心理学を思い出される方は多いのではないでしょうか。ラップらはポジティブ心理学が開始されたといわれる1998年よりもっと前からストレングスモデルを提唱しているので、いわゆるポジティブ心理学学派とは直接関係があるわけではなさそうです。
でも、ラップの「ストレングスモデル」を読んでみるとポジティブ心理学を提唱してきたセグリマンやクリストファー・ピーターソンの論文も引用しているため、ポジティブ心理学と全く無関係とはいえません。むしろ、ストレングスに注目する事が本人の生活の質を高め人生において幸せを実現する近道であるという主張はまったくセリグマンらと同じ哲学を感じます。
仮想通貨「メイト」の実践
名東福祉会に対するボランティア活動の報酬にメイトという仮想通貨を導入する事になりました。ボランティアをしていただいたら、「メイト」という仮想通貨でお礼をしようというものです。
メイトで購入できる商品は、地域の人たちから寄贈していただいた雑貨や、利用者が日常生活で消費するものです。施設で制作した陶芸製品などもメイトで「購入」できるようにしたいと思います。
もちろん、無償で行うのがボランティアですし、ボランティア活動によって得られる満足感や充足感がそもそも報酬であるというのは私自身もボランティア活動をした経験から感じるところです。
でも、ボランティアを受ける側からすれば、ささやかであっても、なんらかのお礼をしたいというのが本当のところです。もしボランティアさんの活動に対する感謝が、これまで以上に法人職員間で共有できれば、ボランティアの方にもよりいっそうのやりがいにもつながるのではないかと期待しています。
仮想通貨「メイト」を構想しているなかで、利用者の社会貢献活動にもメイトを支払うことが検討されています。
就労支援施設では収益を目標とした作業を行っていますが、なかなか「やりがい」を感じるだけの収入にはつながっていないのが現状です。名東福祉会の場合、30年に及ぶ工賃作業の歴史がありますが、その生産性は低く、利用者の収入になかなかつながっていないという現状があります。
これまでどおり、利用者の収入を上げることに努力を続ける事は当然としても、なかなか打開策が見いだせません。特に、海外で清算する低価格の製品が容易に手に入る現状では、競争に勝ちうる自主製品を知的障害者施設で製作していく事はこれからも困難を伴うと思います。
一方、工賃作業にはもうひとつの側面である「人の役に立つ喜び」があります。
人の役に立って感謝されたり、ボランティア活動に感謝することが人々の生活の質を高めるのであるとすれば、私たちは単純に「利益がある・なし」ではなく、「地域社会への貢献」という観点から施設活動を見直す必要があるように思います。
人への貢献によって仮想通貨を得て、また人から奉仕していただくために仮想通貨を使用していきたいと思います。そして、その貢献活動の輪が徐々に施設と地域の間に広がっていけば、本当の通貨である「円」は稼げなくともそれ以上に利用者の生活の質は高まっていくのではないでしょうか。
まずはボランティアのみなさんに喜んでいただけるような商品構成、利用者の方に楽しんでいただけるような商品構成は何かを、利用者、家族、職員、ボランティアのみなさんが知恵を出し合って考えていただければと思います。
人の役に立つ事をプログラムに取り入れる
ポジティブ心理学という心理学があります。認知心理学の一種で、アメリカ心理学ではかなりメジャーです。
アメリカ心理学は、はじめはフロイトを起点とする精神分析から始まり、その後スキナーらの行動主義が全盛期を向かえ、その限界を克服する形で、近年では認知心理学や認知行動療法にその中心が移っています。
1998年からアメリカ心理学会会長を勤めたペンシルバニア大学のマーティン・セリグマンはこのポジティブ心理学の創設者です。
ポジティブ心理学を応用したうつ病の治療は、薬物療法以上の効果をあげているというエビデンスが多数あります。
セリグマンやクリストファー・ピーターソンの本を読むと(翻訳本ですが)、幸せになるために必要な条件について研究を行っています。
どこかへ行きたいとか、楽しい事をしたいとか、
面白い映画を見るとか、何か欲しい物を手に入れるとか・・・も、確かに幸せにはなるのですが、
その幸せは長続きしません。
それに比べ、
楽観的であること
前向きであること
人に感謝すること
他の人に親切にすること
自分の強みを生かすこと
他の人に多くを与えること
家族や友人と一緒に過ごすこと
何か没頭できることを持つこと
といった事が幸福感には極めて重要なんだそうです。健康で長生きするそうです。
ボランティア活動も、利用者にとってとても助かるだけではなく、ボランティアをすること自体が幸せで、満たされるあることから長続きします。
障害がある人のQOLを考えるとき、生活介護施設のプログラムも「その人の強みを生かして人の役に立つ事」による幸福感をもとに、考え直していく必要があると思います。
マイケル・サンデルの白熱授業
ハーバード大学の教授のマイケル・サンデルという人がいます。この人が行う事業は、「ハーバード白熱事業」という形でNHKでも放映されたそうです。
この授業では、サンデルが正義に関する究極の質問を学生に投げかけるという手法で、正義の在るべき姿に迫っていきます。
個人的には
「随分荒っぽくて日本人には違和感のある無理筋の質問の投げかけ方だなあ」と思うのは別として、共同体の成員が迷うような具体的な事象を例に挙げ、共同体として意思決定すべき内容を取り上げ、あらかじめ成員同士で考え、話し合うことは正しいことだと思います。たとえ結論は出なくとも。
サンデルが取り上げた殺人のような極端な話はだけではなく、福祉施設の実践では全ての支援内容についてそれが「正義」なのか「悪」なのかを考える題材にすることができます。
例えば
・ひとりになりたがる利用者を個人の選択としてそのままにする事は正義か
・職員1対利用者1の散歩に出かける事は正義か
・散歩にでかけ、利用者の年金を使って利用者がコーヒーを飲む事は正義か
・工賃を稼ぐために職員が代わりに働いて利用者の収入を稼ぐ事は正義か
・障害の重い人を受け入れたため、全体としてケアの効率が下がり、既存の利用者がそれまで普通に受けることができたサービスが受けられなくなったとしても、それは正義か
逆に悪についても
・一人暮らしの知的障害がある人について個人情報の利用に関して本人の許可が取れないまま、地域ケア会議に資料提供したことは個人情報保護の観点から悪となるか
・重篤な糖尿病の患者である知的障害者に求められるまま施設のフェスティバルで提供された焼き肉を大量に食べてもらった事は悪かはたまた正義か。
・利用者が道路に飛び出す事を防ぐためにドアに鍵をかける事は悪か
・自傷が激しく、生命の危機を感じるほど頭を打ち付けてしまう利用者に対して頭を打ち付けても安全な部屋に入ってもらう事は拘束か(つまり虐待か)
サンデル自身はなかなか正義とは何か、その事例はどっちが正しいのかについて答えません。しかし、実際には障害者施設では毎日こうした問題が生じていて、私たちは常になんらかの答えを出さなければなりません。
知的障害者の福祉施設に限って考えると、職員、家族、利用者、地域の人々という地域共同体の成員を成す人がともに考え、合意し、さらにその地域の風習をも加味して考え、選択し、さらにいい方法を見つけるために不断に議論と模索を続ける法人が正義の法人なのでしょう。実際のところ、間違えてもしょうがないような事ばかりなのですから。少なくとも、疑問を持ったまま職員として悶々と悩むのは体に悪いのではないかと思います。
人知らずしてうらまず、また君子ならずや
論語が流行っているのだそうです。
「子曰く、学びて時に之を習う、またよろこばしからずや」
これを知的障害者の福祉的の世界に置き換えると
「本人にいいものは、これまで学んだことがあってもどんどん積極的に学びましょう。」
となります。
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」
というのは
「考え方が違う人が法人の外から来て、その人が紹介してくれたいいものを取り入れると、これまでにはなかったいい事が利用者に起こる。」
となります。
「人知らずしてうらまず、また君子ならずや」
これは
「人知れずこつこつと利用者を支えることが本物の福祉マン」
ということなのかと。
福祉の方法論について上記のように柔軟に学び、効果のある実用的な技法を取り入れ改善を続けると、技法の開発者としては有名になれないかもしれません。でも利用者のために研鑽を続けているとそんなことはどうでもよくなり、最後には利用者が生活する地域が利用者にとって住みやすい地域になったかどうかだけが問題になります。
福祉サービスでは「陰」の支援時間が大半です。こつこつと利用者の傍らで支援作業を行っているとき、他のスタッフは誰も見ていないことが常です。しかし、そんなときでも利用者は誰が君子であるのか知っているのです。
福祉サービス従事者の心得としても論語は現代にも生きているのだと思います。