本人と家族の相互関係の支援

インターネットサイトで障害者関連の論文を読んでいると、自己決定に関する論調の変化に気づかされます。昨日も、本人と家族の相互関係に対する支援について記述された論文が目に止まりました。その論文は、現在、世界的な潮流となっている「本人を中心とする支援計画」から、「本人と家族の相互関係を中心とした支援計画」へ移行することが必要である事を指摘した論文でした。インターネット時代は日本だけではなく、海外の論文も購読することができるのでたいへん便利です。

1980年代の半ばで、世界的に「本人中心の支援」というパラダイムチェンジが起こりました。1980年代は、ノーマライゼーションの理念が広がり、一般的な生活への統合が一応完了した時代です。そのような地域生活でより重要となったのは、生活の質(QOL)でした。単に形の上で施設を小さくして施設から地域生活に移行しても、ノーマライズという課題が解決しない。本人が望む生活をしなければだめだということになり、自己決定が非常に重要視されるようになりました。

ところが、自己決定を重視し、本人を中心において支援していけばいくほど、家族、友人、職場の人々、支援者など、本人をとりまく人たちの支援が必要になってくる事がわかります。生活の場面で人が人とかかわる場面では、常に言語行動が発生します。うろうろしたり、何かしてほしいという身ぶりをしたり、表情をゆがめたり、奇声を発したり、果ては暴力に訴えたり・・・ありとあらゆるチャレンジングな行動が「要求」という言語機能を内在した言語行動といえますし、そのような行動に対して次々とまわりの人たちの行動が広がります。それらが全て本人のQOLに影響を与えていきます。

本人中心の支援計画を立案するといっても、実際には、本人と生活を共にしているまわりの人たちや地域や行政に対する支援や働きかけを考慮することです。特定の課題は本人とまわりの人たちの共同の課題である事がほとんどだからです。紹介した論文はアメリカのものですが、「生活の課題はお箸を使うようなものである。本人だけではスパゲッティをつまむ事ができない」という表現がほほーアメリカでもお箸ですかと思い、ちょっと笑えましたが。

現在のように、支援計画を立案する際に、「本人中心の支援計画」といいすぎると、支援が空虚なものになりかねません。もちろん、日本では、地域福祉の理念が家族中心の支援計画からやっと本人中心の支援計画に移行したばかりであるという事もあります。「本人と家族の相互関係を中心とする支援」という理念はひょっとするとトーンダウンしてしまうのではないかという危惧が専門家の間にあるのかもしれませせん。しかし、この論文でみられるような「本人とそのまわりの生活者に対する支援計画」という論点で支援計画を立案するセンスがあれば、より実際的な支援システムを構築する助けとなる可能性があります。知的障害者の支援に関する研修においても、本人と支援者あるいは本人と家族の関係に対して、第三者がどのようにアプローチすべきなのかについての研修や研究が望まれていると思われます。

本人が生活する場に対する支援という概念を、そろそろ日本でも醸成しなければ先に進めないのではないかと思います。

人に喜んでいただくことは人生をゆたかにする

障害者自立心法は、小泉構造改革の影響で、福祉予算の削減のための法律に変質してしまいました。しかし、その原理は、もともとヨーロッパ発の雇用政策の潮流に乗っかろうとした法律です。イギリスの「支援付き雇用ワークブック」(2002)という本に「就労支援の原理」がありますのでそれを紹介してみましょう。

支援付き雇用(Supported Employment)の原理は
1)自己決定
2)相談者中心 提供できるサービスから見た計画ではなく、相談者の目標や希望や技能を中心に計画しよう
3)一般的社会での普通の経験、家族、友達、知人、仕事、経験をめざそう
4)自立をめざす
5)仕事をしたいと願っている人はみんな能力に応じて働く事ができる
6)失敗することや友達づくりや技能の向上は働く場でしか学べない

とあります。悪名高き「障害者自立支援法」ですが、その原理はこうした考え方を踏襲していると思います。この「就労支援の原理」はもちろん施設の活動にも適応されます。

WehmanとKregelは「働く事(work)は個人のQOLを定義するとき、中心的な役割を果たし、人生経験そのものである」(1998)と述べました。ここで彼らは就労(employment)という言葉を使っていません。より広い意味のworkという言葉を使っています。働くという字も人のために動くという意味です。施設であろうと企業であろうと、「人に喜んでもらう事は人生をゆたかにする」という原理で人は動いています。尊厳や自己決定は、働く事を中心とした人生において実現するのだと思います。働く事がQOLを決定するという考え方はユニバーサルです。

収益を上げなければ働く事にならないというわけではありません。お金儲けは難しく、お金を儲けようとすればするほどかえって人に喜ばれるということができず、案外儲からないという結果になったりします。逆に、お金儲けを目指すのではなく、人に喜ばれることを目指していたら儲かってしまったと、多くの事業家はいいますよね。

ものが売れない時代に人に喜んでいただくためには・・・難しいですが、やっぱり食べ物に携わっていく事はまず重要ですよね。食べる事以外にも「人に喜んでいただくこと」はたくさんあるはずです。そうした原理に基づいた実践の成功例をみんなで共有することが、より人に喜ばれる支援システムをつくります。

今回も小島さんのブログを受けて、障害者自立支援法における就労支援の原理について触れさせていただきました。

やりとりの深化をめざす

自己決定の権利はヴォルフエンスバーガー(1980年代)の時代からある考え方で、ノーマライゼーションの究極の概念でした。このころは最終的な目的が「脱施設」とか、「統合教育」というような形の上で「普通」が求められていました。本質的には個人の自由を保障する権利の問題となります。

そのころ、「普通の時間にお風呂に入る」とか「個室が普通」とか「3食が普通だ」とかいうように、「一般的な生活習慣」を福祉実践へ導入する事がノーマライゼーション実践として重要視されました。1990~2000年ごろの話だったように思います。もちろん、今も知的障害者の福祉施設では継続されています。

しかし、「普通化」という実践は、もちろんそれだけでは物足りなくなり、行き詰まりを見せました。アメリカでは、その後、Quality of Life(QOL)の原理へ移行します。「いくら形が普通でも利用者本人が不満があったらだめでしょ。満足を追求しなければ」ということになりました。日本では「グループホームをつくったはいいけれども、中身は小さな入所施設じゃないか」というような形にやや囚われた批判が続きます。

ところがQOLの概念が登場すると、本人の意思確認よりも「本人の満足」が課題となります。これは、「個人の自由とか人権」といった概念や知的障害者本人が政策提言したり、知的障害者福祉協会や育成会で本人部会ができるといった自己決定実践報告ともからみあってやや過激に深化していきました。

ただ、現場においては重度の知的障害者が多く、ましてや福祉施設における満足にとどまったため、「自己決定」を支援するだけでは必ずしもQOLの向上につながるとは限らないという問題が生じたと思います。「食べすぎちゃってもそれは自己決定」とか「他害行為や自傷行為をする事もそれは自己決定か」というように迷路に入り込んだりしました。所詮、施設の中で限定的に満足を充足しても、地域社会とのつながりの中で満足が実践されなければままごと的な
議論に終わってしまうという問題が露呈してきます。

そしてその議論は成年後見などとも絡んでいかにもややこしい議論を続けています。そもそも自己決定できない人の自己決定支援ですから言葉自体がパラドックスを抱えて現在に至ります。

どうもノーマライゼーションという教室の「個人主義」というホワイトボードの上で、権利という概念を横軸にして、自己決定を立て軸にして福祉実践をすると、現場は混乱するばかりで最後には「机上の空論」の議論に陥ってしまいがちなのではないかというのが僕の感想です。「権利」と「権利擁護」は違うというご質問もこうした前提の上で展開された図表の上でいくらでも違いを論じることができます。でもノーマライゼーション教室の外にいた人は
「どうでもいいんじゃね」
となりかねません。

そこに昨今のように、「行き過ぎた戦後個人主義やポピュリズムが福祉を拡大し、国をだめにしているんだ」という議論がからんでくると自己決定はいったい何の話をしていたんだっけということになり、現場はどうすればいいのかわからなくなってしまうわけです。

ここで、私たちの福祉現場の理念を、自己決定(self determination)支援や自己権利擁護(self advocacy)という外国からの借り物の概念ではなくて、「家族や共同体のなかでのやりとりの深化」という目標にする必要があるように感じています。これはもともと我が国で伝統的に実践されてきた「和」の福祉概念でもあるように思います。

知的障害者の言語訓練や就労現場での訓練や生活の質の向上を目指したあたりまえの実践が、これまでの権利とか自己決定とか権利擁護とか自己決定ができない人のための成年後見とか、ややこしい議論を回避することができます。しかもその瞬間から、目の前にいる人とともに「生活の質の向上」に向けた実践につなげる事ができるのではないかと思うのです。もともと障害は社会的なものですし、本人が抱える課題としての側面もあります。教育と福祉の融合というとちょっと大げさですか?

コミュニケーション行動の場合、本人の訓練だけではおさまらず、必然的にまわりの人たちの変化も要求しますから、結果としてまわりも変わらなければならないし、まわりが変わる事によって本人も変わる。やりとりは行動的ですし、やりとりの深化や、そのための支援であれば、家族や共同体や国をつなげる概念とも統合することができ、これからの福祉実践に組み入れていくこともできるのではないかということで、

「自己決定を権利擁護の文脈でとらえるのではなくて、本人とまわりの人とのやりとりの深まりという文脈でとらえる必要があります。この例のように。」とコメントさせていただきました。言葉足らずで、どうも。

生活圏での意思決定

地域の実情にあった意思決定の問題は知的障害者にとって決定的に重要な問題です。この場合、地域ってどこの事なのかをはっきりとさせていかなければならないなと感じています。僕にとって、地域の実情というのはいわゆる「地域主権」の地域とは違って、当事者の生活圏といった小さな地域です。生活圏というのは本人が移動できる範囲ということです。

名東福祉会の場合、名古屋市という日本でも大きい方から3番目か4番目の大都市の場合、ちょっと話がややこしくなります。大都市には地下鉄とかバスとか自由に利用できます。ですから、実際には地下鉄を利用するならば地下鉄の駅員さんとか、途中で立ち寄るコンビニの店員さんとかも生活圏の人々に入るかもしれません。生活の場面でで会う人たちとの間で、うまいこと折り合いをつけ、個性あふれる個別の支援プロセスを経て、本人の具体的な生活をどうするかに絞った意思決定が行われます。

ところが、昨今、話題となっているような「市民後見人」というときの「市民」は特定の町の特定の生活圏とは無縁であることがむしろ普通でしょう。一種の市民運動ですから、やはりそれなりにプロフェッショナルが出現します。支援が進化すればするほど広域でネットワークを形成するでしょうから、最終的には個別の生活圏とはかけ離れた後見にならざるを得えません。そうなると、全国レベルの同様の活動と連携し、さらに外国の諸団体とも連携することも可能性として考えられるわけです。すなわち、もともと市民後見人における「市民」の意味は行政や国と対峙するという意味での「市民」であることが分かると思います。

もちろん市民後見人そのものを否定するというわけではありません。むしろ権利擁護は特定の生活圏で支援センターが単独で解決されるほど簡単な問題ばかり扱うわけではありません。権利擁護においては戦略的に広域のネットワーク団体と連携する必要がある場面もあると思います。ただ、ここで確認しておきたいのは、生活支援センターが生活圏で生活する様々な人々とのやりとりから離れ、本人の意思決定の支援をすることはあり得ないという事。その作業ではえらく面倒で、時間のかかる地道な作業です。常に個人情報の保護とか、権利関係の確認とか、権限の確認とかを強いられます。いいかえれば生活支援は、生活圏の人々の個人の権利と常に衝突する要素をはらんだ仕事なのだということです。権利擁護はもろ刃の剣なんだと思います。

結局、支援センターは本人の権利を尊重した個別のケアプランを策定するといいながら、意思決定プロセスにおいて、その背景となっている<個人主義>を地域の中でどうやって乗り越えて行けるのかが今日的課題だと思うわけです。僕は支援センターの人たちには生活圏の住民から、個別の権利を乗り越える力が付託されていると思っています。たいへんですけども。

前回の記事のコメントです

前回の話題は小島さんのコメントが鋭いのでコメントで答えるのは苦しい。そこで、記事でコメントです。

支援センターを時代劇に例えると、銭形平次のようなもの?ですね。奉行所の同心は官僚。銭形平次の子分のガラッ八は、支援センターのスタッフか、地域のおせっかいなボランティアかな。

「岡っ引き」は官僚ではありませんし、実際には平次のように専業でやってけるほど給金は出てはいなかったそうですが、ガラッ八に至るまでそれなりの権限をエンパワーメントされていることは間違いなかったようです。

もちろん江戸時代に社会福祉など概念もありませんけれども、大都市の安心・安全を支える下部構造が江戸時代には既にできていたのだと思います。また大都市であっても、長屋というスタイルの井戸端共同体もありました。江戸は当時から世界有数の大都市ですから現代の都市問題をすでに抱えていて、それをそうした下部構造の支援ネットワークで補完する知恵があったのだと思います。

社会福祉法人はそうした日本の歴史的流れを使命感をもって担ってきていました。いわれなくとも必要だと思ったことをやるというもの。滅私奉公ですね。それが障害者自立支援法というか、その前の介護保険制度でメニューに基づく限定された福祉サービスに整理整頓されてしまい、歴史的に日本が保有していた支援ネットワークに関する構造がスポッとなくなってしまったということでしょう。その反省のもとに支援センターがあり、地域共同体から政治の世界までをつないでいく支援センターを充実させていくとするならば、話はよくわかります。

奈々枝会長の話を持ち出すのもなんですけれども、奈々枝会長は以前市役所の福祉課の片隅に、奈々枝専用の机があったそうで、毎日に近いくらい市役所に出かけて行って話をしていた時期があったそうです。それだけ市役所の官僚の人たちとは密接な連携をとっていたそうです。僕にはそんな真似はできませんが、支援センターが地域と行政をつないでいる役割をエンパワメントされればとは思います。

ただ、今のように権利擁護や牽制(たとえそれが「バランスのとれた」とか、「健全な」ということばでマイルドな印象を持たせていただいたとしても)西欧の階級闘争から生じた概念を正面から負わされてしまうと、支援センターまわりにガラッ八がいなくなってしまいません?

日本人が大切にしてきた生活スタイルをモデルとして、長屋生活をモチーフにしたような支援付きマンションとか、老若男女が集ってなんでも相談できるような場所があって、それぞれがネットワークを形成しつつ官僚組織まで直結するようにするといいと。

反面、欧米的な商業主義+権利擁護や社会資源の相互牽制となると、肩が凝りそうで重たい気分となってしまうのは僕だけ?もっとも、権利擁護は現代社会福祉の理論的な支柱ですから僕のような事をいうのが側にいると小島さんもたいへんです。

名古屋の場合、地域委員会はどうなるんでしょうね。一見似ているので、これがあらぬ方向に行かねばいいのですが。

ああ、話がどんどん明後日の方向に。このテーマでシンポジウムとなるとなかなか終わりませんね。

支援センタースタッフの充実

経済が熟成し、国がいわゆる「福祉国家」となるに従って、政治家の役割と、官僚の役割は次第に重なり合ってくると言われています。別の言い方をすると、政治家が意思決定を行い、行政がそれを遂行するという政治主導といわれる単純な構造は現実的でなくなってくるのです。

障害者福祉の場合を例に考えると、政治家は障害者福祉現場を回り、その問題について体験する必要があります。また官僚についても、地域のニーズを先読みし、学識や経験で適切な政策立案をする事が求められます。

今の日本の現状を考えると、障害者福祉に関心を寄せる政治家はほんとうに数が少ないと思います。一方、官僚についても、日本の官僚は先進国の中で数が最低だと言われています。これでは現場で、どういった問題が起こり、どういった政策が必要なのかを的確に判断しながら政策を立案する事が難しいといわれてもしかたがありません。

従来、日本では地域のニーズをつかむために、行政の内側と外側の両方の領域で活動することを期待して社会福祉法人が設立されました。社会福祉法人が生まれた経緯は行政の補完的な役割だったと思います。

ところが、現在の社会福祉法人のイメージは「老人ホーム」に代表されるように、施設経営と強く結びついています。官僚の仕事を地域密着型で遂行するという行政マンとしてのイメージとはちょっと異なると思います。平成に入り、失われた10年を経て、小泉構造改革以降は社会福祉法人が市場の中でサービスを競い合うような新自由主義的な福祉へと向かうようになりましたから、行政も社会福祉法人も「社会福祉法人の職員は行政マンである」と考える人はほとんどいなくなったと思います。

しかし、本来の社会福祉法人の役割が「行政から委託を受け、地域に密着しながら福祉施策を実効的なものにすること」であるとすると、現在のように、株式会社と社会福祉法人が同じような福祉サービスを提供する実態とはもう少し異なった機能が求められるはずです。私は今後ますます強まってくる福祉国家としての要請に答えるには、住民と福祉施策の間のギャップを埋める「実戦部隊」が充実したものにならなければいけないと思います。動く人がいなければ地域の実際的なニーズもつかめないし、ニーズがわからないから高度な知識と経験を持った官僚の潜在力も発揮できないし、官僚から情報が上がらないために政治家の感心も高まらないと考えています。

いいかえれば、これからの社会福祉の課題は、いかにして行政と地域のギャップを埋める実戦部隊を増やしていくかだと思います。私はその「実戦部隊」こそが障害者支援センターのスタッフだと思います。障害者支援センターの職員は名東区10万人の人口に対してたったの3名。これでは世界一少ない官僚の数を補う事にもなっていません。まずは各センターの職員数と予算の拡充が望まれます。

奈々枝さんを追悼して

多くの人にご会葬いただき、誠にありがとうございました。

母、奈々枝は兄が障害を持って以来、56年間、障害がある人の幸せを願い、一日たりとも休まない人でした。休日で旅行に行ったとき施設の見学を怠らず、お土産屋や食堂に入っても授産製品のヒントを探していました。起きている時の話題はすべて福祉に関する事ばかりで、正に障害を福祉に捧げた人であったと思います。

奈々枝さんは昭和3年に東京で生まれました。奈々枝さんの父はもともとは伊勢神宮にゆかりのある英虞湾に面した村のある小さな神社の宮司の家系の人でした。奈々枝さんの育て方は奈々枝さんが長女であったこともあり、たいへん厳しかったようです。奈々枝さんの母は93歳まで生きた方ですが明治生まれの武家の人でしたから、ひととおりのたしなみを身につけるためにこれまたたいへん厳しい育て方をされたと思います。

戦争時代に入ると、奈々枝さんの父は病死し、兄は陸軍の学校に志願した後、戦争で亡くなり、奈々枝さんは兄弟を背負って戦争の中を家族を守って生きる立場になりました。奈々枝さんは看護学校に入り、戦争中は看護婦の見習いとして奮闘しました。住んでいた大阪の和泉市が焼夷弾で攻撃されたとき、なすすべもなく死んでいく人たちの看護はとてもたいへんだったとのことです。

戦争が終わり、兄が生まれてからの障害者福祉に関する奮闘ぶりはここで紹介するまでもないことですが、正に筋金入りの日本女性だったことに違いはありません。

奈々枝会長の功績は、前半の30年はわが子の障害の治療や教育を通じ、社会の問題と向き合った時代でした。この時代に、名古屋市に様々な福祉制度が生まれましたが、ほとんどの障害者福祉制度にかかわりを持ちました。特殊教育の関係機関とも強い連携を持ちました。また名古屋手をつなぐ親の会の創設にかかわり、社会福祉法人化を成し遂げるまで発展させたことは大きな功績だったと思います。名古屋市の福祉施設に対する民間福祉施設運営費補助金についても、親の代表としてかかわりを持ちました。里親制度や相談事業、いこいの家など、当時としてはとても進んでいたもので、この制度によって優れた人材が名古屋から多く排出されたことは否めないと思います。

後半の30年は理想とする地域福祉の実現に向け、名東福祉会を創立し、地域の先頭に立って実践を継続したことだと思います。メイトウ・ワークス、天白ワークス、はまなすと次々に通所施設を建設し、障害がある方の学校卒業後の対応にあたりました。また、親の高齢化に備えレジデンス日進や上の山ホームを創設しました。
活動の場は変わりましたが、60年近くの長きに亘って、仲間の親と力を合わせ、わが子が地域の人たちとともに生きていくことができるよう命をかけた人生だったと思います。

戦後日本の障害者福祉の歴史とともに歩みましたから、福祉の実践家としても第一人者でしたが、いろいろな大学で福祉講座を持つなど一流の教育者でもあったと思います。しかし本人は母親という立場を意図的に離れないようにしていました。親としてあるべき姿を常に追求していたといってもいいと思います。

武勇伝も数多くありました。まだ日本に障害者の施設が数えるほどしかなかった頃のことです。複数の人たちとともにある入所施設を利用する事がありました。障害児の療育がうたい文句の施設でした。子どもを預けたものの、どんな「療育」を受けているのかが気になり、入所して数週間経ったころ、施設をこっそりと訪れたそうです。その施設の処遇を裏庭から見ると、療育とはかけ離れた生活がそこにありました。愕然とし、即座に「集団脱走」を実行したそうです。その当時の入所施設は予算的にも人材的にもまったく不十分でしたし、そもそもその頃の福祉には社会からの隔離という概念しかなかったものと思われます。その時、その施設から抜け出した人たちとは終生関係を持ち続けました。

子どもたちの療育に対する強い感心は早い段階で生まれていたのです。その後、名古屋の特殊教育の充実にたいへん熱心に活動しました。たまたま私たちの家庭があった中学校区に川崎先生という優れた特殊学級の先生が赴任していましたので強い絆が生まれました。養護学校や特殊学級と親の会の関係の構築に尽力し、そのときの活動が現在の名古屋市の親の会の教育参加意識に繋がっていると思います。

手をつなぐ親の会の社会福祉法人化の際には、厚生労働省まで乗り込み、「認可を受けるまでは死んでも帰らない」という態度だったようです。そうしたバイタリティや純粋さは多くの協力者を生みました。

そうした武勇伝を聞くと、いかにも好戦的な女性だったかのように思えますが、実際にはまったく静かな穏かな人でした。争いごとを好まず、人の話を聞く事を好みました。会って分かれるときや電話で話した時には最後に「ありがとうね」と必ず言いました。失敗しても落ち込まないで「なーんとかなるわ」と節をつけて言うのが口癖でした。

立派な先生に会えると本当に感謝しました。そうした先生のお話を聞く場合には必ずノートをとり何度も何度も読み返し、私に教えてくれました。そうした謙虚さも最後まで併せ持った人でした。

障害者福祉の世界はもちろん、楽しいことばかりではなく、毎日事件が起こります。その度に、親同士の反目があります。それに対してどうしたらよいのかを毎日気に掛けました。争い事は仕方がない事ですが、争いを乗り越えて皆が和(なご)むことが奈々枝さんの願いでした。「親が範を示さねばならない」と、地域の人たちに力を合わせる姿を示すことができるよう、バザーをやったり、喫茶店を経営したり、いろいろチャレンジしました。そうして次第に地域に溶け込んだ生活がもたらされるようになったのです。

これは「大和(やまと)心」といってもいいかもしれません。それぞれの地域には地域独特の結束力のようなものがあり、伝統があります。地域の習慣を無視して利用者の生活はあり得ません。奈々枝さんは日進市に居を構えて20年以上になりますが、「まだ地のものではないと言われる」と、決して地域の一員としての生活に気を緩める事はありませんでした。

私はこの「和(なごみ)」の世界に、個を大切にする生きかたも、権利擁護も、社会参加もすべての福祉理念が包含されると思うようになりました。

会葬が終わり、遺骨はレジデンス日進の役員室に帰ってきました。奈々枝さんの本来の終の棲家はレジデンス日進であると思うからです。レジデンス日進の屋上からは日進市を見渡すことができます。彼女がまだ元気だったころ、ハーブが咲き乱れたレジデンス日進の屋上に上がり、夕日に輝く美しい景色を見る事をこよなく愛していました。これからも私たちの母として、レジデンス日進に佇み、いつまでも私たちを見守ってくれればと思います。

戦略は細部に宿る

細部の設計がなければ、どんなスルーガンも失敗に終わるでしょう。

地域福祉も同じです。
「地域福祉」、「ともに生きる」、「人権擁護」、「障害者差別の撤廃」、・・・こうしたスローガンも、具体的な中身が明らかにならならなければ、夢のまた夢。何もしゃべっていないのと同じです。

例えばケアホーム。

どのような居室をケアホームと認めるのか?
施設設置の補助金はどのようなケースに交付されるのか?
職員の配置基準は?
職員の資格要件は?
ケアホーム利用の報酬体系は?

ケアホームの利用規約も、地域福祉の中身を左右します。
誰がいつ、どのように建設し、どのように利用認可され、どのように利用できるのか。
入所施設との関係はどうなのか。
通所施設との関係はどうなのか。
利用している際の日常的な生活方法は?
利用者の居室の構造は?設備は?食事は?
入所施設からの移行はどのように促進されるような手立てが打たれるのか。
就労している人はどのように利用できるのか。
利用の際に、ケアマネージャーや相談支援者、あるいは日中の施設職員は利用者とどのように関わるのか。
利用料は?

これらの運営の根幹に関わる細部について、現行の制度から今後どのように変えていくべきなのかによって、これからの地域福祉の中身が決まってきます。そして、同時にスローガンの中身も明らかになり、スローガンがスローガンとしての機能を果たすようになります。

細部は多数決では決められません。
あるいは、経営トップの独断で決めるものでもありません。
地域と利用者の実情に応じてユーザーニーズを徹底的に調査し、何度も何度も擦りあわせをしてよりよい形式の
「細部」を決めていくことが必要です。

人権擁護はもっと難しい。
何をもって人権というのか、人権を侵害されている状態とは具体的に何を表すのか。

差別の撤廃はさらに困難で、具体的に考えれば考えるほど泥沼に入りこみやすい命題です。

こうした問題を解く鍵は、となりのブログの論点で取り上げられているような「本人の笑顔」に象徴されるように、具体的な生活場面の具体的支援であったりします。

そのように考えていくと、地域福祉は具体化に向けた共同プロセスと客観的な評価と継続的な修正作業がとても重要であることがわかります。

マスコミや政治家に地域福祉の具体化作業を求めても仕方がないのかもしれません。他地域の優れた実践に学ぶことは重要ですが、やはり最後は自分達で決めていかなければ成らない事だと思います。

もっといえば、ひょっとしたら
「スローガンは絶対ではないかもしれない」
「自分達は間違っているのかもしれない」
「新しいシステムがあれば、今の議論はご破算でもいいかもしれない」
という謙虚な態度が福祉には必要なのかもしれません。

オンザジョブトレーニングについて

前回の理事会が終わった時、家族会の会長が
「最近では教育が悪いから、建築現場でも辛くて苦しいことはみんな外国人にやらせようとしてしまう。それでみんな技術を持っていかれてしまい、若者が全然育たない。日本中の若者がそういう状況にある。福祉はたいへんだ。」
とおっしゃっていました。その通りだと思います。同じ日本人として、障害がある人と障害を分かち合うことができなければ、障害がある人はそれを福祉とはみなしはしないと思います。同じ論理で、地域は地域に住む障害がある人を支える必要があると思います。さらに、家族や学校や企業や商店街や友人同士など、地域を構成する単位もその中でお互いを支えあう必要があります。それが私たちの国の伝統でもあります。こうした何層にも重なってつながっている絆は、「場」によってもたらされます。私たちが所属している場が絆をつくっているのだと思います。

前回の記事で小島さんがオンザジョブトレーニングについて書きこんで下さいました。前段で述べた「絆」はもちろん横の絆だけではなく、縦の絆もあります。私たちの国には、親から子、師から弟子、先輩から後輩へ伝えていくものを大切にする文化があったと思います。業を習う「場」には過去から未来にかけて流れ伝わっていく技術があります。終身雇用をはじめとする伝統を守るシステムがあったからこそ、日本は世界最高の技術を誇ることができたのだと思います。もちろん、その下地となる教育も優れていたと思います。

もちろん、戦前の福祉が優れていたといいたいのではありません。ここでいいたいのは、今の閉塞的な福祉の状況を抜け出すには、むしろ日本人が大切にしてきた「和」、すなわち先人の言葉や経験を大切にする「場」の絆を深めることを見直すべきではないかということです。

オンザジョブトレーニングというと何かしゃれた訓練方法があるように思われますが、実際には
「やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやる」
という世界です。現場のリーダーが現場で範を示さねば訓練そのものが成り立ちません。基本的に福祉施設は広い意味での生活の場であるため、そこでの生活を楽しみながら、あるいは共に悩みながら、その生活の支援に範を示すことが現場リーダーの役割となります。例えば、高度な専門性が必要とされている自立支援協議会を考えてみても、自立支援を協議するだけの専門というものは存在しえません。日常の中で対象者と向き合っているものだけが問題を論じ、解決の糸口を見出すことができます。

私は福祉は本質的に保守的であるべきであると考えています。
保守的であることは必ずしも変化を嫌うということではありません。むしろ、保守的であればあるほど、現状をよりよくしていくという継続的な改善活動に熱心になります。過去の歴史を尊重し、未来との連続を意識して今の生活の支援方法を模索します。

日本人は伝統的に「和」を大切にしてきました。「和」を大切にするということは、障害がある人とない人の垣根を溶かします。和気あいあいに声をかけながら困ったことを聞きあうという雰囲気も生み出します。

支援技術の伝搬を過去から未来に向かって見据えていくという意味においても、福祉は「和」の伝統を大切にすることが重要であると考えます。

すり合わせが地域福祉の質を左右する

昨日は、組織の機能を考えることがケアの質に直結しているという話をしました。今回は、すり合わせによる組織の力について考えてみたいと思います。

戦前の日本の強みは組織の中のすり合わせにあったといいます。企業の中で職人が集まり工夫に工夫を重ね、とてつもなく優れた製品を生み出していました。戦後はこのすり合わせを市場との間でもやるようになり、高品質な製品を数多く生産することができるようになりました。現在でも日本のものづくりの実力は世界一であると言われています。

福祉分野においても現場ですり合わせができる組織は強い組織です。利用者を市場というのはやや語弊がありますが、本質は同じで、現代の強い福祉組織は、利用者とのすり合わせができる組織です。

地域福祉とは、組織の中だけではなく、その施設が存在しているまわりの地域とすり合わせを行って提供するケアを決定する福祉と定義すべきなのかもしれません。上記のように地域福祉を定義するとこれまでの地域福祉が全く違ってきます。
形の上で入所施設のまわりにケアホームやグループホームが配置されていても、その施設が存在している地域(=市場)とのすり合わせができていなければ、地域福祉とはいえないことになります。逆に、形の上では旧法の入所施設であっても、地域とのすり合わせによって利用者の生活が成り立っている施設は地域福祉施設となります。

すり合わせは目の前の問題を共有することが大前提になります。利用者の問題解決について、職員間で行動を共有するときに得る知識や経験は、どうしても感覚に近いものがあり、なかなか数値では言い表すことができません。問題を扱う際の笑顔とか、声の調子とか、話すときの間合いとか、問題解決の際のコミュニケーションにも多くの情報が行き来するものだと思います。ましてや、対象の利用者や対象の利用者が生活している「場」にはそれぞれ固有の条件がありますから、「場」を共有しないものには解りえない伝統が存在するはずです。

してみると、強い組織とは、「場」にかかわる人たちの間で自由で闊達なすり合わせができる組織のことだと思います。最近はやりの福祉施設の経営論では、どうしてもリーダーシップが主要なテーマになりがちです。また昨日述べたように、技術論にも走りがちです。しかし、今日お話ししたように、地域福祉の実践では
1 場を構成する人たちをいかに増やしていくのか
2 構成する人たちの間のすり合わせをいかにうまく行うのか
3 共同の行動によって得た知識や体験をいかに蓄積・拡大するのか
といった、「場」の経営がより重要なのかもしれません。

これからの研修に期待

本日で平成21年度の名東福祉会の活動が終わります。明日からはまた平成22年度が始まります。

今年も名東福祉会の職員の研修が行われました。大きな成果を生み出しつつあり、来年度に向けてもさらに期待するところです。

研修担当者の努力を考えれば本来、コメントはさしひかえなければなりませんが、職員の研修に関し来年度について、もう少し奮闘しなければという点がありますので、少し書いてみようと思います。

気になる点としては、研修がややもすると福祉の技術論や学術的な論理に関心が強く向いてしまっている点です。ケア技術の具体的な方法論、ニーズのアセスメント論、会議の仕方やプレゼンテーション論をいくら身につけても越えられない壁があります。

もちろん、個別の技術論は重要です。しかし、それ以上に、研修ではその職員が組織にどれだけ貢献する行動をとれるようになるかという点について、口を酸っぱくして伝えていく必要があります。

名東福祉会が強くなれば、それだけ利用者のケアが良くなります。これは至極あたりまえのことで、ひとりではできないことを組織行動でカバーするために組織化する・・・これが社会福祉法人が存在している根本的な理由でもあります。

弱い社会福祉組織が利用者のQOLを向上させることはできません。いわんや地域福祉の質を向上させるなどできようはずがありません。地域の自立支援協議会、手をつなぐ親の会運動や障害者団体の活動、自治体と事業所の相互連絡などなど、すべからく組織行動を強化するためにあります。

ところが、こうした組織行動を強化することを正面から教えることは、これまで福祉業界の一般的な研修ではタブーであったように思います。例えばケアマネージメント資格のように、常に、個人に還元される援助技術に終始してしまう傾向があります。また、研修に参加させる動機づけとしても個人の資格をちらつかせる傾向があります。(もちろん、ケアマネの研修も最終的には組織行動に収れんしていきますが)

私自身、国の研修にも参加した経験があります。その研修会でも、援助行動が組織に対してどのような利益をもたらすのかといった組織行動的な論点についてはまったく触れられていませんでした。

組織は規模の大きさではありません。組織の強さは組織の固有の使命感の共有の度合いです。言い方が悪ければ、理念の共有が障害がある人にとって役に立つ組織と役にたたない組織を色分けします。たった数人の組織でも使命感を共有して、数百人の組織よりも立派な仕事をする例は世に多々あります。

1 何のために組織が存在しているのか、
2 誰のために組織行動を起こすのか、
3 その組織行動は、援助の対象となる人と組織にどんな利益をもたらしたのか、

を職員は常に考えることが必要です。言いかえれば、どんな支援行動にも組織としての機能が問われています。それぞれの状況でどんな<結果>を出力する必要があるのかを考え、常に組織的に動くようになれること。来年度はそうした名東福祉会の理念を常に確認し、行動の基礎とするような研修が求められていると考えています。

子ども手当はおかしい

平成21年が終わろうとしています。今年、名東福祉会の授産施設で障害がある人たちが働いて得た収入は全体で、11,368,000円でした。

メイトウ・ワークスの売上は年間を通じて4,020,000円。
はしおきをはじめとする伝統的な陶芸作業や変身ぬいぐるみシリーズの縫製作業が中心です。他に下請け作業や委託作業を行っています。

天白ワークスの売上が7,348,000円。病院の陶壁の受注をはじめとする本格的な陶芸の他、クッキー作業や下請け作業を行っています。

みなさん、障害にめげず、明るく懸命に働いていますが、この不況下、なかなか収入は伸びません。売上から製造費等の経費を差し引いた収益は本人の工賃として本人に支給されています。しかし一人当たりにすると微々たるものになってしまいます。

施設の職員の給料は少なく、なかなか人が集まるわけではありません。障害者施設の経営は、高齢者福祉のそれと比べて、やはり不十分と言わざるを得ません。

その一方で、正式に法律としてスタートした「子ども手当」に外国人が殺到しているそうです。子ども手当は、その国籍にかかわらず、親が日本に居住していれば日本に居住していない外国人の子女にも支給されるといいます。そのため、「kodomoteate」と書いたメモを手に外国人が役所に殺到しているといいます。
足元の国民を見ることができない、あるいは見ようとしない現政権。これは時間不足とか、経験不足といったたぐいのものではないでしょう。博愛は衆に及ぼしてこそ博愛です。まずは同胞の命を守っていただきたいものです。

家族会の役割

先日の常任理事会で家族会の役割について確認が行われました。家族会の役割について明確にしてほしいというご意見があったということが議論の背景にあります。そこで、このブログをお借りして、名東福祉会の家族会の役割について確認をしたいと思います。

私は、名東福祉会の家族会は伝統的に非常に結束の強い会であり、名東福祉会を強力に支えてきたと思います。それが今日の名東福祉会の礎を築いたと確信しています。さらに、いったん名東福祉会に危機が訪れたときには積極的にこれを助け、それぞれの危機を乗り越えてきた歴史があります。
こうしたことから、障害者のための社会福祉法人の家族会の役割は、私としては次のようにまとめることができると思っています。

第一に、名東福祉会の利用者の家族の成員がお互い仲よく協力し合い、また、家族どうしの交流を深めてお互いの家族を支えあい、自らの力に応じた役割をみつけ、障害がある人の支えとなり、障害がある人の人生を実りあるものにする活動を行うことです。

第二に、障害がある人が生き生きと生活するために、地域福祉が必要であることを地域に訴え、率先して地域福祉の実践の理念を語り、力を結集して、障害がある人にやさしい街づくりに貢献することです。

第三に、そうした活動が実りある活動となるよう、常日頃から自身を磨き、家族会員の相互の研鑽に努め、様々に興味深い楽しい活動を企画し、相互の交流を深化させ、進んで研修を企画・実践していくことです。

以上が名東福祉会家族会の役割であることが確認されました。

社会資源開発の新しい流れ

エスノグラフィーといわれるマーケティング手法があります。このマーケティング手法では商品ユーザーの「生活場面」に入り込んで徹底した「観察」を行います。エスノグラフィーの手法を用いて製品開発された商品例として、アップル社のiPhone、マイクロソフトのウィンドウズビスタ、掃除機のダイソンなどが有名です。そしてそれらの製品は大成功を収めたため、エスノグラフィーはマーケティング分野で注目を集めるようになってきました。

エスノグラフィーの特徴は調査をするときに仮説を立てないこと。仮説を立てないで「リアルな生活場面」を観察するので、開発担当者が「思いもよらない」ニーズを発見することがあります。エスノグラフィーでは企業側の論理ではなく、できるだけユーザー側に歩み寄ってユーザーを徹底的に観察し理解することが求められます。そうした立場で開発された製品はときとしてたいへん魅力的な商品となります。

このエスノグラフィーの手法は地域福祉の分野でも応用可能です。例えば社会資源開発担当者が障害がある人の家庭を訪問し、一定期間の間、障害者の生活状況の観察を行うことが考えられます。顧客(障害者)が朝何時に起き、何時に家を出て、通勤途中でどんな困難に会い、職場や施設でどんな生活を行っているのか。その中で対人関係でどんな困難を経験しているのか、あるいは生活環境に対してどのような言語行動を発しているのか、そして環境はどんな反応をしているのかをビデオ等を用いて観察し、リアルなニーズを掘り起こしていきます。そしてそうしたマーケティングを元に、新しい社会資源のあり方を開発するということが考えられます。

従来、こうした社会福祉分野を対象とした観察と商品開発は新聞やテレビの役割だったのかもしれません。ただ、マスメディアは最終的に行政に対する要求言語行動という形になり、主体的な商品開発(福祉サービスの提供者になる)という視点にはなりえません。あくまで問題提起で役割を終えます。それに対し、エスノグラフィーは地域福祉の分野で福祉サービスの提供者が行うことがポイントです。もっとも、マスメディアの場合には強い仮説があって取材を行うため手法的にはそもそもエスノグラフィーの手法とはかけ離れています。

あるいは、かっての親の会活動は一種のエスノグラフィーであったのかもしれません。確かに家族会と行政の担当者が頻繁に会話を積み重ね、新しい福祉制度の創出に向けて動いた時代がありました。
ただ、それはあくまで福祉制度設計上の調査であり、福祉事業者が多様なサービスを創出し、競争を行い、障害者が商品としての福祉をその質で選択する時代に入るとエスノグラフィーを含め、マーケティングは行政サイドの役割から離れます。

障害者自立支援法が制定され、さらにそれが改定されようとしている今こそ、福祉サービスの提供者側が顧客の側に徹底的に立ったたマーケットの観察と障害者ニーズの開発を事業化すること-まさにエスノグラフィーの考え方こそ、これから最も注目が集まる社会資源開発手法になると思います。

再会

先日、他法人の役員と所長3名が当方へ見学に来たいとの連絡があり、久しぶりにお目にかかれると思ったのでレジデンス日進へ出かけることにしました。

玄関先で会った利用者やデイサービスにいた利用者たちが目ざとく私を見つけ、
「どうしてたの?」
「会いたかったわ」
と言ったとたん、涙をポロポロ出して手を握り締めて来ました。
重度の利用者もそばへ来て、握手を求める人、体にひっつく人、表現はそれぞれ違いますが、みんな私が顔を見せたことをとても喜んでいてくれるのがわかりました。長い間この仕事を続けて来たものの至福の時だと私のほうが泣きそうになりました。
「病気がもう少し良くなったら、また来るからね」と言うと
「うん、きっとだよ!」と口々に何か言っています。

名東福祉会を立ち上げて30年、知的障害者の福祉に携わって50年、中には辛いことも、くやしいことも沢山ありましたが、それらはみんな忘却の彼方・・・。今は、長い間の苦労の連続はみんな美しく、楽しい思い出になって、私を励ましてくれるばかりです。

2010年2月8日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

水仙の花

水仙の花が真っ盛りになりました。病院の行き帰りの道にいっぱい咲いているのが見えます。雨の上がった我が家の小さな庭にも水仙の花盛りが見えましたので、10本ほど切ってきて、テーブルの上に飾りました。よい香りがそこはかとなく漂います。

そこへ財団法人菊葉文化協会から「天皇皇后両陛下-ご結婚五十年をお迎えになって-」というビデオが送られてきました。

昨年は、「ご下賜金」を頂戴し、地道に障害者の福祉増進に取り組んで来ることができたことは、職員あってこそであり、また家族会や講演会の協力の賜物であると、私は病床から感謝していました。このビデオは約2時間かかりますが、またみなさんと一緒にビデオを見ましょうね。

水仙の花は、益々部屋中に漂います。去る日、亡き母と北陸の旅をした時、母が海岸で水仙を摘んできたので私が母をしかったことなども思い出されました。花好きな母は川柳をたしなんでいましたが花の句ばかりです。「われもこう」という小さな一冊です。ご希望の方には差し上げますのでもらって下さい。

2010年1月29日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

連携

地域福祉では「連携」が大切だといわれています。

連携とはもちろん形式的な契約に基づくものではありません。目の前の障害がある人に対して「自分たちは、いったいどんな貢献ができるのか」をそれぞれの組織の立場から、相互に確かめる行為です。

具体的で象徴的な共同作業が象徴的な事例となって、お互いが連携していることが確かめられます。施設間の連携を例に挙げましょう。

例えば、通所の利用者に家庭の生活環境の問題があって、入所施設の一時利用を行う場合、入所施設を一時利用している間に、通所施設のスタッフは利用者の生活環境整備を行うことが期待されるでしょう。入所施設はこれを行い、通所施設はこれを行って利用者の課題を解決していくという相互の行為や覚悟が示されます。

入所施設の利用者が通所施設の作業を行うというような場合、普段の生活で、比較的うまくいく接し方や、問題が拡大する接し方に関する具体的な支援情報や環境の設定方法をアドバイスすることも連携のひとつです。

生活支援センターを通じた他の法人との連携や、障害福祉分野を超えて企業や医療機関との連携となると、連携はさらに難しくなります。ですが具体的な連携行動の積み重ねが連携を維持するために重要であることは変わりません。

家庭と施設の連携も同じです。家庭ですべきこと、施設でなすべきことを情報交換してお互いに分担していくことが必要で、これも連携のひとつです。

このように、お互いに実行すべき行動や情報を交換し、粛々とその行動を実行することによって、初めて相手が自分たちと連携していることを確認できるのだと思います。

換言すれば、「連携」はもともとフォーマルな関係ではなく、一つ一つの象徴的な行動の積み重ねや小さな成功体験の共有によってのみ維持されるものだと思います。連携する相手に対して脅したり、命令したり、その他ネガティブな行動は連携を破壊しても維持することはありえません。支援計画や契約はもちろん必要ですが、それを交わしたからといって連携は形成されることはないのです。

「ガンバルよ」

長い病院生活から抜け出して、透析の通院生活に代わり、少しずつ慣れてきました。いろいろと食事制限や水の制限がある他、人口心臓弁を使っている薬の関係で、糖尿病で壊死した足先から出血するとなかなか血が止まらないことなどいろいろあって、人生、健康でいられることがどんなに大切なことか、毎日身につまされています。

こんなとき、突然、通所施設に通っていた人の母親が心臓病で急死されました。残された子とその年老いた父親を思い、どうしてあげれば良いのか・・・つくづく考えました。

施設へ入所することは子どもを捨てることではなく責任を放棄することでもありません。困り果てたあげく親子心中をと考えるのではなく、残された子ども、年老いた父親も共に生きて命を全うしてほしいものです。私の病状があまり芳しくないので、そばで励ましてあげることもいろいろと手助けすることもできませんが、生きてこそまた良いことに出会えると思います。どうぞ頑張って下さい。

私の長男は長いコロニー生活からレジデンス日進にかわって参りました。とたんに私が病気になり、入院し、娘の世話になっています。長い間顔を見ていないので、ほんの少し面会に行きました。顔を見たとたん真っ赤な目をして涙があふれそうな顔をしていました。でも泣かずに
「ガンバルよ」
といて、別れ際は笑顔で送ってくれました。

親子の縁は死してなお続きます。天上で見守れば良いのです。施設と本人の縁はずっと続きます。少しでも良き縁となることができますよう、あれやこれや考えてみましょう。

2010年1月27日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

バランスの良い現物給付と現金給付

本日の衆議院本会議で鳩山首相は「これからは現物給付と現金給付をバランスよく支給していく」と述べました。社会保障施策が現実的な対応になってきたと思われます。

民主党はこれまで、これからの社会保障施策について、現金給付を中心に政策をすすめると述べてきました。子ども手当てや農家の個別保障はその典型的なものです。

現金給付については、評論家が指摘しているように、その財源が確保できるのかという問題はもちろんなのですが、その前に、その施策が目的としている福祉サービスを利用者の立場に立って効果的に維持・発展できるかどうかについて問題があります。例えば子育て支援を目的として現金給付が行われた場合、実際に子育てに使用されるかどうかはわかりません。貯蓄や家のローンに回ることも考えられます。

現金給付は本来は、現金を受け取る人の生活の質を高めるためにある政策であるはずですが、現金給付を重視しすぎると、かえって地域福祉の衰退を招き、往々にして失敗をすることが多いと思います。例えば、ドイツでは高齢者福祉に現金給付が行われました。その結果、大幅に現金が高齢者の家庭にプールされ、結果的に高齢者福祉サービスが縮小し、地域福祉の衰退が起きました。日本でも高齢者福祉や障害者福祉でこうした方法がとられれば、より安く、より効率的な経営を行っている施設-つまりそれは大規模施設のことですが-に利用者は集中します。

つまり大規模な社会福祉法人は成長し、それとともに、地域の小規模な施設は衰退していきます。そうなると地域社会の多様性や連携による問題の解決力は失われ、「お金のかからないご近所の問題解決力」は失われてきます。そうなれば国全体としてみたとき、かえって高コストな福祉となりかねません。現金給付は一時的には利用者にとってありがたいのですが、しっかりと地域に根ざした現物の福祉サービスが存在しないとかえって悲惨な結果を招きかねないのです。

福祉の場合、やはり地域の中でバランスよく公共的なサービスの提供を行うことが必要になります。利用者の利便性を高め、いわゆる現物給付をバランス良く残すことが必須なのです。特に、遠く離れた大規模施設に行くのではなく、小さな地域社会の中で生活を維持することができる仕組みを構築する方法についてその方向性を指し示すことが必要となります。

今回の鳩山首相の「静かな方向転換」はとりあえずは良いことであると思います。

将来不安を払拭するためにも消費税の議論を

障害者福祉施設を安定した形で運営するためにはその財源を確保することが必要です。2006年の財務省の統計データを見ると、日本の国民所得に対する税と社会保険料負担の割合、いわゆる国民負担率は40.0%。でした。これはOECD加盟国29カ国中25位で、先進国の中でも低い方です。

財務省:国民負担率のグラフ

この中で主要な国を拾い出してみましょう。

デンマーク 70.9%(68.1%)
スウェーデン 66.2%(49.0)%
フランス 62.4%(37.8%)
イタリア 60.3%(42.1%)
フィンランド 59%(42.4%)
ニュージーランド 58.8%(57.1%)
ドイツ 52.0%(29.1%)
イギリス 49.2%(38.5%)
カナダ 44.4%(38.3%)
オーストラリア 44.1%(44.1%)
日本 40.0%(24.8%)
韓国 36.9%(28.5%)
アメリカ 34.7%(26.1%)
スイス 33.1%(25.1%)

特徴的なのはわが国の税負担率の低さです。わずか24.8%しかありません。よく「日本は税金の負担が高い」といわれますが、日本はOECD参加国29カ国の中で28位ですから、むしろ「日本は税が安い国」といえると思います。このデータは2006年のものですが、未曽有の金融危機で税収が落ち込みましたから、ひょっとすると、2010年のはOECD参加国の中で最低かもしれません。

税収入を確保するには消費税が優れていることは論を待ちません。消費税は法人税と比較して景気に左右される事が少なく、圧倒的に安定した収入となるからです。そこで、各国の消費税率を見てみましょう。

スウェーデン 25.00%(12%)
イタリア 20.00%(10%)
フランス 19.60%(5.5%)
オランダ 19.00%(6%)
イギリス 17.50%(0%)
中国 17.00%(17%)
ドイツ 16.00%(7%)
オーストラリア 10.00%(0%)
韓国 10.00%(10%)
アメリカ合衆国 8.25% 州ごとに異なる
カナダ 7.00%(0%)
日本 5.00%(5%)

()内は食糧品に対する消費税率です。

これを見るとわかるように、消費税についても日本は低い方です。

財政破綻は過去長い間放置されてきました。小泉構造改革においても、その後の政権においても、計画においてすら消費税を上げることを明言した内閣はありませんでした。これは安定した社会保障の仕組みを考える上で大問題です。責任ある政治を行うならば、消費税を上げることに言及しなければなりません。

消費税には逆進性があるといわれています。消費税を上げる場合、社会的な弱者に対する配慮、特に、障害者に対する配慮は絶対に必要です。世界各国の消費税のしくみを見ると、食料品に対する課税率がその他の商品とは別となっている場合が多いことがわかります。消費税率を上げる場合、食料品の消費税率については障害者に配慮する方式の導入をすることが必要です。

長期的展望に立って国の方向性を指し示すこと。それがなければ何時まで経っても社会福祉施設やそれを利用する障害者の不安は拭えません。消費税の論議はその始めの一歩だと思います。

ありがとう

昨年の11月末に愛知医大付属病院を退院し、近くの病院で月水金と透析を受けるようになり、暮らしは一変しました。

心臓と糖尿病と腎臓病と血液の病気ですから、食べるもの、飲むものに気をつけなければいけません。

水を飲むと透析時間が長くなる関係で、水は一日に飲める量が決められています。
ほんとうは汗をかくのが体に良いのですが、風呂に入ると糖尿病の関係で壊死した足先から血が出ます。
足から血がでると、人口心臓弁の関係で飲む薬のせいで血がとまりません。
少しでも動くといいのですが、先日、ひとりで動いて新聞を取りに玄関まで動いていったら転倒し、ひどくぶって危うく骨を折るところでした。

娘にも世話になりながら、生きている意義をどうしても考えてしまいます。ついつい早く楽になりたいと、死を願う私があります。

そこへハガキが一枚。お見舞いのハガキですが、
「35年程前、一番困ったとき、短期里親制度で娘を預かってもらい、一家が救われたことは終生忘れない。早く良くなるよう祈っています。」
との事。この方はお会いするたびに同じ言葉をいただける方で、これまでも、ほんとうにいつまでも感謝してこられる方だと感心してきたのですが、今回は、自分がへこたれているときだけにたいへん身にしみました。

おかげで、いつまで命があるかわかりませんが、生きている限り、何か人のお役に立ちたいと思うようになりました。今年から、私のほうがありがとう!!です。

2010年1月17日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝