障害者雇用促進法は常用雇用者五十六人以上の民間企業に対し、身体障害者や知的障害者を一定割合(常用雇用者の1・8%)雇用するよう義務付けています。ところが、これまで常用雇用者三百人以下の中小企業は対象外となっており、中小企業の障害者雇用はなかなか進んではいませんでした。

厚生労働省によると、来年の通常国会に障害者雇用促進法の改正案が提出され56人以上の民間企業でも適応されるように法改正する方針とのことです。これで社員300人以下の中小企業も雇用率を達成しなければ罰金を支払わなければならなくなり、逆に雇用率を達成すると報奨金がもらえるようになります。

障害者の雇用については中小企業が障害者多数雇用事業所を共同出資し、そこに就労している障害者を雇用率にカウントできるようにする案も出ています。障害者自立支援法では雇用型の施設である就労継続支援A型事業が用意されています。これまで障害者雇用には無関心だった中小企業も障害者雇用に関心が高まることが期待されます。今後は障害者雇用の場をめぐる法制度の動きから目が離せません。

私が育った環境は父や母、それに祖母まできれい好きで家の中はもちろんのこと、
庭や家の前の道路までいつもゴミひとつ落ちていない我が家だったと記憶しています。
それなのに私はいつもまわりの人から整理整頓ができないとしかられてばかりの人間です。
本人はこれはこれで整理ができていると思っていて、
ちゃんといつでも必要なものを取り出すことができると豪語してきましたが、
年を重ねるに従って何がどこにあるのか、だんだん怪しくなってきました。
おまけに「もったいない」と思う気持ちも年々強くなり、家の中では飽きたらず
家の外の物置までものがどんどん増えるばかりです。
大切に家にしまってあるものは、あちこち出かけたときのお土産品や手作りの小物、いろいろな方々からのお手紙や、おもしろい場所のパンフレットや広告、メモ、
いろんな会合の印刷物や資料などまで紙の切れ端や書類が整理できずに山になっています。
人様から見ればどう見ても紙くずの山・・としか見えないかもしれませんが私にとってはなかなか捨てられないものばかり。

先日、急にベランダを掃除したくなりました。
段ボールを移動し、法規で掃き出したとたん、ハチが5匹くらい襲ってきました。キャッア!と大声を上げ、
右手で防いだと思ったら右手の甲を数カ所刺されてしまい、なんとか払いのけて部屋に逃げ込みました。
見ると、ベランダにはハチの巣がぶら下がっています。まだ数匹がいたため、急いでスプレー式のジェットアースを
吹き付けると飛んでいたハチはどこかへ逃げていってくれました。
ハチの巣はハチの子には申し訳ないけれどたたき落とし、ゴミ袋へ入れました。手の甲は赤く、ポンポンにふくれあがり
痛がゆくてたまりません。その日は虫さされの塗り薬をぬって寝込みました。

明くる日は洗面所にあったタオルを濯ごうとしたところ、左手のひとさし指に激痛が走りました。
そのタオルの中にムカデが潜んでいてムカデに噛まれたのです。縁日で売っているあの派手なおもちゃのようなムカデでした。
レジデンス日進に出勤しようと車を運転し始めると、噛まれたところがむちゃくちゃ痛み出しました。
事務所で「痛い、痛い」と騒いでいると、看護師さんにお医者様に行った方がいいと勧められ
近くの整形外科で手当をしてもらいました。
ムカデに噛まれたところはいつまでも実に痛かったです。

なぜこんなにも良くないことが起きるのかと反省しました。
仏法では昔から掃除に始まり、自分の心を清め、人のためにつくすのが根本だと聞いています。
聞いてはいるのですが「掃除は嫌い」「心臓に負担がかかる」と屁理屈を言っておろそかにしていたところ、
ハチとムカデにしこたまお灸を据えられ、「もうごかんべんを」と祈っている私です。
今日は我が師が40年前に揮ごうして下さった色紙「脚下照顧」を取り出し、神妙に反省しています。

2007年8月6日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

天白ワークスが多機能型に移行します

天白ワークス(旧体系:通所授産施設)が2007年の10月より新しい法体系の施設に移行します。具体的には生活介護施設(定員25名)と就労継続支援B型(定員10名)の施設の多機能型施設となります。

この施設体系を選択したのは現状の施設利用者の利用実態に最も近いことが理由です。実践的な製パン作業は昭和60年の開所以来導入された作業ですし、天白ワークスから離れた場所にサテライトのワークサイトを設置して営業するなどの実践を行ってきています。昨年度は、新しい施設体系への転換も目指してすでに名古屋市から精米機の導入の補助金もいただいています。むしろ、これまでの実践の集大成として多機能型を選択することは必然ともいえます。

ポイントとしては生活介護のみを選択するのではなく、生活介護と就労継続支援B型との多機能型にした点です。天白ワークスでは障害の重い人たちのためのゆったりとした生活の介護のあり方や働いて工賃を得たいという人たちのニーズに合わせた作業のあり方など多様な生活ニーズをどうやって満たしていくのかを模索してきています。

障害者の雇用を促進するという観点や自立支援という法律の精神からは、就労継続支援B型ではなく利用者との雇用契約を結ぶ就労継続支援A型や一般企業への就労を前提とする就労移行支援が望ましいかもしれません。ただ、現在天白ワークスを利用している利用者の家族会からは一般雇用を求めている声はほとんどありません。法律の精神が一般雇用を求めているからといって、利用者がそれを求めていなければ無理に雇用へ突き進むことは難しいはずです。そうした声に答えるため、天白ワークスは現在の通所授産施設にもっとも近い「就労継続支援B型」を選択しました。

就労継続支援A型は報酬単価はもっとも低い反面、より企業に近い雰囲気で仕事をする施設であり、工賃も多く支払われる施設です。利用者だけではなく職員も売上の中から給料が支払われる仕組みとなっているからです。しかし、このタイプの施設をつくるには既存の授産施設の看板を付け替えるだけでは難しいと考えます。特に名東福祉会では企業的な経営ノウハウの獲得が必要です。イメージ的には工場ですから、0ベースで新しい施設をつくっていく必要があります。名東福祉会では今後、企業とのタイアップし、名東福祉会と中小企業とのコラボレーションで既存の施設の転換ではなく、新しい施設として就労継続支援A型の施設づくりを検討してまいりたいと考えています。

所長会でケースカンファレンス

障害者自立支援法では複数施設を利用することを前提としているため、今後、個人のニーズに合わせて最適な施設サービスを利用するため複数の施設を利用する人たちが増えていくことが予想されます。例えば夜間施設と通所施設の相互利用や就労継続支援施設と生活介護施設の相互利用したり、昼間は就労継続支援施設を利用し夜間はケアホームを利用するというような利用方法を想定しているのです。

生活のあり方やサービスを自ら選択できることはQOLを高めるために決定的に重要です。障害者自立支援法の場合、食費や施設利用に関する自己負担の問題、報酬単価の切り下げ、障害程度区分の問題があり、これは大いに批判すべきですが、生活のありようを自ら選ぶことができる仕組みそのものは歓迎すべきです。

そもそも、特定の尺度によって測られた「能力」や「障害程度」が「本人が望む生活のあり方」を規定するものではありません。障害の程度を前提とするのではなく、生活のニーズに即してサービスを試験的に利用したり、福祉的な就労場面にチャレンジすることが必要です。

障害者自立支援法時代の福祉サービスの提供者の責任は、そうした利用者の新しいニーズに応えるため、多様な選択肢を提供することであると考えています。これまでの施設単位のケースカンファレンスや、施設単位の家族会の支援は限界に来ていると思われます。

そこで問題となってくるのが施設の情報交換。これまでのようにひとつの施設で完結していた時代とケースのカンファレンスも変えていかなければなりません。そうした実態にあわせ名東福祉会の所長会は施設の枠組み超えたケース検討会の機能が強くなっています。

新しい時代の課題に答えるためには所長会のあり方だけではなく、家族会の意識改革、情報通信技術の利用、外部機関との連携等、解決しなければならない問題が数多く存在します。本格的な制度移行のために残された時間はわずか。これまで以上に改革を進めていくことが必要です。

楽しい施設ライフをつくる

■「正の強化」で利用者のQOL向上をめざそう

障害者自立支援法で日中生活の場と生活の場が分離しました。今は施設の建物は昔のような規制はありません。国庫補助金を使って建物を建てるのではなく、町の店舗や民家を利用して地域の中の資源を利用していくことができます。でも、どうせやるなら楽しくやりたい。こんな時代だからこそいろんな人たちを巻き込んで、毎日を楽しく明るく過ごすことが大切だと思います。
楽しく活動できる場を増やしていくことがこれからの日中活動の場作りのポイントとなると思います。

「楽しさが増すこと」は、支援技術の世界では「正の強化で維持される行動の機会を増やす」ことと考えます。
行動には3つの側面があります。A:先行事象(きっかけ)→B:行動→C:後続事象
C:がBに続いて起こるとBがだんだん増えていく。これが正の強化です。

施設の中に、「正の強化で維持される行動の機会」をふんだんに設け、増やしていくことが支援の目標です。
別のいいかたをすると「罰によるコントロールがない施設ライフ」をどうやってつくっていくかです。
「楽しさ」とはやや趣を異にしますが就労継続支援や移行支援についても報酬という正の強化があります。
いずれにしても利用者も職員も、罰をさけるためにその活動に参加するのではなく、それをしたいからやる。楽しいからやる。そういう機会をいたるところに設け、そのなかから活動を利用者に選んでいただく。これが楽しい施設ライフです。そうした施設環境の生活は自由も感じることができます。

特定の利用者は楽しいんだけれど、まわりにいる利用者は迷惑千万では困ります。いわゆる問題行動ですが、問題行動についても正の強化で維持される望ましい行動を増やすことによって問題行動を減らすことができます。施設ライフを利用者も施設職員もみんながエンジョイできる活動-それが楽しい施設ライフであり「正の強化で維持される施設環境」です。

■「わいがや」で楽しい日中活動を

先日、メイグリーンの跡地をどうやって利用するかについて話し合いがもたれました。
天白区でパン屋さんをやっていた稲熊さん、支援スタッフが集まりミーティングが始まりました。そこへたまたま立ち寄ったケーキ教室を主宰している林さんも加わり、「わいわいがやがや」となったそうです。
いろいろと楽しい企画が検討されました。パン屋さん、ケーキ屋さん、ボランティアの集会所や行動療法の研修会場など多彩なアイディアが出ているとのこと。知的障害者のための魅力ある日中活動拠点として大いに期待されます。

現在、日本の各地でこうした企画が進んでいます。
京都市伏見区の知的障害者通所授産施設「ぐんぐんハウス」では冷やした焼きいものスウィーツを販売しています。焼き芋づくりは14人の利用者が担当。
材料のサツマイモを水洗い、塩水に浸し、グリルで焼き上げ1本150円。注文を受けて届けたり総合支援学校に販売しているそうです。

埼玉県の身障害者地域デイケア施設「工房森のこかげ」では手作りのパンの販売を始めています。老人センター、JAが協力して特産のコマツナを練りこんだ小松菜食パンやクルミ食パンなどを販売。
人気は「こまちゃんゴマあんぱん」(120円)で黒ゴマあんにクルマ入りだそうです。

社会福祉法人「時津町手をつなぐ育成会」(山内俊一理事長)が経営する障害者多機能型事業所「エリア21」ではレストランのほか、作業所や農園でも研修を積み、実社会での就業を目指しています。
レストランの営業は午前11時から。手作りの和食料理(1200円と2000円の2種類)や子ども向け(650円)の料理を日に30~35食用意しているとのこと。飲食店経営は難しいのですが、自分たちがもっている資源をうまく活用し運営に生かされているようです。

障害者自立支援法時代を迎え、これからの施設づくりはこれまでとは違うノウハウが必要になってきます。
人材難や財政難があります。こうした時代を乗り切るためには魅力ある「場」づくりが必須でしょう。多くの協力者を必要としています。できるだけ楽しい活動を展開し、協力者を得ながら地域活動を展開していくことが私たちに与えられた課題であると思います。

愛知県心身障害者コロニーの地域移行推進課の主催で現地見学会がこれまで3回開催されています。
私はなんでも体験したいたちなので参加しています。
今回は社会福祉法人みなと福祉会です。
市営住宅の1階を改装してグループホームにした「みなとホーム南陽」
昨年7月に開所した知的障害者通所更生施設「うろじの家」
毎日、ホテル食パンやフランスパンなど30種類以上のパンを焼いている「ぱんだふる」などをまわりました。
お弁当を作って地域の高齢者に宅配をしている「しおかぜ作業所」についてのお話も伺うことができ、みなさん感心されていました。
愛知県コロニーの入所授産施設からこちらに移動してきた人の生き生きとした顔に、今も愛知コロニーを利用者しているお母さんたちは驚き、かっての旧友に再会できて手を取り合って喜びました。
ほんとうに楽しそうに暮らしている姿を見ると、受け入れて下さった施設側のいろいろな努力が忍ばれました。
愛知県では愛知県心身障害者コロニー再編計画が打ち出され、コロニー利用者の人たちが地域の社会福祉法人へ移動していきました。
これまで40年間、地域の中にとけ込んで生きていく愛知県心身障害者コロニーになれなかったことが悔やまれます。

2007年7月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

昭和42~3年ころの話だったと思います。この頃の親の願いは知的障害があっても学校教育を受けられること。養護学校義務化の法案が通り、名古屋ではすでに多くの特殊学級ができていました。

でも、せっかく通えるようになった学校ですが、特殊学級は学校の中で孤立しているというのが親たちの間で大きな問題になっていました。孤立しているのは生徒たちだけではなく、先生も親も孤立していて、ほとんど交流はなかったのが実情です。

それでも非常にユニークな「名物」の特殊学級担任がたくさんいらっしゃいました。学校での特殊教育が楽しく実りあるものになるためには他の生徒さんたちとの交流が非常に大切であることを、その当時から特殊学校の担任の先生たちはご存知であったのです。反面、特殊学級に配属されたことを非常に落胆され、どう手をつけていいのか考えあぐねている先生たちも多くいらっしゃました。

名古屋手をつなぐ育成会の事務局長をしていた関係で、特殊学級に在籍している親から相談を受けたことがあります。
「PTAの役員になって特殊学級の先生たちを孤立させないようにしたり、生徒を暖かく迎える雰囲気作りを特殊学級の親たちが率先してやってほしいのです」
と切り出しました。
「でも、学校では特殊学級の親はPTAに入っていません。だから役員にはなれません。」
「校長先生と話をするような機会はありません。」
そんな答えが返ってきました。どんなに自分の子どもが悪いことでもすぐに校長先生に怒鳴り込む今の時代とは全く違っていました。

特殊学級の担任がおかれている厳しい孤立感や疎外感、親たちが感じている悩みをいろいろな人々にお伝えしているうちに、私は名古屋市の教育長とお話をすることになり、結局、学校校長会で特殊学級の実情を話す羽目になりました。

その後、知恵遅れの人たちをなんとかしなければならないという雰囲気が生まれ、「ちえの友鉛筆」という鉛筆の共同購入運動を学校を通してやっていただけることになり、手をつなぐ育成会の収益となり、その後の障害者授産施設建設のためにたいへんありがたい結果となりました。ただ、ちえの友鉛筆の運動は特殊学級担任自身の反対者もあり、知的障害がある子どもたちが支え合って健やかに生きていくという目的には遙かに遠い道でした。

2007年7月15日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

参議院議員の山本保事務所の武田秘書と雑談してきました。参院選のまっただ中であったため、ほんの20分ほどの会談でしたが、いろいろと有意義な雑談を交わすことができました。

武田さんは先進国の主な政治的テーマは福祉になると考えています。日本の首相も最近では小泉さん橋本さんなど厚生大臣を務めています。民主党の菅さんも厚生大臣のときに人気がでました。
阿部さんの場合には当選回数も少なかったので、厚生労働大臣は務めていませんが厚生委員会を経験しています。
日本の場合にはまだ憲法を見てもわかるように先進国的な政治体制がまだ整っていない段階なのでこれからなのかもしれませんが、10年という単位で見れば厚生労働行政が国の主要な政策になることは間違いありません。

話はプレッシャーグループ(圧力団体)の話になりました。福祉施策を変えるためにはどうしてもプレッシャーグループをつくることが必要です。

政治連盟といえば日本医師会と自民党との関係が有名です。障害者自立支援法をきっかけに、日本知的障害者福祉協会も政権与党を対象に政治連盟をつくる方針を打ち出しました。
しかしこれまでのような特別な人のための特別な人がつくる「閉じた空間」だけでいいのかは疑問です。へたをするとこれまで問題となってきた利益誘導のための政治活動にとどまる恐れがあります。

武田さんは自民党に対するアンチテーゼとしてのプレッシャーグループを作るよりも、与党に入って福祉改革を進めていく方がより現実的な戦略であると言っておられました。公明党の立場です。

福祉をやっている人もより透明性を高め、より幅広いプレッシャグループを形成することが必要だということを武田さんは指摘されていました。これからの福祉活動はより透明性を高め、よりオープンに多様な人を巻き込んで活動していくことが求められるという意味です。ディスクロージャー(情報開示)は単に領収書の開示ではなく、開かれた福祉活動になることを意味します。

もう少し具体的にいうと、福祉分野以外の企業、医療現場、教育現場などいろいろと連携してよりオープンに活動をした方がよいということです。

こうした人たちとの連携はやっていなかったわけではありません。福祉現場でより質の高い実践を行おうとすればかならず他領域との連携が必要になるからです。でも、私たちにはプレッシャーグループを形成するという目的意識があったとはとてもいえません。名東福祉会として反省すべき点であると思いました。

今、国の医療政策では急性期病院と回復期・療養型病院の機能分離政策が進んでいます。終末期医療や回復期や療養期に莫大な費用がかかるため、医療は急性期だけを対象とし、他は他の福祉的分野にだんだん渡していこうという政策です。

療養病床は現在医療型が25万床、介護型が13万床、合計38万床あるというふうに言われています。2012年(平成24年)には医療型を10万床減らし15万床にし、介護型は全廃するという計画になっています。
こうして療養期や回復期の人を病院から減らすと言っても、追い出すだけではだめでその代わりとなる受け皿を用意しなければなりません。福祉現場がこれらの人々の受け皿となる必要があるのです。

企業に対する就労やより工賃を高めるための就労支援活動は企業との連携無しには成功しないでしょう。
幼児の療育活動を行えば、必ず学校教育との連携が必要になります。
社会福祉法人よりも株式会社が提供するケアサービスの方がふさわしい福祉分野もあるかもしれません。そうした事業所と連携した方が利用者の幸せに近づけることはあきらかです。

知的障害者の人たちがよりよく生きていくためには、こうした連携先に今の制度の問題点を相互に報告していく活動が必須です。
知的障害者の支援には、そもそも支援活動の問題点を社会に対して報告していく活動が含まれることを改めて確認できた会談でした。

7月2日 「花」というグループがあります。日進市を中心に活動をしている障害児の母親のグループです。
この会が主催で豊明市のメイツの理事長、三浦さんの講演がありました。テーマは全国組織の手をつなぐ育成会のこととか豊明メイツの活動の内容です。
若いお母さんたちは自分の子どもたちの学校教育修了後、卒業後の進路をどうするのかが最大の関心事。
今どんな進路があるのか、その進路に進むためには今何をしておくべきなのか、みんな真剣です。
こうして法制度が動いているときはなおさらです。

明けて3日と4日は長野県松川の奥にある大鹿村というところに行ってきました。
山奥に昔の庄屋さんの家を借り、米をつくり、畑を耕し、陶芸や絵を描いている人がいます。
夏にはおおぜいの人が訪れるので自炊をして夏を過ごすとよいとのこと。
紹介して下さったのは日進市にある精神障害者の授産施設ゆったり工房のK先生。
「遠いので私が行くときさそってあげますよ」
とK先生。でも、そんなことを聞いたらいてもたってもいられない私は友人をさそって出かけました。

南アルプスの青いケシの花を見に、山のてっぺんまでえっちらおっちら登り感動したまでは良かったのですが、
思いもかけず山の中で道に迷い、予定の時間が来ても目的地へ着けません。簡単なハイキングでもさすがに大自然の中。侮ることなかれです。さんざん苦労したけれど楽しかった。とても良い体験となりました。

いろりで鮎を焼き、国産大豆の豆腐を食べ、とてもいいお食事でした。でもやはり、昔の庄屋さんの家。やっぱりバリアフリーとはいきません。私の長男には無理だとわかりました。

2007年7月6日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

6月26日は麦の会の一年に一度の例会がありました。
麦の会とは重度重症の子どもを持つ親の会です。
結成されてから50年ほど経過し、ご主人を亡くされた人、障害の子が亡くなってしまった人などいろいろと変化がありました。

みなさんの近況報告から障害者自立支援法の成立により、愛知県コロニーの今後について議論が沸騰しました。
「50年間苦労してきて、最期まで看てよ」と声を荒げる人もいれば
「いろいろ考えると、今後は名東福祉会に頼りたい」という発言もでます。
「親が亡くなった後も我が子が地域の中で楽しく暮らしていく様を垣間見てから死にたいね」という発言もあります。

振り返ってみれば、私は麦の会の友達と知的障害者が少しでも楽しく生きていけることを夢見てこれまで生きてきました。
名東福祉会に対してたいへん大きな期待を寄せられる声をお伺いし、ずしりと責任を感じた一日でした。

我が子が障害を持つようになり、自分を責めて責めて責めぬいた時期、
悔し涙に明け暮れた日々
障害があることをあきらめはじめた日々
麦の会の人たちと出会い、自分だけではないことを知り安堵した日々
同じように悲しみをもった人たちのために役立ちたいと思い始めた日々
福祉行政を進めるために役所の人たちといっしょに懸命に制度をつくろうとした日々
困難を与えられたことがかえって幸せに思えるようになった日々

思えば前に進んだと思えば、あとにもどったりです。
麦の会の人たちはそうした私の思いとまったく同じような心情でいっしょに過ごしてきました。
この友人とともに歩めたことを深く感謝しています。

2007年7月5日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

久しぶりに東京で行われたある会に出席しました。
この会には北海道、山形、新潟、千葉、東京、静岡、名古屋、大阪、奈良、岡山、九州と日本各地から集まってきます。
メンバーは町長や社長、大学教授、社会福祉法人の理事長や施設長、医師、官公庁の課長、施設職員、障害者の親、障害者本人など多彩です。
共通点は障害者とともに生きること。様々な方々が自由に参加できる会です。

まず、自分の近況を語った後議題人入ることが慣例。それぞれの近況は全くバラエティに富んでいて楽しいものです。
例えば、56歳の建築家と44歳の写真家の結婚の報告。
定年退職をしたが思い切って快適な老人ホームに入居したからどんなところか見学においでという話。
数千万円の頭金と○十万円の月々の利用料がかかるが暮らしにはたいへん満足しているとのこと。

60代の男性は最近離婚して別居をしているが、家内が離婚届をまだ役所に持って行っていないので、どうなるかわからないとの報告には
なぜかみんな大笑いでした。

中には初めて就職したのが糸賀一雄先生のところで、池田先生や田村先生といっしょに働き、いろいろ勉強させてもらい、いまだに障害者支援センターで定年退職後も働いているという先生もあり、
この会員のすごさを今更ながらに実感しました。

しばらく障害者自立支援法の話になり、みな施設運営の大変さを思い知らされました。

終了後、友人が小金井に住んでいて一人暮らしだから気兼ねなく泊まってくださいといわれるので、何でも体験したい私はノコノコと友人のマンションへ付いていきました。
すてきなマンションで、亡き母親のかたみという古い家具類に囲まれ、快適な睡眠をとらせていただきました。

翌日、すてきな朝食を頂いた後、地域の介護センターとヘルパーの詰め所を見学させていただきました。パソコン教室、織物教室も手がけ、親たちの手作りの品から死せ宇tの手作り品までなんでも売っています。
地鶏の取り立て卵もあるし、ゼリーやクッキーもあります。親、ヘルパー、ボランティアが5-6人でローテーションを組んでいますが、採算が合わない。けれども大きなやりがいがある。
きっと全国でこのようなお店がいくつも開かれているのだと思いました。町の中で生きることの難しさの反面、地域とともに歩んでいる実践が輝きます。

次に訪れたのはかねてから見学をしたいと思っていたお弁当屋さん。
私にはもうひとり、弁当屋さんを会社組織で大きく事業展開している友人もありますが、今回は地域の中のお弁当屋さんです。
たいへん多彩な才能を持たれた方で、本を出版し、書道や詩も手がけられます。
近所のすてきな日本料理のお店で昼食をいただきながら、根掘り葉掘り経営について質問させていただいた。

私はもう15年若かったらと人生終盤になってる自分の立場を思いめぐらし、新幹線の中では居眠りもできないほど、充実した2日間を思い出しました。

2007年6月28日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

法人単位の経営

本部機能の強化は施設単位の経営から法人単位の経営にシフトしていくことを意味します。

これからの社会福祉法人はある程度の規模が必要と行っても、私たちは障害者福祉を専門とする社会福祉法人です。コムスンのように全国ネットで施設経営をするような発想はありません。一般企業のように施設が増えれば増えるほどスケールメリットが出てクオリティが上がるというものでもありません。やはり地域の特色やニーズに合致した適切な規模が必要ということになります。

名東福祉会の場合、名古屋市の東部地域にいろいろな施設や拠点を配置しています。この地域に日中活動と夜間ケアの場をつくっていくことが使命でもあります。日中活動といっても、障害の程度によって就職に近い働き方をする場から生活介護や訓練が中心の場まで幅広く利用者ニーズに合わせて配置される必要があります。名古屋の東部の人口を考えれば、少なくとも、日中活動の場と夜間ケアの場の双方をカバーできるような拠点を計画的に設置していくことが今日的な課題であり、障害程度の重い知的障害者の人口構成からみて、恐らく200人から300人が適切であると思われます。4人に1人が利用者となる可能性がある高齢者福祉を専門とする社会福祉法人とは適切な規模が違うのです。

知的障害者福祉の世界ではよほど効率的な運営に心がける必要があります。拠点を整備するときに、これまでのように施設ごとに事務部門や医療部門を用意しているとやはりコストがかかります。管理部門も統合ができるはずです。拠点の整備とともに拠点間の機能の重複をできるだけ抑える必要があります。

施設ごとに配置された専門職の職員が施設ごとにばらばらであったら効率的な運営ができるはずがありません。
例えば事務管理や財務管理。これは法人本部に機能を統合した方が合理的でしょう。
医療介護はどうでしょうか。現在のところ、看護師の配置義務は通所施設にはありませんからレジデンス日進に限られます。しかし、嘱託医と看護師は法人全体の医療的なサポートを行うように改めた方がより合理的です。
給食サービスは外部委託によってすでに法人単位でサービスが提供されているといえます。

ひとつの施設で管理部門をすべて支えることは難しいが、複数の施設が集まれば管理部門を支えることは容易になります。このように本部機能は主に施設からの繰入金によってまかなわれることが正しいのです。
法人本部の機能を強化するために収益事業を行って本部財源を確保するという考え方もありますが、現実には無理でしょう。とても健全な発想といえるものでもありません。

6月22日の午前中のこと。長年、ボランティアで施設につくしてくださった人の家族から
「病状が末期症状となり人工呼吸器をつけている。病院からは3ヶ月以上たったので病院からでなくては
いけないのだが、次の病院が見つからない。」
と電話がかかってきました。
「やってみるから少し待っていて」
と、ある病院に電話しました。そこは機械が8台あるから何とか受け入れるのではないかとの返事。その旨早速連絡を入れ
「後は、今の病院から出る日、受け入れる日を直接やりとりして頂けばよいから」
と伝えておきました。人生の末期の時期というのにどうしてこんなにもばたばたしなければならないのでしょう。
私はこの仕事をともに歩んできた人の最期の状況は私自身のことのように思え、胸が痛みました。

一昨年の今頃、私の片腕となってくれた親友が亡くなりました。今年は3周期にあたるからどうぞお参りに来て下さいとご家族からのお電話をいただきました。手製のお墓を立て、白い花の木を植え、廻りにはなずなの花がいっぱい咲いているといいます。でも、友人のこと、
「私は死んでなんかいませんよ。千の風になってあの大きな空を吹きわたっています。」
と声が聞こえてきそうな気がしました。

時間があったらお墓参りに行ってみたいと思います。きっと私はお墓の前で泣かないことを約束しますから…。

2007年6月26日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

法人本部機能の強化

理事会を構成する理事のうち、職員が1/3を超えることができないという規定を撤廃するということは、すべての理事が当該の社会福祉法人の役員で構成される理事会をつくることができることを意味します。障害者自立支援法の時代にあっては、施設を超えた法人本部が中心となった経営が必要となります。これからの社会福祉法人は法人本部機能を強化しなければらないと「社会福祉法人研究会」では報告されています。

障害者自立支援法では、利用者のニーズに合わせ、多様な生活を選択することができるようになりました。日中の生活だけでも就労継続支援A型、就労継続支援B型、就労移行支援、生活介護、自律訓練があります。
夜間の生活の場はケアホーム、グループホーム、入所施設、在宅と多彩です。利用者はこれらのいくつかを自由に選択することができるのですから、施設という枠組みを超えた管理が必要であることはいうまでもありません。
地域の中に多様な選択肢が用意されるため、これまでのように施設単位で経営を考えることはできなくなったのです。

つまり、自立支援法時代においては、施設という枠組みを超えて経営の意志決定を行う機関を法人本部に置くことが必要となります。
意志決定が行われる機関とは理事会です。このように理事会の理事は法人本部にあって常に意志決定を行う「職業人」=プロフェッショナルである必要があると考えられます。

経営のプロフェッショナルな人といっても監査の指導の立場から見れば報酬をもらう「職員」ということになります。理事会を構成する理事のうち、職員が1/3を超えることができないということは障害者自立支援法時代の要請からずれてしまっていることがおわかりいただけるでしょうか。

このように理事会の機能強化とは、とりもなおさず法人本部機能の強化を意味します。

理事が施設長を兼務することは理事会機能を弱化する

前回、理事には報酬の支弁が認められない時代が長く続いていたと述べました。
裏を返せば、現在は報酬が認められています。
でも実際には理事が報酬を受けることは非常に困難です。

理由は法人本部に報酬を支払うための原資が少ないからです。
これまでの改正で、社会福祉法人の本部には施設から会計単位間の繰入が認められるようになりました。
つまり、施設会計に剰余が生まれれば法人本部に資金を移動しても法的にはかまわないことになっています。
ところが、障害者自立支援法で各施設の運営が汲々としているときに法人本部に資金を移動することは事実上困難です。

結局、理事が報酬を得るための原資は現状では寄付に頼るしかありません。
寄付者からすると、理事に寄付をすることは違和感があると思います。
やはり知的障害者施設を運営する社会福祉法人への寄付は利用者が直接潤うようなものに使用されるべきで、それが寄付をいただく原則でもあると思います。
理事の報酬として寄付金が使われるとしたら寄付は集まらないと思います。
これが名東福祉会が創立以来理事に報酬を支払ってこなかった理由です。

ただ、社会福祉法人の理事といえども、生活していかなければなりませんから収入は必要です。
それで知的障害者の福祉サービスを行っている他の多くの社会福祉法人では、理事は施設長を兼務しています。
施設長ならば収入を得ることができるからです。

ところが、施設長を兼務することはとりもなおさず、理事会の弱化につながります。
先の文章にものべたように、理事会の構成メンバーに施設職員は1/3を超えてはならないという規定が残っています。
理事会の2/3の理事は無給の理事。1/3の理事が報酬を得て施設長を兼務する理事という構成になるわけです。
理事会が形骸化されやすいことがうなづけます。

法的には理事会の機能を強化するための改革を行ってきたといいますが、現実には法人本部に回る資金が減少していることもあって
理事会の機能は弱くなっています。

もちろん、理事が報酬をもらってもそれだけでは理事会の機能が強化されるわけではありません。
施設をバランス良く統合管理し、将来の計画を立案するためには施設とは独立した形で法人本部の機能を強化する必要があります。

理事会が社会福祉法人の執行機関となるためには
1 すでに撤廃されている理事の1/3規定を愛知県が撤廃すること(本来、撤廃していなければならないはずですが)
2 法人本部機能の強化
が必要です。

理事会の改正が進まない

名東福祉会はとても立派な学識経験者の人たちが理事を無給で勤めてくださっています。
それはそれでたいへんありがたいことですが、理事として十分に経営責任を果たしていただきたいとはとてもいえない状況です。

措置制度のもとでは長く法人本部の経費が認められず、理事に対する報酬を支弁することが認められていませんでした。
施設の運営について、行政機関が事細かく指導し、人件費も保障する時代においては法人に意志決定機関がなくてもさほど問題がなかったともいえます。

ところが今日のように障害者自立支援法に移行した時代になったとしたら、施設単位の経営では不十分です。
ケアホームを自前の資金で建設したり、ケアホーム用の建物を借りたりして生活支援を行う時代においては、法人の意志決定機関の機能と責任が増大します。
理事会が法人の執行機関として機能するためには理事会のあり方の改正が必要となります。

そのため、国は社会福祉法人の理事会の機能をたかめるため、これまで改正をなんども行ってきています。
1 平成12年の改正では理事の人数については一律に6名以上とされました。
2 また平成17年の改正で、評議員会を設置している法人にあっては、施設長等施設の職員である理事の理事総数に対する上限(1/3)が廃止されています。
この2つの改正からすでに2年が経過し執行機関として十分に理事会が変わるための要件はそろっています。

制度改革から2年も経過しているため、名東福祉会は障害者自立支援法時代にあわるべく法人理事定数の削減と施設長の理事昇格について愛知県に問い合わせてみました。
結果は理事の中に施設職員が1/3以上入ることは許されないという回答でした。
また理事定数についても、誰が減ったかが問題で、学識経験者や地域の代表だけが減少する理事定数の減少は認められないとのことでした。
つまり事実上、何も変えてはいけないということです。
国の方針とは異なった行政指導は果たして合法なのでしょうか。

7月21日が来ると私は79歳になります。それで自動車運転免許も更新の時期となりました。

それに先立ち、自動車学校で高齢者研修を受けてまいりました。
高齢になるとどうしても目が悪くなり、バイクや子ども人の飛び出しなど対応が遅くなるということで、テスト機械を使っての反応検査を行ったり、目の検査を行ったり、実際に車に乗って実習も行いました。

参加した人はみな70歳以上で皆さん高級車に乗って研修会場まで来られたのですが、私一人が軽乗用車で。
みなさん口をそろえて「軽は危ない。年をとったらせめて普通車になさらないと・・・」と言われました。
最近の軽四輪はとても良くできているんですけど。
私は「日進は道が狭いので軽でないとダメなんです。」と言い張っていました。

指導員の先生も
「常は軽に乗っておられるのでしたら、少し加減をしてテスト運転してください。」
と注意してくださいました。

やってみるとクランクの左折、右折もうまくいき、後輪や前輪を道から落とすこともなく、おまけに車庫入れもぴったり!!
この中では最高齢だけどうまくやれたと内心ほくそ笑んでいました。

けれど成績表は
1 スピードの出し過ぎ
2 左折、右折が大回りすぎる。
全体的の評価はゆっくり、焦らず落ち着いて運転しましょう。
とありました。トータルの成績は5段階評価の3でした。トホホホホ・・・。
自慢、高慢はなんとやら。車の運転は常に謙虚に最新の注意を払って慎重に運転すべきだと肝に銘じました。

長時間の再講習をめんどくさいと思っていましたが、やはり時には我が力量を再確認することも大切であると反省し、
楽しむこともできた高齢者向き運転講習会でした。

2007年6月21日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

社会福祉法人の改革はこれからも進むでしょう。主に財政的な問題です。もう忘れかけてしまいましたが、三位一体の改革、補助金の改革、政策金融の見直しなどがあり、医療改革、社会福祉法人改革がはじまり今に至ったのです。

それ以前は社会福祉法人はつぶしてはいけないという意識が行政にありました。今も基本的にはそういう立場です。でも、100の法人がすべて潰れずに生き残る政策は、この時代、護送船団方式といわれこれ以上続けることは困難だと思われます。
今、市民のみなさんやマスコミからも社会福祉法人や介護サービスには非常に厳しい視線が注がれています。私たちはこの厳しい時代に、決して後ろ向きになることなく、少しでも利用者の満足に資するような効率化に努めていく必要があります。

一般の企業であれば生き残りのポイントはお客様の満足です。社会福祉法人がお客様である利用者の満足を得るために努力を重ね質の高い福祉サービスを提供しても行政にはなかなか評価していただけない構造になっていることが問題です。もちろん利用者には評価していただけますが。

質の評価の問題は行政の監査のあり方に関係があります。もちろん法令に従わうことは大切です。ただ、法令に従うことと、サービスの質を高めていくことは違います。監査は決められた内容をクリアしているかどうかに重点が置かれ、質の評価はほとんど関心事ではないことが問題でしょう。

名東福祉会で新しく始めた児童行動療育センターでは母子面談からビデオ記録の分析などを通し、きめ細かいアセスメント作業を行っています。ところがそうした療育を実施していてもいわゆる「預かり集団療育」と単価が変わらないという問題があります。レジデンス日進ではユニットケア、全室個室でナイトケアを行っています。利用者にはたいへん喜ばれていますが職員の配置数は増え、職員の介護の動線は相対的に長くなり、介護コストや労働の負荷が上昇します。
名東福祉会ではナイトケアの場と日中介護の場は分離しています。都市の近郊の閑静な住宅街にあるしゃれたレジデンスから都市の中にある日中介護の場や就労支援の場に移動することはいかにも普通の暮らしに近いものですが、入所更生施設のとなりに建てた建物に移動する生活となんら評価がかわりません。

お金だけで考えれば、児童療育センターを行うのではなく、保育所を経営してそこに障害児を受け入れた方が利益率は高いでしょう。
見るからにひとつの入所施設ですが、廊下がつながったとなりの「就労支援センター」に移動する方が建設費も移動の介護コストもかかりません。
地域生活支援センターの活動もやらない方が「効率的」経営が可能です。

私たち名東福祉会はいかにも不器用ですが、利用者の満足を追求してサービスの質を高める努力をしている法人の方が長い目で見れば生き残るのだと思います。でも現在は地域福祉にまじめに取り組めば取り組むほど法人の体力が衰えるという構造になっていて不公平感があります。

これから社会福祉法人に必要なのはむしろ「公共性」であると思います。法令遵守はもちろんのこと、皆さんに愛され必要とされる事業にいかに取り組みのかが問われているのだと思います。
せっかく利用者に満足していただき、仕事の質に誇りをもっている職員集団を抱えているのに、経営効率が悪いために退場を余儀なくされることはあってはなりません。正直者がバカをみない福祉のために、福祉サービスの質の評価は極めて大切だと思います。

ところで、これを書いているさなかにボランティアで上ノ山農園で作物を作ってくださっている方々から28,000円のご寄付をいただいたとの連絡が入りました。地域の人たちに信頼されていることを実感し、これでいいのかもしれないとも思いました。

6月18日は名東福祉会の後援会総会でした。
梅雨時で雨の心配もありましたが、たくさんの後援会員の皆さまが参加してくださってありがとうございました。
今回は盛りだくさんで、物品販売もやれば講演もある、おまけに例年好評のコンサートも盛り込まれ、時間通りに進行したものの、皆さんご満足いただけたか心配いたしました。

皆さんの感想は思ったより良くて、やれやれとまずは安堵いたしました。
理事長は毎度お金の話ばかりで・・と恐縮しながら、自立支援法に切り替え以来、繰り返していますが、
経営が困難なこと、良い職員を厚遇できないこと、でも利用者の皆さんの処遇は最高であること等を短い挨拶の中でいいました。

小島生活支援センター長の講演は自立支援法についてたったの30分の解説であったのにみんな
「良くわかった。今までいろいろ聞いたがちっともわからなかったけれど、良くわかった」
と、納得された様子。うれしいことでした。

その後のコンサートの音色の良かったこと。
演奏者たちは「聞き手がいいと不思議なほどぴったり息があって良い演奏ができるのです」
とおっしゃっていましたが・・・・みんな感動していました。

さて、来年はどうするか。後援会そのものを根本的に考え直し、よりよい後援会として再出発せねばと思いますが、みなさんのご意見をお寄せください。

その後、名東福祉会本部の方に、ご寄付が寄せられています。早速にご厚志ありがたく、御礼申し上げます。

2007年6月20日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

障害者基礎年金

障害者自身の収入が上がることはたいへん重要です。知的障害者の主な収入は工賃と障害基礎年金です。
もちろん就労支援で工賃収入を上げることは必要であるとしても、それには限界があります。

これまで障害基礎年金を上げる議論はありましたが、なかなか国会にまではあがってきません。
障害年金を増額することはその財源を確保することを抜きに議論は成り立ちません。これまで財源問題があって障害基礎年金の増額議論ができないのではないかと思います。

財源として考えられるのはまず介護保険です。現在、介護保険は40歳から加入が義務になっています。
もともと、制度が設計されたときは介護保険は20歳からの加入を前提としていました。
当初は20歳から障害者・高齢者のための介護保険加入のしくみを導入することを考えていましたが、いろいろな反対で40歳からの加入になりました。そのため、財源が大幅に減ってしまったのです。

障害者支援費と介護保険を統合は将来の課題として目標となっていましたが、このところ統合はないのではないかといわれるようになりました。
次々に出てくる社会保険庁の問題
障害者の程度区分の認定問題
医療との整合性の問題
などいろいろな問題があって、介護保険との統合→財源の確保という図式は壊れているというのが現状です。

となれば消費税の増税です。消費税は財源の切り札ですが、どの政治家も不利になることを公約やマニフェストに入れてくれません。

ですが、国は2011年までにプライマリーバランス(収入と支出のバランス)をとることを目標にしています。そうなればあらゆる社会保障制度の切り詰め策とともに、消費税の増税が必要になることは明らかです。
現在2007年ですから、社会保障制度にとってこれから数年の間は嵐のような逆風が吹き荒れることになると思います。

障害者基礎年金の増額は極めて重要です。
施設利用の際の利用者負担を少なくすることもひとつの解決策ですが、施設が提供するサービスだけで障害者の地域生活が成り立つわけではありません。
障害者年金を増額することは自由な暮らしを選ぶ上でも、障害者自身がサービスを選択する上においても、新しい障害者福祉サービスが創出される上においても決定的な要素だからです。

終戦が近くなった頃、私は当時通っていた女学校を繰り上げ卒業して看護婦学校に入りました。
ある日、和歌山に大空襲があり、私たち医療班は空襲で焼け出されたけが人を救援するため、真夜中に堺の看護婦学校の宿舎を出発しました。

夜明け近く和歌山市に到着すると、あたり一面火の海になったことがわかりました。
焼け落ちた家の柱からぶすぶすと煙があがり、黒こげになって倒れている人、焼けこげた馬がいます。

看護婦となったといっても16歳の私は心細く、怖くて足がすくみました。
私たちはとにかく市役所、学校を救護の拠点とすべく、5、6人の小さな班にわかれました。

学校に到着すると怪我をした人たちが次々に運び込まれてきます。
やけどで大きなボールのようにふくれあがってしまった紫色の顔をした人が私にか細い声で
「かんごふさん、み、水を・・・」
といいます。私はふるえる手で茶碗に水を入れ飲まそうとしました。
「何をしとるか!水を飲ませたらすぐに死んでしまう!」
上官が手に持っている茶碗を床にはたき落としました。
その人は結局次の日には苦しみながら死んでしまいました。

私が看護婦になったのは取り立てて使命感があったわけではありません。
当時、女学生たちは軍需工場に行くか、上の学校である大学に行くのかを選ばなければなりませんでした。

軍事工場に行くのがいやだった私は、はじめは師範学校に行きたいと
父に相談しました。学校の校長をしている叔父もおり、父は喜んでくれると思ったわけです。
ところが父は
「学校の先生にだけはなるな。学校の教師は子どもの育て方を知らない。そんな人にしたくはない」
といって許可してはくれません。そこで私は
「看護婦になりたい」
といいました。父はそれには大喜びでした。
「人に役立つ人間になれる。お国のために役立つ」
といい、私は堺の看護婦学校に進んだのでした。

看護学はほんとうにたくさんの勉強をしなければなりません。厳しい訓練もありました。私は生来、動きがのろく、お嬢さん育ちで身の回りのことは何もできません。

そんな厳しい寄宿舎生活でも私のことを何かと世話してくれる人がありました。あまり食べられない私は、世話をしてくださるお礼にといつもご飯を半分その人にあげました。その人はたいそう喜び終戦後まで何かと私のことを助けてくださいました。本当はドジで何かと失敗が多いのに、その人のおかげで看護学校で2番の成績を取ることができてしまったのです。

以来、今日までいつの日も私を助けてくださる人がいます。何をやってもドジな私を見るに見かねてか、どんなに危機が訪れても陰で応援してくれる人が不思議と現れるのです。今日、私が幸せでいられるのもほんとうにみなさんのおかげです。

2007年6月14日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

5月の忙しかったことといったら・・・
毎日のように午前、午後、夜と続いてとうとう名古屋手をつなぐ育成会の大会の日、
限界が来て寝込んでしまいました。
でも、2~3日過ぎるともとに戻り、何食わぬ顔をして毎日多彩な行事をこなしています。

6月1日から11日までは松坂屋本館で第9回目のフロール展がありました。フロールは花の意。障害がある人たちが創作した作品の展覧会です。絵や陶芸などいろいろな分野の芸術作品が集まります。おおぜいの人が来場され、皆さん熱心に絵画や陶芸作品を鑑賞してくださいました。

会場にたっているとよく人にいろいろ聞かれます。
中日新聞の記者さんが私にいろいろ質問されました。
「生(いのち)の芸術ってどういう意味ですか」

フロール会理事長の伊藤高義先生によれば、フランスのある画家が障害者の作品を生の芸術(アール・ブリット)と呼び、「人間の純粋な欲求にもとづく美術」と讃えたそうですが、私にはそんな難しいことはわかりません。それで、「生きている輝きをオーラのように感じることができるので・・」というようなことを言ったら、フロール展実行委員加藤奈々枝さんのことばとしてそのまま新聞に載ってしまいました。みなさん、ほんとうにごめんなさい。

明けて12日はレジデンスのお母さん方に誘っていただいて可児郡の御嵩町にあるささゆりの原生地に行くことになりました。

中央道を行くことしばし、多治見で降りてしばらく行くと目的地に着きました。
車を降りてすぐ、あちこちに笹百合が見え始め、行くほどに登るほどに増えてきます。
緑の木々の間から差し込む日を受けて笹原に可憐な花が群生していました。

「何の花が一番好き?」と聞かれると、いつも「笹百合」と答えます。
笹百合は踏まれたりすると成長できなくなるといいます。
そのため、笹百合を守るためたくさんの地元のボランティアさんたちがこの花を守ってくださっているそうです。
特に、御岳町は北限に近いそうで笹百合を守っていくことが難しいそうです。
もう少し平均気温が上がると笹百合たちはなくなってしまうかもしれません。

車で行って笹百合にふれることができる幸せと、便利な世の中になったことで笹百合が生きにくくなってしまったこと・・・。
でも私はどんなに遠くてもどんなに山道でも「ささゆり」と聞いたらなんとしても行きたくなってしまうのです。
ボランティアさんと親しく話をし、ほうばすしを食べ岐路につきました。

2007年6月13日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

平成18年度の決算を終えて

名東福祉会の平成18年度の決算で、名東福祉会の利用料収入は平成17年度の3億8,680万円から平成18年度の3億3840万円
へ減少した。約4,840万円の減収となった。

これを施設別別に見ると
1 通所授産施設「メイトウワークス」は1,500万円(▼19%)の減収。
2 通所授産施設「天白ワークス」は1,370万円(▼18%)の減収。
3 通所更正施設「はまなす」は840万円(▼16%)の減収。
4 入所更生施設「レジデンス日進」は910万円(▼6%)の減収。
となる。障害者自立支援法は特に通所授産施設にとって打撃が大きかったことがわかる。主に利用報酬が月払いではなく日額計算になったことが大きい。

社会福祉施設の経費は人件費が大半を占める。
この4施設について名東福祉会では給与規定を改定するなど人件費を抑制し、収入の大幅な減少に応したが、それでも人件費比率は69%~73%を占める。
これまでは施設の建設費や修繕費は75%が補助金でまかなわれていたため、人件費比率が高くてもやってこられたが、
施設を建設するための補助金がなくなった今、この人件費比率で健全な経営をするのは難しい。

健全な経営を考えると社会福祉であることを考慮しても人件費比率は60%代に抑える必要がある。
となればさらに人件費を抑制するか別途収入を確保するかのいずれかだ。
年々現場職員の人材確保は難しくなる一方だ。これ以上の人件費の抑制は経営的に問題が大きいため、利用料や報酬の確保や後援会組織の充実など利用料以外の収入の確保にも努める必要があろう。

名東福祉会は今後、通所授産施設のまま障害者自立支援法時代を生き残ることは難しいと考えている。
もともと就職を希望する人がほとんどいない法人であるため、今後は生活介護施設への転換を目指すことになる。
ところが生活介護施設に転換すると、現状よりもさらに厳しい経営状況になる。
知的障害者施設は利用料について平成18年度の激変緩和措置で9割が保障されているため(実際には9割にはならない計算方法だが)、
転換すると利用料が減少することがわかっているためだ。

八方ふさがりになりつつある知的障害者福祉。これを打開していくためには地域や利用者から望まれるニーズの高いサービスに名東福祉会の資源を集中していくしかない。

まずニーズが高いのはケアホーム。ケアホームを展開して24時間体制の福祉サービス事業体に事業を転換していくこと。
次に新しい事業である生活介護サービスの内容を充実させるため生活介護プログラムの開発が急がれる。
また、授産事業を競争力のあるものにするため企業と連携することも考えていきたい。
さらに障害者福祉施設同士でネットワーク化を進め、よりきめの細かいサービスが打ち出せる体制を確保することが必要だ。

いずれにしても法人側の努力だけでは限度がある。収益事業に関する規制や寄付金の取り扱いなどの監査指導のあり方や補助金制度のあり方を含め、地域福祉を進めるにふさわしい「行政の改革」が望まれる。

障害者自立支援法の施行に伴い、ある企業がその企業が運営するネットワーク販売の勧誘を障害者に進めるという話を聞きました。ネットワーク販売とは無限連鎖販売、いわゆるネズミ講です。

扱っている製品は化粧品と水。特に一本数万円のボトルに入った水を販売したいとのことです。

事業主は「障害者の収入の確保に役立ちたい」とのこと。障害者が福祉施設で安い工賃で働かされていることを批判して立ち上がったそうです。

今後、大きな経済事件や障害者の権利問題にならなければいいのですが。

新法への事業移行の補助

名東福祉会は2つの授産施設を運営しています。
「どんなに重い人でも通える施設」をモットーに、どんなに障害が重い人でも受け入れてきました。
今年は最初の授産施設「メイトウ・ワークス」が開所して26年。
就職できる人は就職して行き、地域から施設を利用したいという人を受け入れ続ければ当然の帰結として障害は重度化します。

名東福祉会の障害の程度は重いといわれています。
従来の程度区分で申し上げますと、145名のうち、A判定106名、B判定35名、C判定4名です。
授産施設に限れば、80名のうち、障害が重い人からA判定は33名、B判定は25名、C判定は3名となります。
A判定の人が40%以上となるわけですから、障害者自立支援法へ移行する場合にはこの2つの授産施設は生活介護施設に転換する予定です。

生活介護事業は比較的重い障害がある人を対象とします。程度区分認定は知的障害者の場合、
1 問題行動があるか
2 身体障害があるか
が判定のポイント。問題行動に対する対処方法と重症心身障害に対する対処技術は生活介護事業のサービスを考える上で極めて重要な技術となるはずです。

先に愛知県との協議がもたれた席上、事業移行の際に必要となる人的な相談や助言に対して助成を行うとのこと。
「事業移行に必要な助言や指導」はともすると売上や工賃を上げるための技術コンサルタントと考えられがちですが、生活介護事業への転換についてのコンサルテーションについても助成を考えていただきたいものです。

名東福祉会ではこの4月より、中京大学臨床心理相談前室長の久野先生に名東福祉会に参加いただき、問題行動への対処技術や重症心身障害の人の言語行動の強化について研修を進めていただいているところです。

久しぶりに地下鉄に乗りました。
女性専用口から入り、老人専用座席に座って、やおらあたりを見廻すと女性専用者は比較的すいています。

そのせいか、前の座席の若い女性がお化粧を始めました。
空いているとはいえ、人がいっぱいいるのにましてやまん前に私のようなものがいて、マジマジと見ています。
やおらまつ毛の化粧が始まりました。それあそれは丁寧に一本一本上向きになるようマスカラをつけるのです。
ゆれる電車の中でよくもまあ慣れた手つきで・・・。
新聞などでよくこの後継をけなしているのを読んで知ってはいましたが、実際にお目にかかることができました。

あたりをきょろきょろ観察している私の横は座席がひとり分空いていましたが、
そこへ音を立ててドカッと座った人があります。
見ると70歳前後かと見られる女性でした。

にこやかに私に話しかけてきます。
「私は毎日のようにこうやって地下鉄や市バスに乗って好きなところに出かけている。世の中はいろいろなことがあって楽しい。
今日は勉強に行く。歴史の話を聞かせてもらえる。」
と、こちらが聞きもしないのに一方的に話される。
私は心の中で、「老人が増え、ひまな人が増え、町に出かける人が増えてもお金を使わないのだ」と妙に感心しました。

さて、名古屋駅へ着くと新幹線まで送ってあげるといいます。
「階段を登るのたいへんでしょう。こう行くと楽です。」と手をとって導いてくれます。
私は少し用心深くなってきました。新幹線の入り口で別れようとすると、
「お昼ごはんどうするの?」
と聞かれる。
「時間があるので、うどんでも食べてホームへ行きますわ。」
というと、
「美味しいうどん屋さんがあるから一緒に行こう」
と言ってくれます。ままよ、なんでも経験しようと思って導かれるままに店に行きました。

ざるうどん550円を彼女が注文し、私はおろしうどんを注文しました。とても美味しいうどんでした。
食べながら彼女は一方的に自分のことばかり話して私には何も聞きませんでした。それが私は一番ありがたく、
ついうどんをおごる気持ちになってしまいました。
うどんを食べ終わると、また新幹線乗り場まで送ってくれました。

彼女の歳はちょうど私より10歳若く、亡き夫の年金で暮らし、勉強が大好きで筆記したノートも見せてくれました。
そして暇さえあれば町を歩いているとのこと。
こんな人が今はいっぱいいるのだ・・・と考えていると、
「今日はお年寄りのために役立って、こんな嬉しいことはない。おまけにうどんまでごちそうになって
私は今日は良い日でした。サヨウナラ」
といって別れて行きました。

私は私で老人席に座ったばっかりに、思わぬ体験をすることができ、何事も無く無事にお別れできてほっとした気分です。
そして、やりたいことがいっぱいあって、毎日忙しく動けるしあわせをかみしめました。

2007年5月24日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

5月21日の午後6時より、レジデンス日進の見学と私の話を聞く会が催されました。
来所された皆さんはそれぞれ企業の社長さんばかり12名です。
ちょうど、名東福祉会の理事長と同年か少し若いかな・・・と思われる方々ばかりです。

始めに自己紹介を兼ねて福祉の道を歩いた40年の歩みをさせていただきました。
そして、メイトウワークスからはじまり、名東福祉会が経営する施設の生い立ちと歩みを話させていただきました。
最後に知的障害者の就労に関して具体的な経験の中から話をさせていただきました。

それから次々と質問を受けましたが、その中で名東福祉会の工賃が月2000円~5000円というと
「エッ! 月ですか?」
と念を押されました。企業の社長さんがたにとって驚きの額であり、その上利用料を払い、給食費を払うという説明に、
「施設はもっと払わなければいけないのでは」
とはみなさんおっしゃいませんでした。逆に、
「利用者の人たちはそれでも生き甲斐として通ってくるのか・・・」
と、想像外の話を聞き、驚きで一瞬絶句した後、かえって感動を呼んだようです。

我々は自分たちが何とか競争に勝ちたい、大企業になりたいと夢を描き努力をしてきたがそういう人たちが
自分たちとは違う夢をもって努力していることを始めて聞いて感動したとおっしゃってくださいました。

その中のおひとりは
「うちの会社でできることがあったら言ってください。無料でやらせていただきます。」
とまでみんなの前で言ってくださり、今度は私のほうが感動で絶句してしまいました。

へたな話でも一生懸命聞いてくださったことを心から感謝した集いでございました。

2007年5月23日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

食べることをめぐって

福祉は生活です。福祉職を目指す人は「生活の支援をめざす」ことになります。
生活はつきつめてみれば食べること、排泄すること、寝ること、人とかかわりを持つことです。これらの質を高めていくことが支援者の仕事ということになります。

・医療現場では

最前線の医療現場では生活の基本である「食」に大きな関心が集まっています。
エヌ・エス・ティーということばがあります。栄養サポートチームの頭文字です。エヌ・エス・ティーを作り、患者の栄養管理を行うことが病院において盛んになってきました。
昔から滋養(栄養)をしっかりとることが病気の治療や手術の回復を早めることはわかっていました。医療改革で入院時間が長引けば長引くほど病院が儲からない仕組みにしたところ、エヌ・エス・ティーが劇的に進みました。最初からそうすればよかったのにという気持ちです。

コストが下がり、患者に喜ばれ、医療の効果もあがるということで、最近では医療現場も高級ホテルのようなサービスを提供しようとする動きがでてきました。
愛知県の海南病院は全国トップを走る調理システムを保有している病院として有名です。
1階にはクックチルやクックフリーズなどを組み合わせた最新の新調理システムが導入され、各フロアーには見晴らしのいい食堂がユニットごとに配置されています。患者ごとに料理メニューが細分化され、調理と栄養剤と薬品が院内レストランで患者に提供されます。

・高齢者福祉現場では

高齢者の死因でトップは食べるときに食物を肺の中に入れてしまって死亡することがトップです。年をとると食べるのも命がけでなのです。

そこで、食べ物を食べる機能が衰え、誤飲の危険性が高まるとすぐに入院し「イロウ」をつけます。イロウとは胃につける流動食や栄養剤を流し込むための注入口のことです。ゴム風船のように胃をふくらませ、パチンとボタンのホックをつけるように簡単な手術でイロウをつけることができます。これを装着して栄養を入れれば安全かつ簡単に食事完了となります。
食べ物はのどを通らず直接胃に入りますから、間違っても肺に飲み込んだりはしません。どんなにまずい栄養剤でも入れるのは簡単です。でも、この装置をつけるとその人の人生の質は瞬く間に落ちてしまいます。

なんせ、味もにおいも感じない、熱くも冷たくもない、噛むこともすり合わせることも舌も使わない。脳への刺激が少ないのか、脳をつかわなくなるからかよく分かりませんが、認知能力は急激に下がり、手足の筋肉も連動して落ちてゆきます。長生きはしますけれど。でも、そういう対策が安全で低コスト。事故死の心配だけはなくなります。

今から7年ほど前、福祉施設経営者だけが集まるある会合でのできごとです。私はつぎのように発言しました。
「日本の高齢者福祉現場では半数以上の人が栄養失調状態になっているそうです。もっと個人に合わせた栄養ケアマネジメントが必要だと思うのですが・・。」
その発言をした直後、近くにいた施設長からこっぴどくしかられました。なんという侮辱だというわけです。
「私は職員が適切な食事を与えていないといっているのではありません。現在の福祉制度のもとでは栄養管理ができないといいたかっただけ」といいわけをしました。

その後日本栄養士会が総力をあげて栄養管理が大切であることを国に働きかけたのですが、簡単な栄養管理報告書で点数をつけるというところに落ち着き、結果的にはほとんど何もかわりませんでした。

ところがここへ来て、別の視点から大きな議論が始まっています。終末医療の見直し論です。
現在、ほとんどの人は病院で一生を終えます。自宅や施設で人生を終える人はわずかです。その結果、終末医療費は膨大なものになりました。
人は無理に病院で生かされているのではないかという疑問も大きくなっています。

終末医療の見直し論は、終末医療の体制やあり方を見直し、できるだけその人が暮らしてきた生活の場で人生を終えることを大切にしようというところから出ています。まったくそのとおりです。

ただ、高齢者福祉現場で終末の人生を支援するならば、難しい課題が山積しています。
最大の問題は本人の意思確認の問題ですが、福祉施設で対応するとなると多くの現実的な課題があります。
介護技術を飛躍的に高めるという課題や、施設で行う医療行為への規制緩和、技術をもった人員の確保、事故の際の責任や保障などをめぐる家族の意見の確認方法など、様々なハードルを越えなければなりません。イロウをパッチンで問題解決の現状の介護とは格段の差の支援体制が必要となるからです。

国のことばはいつも美しい。美しい言葉だけが先行し、現実には医療も福祉も受けられずに死んでいく人が増えなければ良いのですが。

・知的障害者の福祉現場では

一方、知的障害者の福祉の現場の「食」はどうでしょうか。最近の福祉の政策を振り返ると障害がある人の現実の生活から離れた場所で政策が立案されたり対策が行われてしまうようになっている気がします。

障害者自立支援法はまさに障害者の生活を支援するための法律のはず。現実には障害者の生活を厳しいものにしているため、昨年度は激しい反発を招きました。障害者自立支援法ができ、食事は自己負担となりました。

全国的な話ですが、福祉作業所の利用者は作業所に働きに来ているという意識があります。そのわりには全国平均で工賃(給料)は15000円です。その結果、「お金がかかるんだったら食べない、弁当でいい」という施設利用者が増えました。働いて得られる給料よりも、そこで支給される食事代の方が高かいということはたいへんな違和感があります。

激変緩和措置により自己負担の上限は下がってきましたが、福祉施設も利用者もやりきれなさだけは残りました。

・食べることはすべての福祉現場の基本

この日本は世界でもっとも豊かな食を享受している国でしょう。でも、この日本の福祉現場や医療現場は食べることはほんとうに世界一満たされているのでしょうか。
糖尿病などの生活習慣病の予防が医療費でも障害者福祉においても最も大きな目標である一方で、福祉現場の食はなかなか改善されません。

施設の生活において最大の楽しみは食であり、最大の苦しみもまた食です。毎日提供する食事によって利用者のみなさんは喜び、それと同時に食べることを支援することに苦しみ、食べることにまつわる問題行動と戦い、食の後始末をしながら次の食事へ時間は流れます。

「制度が悪い」といっているだけでは、目の前の利用者の今日の生活はよくなりません。人が足りないからといって問題を解決しなければ利用者の健康が蝕まれます。

食事の内容から食事の提供の仕方や食環境、食事の場面における食の学習など食事全体を管理するマネジメントなど課題はつきません。食べることは生活の基本中の基本。福祉が生活であるとすれば、施設が提供する食事は制度、施設経営の双方の視点から改善する努力が必要です。

久しぶりに安曇野へ行ってきました。
新緑の野や山はどこへ行っても私たちを優しく迎えてくれました。
白雪がまぶしく残るアルプスの霊峰。
はなみずきやりんごの花が今を盛りと咲きそろい、満々と水をはったたんぼが逆さアルプスを映し出し、
私たちは名画の中を走るかのようでした。

おいしかったおそばや山菜やつけもの
温泉に心ゆくまでつかり、みんなと歓談し、もろもろの悩み事はすっかり忘れ、
美術館のはしごも年を忘れ、疲れを忘れさせてくれました。

この景色、この空気、私にとっては今日が最後かもしれませんが、
何も思い残すことはないくらい、私は安曇野に満たされました。

知的障害の人と共に生かされ、みなさんに支えていただいた幸せを
いまさらながらに深く感じることができた旅でした。

2007年5月16日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝

天白ワークスの南側に今は2階建ての作業所が建っていますが、そこは以前は畑として使っていました。
ボランティアのNさんが大根、じゃがいもをつくれば、私はハーブ類を植えて楽しみました。

農作業の知識もないのに苗を買ってきてはやたらと植える私は、この小さな畑で、あるときカボチャのおばけのように大きくなったものができました。
苗を買って植えたのに名前が風で飛んだのか、まるでどうやって食べるのかも分かりません。
みんなに「これなあに?」と聞いても、「知らない」「知らない」といいます。
本をかたっぱしから探して、やっとズッキーニとわかりました。これを煮てみようと包丁を入れたところ、刃がたちません。今度は柄でたたいてもびくともしません。
何だ?これ!???

料理の本をいろいろ調べてみてそれでわかったことはズッキーニは10cmから15cmくらいのときに食すものだとわかり、80cmくらいになったものは包丁の刃がたつはずもありません。
野菜類は食べごろや食べ方というものを大事にしなくてはなりません。

畑で栽培するものは料理を楽しむもの、色を楽しむもの、香りを楽しむもの、果ては薬草とするものなど楽しみは多彩で、その利用方法をよく知った上できちんと栽培しないととんだことになります。その後も、フェンネルをはびこらせてみなんに「魚と煮ると美味しいよ」と配ったことがありますが、どうも皆さんには敬遠されたみたいです。

私はハーブ熱がさめやりません。

そのころ、天白ワークスから少し離れた400坪ばかりの空き地をお借りしていました。福祉施設に土地を無償貸与して実際に福祉用に使用されれば土地の固定資産税がそれなりに免除されます。
もちろん貸主にとって収益はありませんが、福祉にも役に立つし固定資産税の負担もなくなるということでお貸しいただいたものです。

お借りした土地は利用者のみなさんが農作業をするための土地としてお借りしました。
ところが農作業はなかなかたいへんな作業です。そこでこの畑をハーブ園にしていこうとなりました。
家族会が中心になってラベンダー、ミント、レモンバームを植えました。そのころ経営していたイタリアンレストランの「あざみ亭」に朝摘みのハーブを届けるほどになりました。

その後、私は入院をしました。私の入院中に、長年畑を貸してくださっていた貸主の方が病院にまでわざわざ来られ、事情があって土地を返してほしいとお願いされました。もとより申し出があればいつでもお返しするお約束で借り上げた土地です。長年お借りしていたことを感謝してお返しすることになりました。

退院後、畑を見に行くとすでに整地されて駐車上になっており、家族会が植えたラベンダーはあとかたもなくありません。
「どこへ移植したの?」と聞くと
「ブルドーザーがならしていった」というのです。
私は言葉もありませんでした。3年くらい経っているラベンダーは大株になっているはずだし、鉢植えにして売れば1株3000円。最低50株としても・・・。
私は病気になったことを申し訳なく思うのみです。

そんな思いをしたので、家族会の方々も二度とハーブは作らないだろうと思ったのですが、さにあらず。レジデンス日進の屋上にはまたチョコチョコとハーブが芽を出しています。、またもや家族会の人がいろいろ手入れしてくださり、立派なラベンダーを始めとしていろいろとあります。やがてターシャ・チューダーの絵本の世界にあるような花園にして利用者のみなさんとガーデンパーティがやれるのを夢見ているところです。

2007年5月7日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝