愛知県コロニーを解体して地域の中で生きてゆく
そんなメッセージが愛知コロニーを利用している人たちに呼びかけられている。
施設は家庭ではない、知的障害者は家庭的な雰囲気のもとで生活すべきだ・・・。
地域福祉-そういえば誰も反対することができない。
だが彼らや彼女たちは30年もの長い間コロニーで生活してきた。
コロニーを出てケアホームに移ることについて息子に聞いてみた。
「ここ、いいとこだがあ。」
息子は信じられないほど的確なことばでいいかえした。
友達とのつきあい、親身になって世話してくれる大好きな職員、彼らはそれなりの家庭的な意識を持って生活している。
先日、日進の家からコロニーに帰った際、あたたかい職員の出迎えでこれまでに見たことのないような笑顔を見せた。
このごろ彼らの年老いた親たちから悩みを相談されることが増えた。
「ケアホームを自分たちで建てろという。並大抵ではないわねえ。どうしてこういう子を神様は授けなさったのかねえ」
母親は力なくうなだれる。80歳を超える別の母親は言う。
「毎週日曜日にはあの子に会いに行っとる。会うたびに母さんを許してねと心の中で叫けんどるけどが、どうもならんわ」
年老いた親元に知的障害の人たちが帰っても、もう自ら世話をしてやれないことは明白だ。
行政の担当者も親も民間福祉施設の人間もみんながわかっているのに
「地域福祉」の理念の下ではそう考えることは「悪」となる。この違和感をどうしたらわかってもらえるのだろうか。
50数年前、育成会の相談員だった山田先生が私の家に訪ねてこられた。
「麦の会会員の中で母子心中してしまった人が出た。加藤さん、あんたががんばってこういう人がでないようにしてください」
とおっしゃった。この一言が私の一生の課題となって今日まで来た。
家庭の形が大切なのではない。支えてもらえる人がいることが地域福祉。
障害を持つ子を殺しての親子心中は、あまりにもむごく、寂しい。
わが子が障害があるからこそ、その分、人にはない力が与えられている。
親どうし、心を奮い立たせ、言葉だけの地域福祉ではなく、ほんとうにあの子達が幸せになれるための方法を考えてゆきましょう。