一隅を照らす

レジデンス日進の家族会の皆さんと御岳町のみたけの森に笹ゆりを訪ねるたびに参加させていただきました。
バスの中は22名。それはそれはにぎやかでおしゃべりははてしなく続いていました。

わが子を施設に預けていても、いろいろな悩みは果てしなく、
これからのこと、自分が死んだ後のこと、等等、話題はつきません。

しかし、入所施設の親さんたちは毎日会うわけではないので、久しぶりに会った嬉しさも交わって
「あのよう・・・そんでよう・・・」
と近況が飛び交います。

私は何の花が好きと聞かれると
「1番笹ゆり、2番バラ」
と即座に答えるほど、笹ゆりが大好きで、幼いころの思い出や色々なエピソードが果てしなく浮かんできます。
本当は以前にも来てすばらしい笹ゆりの群生を見ているので、そのとき、どんな山道かわかっています。
今年は、その時よりも歩けなくなっているので、
「皆さんに迷惑を掛けるから参加しない。」といっていたのですが、嬉しさについ来てしまいました。
やっぱり笹ゆりをちょっと見たところで歩けなくなりましたが、満足でした。

その後、願興寺へより、古びたお寺におまいりしました。
その境内で
「一隅を照らす」
という文字が目に入りました。

40年ほど前に長野県駒ヶ根のお寺へ光ゴケを見に行ったときのこと、そのお寺で、
「一隅を照らす」
という文字が目に入り、痛く感動しました。

私は小さな人間だから何もできないかもしれない。
でも一生懸命重度の障害を持つ子達のために、小さな灯りとなって前を進もう。
障害を持った子達や、その親達が道に迷って人生を見失わないように
小さな灯りを灯していようと、かたく決心したものです。

それ以来、何十年、自分なりに努力してきたつもりですが、
人生の終わり近くになってまた
「一隅を照らす」
という文字に出会いました。これは何でしょう。

奈々枝よ、もう「一隅を照らす」は終わったよ・・・といってくれているのでしょうか。
あともう一寸ですよ。もう少し努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。
まだまだ小さな灯りは必要ですよ。燃え尽きるまで努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。

深く考えさせられる、ありがたい一日でした。

2008年6月11日 | カテゴリー : ななえ日記 | 投稿者 : 加藤 奈々枝