時の流れを越えて

麦の会という重度重症の子どもを持つ母親たちのグループは毎年1回、親だけが集まって昼食を楽しみながら近況や昔の思い出話を話し合います。
みんな年をとって、会合へすら出席できない人が多くなり、来年はひょっとして会合がもてなくなるかもしれませんが、とにかく今日は元気に食べしゃべりました。

第1代の会長はAさん。明るくて優雅です。
「今も<謡>を続けていて声を出すから健康でいられる」
とおっしゃっていました。お子さんは健在。しっかりとした理念を持つ入所施設を利用されていてたいへん障害が重いが元気に生活しているとのこと。
「息子さんが後見人になって、いざというときはやてもらえるからもう何も心配がない。
動けなくなったら自分は有料老人ホームへ入所するつもり」
と持ち前の前向きな発言です。

第二代目の会長は私。
一代目から引き継いでいろいろなことをやったとんでもない会長でした。それが高じて今でも施設を造り続けてしまい、時代の波に揺さぶられています。決して後悔はしていませんが、もう少し職員の将来が明るいものであるように願わずにはいられません。死の瞬間まで
「福祉の世界に日があたりますように」
と願い続け、<パタン>と逝きたいですと発言しました。

三代目の会長のFさんも「一緒だ、一緒だ」とおっしゃっていました。

私は最近、若い母親グループと話し合う機会が増えました。母親達とお話をしていると、時代は変って50数年経った今も同じように悩み、同じように苦しみ、何か目に見えぬ大きな力で引かれあい母親達は集まってくるのだということを感じます。

何がそうさせるのかはわかりませんが、母親達は集うことによって明るく元気になります。障害がある子が社会の中で力強く生きていくには、今の、若いお母さん達が元気にならねばということがわかっているからこそ、集まるのだと思います。

いざとなれば、なあに80歳を過ぎている麦の会のメンバーもじっとしてはおりませんよ。みんなで明るく「共に生きる社会」をつくりましょう。

おいしいお料理のせいか、なんだか元気もりもりです。

2008年6月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

一隅を照らす

レジデンス日進の家族会の皆さんと御岳町のみたけの森に笹ゆりを訪ねるたびに参加させていただきました。
バスの中は22名。それはそれはにぎやかでおしゃべりははてしなく続いていました。

わが子を施設に預けていても、いろいろな悩みは果てしなく、
これからのこと、自分が死んだ後のこと、等等、話題はつきません。

しかし、入所施設の親さんたちは毎日会うわけではないので、久しぶりに会った嬉しさも交わって
「あのよう・・・そんでよう・・・」
と近況が飛び交います。

私は何の花が好きと聞かれると
「1番笹ゆり、2番バラ」
と即座に答えるほど、笹ゆりが大好きで、幼いころの思い出や色々なエピソードが果てしなく浮かんできます。
本当は以前にも来てすばらしい笹ゆりの群生を見ているので、そのとき、どんな山道かわかっています。
今年は、その時よりも歩けなくなっているので、
「皆さんに迷惑を掛けるから参加しない。」といっていたのですが、嬉しさについ来てしまいました。
やっぱり笹ゆりをちょっと見たところで歩けなくなりましたが、満足でした。

その後、願興寺へより、古びたお寺におまいりしました。
その境内で
「一隅を照らす」
という文字が目に入りました。

40年ほど前に長野県駒ヶ根のお寺へ光ゴケを見に行ったときのこと、そのお寺で、
「一隅を照らす」
という文字が目に入り、痛く感動しました。

私は小さな人間だから何もできないかもしれない。
でも一生懸命重度の障害を持つ子達のために、小さな灯りとなって前を進もう。
障害を持った子達や、その親達が道に迷って人生を見失わないように
小さな灯りを灯していようと、かたく決心したものです。

それ以来、何十年、自分なりに努力してきたつもりですが、
人生の終わり近くになってまた
「一隅を照らす」
という文字に出会いました。これは何でしょう。

奈々枝よ、もう「一隅を照らす」は終わったよ・・・といってくれているのでしょうか。
あともう一寸ですよ。もう少し努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。
まだまだ小さな灯りは必要ですよ。燃え尽きるまで努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。

深く考えさせられる、ありがたい一日でした。

2008年6月11日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝