1月17日 名東福祉会関係の施設家族会の皆様が大勢集まって、私が愛知県福祉協会からいただいた福祉功労賞を祝ってくださいました。
各施設の所長も職員を代表して参加し、花束まで贈呈していただけました。
こんなうれしいことは久しぶりです。
実は私はこれまで数々の立派な賞をいただきましたが、いつも障害の子を持つ親としてあたりまえのことをして来て、
私だけが賞をいただくのはどうも面映い気がして、いつも賞をもらったことは皆様にはお知らせせずにいました。
このたびは、40年も前にお子さんを世話させていただいたお母様から
お祝いのハガキをいただき、感動したことを名東福祉会の機関紙「WORKS」の奈々枝日記に掲載したので、
話がパッと広がってこのたび全家族会の主催でお祝いいただくこととなりました。
記念品もいただきました。
高齢者にとって、心まで温まる、暖かなショールでした。ありがとうございました。
お祝いをひとりひとりおっしゃってくださったのですが、
「これから、ひまわりのように大輪の花をもう一花咲かせてください」といわれました。
私、今年で80歳。レジデンスが最後の最後となる施設と思っていました。
もう一花咲かせるというのは、80歳を過ぎたものにとって、重いはなしです。
8年前、レジデンス日進を国の補助金で建てようと申請をする直前、心臓が悪くこのままではおそらく1年ほどで命がないと言われました。
何をするにも息がきれ胸が締め付けられるのでそのとおりだと思いました。
「もう1年だけ生かしてください。それでまったく悔いはありません。」と心臓手術に踏み切ったときには、レジデンス日進こそ、最後の最後になる施設と思っていました。
ところが、その後も施設の必要性はなくなりません。
今度はたけのこの家というまったく新しい意義深い施設ができ、はたまた楽しいメイグリーンができ、念願のケアホームができる日もももうそこまで来ています。
私は夢のまた夢との思いです。
これでもう大丈夫となるはずだったのに、障害者自立支援法はまったく思いもよらない法律でした。
お祝いを頂いた翌日の1月18日、中日新聞に母親が知的障害や病気がある息子二人を殺害したという記事が小さく載りました。
福祉は戦後60年かけてずいぶん進んだかと思ったのに、あまりにも使いにくい制度になったので、不安ばかりがひろがり、こんなことになるのではないでしょうか。
私の長男が障害児となった53年前とそんなに変わりません。
50年経っても、母親はわが子に障害があることを受け入れることはつらいのです。前向きに生きていくにはどうしても私たち仲間の力がいるのです。
こんなことにならないように何とかしなければと痛切に思います。お祝いをいただいて、大輪を咲かせよといわれてもとてもとてもと思いましたが、私は原点にぐいと引き戻されたような気がします。
大輪の花とはいきませんが、野菊のようにささやかで、凛として空を見上げる花を咲かせることができたら・・・と思います。