10/2付ブログ、拝見しました。

生産消費活動によって形成される富というのは、何も貨幣的なものばかりではなく、「生活を潤すものの総体」
とでも言うべきものでしょうか。いわゆる’priceless’なものも含まれる訳ですよね。

結局、生産消費活動の動向は就労支援事業のみならず、社会福祉法人のあり方に一石投ずることにもなります。
例示されていた事柄は、ややもすると自己完結的であるような批判を受ける可能性もありそうですが、地域へ拡大
していくようなベクトルを(潜在的にでも)有しているかどうかですよね。

このように考えていくと、デイケアからナイトケアまで、生活介護から就労支援まで、幅広い事業展開をしている方が
生産消費活動も展開しやすく、有利であると言えます。「縮小均衡ではなくて、サービス拡大による選択肢提示」
という名東福祉会の理念は、一方でマンパワーの拡散も伴い、この時代において厳しい側面もありますが、長い
スパンで将来を考えたり、社会福祉法人の役割の本質のようなものに迫っていくと、やはりこれしかないというところでしょうか。

狭い範囲(事業所単位)では「拡散」に見えることも、広い範囲(法人単位)で見れば「充満」なのかもしれません。

from kojima

(コメント)
施設が自己完結的であろうとしても、生産消費者は施設というコミュニティーの枠を超えて広がっていくでしょう。
Pricelessな活動に案外人々の幸せがあるかもしれない。
農業社会→工業社会の次にくる脱工業化社会は生産消費がキーとなる。
そうなれば、知的障害者が普通に行っている生産消費者としての生き方が社会を変え、リードするかもしれない。
これはまさに糸賀一雄先生が「この子らを世の光に」と述べたことがいよいよ実現されるまえぶれなの?とも思います。

20年ほど前に、板山賢治氏が「授産施設は社会からお金をもらっているだけではなく、授産活動によって
価値を産み出しているから福祉の中で価値がある」と講演したのを私はSELPの職員研修会の最後列で聞いていました。
その際、「工賃10000円の価値ではそんなに価値がないなあ」と思ったのでした。
でも、現在貨幣経済で産み出されている価値は50兆ドル。それと同等以上の価値を生産消費者は産み出しているそうです。
国が進めている「工賃倍増計画」で利用者が受け取る工賃5000円が10000円になってもむなしさが残りますが、
50兆ドルの価値と聞くと、ばかな私は張り切ってしまうのです。