私が親の会の中で事務局長としてさまざまな活動をしているとき、特殊学級のある先生から
「加藤さんは恵まれた家庭の問題しかやっていない。もっと底辺の家庭のあることを知らない」
と批判されたことがあります。
後日、詳しく聞きたく思い、その先生を訪ね、お教えいただきました。
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知的障害の人どうしが結婚し、子どもが生まれた。育てることを知らない親は子どもが学齢期が来てもほったらかし。民生委員のお世話で学校に行けるようになってもまともには子どもを育てることができません。
それでも子どもはなんとか育っていきます。その後もここではかけない問題が次々起こっていることを先生はこれでもかこれでもかというぐらい私に言いました。それまでそういう家庭を本当に私は知りませんでした。

親の会活動は、親が集まって活動しています。そこのころの親の会活動は全国組織がようやくでき、名古屋の親の会も社会福祉法人化に向けて強く進みだしたばかりでした。
やはり、集まってくる親も、問題意識が高かったのかもしれません。地域の中で目を凝らしてみてみると、福祉に関心がもてない障害がある人たちがたくさんいることがわかります。

日本の福祉制度は申請主義といって、助けてほしいといわない限りなかなか福祉制度を利用することができません。行政の仕事といっても、そんなに人手があるわけではなく地域でいろいろな問題を起こしながら生活している知的障害がある人やその家族までなかなか手がまわるわけではありません。

民生委員がそうした人たちを支えるのですがやはりハンディがある人を支えるしくみがなければ、問題を通報するところでとどまってしまいます。
30年以上経過して、いろいろと福祉制度ができ、障害がある人も就職を支援する時代になったのですが、親の存在や考え方は子どもの幸せを根本的に左右してしまいます。
毎日のまわりの人たちの接し方で子どもたちは変わってしまいます。

福祉制度がどんなに充実しても、ほんとうに大切なのは家庭のあり方、一日一日の暮らし方です。福祉制度はそれを補うことはできますが、主役にはなりえません。
ご近所の人たちが小さなことから良いこと、いけないことをしみこむように教えていくことがなにより大切です。落語の世界のように。

今の世の中は50年前から比べると立派な家ばかりになりましたが、塀は高く、顔が見えず、車に乗ったまま出入りするばかりで、内向きに庭があってまわりの事に関心を持ちにくいような形に変わってしまいました。

全日本育成会の中央情勢報告によれば、親の会の活動目標として第一に子育て支援、第二に家庭支援をあげています。
児童デイサービスの不足を解消することと、障害のある子の放課後支援等、障害のある子ひとりひとりに合わせた特別支援教育を国に求めています。
この主張は、親の会活動が発足した当時、私たちが確認しあった目標です。50年前からこの問題はまだ解決していないことになります。
いっそ原点にもどり、心のこもった特別支援教育ができるようになるため、全国の親たちと再び手をつなぎたいと思っています。

2007年12月4日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝