目的を形成する際に、学習者が参加する事の重要性が強調されてよい(デューイ)

アメリカの障害者政策や医療政策を単純に日本に導入する事については、私は批判的立場です。それでも、デューイやスキナーなどの実践主義者の考え方は、学生時代に深く感銘を受け、今でも強く影響を受けている事を認めざるを得ません。

実践主義(プラグマティズム)の潮流をずっと遡るとプラトンに行きつきます。プラトンはかって奴隷を他人の欲望を実行させられている人であると定義しました。自分自身の盲目的な欲望のとりこになった者もまた奴隷であるとデューイは考えます。

デューイはその著書「経験と教育」の中で、生徒自身がこれから何を学ぶのかを取り決める活動に参加する事の重要性を説きました。目的をもって行動することの重要性といいかえてもいいと思います。現在では「利用者本人が福祉サービス計画立案に参加すること」が重視されていますが、私はこれらの福祉活動の原理は、もともとはデューイらの実践主義の流れであると考えています。

そうした考え方に影響されたこともあって、成人の「授産施設」の授産活動でも「自分自身で活動内容を決める」ことを重視したいと思いました。名東福祉会の第一の施設であるメイトウ・ワークスでは陶芸の作業が授産科目に選ばれました。そこで、私たち現場職員は
「どんなものをつくるのかを利用者とともに考え、利用者とともに実践する」
という基本的なスタイルを取りました。そして現在でも名東福祉会の諸活動には、こうした利用者と一緒に活動内容を決めるという空気が流れていると思います。

先日、私が勤務する会社の沖縄の事務所の屋根に守り神であるシーサーを飾りたくなり、天白ワークスに特注のシーサーを作ってほしい旨発注させていただきました。
しばらくたって、注文の品が焼きあがったと連絡がありましたので見に行きましたら、とても見事な、どこか愛らしいシーサーが仕上がっていました。失礼ですが、思っていたよりずっとできが良くとても満足しました。

その後、担当者がなにやら見た事もないような魔物の素焼きの大型の焼き物を奥から引っ張り出してきました。これはシーサーを製作した陶芸家(実は施設利用者の方ですが)がシーサーづくりをしていて突然閃いてあっという間に製作したものだそうです。おどろおどろしくもあり、どこかひょうきんなところもあり、それでいて異次元の煉獄の世界からワープしてきたような力を感じる芸術作品でした。これ、何の指示もなく土台の上に作り上げてしまったものなんだそうです。見事です、はい。

就労支援であろうと、生活介護であろうと、あるいはグループホームであろうと、障害者の福祉サービスにおいて大切なのは、本人が主体的に活動できる環境を作る事だと改めて思った次第です。