長い間、奈々枝日記を書けなくて申し訳ありませんでした。
2月1日に救急車によって病院に入院し、1ヶ月。退院しても自宅療養数日、養楽荘の保護者会に次年度ひきつぎのために出席したのが3月8日。今日は名東福祉会の合同家族会役員会に出席することができました。
病院で寝ているときは頭がおかしくなるのではないかと気が気ではありませんでしたが、今日、役員の皆さんの顔を見、ほがらかな笑い声を聞いて、心から安堵しました。
やっぱり私はみんなに取り囲まれ、今後どうする、こうすると言いながらも子どもたちや障害者の行く末を論じているのが一番幸せなんだと確信を持ちました。
年齢も高いし、持病の心臓の病気はなおる筈もありませんが、命ある限り皆さんと共にワイワイガヤガヤとやってゆきたいと存じます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
3月 2009のアーカイブ
福祉現場に生かせ、日本ものづくり思想
藤本隆宏氏は日本のもの造りが世界一であるのは、技にあるのではなく、その設計思想にあると主張した。設計思想はいわゆる「もの」にとどまらず、顧客にとっての付加価値をものに作りこみ、お客様を満足させる構想力や組織力であり、サービス業も含むという。組織に脈々と流れる「伝統」が日本のいい製品、いいサービス、いい仕事につながる。
なるほど、と思う。
昨今、福祉業界にも「キャリアパス」ということばが流行している。キャリアパスは個人の経歴のことだ。いろいろな福祉分野を渡り歩き、知識や技能を身につけ、キャリアを積み上げることによって福祉の技を磨き、自らを高める。そうしたキャリアを身につけた人が増えれば福祉サービスの質も増していくというというものだ。
その考え方は厚生労働省の「社会福祉法人の改革」でも持ち上げられたものだ。
だが、日本のものづくり思想からすれば、キャリアパスを求める風潮は、組織のサービス力を個人に還元してしまうもので、日本人がもっていたやさしさや慈しみの心、幸せになっていただくために身を尽くすという態度に水をかけることになるのではないか。
もちろん職員が資格をとる事を否定するものではないが、その前に組織としての「風土」を鍛え、質の高い福祉を目指す方がよほど日本の思想、ものづくり思想にあっている。
有資格者の配置に対する報酬の上積みなどの制度で資格取得に対するインセンティブをつけることは、キャリアパスを積み上げようとする風潮と結びつけば結局のところ組織をばらばらにしかねない。
組織がばらばらになれば、個々の組織が築いてきた福祉風土が弱くなりかねない。
福祉は組織力だと思う。協議会の仕事もそうした風土を地域ごとに強化、伝承していく作業に他ならない。
日本の伝統的なものづくり思想に立ち返り、障害者福祉を見直す時期が来ている。
保護帽
知的障害・身体障害がある兄の足腰の力が弱ってきた。もともと左半身に麻痺があり、単独歩行はかろうじてできる程度だったが、58歳になりだんだん体力も低下してきたのだろう。
そういえばこのところ、弟の自分も弱ってきたのでそれはそうだろうと思う。
愛知県コロニー養楽荘の担当の方からお電話をいただいた。たまたま会長(母)が急激な血圧低下があって愛知医大に緊急入院していたので、自分のところに電話がかかってきた。要件は、兄がよく転倒するようになったので防護帽を作りたいとのこと。母とは既に保護帽を作る方向で話は進んでいるから後は減免申請の手続きを代わりに願いたいということだった。
(より詳しく言えば、実際に購入する保護帽の1割ではなく、基準額の一割負担で済むということなので、実際にはもう少し負担額が大きくなる。)
自分はたまたま東京で処理しなければならない仕事が続いていた。そのために往復の費用がかかり、保護帽の制作費よりもはるかに高い交通費の支出が余儀なくされる。相手との時間の調整もあってなかなかたいへんであることを直感したので、たいへん不遜だとは思ったが、減免申請をしないということではだめなのかとお伺いした。とろこがそのように手続きが進んでいるので変更はできないということだった。
であれば担当の人にご迷惑を掛けてもいけない、早速名古屋に帰り、日進市の窓口へ行って減免申請をということになった。
ひとつの障害者用の補そう具をつくるにも、申請に担当施設職員、家族、申請を受け付ける役所、製作者が多大な労力をかけていて、実際には見えないコストがかかっているものだと痛感した次第だ。
しかし、この話、どこか腑に落ちないものがある。保護帽の1割負担の手続きは煩雑でみんなが頑張らなければならないという話に隠れてしまっているが、本当はもっと別のところに本質的な問題が潜んでいる。
それは利用者が保護帽が必要になることをできるだけ遅らせるようなケアについて検討することができないことだ。もちろんコロニーの問題というわけではない。私たち知的障害者施設全体の話だ。
転倒を防ぐことが目的ならば、杖の訓練は早期から考えられなかったのだろうか。いろんなタイプの杖があり、兄も使用できるものがあるかもしれない。
施設の設計や内装材の選択などで転倒しても簡単に怪我をしない施設を作ることができる。例えばレジデンス日進の場合、床材に桐を使用している。これは大変やわらかい木で傷が付きやすいという欠点がある反面、利用者の怪我を未然に防ぐことができる。もちろんマットなどと違い、やわらかすぎて歩行時にバランスを崩すこともなく、具合が良い。手足をできる限り使い、なおかつ失敗して転倒しても痛いが怪我をしない。
他にオムツの装着もお願いされた。兄は食事の後の移動に時間がかかり、トイレに着くまでに漏れてしまうことが多くなった。それでオムツの装着の話になった。これについては、オムツの装着を母が拒否したため、まだ装着にはいたっていない。近年、オムツの装着によって認知症が進むことがわかってきた。オムツをすることによってさらに介護度が高まってしまい、人的な資源が必要になってしまうというこもある。
保護帽について兄は特に問題はないと思うが、人によっては保護帽を被らない、引きちぎる、食べるというような不適応行動を誘発することもある。本人の障害から来るハンディを調整するために、様々な補そう具が考えられるが、その効果は総合的に見ないとわからないことが多い。
私たちの仕事は、限られた資源の中で知的障害者の人たちのQOLをできる限り高めることだ。QOLの向上のために支援計画は、支援者の人的な支援のコスト、施設の設備、毎日のデイリープログラム、補そう具、本人を支える家族の生活などを総合的に判断して選択・決定する必要がある。その意味では知的障害者のケアマネジメント相談者の要求水準は高齢者のそれと比較にならないほど高い。
ただ、この一連の話を知り得たら、生まれてはじめて保護帽を被った兄は何を思うのだろうか。
「帽子をかぶっとくわ」とたしなめられるような気がする。