生活介護施設として利用者から最も期待されるニーズはセルフケアスキルの向上ではないでしょうか。
障害が重い人にとって身辺処理技能(セルフケアスキル)を学習することは重要です。理由は明白。セルフケアスキルを獲得することは
1 本人の健康の維持のために必須
2 スキルを獲得すれば親・支援者の全体的なケアを軽減することにつながる
3 社会の他者からの受入が改善し、社会的への参加機会が増加する
スキルを獲得するのは支援員のためとか、親のためで、本人のためにやっているわけではないというような不毛な議論はするつもりはありません。

もっとも、障害が重い人にとってはセルフケアを獲得することは難しさを伴います。
1 手先などをうまく動かすことができない
2 社会やまわりへの関心が低いこと
3 訓練機会が少ないこと
4 本人の認知能力の低さ
5 上記の要因の組み合わせ
などなど。「言うは易し、行うは難し」が重度の知的障害者のセルフケアスキルです。

口をすっぱくして教えても、罰をあたて教えてもセルフケア技能は獲得できません。やはり緻密なABA技術を用いて訓練していくしかありません。

1960年代。日本の施設の草分けの時代。そのころの施設は親は面会謝絶。こっそりと施設の中を覗いた名東福祉会の会長は豚小屋と同じように利用者の糞尿が居室に垂れ流されていたのを発見し、長男(筆者の兄)が利用している施設から引き取ったとのこと。当時の施設ではトイレットトレーニングはまったくされていませんでした。

アメリカではそのころからようやくトイレットトレーニングが始まったとのこと。1970年代ではめざましい技術的な進展を見ています。現在では発達障害児のトイレットトレーニングはかなり幼少のころから行われるようになりました。その成果により、排泄が自立していない知的障害者は少なくなったものの、依然として訓練を行わなかったり、訓練機会が提供されていない知的障害者も多数いるのが現状です。

今後、障害者自立支援法によって日中活動と夜間ケアを分離が進んでくるため、入所施設の主な機能はパーソナルケアスキルの獲得が課題になるでしょう。ところが、入所施設の夜間ケアは単価が極端に低く設定されているため、これらの学習を進めることが事実上不可能というシビアな問題があります。これについては他の場面で論じましょう。

パーソナルケアといってもいろいろ。食べること、料理すること、排泄すること、風呂に入ること、着替えること、歯を磨くこと、衣服の着脱、ベッドメイキング・・・
女性の場合には生理の手当、男性の場合には性欲の処理など公表することを躊躇する技術も多々あります。それらの生活時間帯すべてにわたって、適切な行動の学習とともに、不適切な行動の軽減が課題となります。

重度の知的障害者のパーソナルケアのスキルの獲得は応用行動分析以外の方法では成果が上がっていません。入所施設はこうした技術を導入することが今後必須となると思われます。愛知県の場合、この技術の普及がたいへん遅れており、改善することが必要ということを愛知県知的障害者福祉協会長の安形さんともよく議論しています。名東福祉会にはこの分野で日本の第一人者の久野能弘先生が「たけのこのいえ」で実践活動をされています。愛知県の福祉施設に行動療法技術が普及していくことを期待します。

パーソナルケアスキルの汎化(訓練場面だけではなく、日常生活場面で使えるようになること)は難しいが重要な課題です。重度の障害者の場合、家庭や施設でできても、他の場所でできないという場合が多い。専門家と連携し、その人が生活する場所ごとにそれなりの支援が必要となります。

この問題に対してはTEACCHが地域全体を巻き込んで「構造化」していく戦略を定着させています。障害者に環境側があわせていくという考え方も定着してきました。一般にどんどん消えてしまう音声言語情報の処理よりも視覚情報の処理の方が容易なために、視覚的な手がかりを普及させていくことも環境側の努力で獲得したセルフケアスキルを発揮できる場面も増えることにつながります。そうした環境側の努力と合わせて、やはり一般の生活場面で使いこなすことができるようにパーソナルケアスキルが獲得できるように施設で訓練することが重要です。

生活介護は古くて新しいテーマ。このテーマに真剣に取り組み、成果を上げていくことが今日的な課題です。

私は若い時、長男が高熱を出し、障害児となってほんとうにうろたえ、生きる望みさえ失いました。その後、やはりこの子のために生きなければならないと、自らいろいろ伝手を求めて一生懸命勉強しました。
たくさんの有名な先生やボランティアさん、施設の職員さんともお会いできましたし、たくさんの障害児者の親さんともめぐりあいました。

その中でも育成会の運動は私を育て、支えてくれました。私は育成会があったからこそ、今日あると思っています。全国、北海道から沖縄まで各県各都市の育成会とも交流を持ちました。

講演をさせていただいたことも数多くあります。一般の市民団体、教育関係の団体のみなさまと何度もお話をしたことそのひとつひとつが今でも心に残っています。
NHKやCBC、東海テレビでも出演を何度もさせていただきました。拙著の「花影の譜」は全国放送でラジオ番組の「朝のひととき」の時間で流していただいた時には、全国から沢山の励ましのお手紙を頂きました。

今、80才になるという私を見て、きっと若いときの私は想像もつかないことでしょうが、こんな私でも、若いときはひたすら我が子を含めて障害児たちみんなが「生きて、教育を受けて働けるように願い、一生懸命動いたものです。お会いして話をするだけでお互いが救われ、生きていく力がわいてくる・・・。親の会運動はほんとうに不思議であり、大切なものです。

最近では問題があるとはいえ、何もなかった時に比べればいろいろと法整備が進みました。そうした社会の雰囲気の中で与えられる事になれて、親の関心がややもすれば薄れているような気がして気をもんでしまうこともあります。親の会運動がなくても大丈夫ということはありません。そうした雰囲気に思わず、若い人たちを叱咤激励することもありました。

ところが、日進市の障害児を持つお母さんたちの集い「ジャングルジム」の動きをインターネットで読み驚きました。
何でも次々と実行してきます。子どもをかかえながらパパにも協力してもらい、情報通信のいろいろな手だても活用してどんどん人の輪を広げていく。私は感動しました。
まさに老婆心。彼女たちは自らわき上がるような思いで、なんでもやりこなしているのです。若いエネルギーはすばらしい。何も恐れずどんどんやって下さい。
がんばれ ジャングルジム!!

2007年11月19日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝