先日、他法人の役員と所長3名が当方へ見学に来たいとの連絡があり、久しぶりにお目にかかれると思ったのでレジデンス日進へ出かけることにしました。
玄関先で会った利用者やデイサービスにいた利用者たちが目ざとく私を見つけ、
「どうしてたの?」
「会いたかったわ」
と言ったとたん、涙をポロポロ出して手を握り締めて来ました。
重度の利用者もそばへ来て、握手を求める人、体にひっつく人、表現はそれぞれ違いますが、みんな私が顔を見せたことをとても喜んでいてくれるのがわかりました。長い間この仕事を続けて来たものの至福の時だと私のほうが泣きそうになりました。
「病気がもう少し良くなったら、また来るからね」と言うと
「うん、きっとだよ!」と口々に何か言っています。
名東福祉会を立ち上げて30年、知的障害者の福祉に携わって50年、中には辛いことも、くやしいことも沢山ありましたが、それらはみんな忘却の彼方・・・。今は、長い間の苦労の連続はみんな美しく、楽しい思い出になって、私を励ましてくれるばかりです。
カテゴリーアーカイブ: ななえ日記
水仙の花
水仙の花が真っ盛りになりました。病院の行き帰りの道にいっぱい咲いているのが見えます。雨の上がった我が家の小さな庭にも水仙の花盛りが見えましたので、10本ほど切ってきて、テーブルの上に飾りました。よい香りがそこはかとなく漂います。
そこへ財団法人菊葉文化協会から「天皇皇后両陛下-ご結婚五十年をお迎えになって-」というビデオが送られてきました。
昨年は、「ご下賜金」を頂戴し、地道に障害者の福祉増進に取り組んで来ることができたことは、職員あってこそであり、また家族会や講演会の協力の賜物であると、私は病床から感謝していました。このビデオは約2時間かかりますが、またみなさんと一緒にビデオを見ましょうね。
水仙の花は、益々部屋中に漂います。去る日、亡き母と北陸の旅をした時、母が海岸で水仙を摘んできたので私が母をしかったことなども思い出されました。花好きな母は川柳をたしなんでいましたが花の句ばかりです。「われもこう」という小さな一冊です。ご希望の方には差し上げますのでもらって下さい。
「ガンバルよ」
長い病院生活から抜け出して、透析の通院生活に代わり、少しずつ慣れてきました。いろいろと食事制限や水の制限がある他、人口心臓弁を使っている薬の関係で、糖尿病で壊死した足先から出血するとなかなか血が止まらないことなどいろいろあって、人生、健康でいられることがどんなに大切なことか、毎日身につまされています。
こんなとき、突然、通所施設に通っていた人の母親が心臓病で急死されました。残された子とその年老いた父親を思い、どうしてあげれば良いのか・・・つくづく考えました。
施設へ入所することは子どもを捨てることではなく責任を放棄することでもありません。困り果てたあげく親子心中をと考えるのではなく、残された子ども、年老いた父親も共に生きて命を全うしてほしいものです。私の病状があまり芳しくないので、そばで励ましてあげることもいろいろと手助けすることもできませんが、生きてこそまた良いことに出会えると思います。どうぞ頑張って下さい。
私の長男は長いコロニー生活からレジデンス日進にかわって参りました。とたんに私が病気になり、入院し、娘の世話になっています。長い間顔を見ていないので、ほんの少し面会に行きました。顔を見たとたん真っ赤な目をして涙があふれそうな顔をしていました。でも泣かずに
「ガンバルよ」
といて、別れ際は笑顔で送ってくれました。
親子の縁は死してなお続きます。天上で見守れば良いのです。施設と本人の縁はずっと続きます。少しでも良き縁となることができますよう、あれやこれや考えてみましょう。
ありがとう
昨年の11月末に愛知医大付属病院を退院し、近くの病院で月水金と透析を受けるようになり、暮らしは一変しました。
心臓と糖尿病と腎臓病と血液の病気ですから、食べるもの、飲むものに気をつけなければいけません。
水を飲むと透析時間が長くなる関係で、水は一日に飲める量が決められています。
ほんとうは汗をかくのが体に良いのですが、風呂に入ると糖尿病の関係で壊死した足先から血が出ます。
足から血がでると、人口心臓弁の関係で飲む薬のせいで血がとまりません。
少しでも動くといいのですが、先日、ひとりで動いて新聞を取りに玄関まで動いていったら転倒し、ひどくぶって危うく骨を折るところでした。
娘にも世話になりながら、生きている意義をどうしても考えてしまいます。ついつい早く楽になりたいと、死を願う私があります。
そこへハガキが一枚。お見舞いのハガキですが、
「35年程前、一番困ったとき、短期里親制度で娘を預かってもらい、一家が救われたことは終生忘れない。早く良くなるよう祈っています。」
との事。この方はお会いするたびに同じ言葉をいただける方で、これまでも、ほんとうにいつまでも感謝してこられる方だと感心してきたのですが、今回は、自分がへこたれているときだけにたいへん身にしみました。
おかげで、いつまで命があるかわかりませんが、生きている限り、何か人のお役に立ちたいと思うようになりました。今年から、私のほうがありがとう!!です。
お見舞い
糖尿病と腎臓病によって歩けなくなってしまいました。
「足の1本や二本、なんてことはない、はい切ってください」
とお医者に言おうと思いましたが、いざ無くなってしまうと思うと、こんな、小さな足の小指1本でもいとおしくなり切断をすることは選べません。
腎臓病のほうは大学病院で腕に針を入れやすいように手術をし、やっと退院したので、自宅の近くの病院へ一日おきに透析に通うようになりました。
なにごともやってみなければその辛さがわからないものです。あるとき、
「こんな痛い思いをするくらいなら死んだ方がましだ。」
と娘に愚痴を言ったら、ひどくしかられたので、それからは愚痴をいうことも控えています。
このところ、ほんとうに毎日、いろんな人がお見舞いに来てくれます。みなさん、異口同音に
「想像していたよりも元気でびっくりした」
「元気な顔をみて元気をもらえた」
とおっしゃってくれます。こんなむさ苦しい顔をみて何が・・・と思ったり、何も役にたたず、さらに娘を縛り付けてと思ったりしますが、名東福祉会では職員の組織的な研修が始まり、着々と前に進みはじめたことを感じ、みなさんの元気の元になるなら、ひとつまたがんばらねばという気持ちになってきます。
ありがとうございます。
後援会総会
7月6日、名東福祉会後援会総会がレジデンス日進の2階、地域交流室で催されました。
林後援会長の挨拶、理事長の挨拶、その他型どおりの報告がありました。いつも、理事長挨拶が厳しい内容で長いのでヒヤヒヤしていましたが、暗に相違してとてもわかりやすく、
「この後援会は家族会の方と地域のボランティアの方々で構成されているたいへん有意義な会です。
この福祉状況が最悪のときでも、家族が一生懸命力を合わせ明るく楽しく生活し、また御世話になった人に感謝すると、職員達も明るくなり、一生懸命お世話してくれ、利用者たちも落ち着いて楽しく日常を過ごしてくれます。
そうした姿を見た地域の人たちの賛同の輪が広がっていき、この福祉状況を乗り越えていくことができます。」と、感謝の気持ちを込めて理事長は挨拶しました。
みなさんの顔がとても輝いていましたし、私も嬉しくて、病院から無理やり出てきたところながら、ご挨拶をさせていただきましたら、万雷の拍手があって、一緒に私も皆さんの幸せを祈りました。
各施設の施設長達からそれぞれの発言があり、親近感を感じるひと時でした。
この後、清水睦子さんの朗読をお聞きしました。題は藤沢周平の「こぬか雨」。人は刹那的な出会いの中に、身を賭してでも出会った人を助けることがあることを教えてくれ、ジンときました。
大竹さんの竪琴のライアー演奏がありました。演奏にあわせてみんなで「ふるさと」を歌いました。不思議なやさしい音がでる楽器で、みんなと歌っていると幸せな気分になり、時のたつのを忘れ、素敵な雰囲気に浸りました。
遠くから駆けつけてくださった清水さん、大竹さんありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
養楽荘の桜
3月29日日曜日、コロニー養楽荘にでかけました。名古屋市内より3度は温度が低いと言われているコロニー山の養楽荘の玄関の前に大木の桜が見事に満開となって、私を迎えてくれました。
「すごいなあ」を連発して思わず携帯電話で写真を撮ってしまいました。けれどみんなに見せることができません。入院中に娘が新しい携帯電話に変えてしまったので複雑な操作はできません。実に見事な桜をお見せできなくてごめんなさい。
長男が養楽荘に入れていただいてもう38年になります。毎年、毎年いろいろな思いを胸にいだきながら桜の花の推移をみながら、また、私たち親子の来し方に想いを重ね、感無量です。
この今年の桜の花を最後に私たち親子は地域の日進で住まうことになります。レジデンス日進の前の路にも桜の大木が6本もあり、小学校の入学式の日にはいつもハラハラと桜が吹雪いて着飾った親子を祝福します。
養楽荘の桜は何もいいませんが、私たち親子を長い間見守り続け、そして大変御世話になった職員さんたちを励まし続けてくれました。
養楽荘、ありがとう。職員さんほんとうに、ほんとうに、ほんとうにありがとう。
復帰しました
長い間、奈々枝日記を書けなくて申し訳ありませんでした。
2月1日に救急車によって病院に入院し、1ヶ月。退院しても自宅療養数日、養楽荘の保護者会に次年度ひきつぎのために出席したのが3月8日。今日は名東福祉会の合同家族会役員会に出席することができました。
病院で寝ているときは頭がおかしくなるのではないかと気が気ではありませんでしたが、今日、役員の皆さんの顔を見、ほがらかな笑い声を聞いて、心から安堵しました。
やっぱり私はみんなに取り囲まれ、今後どうする、こうすると言いながらも子どもたちや障害者の行く末を論じているのが一番幸せなんだと確信を持ちました。
年齢も高いし、持病の心臓の病気はなおる筈もありませんが、命ある限り皆さんと共にワイワイガヤガヤとやってゆきたいと存じます。今後ともどうぞよろしくお願いします。
忍是佛心
「お時間があったらお茶の会をしますから来てください。」
とレジデンス日進家族会のお母さん達からお誘いがありましたので、私は喜んで出席させていただきました。今日はお掃除の日だから各ユニットでゴトゴト音がしているなと思っていたら、自分の子どものユニットが終わったところから順次お茶会をやるそうです。
お番茶とかコーヒーなどを持ち寄りのお菓子で頂くくらいに思って何気なく和室に入りましたところ、驚いてしまいました。床の間と見立てた壁に「忍是佛心」の掛け軸がかかり、山茶花が一輪みごとに生けてあります。赤い毛氈-実は木綿の布にお客様がずらりと並んでお抹茶を頂いています。
私が座ると、珍しい「なす丸ごと砂糖漬け」の和菓子が出ました。やおら懐紙を取り出して小さなペテナスぐらいのなすを丸ごと頂戴いたしました。お菓子の由来をお聞きした上、ゆっくりと味わい、いよいよお抹茶です。無農薬で栽培された新茶、お手前も見事ならお茶のおいしかったことといったら!
「良いおふくでございます。」
とご挨拶をしたところ一同ワハハハと大笑いしました。とても満足でした。
その後、掛け軸を指して
「これは何と読むのでしょう」
と質問されたので、事のいきさつを説明させていただきました。
忍是佛心-耐え忍ぶこと是、ほとけの心とでもいいましょうか。私は年に一度京都の観修寺と大石順教尼ゆかりの無心庵、可笑案、仏光院におじゃまいたします。今は全教尼が居られ、順教尼やそのほか諸々の心にしみるお話をお聞きいたします。
大石順教尼はもと京都の芸妓でしたが、父親に両手を切り落とされ、何もできないと嘆き悲しんでいる時、カナリアを見てこんな小さな鳥でも歌い子どもを育てることができるのだと感じ入り、佛道に入って絵や書も口で書くようになりました。そのことを聞きつけて無心庵を訪ねてくる身体障害者のお世話もするようになり、無心庵、可笑庵、仏光院と建てて行かれました。
ずっと全教先生が順教尼亡き後守ってこられましたが、このたび年齢も高くなり、故郷へお帰りになりました。私ももう行くことができるかどうかわかりませんが、でも頂いた数々の色紙や本の中で全教先生を偲び、順境先生のお徳を心としたいものです。京都山科に近く観修寺、仏光院、無心庵、可光庵とめぐるのも心が洗われるものです。
天白ワークス家族会
おそまきながら明けましておめでとうございます。
天皇陛下からの御下賜金の報告をしてから年末年始は多忙でございました。
とりわけ私の長男が帰省でこの間、私の元へ帰っておりました。今年は私が数えで81歳、長男は59歳となります。体力的にも自分の齢(よわい)を痛切に感じ、年老いた息子の介護のあり方を早急に考えなければならないと思いました。
1月6日は久しぶりに天白家族会の新年会に出席させていただくことができ、何人かの懐かしいお母様方をはじめとして、元気なお母様方とお話をすることができました。それはそれは和やかな雰囲気でした。
中村署長のもろもろの報告から、よく天白ワークスの活動等が理解できましたし、そのあと山田本部長からケアホームの報告をはじめ、今後の方針等が説明されました。
お母様方はフンフンとうなづいたり、明るい顔で笑ったり、30年近い年月がたっても子を思う母の心は同じだなあと感じました。
初期の天白ワークスは大変な毎日が続いたことなどが懐かしく思い出されました。
当時、名古屋の養護学校を卒業した重症な自閉症の人たちが数多く一度に天白ワークスに通所されはじめました。これまでの常識では通用しない通所施設の過ごし方を考えなければなりませんでした。
私が天白ワークス所長だった時代には利用者について散歩に行ったこともありました。
みなさんに話をしていましたがやっぱりこれからのことも考えて頂かねばならず、老老介護の新しい方法を編み出したいものですね。
もっともっと話をしていたかったのですが、私の予定があり、部長や所長と一緒に早めに帰ってきてしまったことをお詫び申し上げます。
天皇陛下から御下賜金を賜りました
12月23日の天皇誕生日に際して天皇陛下からメイトウ・ワークスに御下賜金がいただけることになりました。本日25日には名古屋市役所におきまして伝達式がありました。
伝達式には私と豊田所長とレジデンス日進の浅井所長も同行して局長室へ参りました。
何年かに一度、全部の福祉関係者から愛知県で1箇所だけ選ばれるので、めったにいただけない賞だとお聞きしこよなく名誉なことと恐縮の極みでございました。
もちろん、メイトウ・ワークスの職員はじめ家族会の皆さんが利用者の幸せを願って30年近く営々と築き上げてきた実績といえると思うのですが、よくやってくれた!!と感謝の気持ちでいっぱいです。
所長たちが
「メイトウ・ワークスが開所したころから施設を開放したり、地域の人たちと色々な行事をやってきましたが、当時はまだ他の施設があまりそういうことをしていませんでした。奈々枝所長が地域を大切にしましょうと口癖のように言われ、そうしたことをいろいろやってきたことを懐かしく思い出しました。」
と言っていました。
「こちらから住民の人たちにはこんにちはと言わなくてはいけないよ」とか
「何かあったらすぐに地域の人のところにお伺いしなさい」とか
メイトウ・ワークスのやきもの祭りを地域の皆さんにお礼の気持ちで続けたこと・・・
いろいろなことがことを積み重ねてきたことが今日につながっているのだと思いました。所長たちが「職員に伝えていかないといけませんね」と言ってくれたのはとても嬉しかったです。
まだまだやるべきこと、やり残していることは山のようにあります。利用者の人たちがしっかりと地域の中で暮していけるよう、そして親も元気で毎日を楽しく充実した気持ちで暮していけるようこれからもがんばらなければならないと決意を新たにしました。
寂光院のちりもみじ
12月2日、メイトウ・ワークスの家族会の皆さんに同行させていただいて、
犬山の寂光院、有楽荘などに行き、秋たけなわの風情を充分に楽しませていただきました。
寂光院は山のてっぺんにありますので、私は登って行けません。
下の駐車場で充分、美しい紅葉を見ることができましたし、織田有楽斎の茶室では素朴な中、高価な抹茶茶碗でお茶を味わうことができました。
お昼ごはんも美味しかったです。
繁雑な日常から遊離して、優雅な世界にひととき身をおくことは大切なことだと思います。
その優雅さについつられ、
昔、たびたび京都の大石順教尼の庵を尋ね、全教尼(順境尼の弟子)のお話をお聞きしながらお茶を頂き、心洗われる思いをしたことをメイトウ・ワークスのお母さん達に披露しました。
大石順境尼は芸子であったとき、父親に両腕を切り落とされました。
それでも父親を憎むことをしなかった。人を憎まず、自分を愛して生きてきたからこそ幸せであったとのことです。
その後、順教尼は仏の道に入り修行しながら尋ねて来る身体障害者の面倒をみながら仏に仕えられました。
京都の山科にある観修寺の中にある仏光院と可笑庵は順教尼のゆかりの庵です。
この頃は京都に行く機会もなく、心は少々くたびれてきましたが、
お母さん達と一緒にお茶をいただき、有楽苑の庭を散策して、ちりもみじを受けながら優雅なひと時を過ごすことができたことは、ありがたいことでした。
あいさんはうすの竣工式
11月28日は愛燦会が建設された障がい者センター「あいさんハウス」の竣工式にお招きを受け、
名東福祉会の関係者とともに列席させていただきました。
建物はとても明るく、便利で、4階建てのすばらしい施設です。
いろいろな工夫があり今後の活動にご期待申し上げます。
理事長の中野さんのごあいさつの中で、
「あなたが楽しいと、わたしは嬉しい」
をスローガンに歩んでこられたとのこと。私はジーンとしました。
まわりの人たちの幸福を喜び、まわりの人たちの苦しみを悲しむ。
人と人が支えあい、お互い様、おかげさまで生きていく。
人としてのもっとも大切な生き方を教えられたようですがすがしい気持ちで帰ってきました。
大須賀先生と船橋先生の思い出
神武景気によって日本が復興を果たし、日本は活気のある時代を迎えました。でも知的障害者の施設はそうした世の中の流れからポツンと取り残され、誰も知らないところで手探りで運営が続けられていました。
障害者施設で働く職員は世の中の平均的な収入とは程遠く、みなボロボロの服を着て、それでも明るく懸命に知的障害者の介護をされていました。
愛知県ではじめてできた知的障害者施設、恵泉館の館長の故船橋玉耀先生と、愛知県の民生部の故大須賀先生に呼ばれたことがありました。
当時から大須賀さんは若手のやり手官僚として愛知県の厚生行政をひっぱりつつありました。大須賀さんは開口一番私に
「施設で今、何が必要だと思う?」
と聞かれました。
私は日ごろから職員の人たちの生活がたいへんだと思っていたので
「知的障害の人たちが幸せになるには、まずは職員の人たちが報われるようにしてほしい。」
と言いました。知的障害者の人は覚えるのに時間がかかります。彼らの幸せのためにはそれを支える人が気長にじっくりと取り組むことが必要です。そのためには職員が結婚したり、子どもをつくったりすることができないといけません。当時の職員にはそのようなあたりまえのことが程遠い夢だったのです。
大須賀さんは
「その話を知事の前でしゃべってほしい!」
と私にいいました。
後日、船橋先生と大須賀先生に連れられて故桑原知事にお会いしました。
日ごろ思っていたとおり、知的障害児の置かれている現状や福祉施設職員さんたちの生活のことを知事に伝えました。
桑原知事は涙を流さんばかりの表情になり、
「知らなかった。そういう現状があるんだねえ。何とかしましょう!」
とおっしゃってくださいました。
その後、大須賀先生と船橋先生は民間福祉施設の職員の待遇改善に向けて全国に先駆けて尽力され、有名な民間福祉施設運営改善費制度ができました。
この制度のおかげで愛知県では民間の福祉施設の運営が格段に楽になり、多くの障害がある人が安心して生活できるようになったと思います。また多くの優秀な人材が育ったのだと思います。
大須賀先生は後に愛知県の民生局長になり、その後、愛知県を退職されて県の民間福祉施設のリーダーとしてみんなをひっぱってくださいました。大須賀先生は亡くなられるまで何度も愛知県庁に乗り込み、みんなを代表して障害がある人たちの幸せのために尽力してくださいました。
船橋先生は愛護協会長として長年、愛知県の知的障害者施設をひっぱってくださいました。
急くな急ぐな
朝レジデンス日進へ出勤しようと外へ出てみると快晴の空はまぶしく、夜来の雨に露吹いた木々は光をあびて
新鮮そのものでした。
「元旦の朝のよう」
と思いながら車をそろそろと走らせて行くと、道のまんなかに子猫が寝そべっていて、車が来てもなかなか動きません。
車を止めて
「ブッ」っとクラクションを鳴らすと子猫はのんびり起きて道の端によけてくれました。
なんと人をなめた猫だと一瞬思いましたが
「いやいや、急くな急ぐな、ゆっくり、ゆっくり。急いては事を仕損じる」
とつぶやいているうちにレジデンス日進に付きました。
「おはようございます!!」
明るい声が事務所から跳ね返ってきました。
「ヨシ!!今日もやるぞ!!」
でも事務室の椅子に座ってコンピュータ画面に映し出された名東福祉会のスケジュールを見ながら考えることは・・・
レジデンス冬祭りのこと、
ロトの販売状況のこと
日進障害者福祉計画のこと
日進手をつなぐ育成会のこと
児童行動療育センターのこと
愛知県コロニー養楽荘保護者会のこと
新しく建設されるケアホームのこと
就労のこと
利用者のこと
職員のこと
他の施設とのかかわり
あちこちでいまだにひきうけている役職のこと
考えるほど混沌としてきて、つい先ほど感じた朝日に輝く露吹いた木々の新鮮な思いはどこに行ったのか・・・
そうだ、急くな急ぐなひとつひとつ着実に。
子猫様に教えてもらったんだった。
岐阜県羽島ボランティア協会
11月10日に若いお母さん達のグループ「花」に同行させていただき、「岐阜県羽島ボランティア協会」を見学させていただいきました。
この会は市民主体で「すべての人々が自分らしく暮せる福祉のまちづくりをすすめる」ということで、自ら行動し、企業や行政と連携し、みんなで考え実行して障害者本人主体の人生を支援してゆこうとするNPO法人です。
20年余の歴史の積み重ねがあり、温和な理事長さんの雰囲気の内側にはなみなみならぬ苦労と努力があったのではないかと察しられましたが、さらりとかわされ、みんながボランティア精神でやりたいと思うことをひとつずつやってきて一般の人々からもご寄附やご支援を頂いて楽しくやっているとの事。
運営している事業は
でいあい
オールミックス生活介護分場
オールミックスケアホーム分場
生活サポート喜楽舎
児童デイサービスかみなりくん
子どもサポートセンターかみなりくん
障がい者せいかつ支援センターきつねあな
ボランティア市民活動センターきつねあな
このほかボランティア啓発事業や育成・支援、障害者生活支援等々、必要とあらば何でも手がける構えです。
かみなり村のなかでは古バスを利用した「足湯」まであって、私も考えていたのに先取りされた!とくやしく思いました。
考えて実行が素早いこと-それは経営者や家族の都合ではなく本人の幸せを実現することを第一にしているからだと思います。
そうした理念があるからこそ誰でも参加したくなるのです。
名東福祉会もひとりひとりの障害をもった人たちのよりよい人生を目指していきたいと思います。
貴重な時間を割いてご案内いただいた理事長はじめ参事さんありがとうございました。
「新しい時代の育成会活動」にひとりで参加
10月25日(土)、26日(日)、第41回手をつなぐ育成会東海北陸大会に日進手をつなぐ育成会から参加させていただきました。
岡崎市民会館を中心に各海上にわかれて参加しました。
参加者は東海北陸の会員1700名。
日進の育成会は以下のように参加しました。
第1分科会 本人部会
第2分科会 本人部会
第3分科会 学齢期の支援 7名参加
第4分科会 「働く人への支援」 5名参加
第5分科会 豊かな地域生活をめざして 4名参加
第6分科会 高齢化に向けた支援(後見人制度) 3名参加
第7分科会 新しい時代の育成会活動
第8分科会 小規模作業所等の未来
私は第7分科会「新しい時代の育成会活動」にひとりで参加しました。
新鮮で意義深い討議ができ、いつになくさわやかな気分で終了を迎えることができ感謝です。
この大会に参加できたことを喜ぶとともに、学んだことをどう生かしていくか日進育成会の皆さんの今後の働きにご期待申し上げます。
上ノ山ケアホームの地鎮祭
上ノ山ケアホームの地鎮祭がごく少数の関係者でとりおこなわれ、無事終了しました。
畑、お花畑、ハーブ園だったところがきれいに整地され、広々とした中ほどの祭壇が祭られ、神主さんのリードによってそれぞれが祈願しました。
名東福祉会の懸案であったケアホームがいよいよ建つのです。
まだ入居者は決まっていませんが、今後レジデンス日進や各通所施設からの移籍もあり、新しい友達関係が作られて新しい生活が地域の中に根付いていくのではないかと期待しつつ神妙に祈りました。
レジデンス日進この上ノ山ケアホームの土地も知的障害者の幸せをほんとうに願う方々の土地のご寄付によって建設することができました。地域の中で居をかまえ、日々安心して暮せるのだと思うと心から感謝の念が沸いてきます。
入居する本人も家族もみんな新居が立ち上がる日を心待ちにしつつ、今回は入れなかった人も含め、みんな親亡き後の安らぎを求めて協力してゆきましょうね。
若い力に後押しされて
盛夏の体力消耗から、少しずつよみがえり、秋の気配を感じるころ、また何かやるぞという心がむくむくと起きつつあります。
ブログを愛読していて下さる皆様から、心配のお便りも頂いていますが、もう大丈夫です。
8月31日、じゃんぐるじむの企画で「発達障害児の世界」の講演に参加させていただき、今の若い親たちの目のつけどころにほとほと感心しました。ウォーリーさんの講演の運び方、養護学校等、いわゆるプロの人たちから議員さんにいたるまで参加していること党、何だか私自身の目がパッと開いたような気がします。
9月16日~19日のロトのオープン前後の多忙さ!!
ロトは名東福祉会の新しい地域の集いの場です。
これは体力消耗どころか、体力増強になりました。
参加して下さった家族会の皆様、オープン当日にご来場くださった関係者の皆様、盛り上げて下さった大勢の皆様のあたたかいつながりが弱りきっていた私の体力にパッと魔法がかけられて私は元の元気になりました。
この1ヶ月、いろいろなことを体験させていただき、また歩みが続けられますことを心からお礼申し上げます。
本人の発言
育成会の会報にしっかり本人が発言しています。
働く権利があります。
工賃を倍増してください。
結婚したいです。
ジョブコーチをつけてください。
グループホームを援助してください。
本人がこうしたところで発言するようになったのはいつごろからでしょうか。
今から20年ほど前、平成になるころからだと記憶しています。
権利擁護ということばがでるようになったのと同じころだったと思います。
私は古い人間なので、自ら権利を主張することに違和感を感じてしまいます。
私は知的障害があるひとが自ら福祉の不備を訴える力は知的障害の人には平均にはないと思います。
親や福祉を行う人は、本人が幸せに生きる方法を本人からゆだねられているのが真実で、
本人の意見を参考にして福祉を決めることはいかがなものかと思うのです。
ましてや本人の口を借り、親や福祉家の行いたいことを代弁させるようなことは決してあってはなりません。
恥ずべき行為だと思います。
いろいろ知的障害者の福祉は変わりましたが、やはり福祉を提供する人間や親は本人にとって何が幸せなのかを考えることから逃れられません。
自分の体にもいたわりを
暑中お見舞い申し上げます。
毎日たいへんな暑さが続いていますが、皆さん体調はいかがでしょうか?
私は、実は皆さんから傘寿のお祝いをしていただく数日前から体調をこわしていました。せきが出て、多分クーラーのあたりすぎによる風邪の状態で、愛知医大でレントゲンをとって頂いたところ、私自身もびっくりするほど肺のほとんどが網の目のような白っぽさで映し出されていました。
即入院と先生に告げられて私は一瞬たじろぎましたが、すぐに
「コロニーの息子が夏休みで帰ってきますので、入院しておられません。」と言いました。
言っている自分がいやになるほどおかしい言葉だと自分で悲しくなり、ショボンとしていると、先生は
「この2~3日しっかり寝てて下さいよ。」
「息子さんのことはわかるけど、貴女の体が丈夫であってこそですからね」
と念を押されました。まったく先生のおっしゃるとおりで<いつ死んでもいい>と常日ごろから豪語していた自分の浅はかさを悲しく思いました。
時も時、利用者さんのお母様が肺がんでお亡くなりになり、今後どうするのかが福祉会の中で検討されました。これからドンドン出てくる課題です。レジデンス日進を建設したものの定員という枠があり、これでいいというはずはなかったのです。そして、ケアホームももうじき建ちますがたがが10名です。「地域に生きる」といっても、地域の中で今まで通っていた作業所すら通いにくい現実が目の前に出てきました。
親も子も生まれてきた自分の人生をより輝かしい終末にしたいとみんな思っているのですが、私自身ももう一度深く掘り下げて考えねならないと思いました。
おかげさまで、名東福祉会の嘱託医の福嶋先生がいろいろと気遣ってくださって、このところもちなおし、私は少し元気が出てまいりました。
すると、ムクムクと今後のことが考えられ、どこかへすっ飛んで行きそうですが、「待て待て」と自制しているところです。
気遣ってくださった方々に申し訳ないことはいたしません。
人生最高の日
人生最高の時を味わいました。
7月21日は私の誕生日。7月22日には傘寿のお祝いとして、沢山の花束と花かごをプレゼントされました。
その上、傘のプレゼントまで。とてもカッコ良く、かわいい花模様のデザインです。私は嬉しくてジーンとなり、涙がこぼれそうになりました。
この日はレジデンスの家族会、メイトウ・ワークス、天白ワークス家族会の方々が集まってお祝いくださったのです。はまなすのみなさんも1週間前に誕生会を行ってくださいました。
この暑い中を、また忙しい中を沢山集まってくださったこと、とても嬉しくて感謝です。
傘寿は80歳の祝いですが、私は50数年間、福祉、特に知的障害の分野で相談員とか施設長とか理事長を勤めさせていただき、厚生大臣賞や新聞社の社会功労賞などたくさんの功労賞も頂戴していますが、今日ほど嬉しく思ったことはございません。いつもいつもお父さん、お母さん達に助けられてこの長い知的障害者福祉の分野で生きてきました。とても不思議なことですが、ほんとうに困ったときに大勢の人が助けてくれました。50年間人に助けられて生きてきた私を皆さんが祝ってくださる・・・。
夕方、レジデンス女子組みのみなさんが紙で花やレイを作ってプレゼントを持ってきて
「お誕生日おめでとう!!」
をやってくれました。また涙がこぼれそうになりました。
今日は人生最高の日です。
笹ゆりの便り
毎年、懇意にしている花屋さんから大好きな笹ゆりが届きます。
それが今年は大幅に「笹ゆりの便り」が遅れていました。
今年はレジデンス日進の家族の人たちが岐阜県可児市まで笹ゆりを見に連れて行ってくださったので
「手に入りにくくなったのだろう」
と、やきもきすることはありませんでした。そうこうしていたらついに
「笹ゆりがどうしても手に入りません。お詫びに・・」
といって、トルコききょうがとどきました。
今から36年前の7月、主人が亡くなったときも、一昨年に母が亡くなったときも仏壇にトルコききょう一色で飾りました。
ちょっぴり奇抜な事をする私で、みんな驚をおどろかせてしまいます。
最近若いお母さん達と接する機会が多くなり、話をしているとお母さんたちを「エッ!!」っと驚かせてしまうことがしばしばです。
例えば
「昨日の篤姫は私は安楽椅子に座ってみていたので気持ちよくて寝てしまったので見れなかった」
と言うとみなギョッとして驚きました。
「何で驚くの」と聞くと
「安楽死したい?」といいます。
若いお母さん達は頭の回転が速すぎます。
知的障害者と接するときは何事もあわてず、聞き違えずです。
戦時中、山本五十六元帥が水平に甲板掃除を教えるとき
「自分でやって見せ、やらせてみて、できたらほめる」
を繰り返したそうです。戦争は思っただけでもいやですが、元帥の言葉は真髄をついています。
知的障害者の人に物事を教えるときはさらに根気良く、何度も何度も繰り返せばたいていのことはできるようになります。
笹ゆりからトルコききょう、果ては山本五十六元帥まで話の飛躍に驚きましたか?
時の流れを越えて
麦の会という重度重症の子どもを持つ母親たちのグループは毎年1回、親だけが集まって昼食を楽しみながら近況や昔の思い出話を話し合います。
みんな年をとって、会合へすら出席できない人が多くなり、来年はひょっとして会合がもてなくなるかもしれませんが、とにかく今日は元気に食べしゃべりました。
第1代の会長はAさん。明るくて優雅です。
「今も<謡>を続けていて声を出すから健康でいられる」
とおっしゃっていました。お子さんは健在。しっかりとした理念を持つ入所施設を利用されていてたいへん障害が重いが元気に生活しているとのこと。
「息子さんが後見人になって、いざというときはやてもらえるからもう何も心配がない。
動けなくなったら自分は有料老人ホームへ入所するつもり」
と持ち前の前向きな発言です。
第二代目の会長は私。
一代目から引き継いでいろいろなことをやったとんでもない会長でした。それが高じて今でも施設を造り続けてしまい、時代の波に揺さぶられています。決して後悔はしていませんが、もう少し職員の将来が明るいものであるように願わずにはいられません。死の瞬間まで
「福祉の世界に日があたりますように」
と願い続け、<パタン>と逝きたいですと発言しました。
三代目の会長のFさんも「一緒だ、一緒だ」とおっしゃっていました。
私は最近、若い母親グループと話し合う機会が増えました。母親達とお話をしていると、時代は変って50数年経った今も同じように悩み、同じように苦しみ、何か目に見えぬ大きな力で引かれあい母親達は集まってくるのだということを感じます。
何がそうさせるのかはわかりませんが、母親達は集うことによって明るく元気になります。障害がある子が社会の中で力強く生きていくには、今の、若いお母さん達が元気にならねばということがわかっているからこそ、集まるのだと思います。
いざとなれば、なあに80歳を過ぎている麦の会のメンバーもじっとしてはおりませんよ。みんなで明るく「共に生きる社会」をつくりましょう。
おいしいお料理のせいか、なんだか元気もりもりです。
一隅を照らす
レジデンス日進の家族会の皆さんと御岳町のみたけの森に笹ゆりを訪ねるたびに参加させていただきました。
バスの中は22名。それはそれはにぎやかでおしゃべりははてしなく続いていました。
わが子を施設に預けていても、いろいろな悩みは果てしなく、
これからのこと、自分が死んだ後のこと、等等、話題はつきません。
しかし、入所施設の親さんたちは毎日会うわけではないので、久しぶりに会った嬉しさも交わって
「あのよう・・・そんでよう・・・」
と近況が飛び交います。
私は何の花が好きと聞かれると
「1番笹ゆり、2番バラ」
と即座に答えるほど、笹ゆりが大好きで、幼いころの思い出や色々なエピソードが果てしなく浮かんできます。
本当は以前にも来てすばらしい笹ゆりの群生を見ているので、そのとき、どんな山道かわかっています。
今年は、その時よりも歩けなくなっているので、
「皆さんに迷惑を掛けるから参加しない。」といっていたのですが、嬉しさについ来てしまいました。
やっぱり笹ゆりをちょっと見たところで歩けなくなりましたが、満足でした。
その後、願興寺へより、古びたお寺におまいりしました。
その境内で
「一隅を照らす」
という文字が目に入りました。
40年ほど前に長野県駒ヶ根のお寺へ光ゴケを見に行ったときのこと、そのお寺で、
「一隅を照らす」
という文字が目に入り、痛く感動しました。
私は小さな人間だから何もできないかもしれない。
でも一生懸命重度の障害を持つ子達のために、小さな灯りとなって前を進もう。
障害を持った子達や、その親達が道に迷って人生を見失わないように
小さな灯りを灯していようと、かたく決心したものです。
それ以来、何十年、自分なりに努力してきたつもりですが、
人生の終わり近くになってまた
「一隅を照らす」
という文字に出会いました。これは何でしょう。
奈々枝よ、もう「一隅を照らす」は終わったよ・・・といってくれているのでしょうか。
あともう一寸ですよ。もう少し努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。
まだまだ小さな灯りは必要ですよ。燃え尽きるまで努力しなさい・・・といってくれているのでしょうか。
深く考えさせられる、ありがたい一日でした。
母子の情
中日新聞「寄り添え」という欄に、私の拙文が掲載された。その後、
「同感」
「私も同じような経験をした」
とたくさんの人から電話や会った時にことばをかけられて、新聞はやっぱりたくさんの人が見ているのだなと驚かされた。
95歳で亡くなった母の事を書いたのだが、一緒に住んで毎日けんかをしたり、世話をやいたり、やかれたりしたがあの頃が懐かしい。
とりわけ、今から6年前、私が心臓の手術をしたとき、90歳になろうかという身で毎日バスに乗っては病院まで来て私の足をさすっては
「何もしてやれなくてゴメンネ、私より早く死んではいやだよ」
とつぶやいては帰って行った。母のありがたさが身にしみたひとときであった。
私は今、58歳になる心身障害者の息子がある。私は年老いて何もしてやれない年齢になった。
施設から春・夏・秋・冬の帰省で家に帰ってきても、今では何もしてやれなくなった。
一緒にいるだけの数日だが、亡くなった私の母の心境が痛いほどわかる。母子って不思議なものだなあと思う。;
そして、ほかの障害を持った子の母親たちも、みんあどんなに年をとっても親・子の情は誰も変わりはなく、
「この子は私が死んだら誰がめんどうみてくれるのだろう・・・」
と思い、
「この子のために私は少しでも頑張らねば・・・」
と思い続ける。
自分より、大きく、力強い子どもに向かって
「私が頑張らねば」と思い続けるのだ。
パネテリア・ロト内覧会
レジデンス日進につばめが2羽帰ってきました。とても若々しく、美しいつばめでした。
昔からつばめが巣作りする家は栄えるといわれています。
つばめは稲を食べる虫を食べてくれます。
お米さえあれば後はわずかな野菜や魚、時々の卵で生きてゆけたわけですから、お米を守るつばめを大切にするためにそうした格言が生まれたのでしょう。
また人が多く行き来する玄関は木の枝も取り払われて蛇などの恐ろしい天敵も少なく、雨露もしのげ、つばめにとってもいごこちのよいところなのでしょう。
でも私はそうした行動の成り立ちよりも
つばめは大きな建物の中でも玄関という人の出入りの多いところに巣作りをして家を守っていると考えてしまいます。
また知らず知らずのうちに人を守っていることで、つばめ自身も知らず知らず守られていると考えるのです。
知らず知らずのうちに、知らず知らず支えあう。それが生きているもののあり方。何事にも感謝することが大切と考えてしまいます。
そうした考えとはぜんぜん関係なく、レジデンスの利用者さんたちはつばめが来るととても喜んで眺めていました。
利用者さんのほうが一枚上手です。
パネテリアロトの内覧会が今日(18日)行われました。
家族会が対象で、各施設のお母さんたちが沢山来てくださいました。
「とても明るい感じ」
「おしゃれ」
「広い」
「車椅子トイレまである」
「コーヒーもおいしい」
「ランチがあるといいね」
「駐車がたくさんできる」
「ここで何か催し物ができる」
「役員会をここでしようよ」
「赤池から4人でタクシーに乗ると150円。くるりんバスより安い」
などなど、とても好評でした。沢山来てくださってありがとうございました。
ボランティアさんもたくさん来てくださって助かりました。
傑作なのは一般の若いカップルまで入ってきてお母さんたちのずらり並んだ圧力に押されてそのまま帰って行かれたことです。
利用者さんたちはいつもより楽しげにクッキーつくりの作業をしていました。
お弁当も、ボランティアの皆さんと一緒に楽しく食べました。
さあ、明日は利用者さんたちが来てくれます。私もがんばらなくっちゃ!!
はまなすの家族会総会
はまなすの家族会総会に出席させていただきました。久しぶりの出席なので、とても懐かしく思えました。
いつも所長からグループウェアやメールで利用者のヒヤリ・ハットをはじめ、その他の報告を見ていますので、だいたいはわかっていましたが、久しぶりに家族会の皆さんのお顔を見てみんなとってもお若く、美しいのには驚きました。
この影には所長さんの細かいひごろの配慮と利用者本意の療育が反映しているからだと思いますが、親さんたちの和気あいあいといった雰囲気が伝わってきてとても心が和みました。
無事総会を終え、昼食は尾張旭市のきりやまで迎えのバスで出かけました。
私の一挙手一投足まで誰もが気遣ってくださり、とても嬉しく思いました。
食事の間にはメイトウ・ワークス立ち上げの頃の苦労話、グレ希望の家の話まで飛び出して、30年の歴史の重さを感じ、みんなで協力して運営して言っている名東福祉会の特徴をつくづく感じました。
はまなす周辺の地域は施設が建つ前は強い反発がありましたが、施設が開所して以来、徐々に、徐々に反発が薄まりつつあります。
住民の人たちから建設の同意を得るため、当時は、深夜まで何べんも何べんも深夜12時ごろまで町内の人たちと話し合いました。
一軒一軒訪問して、ご理解を求めて説明したあのころのことがよみがえってきます。
当時、地域の自治会と取り交わした40項目の協定書を守り続けてくださった所長さんたち、そして家族会のみなさま、ありがとうございました。
昨日は
「バザーなどもやりたいね」
「裏のアパートに空き部屋がありますので、借りてグループホームにしたらどうか」
などと前向きの話も出ました。
30年というのは親も子も確実に歳をとる年月です。これからますます悩みが増えますが利用者の幸せを願ってどう準備していけばよいのかいっしょに考えてゆきましょう。
桜は散るときがいちばん美しい
4月8日、このところレジデンス日進の前の数本の桜が満開でとても美しい景色でしたが、今日は新しい年度の入学式に参列するらしい、着飾った3人連れの親子の上にハラハラと桜が散り始めました。えもいわれぬ美しい景色でした。
先日、グループで座談会をした親さんたちの中に発達障害のお子さんを持つ方がおられました。
そのなかには巣立ちへの不安を語られた親さんも居られました。
新しい学校での不安は、もっともと思いますが、どうぞお母さんたち、ピリピリと過敏にならず、お母さん自身がゆったりとおおらかに暮らしてほしいと願います。
障害がある子どもの子育ては望みすぎてもあきらめてもいけません。
「ほどほど」という言葉はいちばん難しいかも知れませんが、一日ひとつはよいことを見つけ、いただいた喜びに笑顔を忘れないようにしましょう。
いつも心豊かに子育てをしてほしい。そのためには美しい桜の散るのをゆったりと眺めて豊かな心を忘れないこと。
これからいっぱいつらいことと出会いましょうが、そんな時は美しい花を見ることが一番です。
春近し
レジデンス日進の屋上へ上がってみました。
風が強く、私の髪の毛はさかだち、春だというのにとても寒い日でした。
日進市の町並みは輝いていて遠くのほうまでよく見えました。
近くの三ッ池公園の木々もすこしづつ芽吹いてきています。
わがレジデンス日進の前の道沿いに桜の古木が数本ありますがチラホラと花が咲き、満開ももう間近かなことを想像させられます。
二三日前、セルプセンターの総会があり、監事として出席しました。
このたび障害者自立支援法によるさまざまな変革、改革があり、一時はみな驚きましたがそれでも徐々に円滑な施行に向けての様々なプロジェクトチームによる研究が始まっていました。「工賃倍増」をめざして、いろいろな取り組みが始まっているのです。各作業所の熱意が伝わってきます。
わたしたちの施設でも「メイグリーンを考える会」が発足し、活発な意見が交わされるようになっています。
障害者が自立することを推し進めるにはみなが協力し合わなければできません。今回の変革がいい方向にむかっていければと思います。
名古屋栄の四つ角あたりにしだれ桜が美しく、もうすでに満開でありました。
春は確実にそこまで来ています。
施設へ戻ったとたん山のような書類にまた冬が来てしまいました。