鹿児島県の社会福祉法人白鳩会を訪問させていただきました。
理事長 中村隆重氏のお話をお聞きしたり、ビデオを見せて頂いた後、
白鳩会が運営する各施設、農場等々、広大な土地とその取り組みを見学させていただき、ただただ驚き、感心するばかりでした。
設立して30周年、その業績もさることながら、設立当初から卓越した先見の明があり、その努力によって各施設、農場ほか、各種事業は今の時代にぴったりあっており
これからもなお研究努力して、知的障害者の福祉を推進していこうとする白鳩会の方針に敬意を表するのみでした。

鹿児島の最南端はあまりにも遠く、交通に時間がかかって訪問は短時間少し残念でしたが、
理事長さんの考え方をひとつひとつじっくり思い出すと、訪問させて頂いたことはいくつになっても「学び」を体得することだと思います。
「共に育つ」「考え合う」「求め合う」「分かち合う」
という白鳩会の理念の奥深さと、職員を大切に思われているお心に共感を覚え、見学させて頂いたことを心から感謝申し上げます。
後日、ビデオが送られて来ましたら、見学報告会を行いたいと思います。

2007年9月1日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

地域福祉を考え直そう

最近福祉関係者で使われている「地域福祉」ということばは、「施設は解体すべき」という誤ったメッセージを社会に出していると思われます。
「地域福祉」は「制限された生活状況にあった障害者に対して、多様な選択肢の用意すべき」という非常にわかりやすい命題をメッセージにしたものです。
はじめはノーマリゼーションということばが地域福祉にかわり、最近では<地域移行>という、施設からグループホームやケアホームに生活の場を変えるべきという非常に幅の狭いことばに置き換わりつつあります。
時を経るに従って崇高な理念も形を変え、利用者そっちのけの様式だけがもてはやされる議論になってしまっていることが残念です。

入所施設=制限的とは限りません。
利用者の立場から見ればグループホームやケアホームの方が入所施設と比べてより制限的な生活を強いられることもあり得ます。

数年後には障害者自立支援法でどの入所施設も夜間の生活と日中の生活が分離します。日中生活や夜間生活の選択が保障されているならば、それが旧来の施設福祉に代わる障害者自立支援法時代の支援システムなのではないでしょうか。
数人の利用者で構成されるユニットが数ユニット集まり、全体で50人くらいの共同住宅であっても、生活の選択肢が保障されているならば地域福祉といってもかまわないはずです。
ある経営者は「地域福祉時代だからうちは積極的に利用者を外に出した。その結果、利用者が少なくなって困った。」といかにも高潔な経営をしているように話します。
福祉施設がニヒリズムを気取ってもいいのでしょうか。経営が困難になって結果的に倒産して脱施設と言い切れるのでしょうか。

もういちど地域福祉を整理して、施設で行われているサービスが利用者にとって制限的であるか選択的であるかという視点で自己評価をしなおし、その上で自分たちが提供しているサービスを胸を張って社会に報告するべきです。