前回の記事のコメントです

前回の話題は小島さんのコメントが鋭いのでコメントで答えるのは苦しい。そこで、記事でコメントです。

支援センターを時代劇に例えると、銭形平次のようなもの?ですね。奉行所の同心は官僚。銭形平次の子分のガラッ八は、支援センターのスタッフか、地域のおせっかいなボランティアかな。

「岡っ引き」は官僚ではありませんし、実際には平次のように専業でやってけるほど給金は出てはいなかったそうですが、ガラッ八に至るまでそれなりの権限をエンパワーメントされていることは間違いなかったようです。

もちろん江戸時代に社会福祉など概念もありませんけれども、大都市の安心・安全を支える下部構造が江戸時代には既にできていたのだと思います。また大都市であっても、長屋というスタイルの井戸端共同体もありました。江戸は当時から世界有数の大都市ですから現代の都市問題をすでに抱えていて、それをそうした下部構造の支援ネットワークで補完する知恵があったのだと思います。

社会福祉法人はそうした日本の歴史的流れを使命感をもって担ってきていました。いわれなくとも必要だと思ったことをやるというもの。滅私奉公ですね。それが障害者自立支援法というか、その前の介護保険制度でメニューに基づく限定された福祉サービスに整理整頓されてしまい、歴史的に日本が保有していた支援ネットワークに関する構造がスポッとなくなってしまったということでしょう。その反省のもとに支援センターがあり、地域共同体から政治の世界までをつないでいく支援センターを充実させていくとするならば、話はよくわかります。

奈々枝会長の話を持ち出すのもなんですけれども、奈々枝会長は以前市役所の福祉課の片隅に、奈々枝専用の机があったそうで、毎日に近いくらい市役所に出かけて行って話をしていた時期があったそうです。それだけ市役所の官僚の人たちとは密接な連携をとっていたそうです。僕にはそんな真似はできませんが、支援センターが地域と行政をつないでいる役割をエンパワメントされればとは思います。

ただ、今のように権利擁護や牽制(たとえそれが「バランスのとれた」とか、「健全な」ということばでマイルドな印象を持たせていただいたとしても)西欧の階級闘争から生じた概念を正面から負わされてしまうと、支援センターまわりにガラッ八がいなくなってしまいません?

日本人が大切にしてきた生活スタイルをモデルとして、長屋生活をモチーフにしたような支援付きマンションとか、老若男女が集ってなんでも相談できるような場所があって、それぞれがネットワークを形成しつつ官僚組織まで直結するようにするといいと。

反面、欧米的な商業主義+権利擁護や社会資源の相互牽制となると、肩が凝りそうで重たい気分となってしまうのは僕だけ?もっとも、権利擁護は現代社会福祉の理論的な支柱ですから僕のような事をいうのが側にいると小島さんもたいへんです。

名古屋の場合、地域委員会はどうなるんでしょうね。一見似ているので、これがあらぬ方向に行かねばいいのですが。

ああ、話がどんどん明後日の方向に。このテーマでシンポジウムとなるとなかなか終わりませんね。