春になるとかたくりの花が可憐な姿を見せてくれます。名東福祉会がかって運営していた長野県大町の山の家の近くにもそれはみごとに一面に咲き、毎年カメラマンたちがいろいろな角度から写しているのを見かけたものでした。
レジデンス日進から近いところでは、香嵐渓の飯森山。樹間からさしてくる太陽の光を浴びて、ぜんざんがかたくりの花で埋め尽くされます。
毎年、時になると私の友人のOさんから「かたくりがそろそろ見ごろよ」と電話が入ります。私は時間調整をしてそそくさと出掛け、おしゃべりとかたくりの花に至福のひとときを過ごすのです。
そう、Oさんはもうこの世にいません。「かたくり咲いてるよ」と天国からさそってくださっても、もう一緒に見ることはできません。
Oさんはいつもいつも私を助けてくださいました。岐阜と愛知県の県境付近に工房をかまえ、羊を飼い、羊の毛刈り、綿のつむぎから始まり、染め、織りをしてみごとな布を生み出します。そしてその布は小袋や手さげになり、服になります。料理も上手で大町の山の家もお料理を担当してくださいました。絵も字も上手でした。彼女の生み出す世界に触れて、小規模作業所や授産施設の製品作りにどんなに手助けになったことか。
名古屋市千種区に「風ちい」というショップを出したことがあります。1990年ごろの話です。かなり古い昭和の民家を借り、改装してお店にしたのです。「風ちい」はOさんの発案で、福祉を中国風にもじってつけた名前。Oさんがその店に詰め、私が全国から選んできた障害者施設の製品を並べて売る店でした。テレビにも取り上げられたりして売上もそこそこありました。そのころにはたいへんすばらしい品質の製品を作り出す施設がいろいろとあり、風ちいに訪れる人にもとても喜ばれました。障害がある人も数は少ないのですがいっしょにお店で働きました。そんな「風ちい」ですが諸般の事情で家をお借りすることができなくなってしまい店を閉めることになってしまったという苦い経験もありました。
彼女亡き後、ご自分の工房が整理されて、機織り樹、糸つむぎ機などが展示され、作品もさりげなくかざってありました。お墓はその家の下、ご主人とともに眠っています。
きっと、そのまわりはかたくりの花ならぬ、白い小花が一面に咲いているにちがいありません。かたくりの花を見に行くより、Oさんのお墓参りにいきたいな。